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投稿日:2021年02月24日
男は、ふうと息を吐いた。
「ああ、君か。生き残った獣人混じりっていうのは。召喚師様から、話は聞いているよ。身元はアーベリトが引き受けるから、トワリスと名乗る獣人混じりが現れたら、試験を受けさせてやってくれってね」
「…………」
男の眼差しに萎縮しながらも、それを聞いた瞬間、トワリスの中に、強い喜びがつき上げてきた。
(ルーフェンさん、手紙読んでくれたんだ……)
返事はなかったけれど、きっとそうだ。
マルシェの姓を名乗れるようになったとはいえ、獣人混じりで、後ろ楯もない孤児のトワリスが、突然入団試験なんて受けに来たら、ちょっとした騒ぎになるだろう。
だから、手紙を読んだサミルやルーフェンが、予め、魔導師団の方に話を通してくれていたのだ。
そう思うと、嬉しくて、恐怖や緊張など、何だかどうでも良くなってしまった。
同時に、この中年の魔導師は、それが気に食わないのだろうと思った。
召喚師であるルーフェンに後押ししてもらえるなんて、おそらく滅多にないことだ。
勿論、不正なんて行っていないし、ルーフェンだって、試験を受けさせるように頼んだだけで、受からせるようにと言ったわけではない。
それでも、諸々の事情を知らない魔導師たちからすれば、運良くアーベリトに引き取られていただけのトワリスが、召喚師の庇護を受けたように見えるのだろう。
男は、持っていた書類を地面に置くと、指を組んだ。
「とりあえず、何かしてみせてくれ。魔術なら、なんでもいい」
そう言われて、トワリスは、慌てて辺りを見回した。
トワリスは、持っている魔力自体は、そう多くない。
だから、何もない場所から水や炎を生み出したり、室内で風を起こしたりするような難しい魔術は、使えなかった。
燭台の一つでもあれば、炎の鳥を象って見せたりも出来るのだが、どうやらこの部屋の明かりは、魔術で保たれているらしい。
他に出来ることと言えば、リリアナに見せたような、手や足に魔力を込めて樹を蹴り折ることくらいだが、ここには、何か壊して良さそうなものも見当たらない。
あるのは石壁と、魔導師たちが座っている椅子、そして魔法具くらいだ。
まさか魔法具を叩き折るわけにいかないし、流石に石壁を破壊することはできない。
トワリスは、弱々しく首を振った。
「……すみません、出来ません」
中年の魔導師は、ひょいと眉をあげた。
「魔法具を使っても良い。いろんなものが揃っているから、好きなのを取ってくるといい」
そう言って、棚に並ぶ数々の魔法具を示される。
魔法具は、魔術の制御を容易くしたり、魔力の増幅の補助したりする道具だ。
しかし、魔法具なんて使ったこともなかったので、トワリスは、もう一度首を振った。
「……使い方が分からないので、使えません」
男が、微かに笑って、肩をすくめる。
救いを求めて、隣の少年の魔導師をちらりと見てみたが、そもそも彼は、先程から一言も発していないし、トワリスには微塵も興味がなさそうだ。
いたたまれなくなって、トワリスがうつむくと、男は、鉄扉の方に立っていた魔導師に、声をかけた。
「おい、クインス。こっちに来い」
クインスと呼ばれた魔導師は、先程、トワリスをこの部屋に入れてくれた男だ。
彼は、微苦笑を浮かべながらやってくると、トワリスの前に立った。
「それなら、こいつから、このスカーフを奪い取ってみるんだ。出来るかい?」
言いながら、中年の魔導師は、クインスに自分が巻いていたスカーフを投げて寄越した。
クインスは、受け取ったスカーフをひらひらとトワリスの前で振って、笑っている。
馬鹿にされているのは、明らかであった。
他の志願者たちも、こんな試験を受けて、あんなに傷だらけになっていたのだろうか。
否。トワリスは、ある意味で温情をかけられているのだ。
ろくに魔術も使えないくせに、入団試験を受けに来た獣人混じり。
わざわざ戦わずとも、身の程知らずの小娘には、スカーフの取り合い合戦くらいがちょうど良いだろう。
彼らの顔には、確かにそう書いてあった。
沸き上がってきた悔しさを振り払うと、トワリスは、強く頷いた。
魔術も使えない、魔法具も使えないと分かった時点で、追い払われてもおかしくなかったのだ。
そう思えば、有り難みの薄い温情でも、かけてもらえただけ幸運だった。
クインスに向き直ったトワリスに、中年の魔導師は、軽い口調で告げた。
「手段は問わないよ。どんな魔術を使ってもいい。無理だと思ったら、降参でも構わない。仮にも小さな女の子を、いじめる趣味はないからね」
男たちは、顔を見合わせて、けらけらと笑っている。
トワリスは、不愉快そうに眉を寄せたが、改めてクインスの手に握られているスカーフを見つめると、微かに姿勢を低くした。
どんな魔術を使ってもいいと言われたが、魔術なんか使わなくても、スカーフを奪い取るくらいは出来そうだった。
むしろ、魔導師に魔術で挑めるほどの技量が、今のトワリスにはないから、下手な小細工は避けるべきだ。
せいぜい、より速く動けるように、手足に魔力を込めるくらいで良いだろう。
見たところ、クインスという男は、スカーフを強く握っているようには見えない。
トワリスの前で振りながら、手に引っかけるようにして持っているだけだ。
不意をついて、彼が反応するよりも速く動ければ、トワリスの勝ちである。
(一息……一息つく間に、スカーフを取るんだ)
狙いを定め、ぐっと脚に魔力を込めると、トワリスは、強く地を蹴った。
トワリスから、魔力を感じたのだろう。
ふざけて緩んでいたクインスの表情が、わずかに動く。
──しかし、スカーフを取られないよう、握りしめようとした時には、既に遅かった。
しゅるっと音を立てて、手の中から、スカーフが抜けていく。
クインスが、咄嗟に追いすがろうと後ろを向けば、そこには、既にスカーフを奪取したトワリスが立っていた。
「…………」
魔導師たちの顔から、笑みが消えた。
一瞬、この少女は瞬間移動したのかと思ったが、魔法具の使い方も分からないと言っていた子供が、瞬間移動なんて高度な魔術を使えるはずがない。
トワリスは、魔導師たちの目が追い付かぬほどの速さで、跳んだのである。
奪ったスカーフを丁寧に畳むと、トワリスは、それを中年の魔導師の元に持っていった。
「……取りました、スカーフ」
「…………」
トワリスから差し出されたスカーフを見つめて、男は、絶句している。
人間離れした動きを見せれば、驚かれるだろうとは予想していたが、全く何も言われないので、反応に困ってしまう。
どうすれば良いのか迷っていると、不意に、今まで黙っていた黒髪の少年が、口を開いた。
「阿呆。力ずくで取りにいく奴があるか。魔導師なら、魔術で奪え。こうやってな」
言いながら、少年が指先を動かすと、トワリスの手にあったスカーフが、吸い寄せられるように少年の元へと飛んでいく。
スカーフを手に納めてから、それをそのまま地面に落とすと、少年は椅子から立ち上がった。
「まあ、いい。動く方が得意だってんなら、それに合った魔術を覚えろ。お前が今使ったのは、魔術でも何でもない。ただの気合だ」
呆れた口調で言いながら、少年は、魔法具が収納された棚の方に歩いていく。
そして、並んだ魔法具の中から、短剣を引っ張り出してくると、それをトワリスの前に投げた。
「茶番は終わりだ。それを使って、俺に勝ってみろ。そうしたら、入団を認めてやる」
じろりとトワリスを睨んで、少年が言う。
鋭い目付きで言われて、トワリスは、思わず身を凍らせた。
年齢的にも、この少年が、今ここにいる三人の魔導師の中で、一番の下っ端なのかと思っていたが、とんでもない。
他の二人の嫌味が可愛く見えるくらい、少年の態度は威圧的で、恐ろしかった。
トワリスは、足元に転がっている短剣を握ると、そのずっしりとした重みと鋭利さに、身震いした。
模造刀などではない、正真正銘の真剣だ。
こんなものを使ったら、怪我を負うどころか、死んでしまうかもしれない。
先程、この部屋の外で並んでいた時、次々と運び出されてきた怪我人たちの苦悶の表情を思い出して、トワリスは、顔を青くした。
「ま、待ってください。この剣、本当に使うんですか……? こんなの、使ったら……」
少年は、鼻で笑った。
「ああ、ただじゃ済まないかもな。だが、お前が来ようとしているのは、そういう殺し合いの世界だ。武器を握る覚悟もないなら、今すぐに帰れ」
言いながら、少年が手を出すと、そこに魔力が集結したのと同時に、どこからともなく、一本の青光りする短槍が現れる。
すると、中年の魔導師が、慌てた様子で声をあげた。
「お、おい、ジークハルト。流石にそれを使うのは、やめておけ」
それ、というのは、少年──ジークハルトが握っている、短槍のことを指しているのだろう。
他の魔導師二人が、制止をかけるも、しかし、ジークハルトは聞かなかった。
「言っておくが、女だろうが、ガキだろうが、容赦はしない。魔導師団に、弱い奴はいらない」
冷たい声で言い放って、切れ長の目を細める。
ジークハルトは、短槍を一転させ構えると、微かに口端をあげた。
「さっさと決めろ。俺とやるのか、やらないのか」
「…………」
トワリスは、つかの間硬直して、押し黙っていた。
刃を振り上げられたときの恐怖と、斬られたときの痛みが、頭にちらついて離れない。
けれど、その躊躇いの先に、アーベリトの人々やルーフェンの顔が思い浮かぶと、不思議と、短剣を握る手に力がこもった。
(この人に、勝ったら……魔導師に、なれる)
トワリスは、顔をあげると、ジークハルトを強く睨み付けたのだった。
To be continued....
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