トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月24日




†第四章†──理に触れる者
第一話『禁忌』


━━━━━━

リリアナ・マルシェ様


 お手紙の返事、遅れてごめんなさい。
半年ほど、任務で西方のカルガンに行っていて、先月、ようやくシュベルテの方に戻ってきました。

 そちらは、変わりありませんか。
カイルやロクベルおばさんも、元気ですか。
この前、カイルが七歳になったと聞いて、考えてみれば当然なんだけれど、すごく驚きました。
私達が出会った年から、もう五年も経ったのかと思うと、とても感慨深いです。

 こちらも、相変わらず慌ただしい日々ではありますが、なんとか無事にやっています。
もうすぐ卒業試験があって、それに受かれたら、ようやく正規の魔導師になれます。
そうしたら、寮からも出られるので、一度アーベリトに行くつもりです。
長らく顔を出せなくてすみませんと、おばさんにもお伝えください。

 本格的に寒くなってきたので、リリアナも身体には気をつけて。
お店のお手伝い、頑張ってね。


トワリスより

━━━━━━


 羽ペンをインク壺に戻すと、トワリスは、書き終えた手紙を、窓から差し込む夕陽に透かした。
くしゃくしゃに丸めようとして、思い止まる。
もう一度文面を読み直し、ふうと息を吐くと、トワリスは、手紙を畳んで封筒にしまった。

 こんな手紙を出したら、リリアナには、どうしてこんなに畏まった文なのかと、また笑われるだろう。
しかし、話し言葉で文を書くと、どうにも違和感が拭えないのだ。
普段リリアナと話す時は、敬語なんて使わないし、何度も砕けた文章に直そうとしたのだが、結局固い文体になってしまうので、もう諦めた。
文章上でも不器用さが滲み出るなんて、なんだか悲しくなるが、自分らしいといえば、自分らしい。

 トワリスは、手紙に封蝋を施すと、それを持って、自室を出たのだった。

 魔導師団に入ってから、五度目の冬が巡ってきた。
その間もトワリスは、リリアナと手紙のやりとりをしていたが、アーベリトにある彼女たちの家に帰れたことは、ほとんどなかった。
文面には表れていないが、リリアナは、相当むくれているだろうと思う。
様子見のつもりで受けた入団試験に、思いがけず合格したと聞いたときも、リリアナは、例のごとく大泣きしたのだ。
「一発合格するなんて聞いていない」だとか、「折角一緒に暮らせると思ったのに、すぐ出ていくなんてひどい」だとか、散々駄々をこねていた。
勿論、最終的には、涙をぼろぼろ流しながら「おめでとう」と言って送り出してくれたが、彼女も自分も、まさか魔導師見習いが、こんなにも外出制限をかけられるものだとは思っていなかった。
だから、リリアナが「おばさんに教わって文字を覚えたから、文通しよう!」と手紙を送ってきてくれたときは、嬉しい反面、なんだか申し訳なくなってしまった。
ロクベルもリリアナもカイルも、まるで本当の家族のように温かくトワリスを迎えてくれたのに、結局、ほとんど一緒に暮らすことなく、名前とお金だけ借りるような形で、魔導師団に入団したのだ。
ろくに顔も出さず、手紙を頻繁に返すこともできず、魔導師見習いとして、勉強や任務に明け暮れる日々。
いわゆる孝行が何も出来ないまま、援助だけ受けてしまったのは、なんだか心苦しかった。

(結局私は、なんで受かったんだろう……)

 リリアナ宛の手紙を眺め、長廊下を進みながら、トワリスはふと、五年前の入団試験のことを思い出した。

 ジークハルトという、あの少年魔導師に挑まれた後、一体何が起きたのか。
トワリスは、気絶してしまっていたので、正直なところ記憶が曖昧であった。
気づいたら、他の男たちと同じように、鍛練場から運び出されていて、医師に軽く手当てを受けてから、何事もなかったかのようにロクベルと合流して、アーベリトに帰った。

 残っていたのは、短剣を手に向かっていった記憶と、痣まみれになった四肢だけ。
それ以外のことは、本当に覚えていない。
少なくとも、勝てた覚えは全くなかったので、自分は試験に落ちたんだろうと思っていた。
だからこそ、合格の通知が来たときは、腰が抜けるほど驚いた。
しかも、実技試験においては、首席合格と知らされたのである。

 勿論嬉しかったが、その反面、戸惑いも大きかった。
もっと勉強して、自分でも納得が出来るくらいの魔術を使えるようになってから、試験を受ける──。
この筋書きでの合格なら、純粋に喜べたであろうが、試験官に馬鹿にされた挙げ句、気絶させられた上での首席合格なんて、何かの間違いではないかと本気で疑ったものだ。
とはいえ、とにかく今度は筆記試験を行うから、再度魔導師団の本部に来られたしとの達しが来てしまったので、大慌てで家を出た。
筆記試験に関しては、下から数えた方が速いくらいの順位であったが、実技試験の結果に助けられたのもあってか、なんとか合格し、現在に至るのである。

 寮の長廊下には、講義を終えたであろう魔導師見習いたちが、分厚い教本を抱えて行き交っていた。
女も入団可能とはいえ、魔導師団に入っているのは、ほとんどが男である。
トワリスは、ちらちらと通りすがりに送られてくる男たちの視線を無視して、足早に廊下を歩いていった。

 女というだけで珍しがられるのに、実技を首席で合格した獣人混じり、なんていう肩書きがあるせいで、トワリスは、ちょっとした有名人であった。
魔導師団に入る者は、貴族出身で、気位の高い男が多い。
もちろん、世の平和のためにと、熱い心持ちで入団してくる者が多いが、地位や世間体のためだけに入団してくる者も、決して少なくはなかった。
蓋を開けてみれば、ここは平民出だというだけで馬鹿にされる閉鎖的な世界だ。
そんな場所で、トワリスのような特殊な素性の者が、快く受け入れられるはずもなかった。

 リリアナ宛の手紙に目を落としていると、廊下の角を曲がったところで、不意に、男が一人飛び出してきた。
どん、と肩にぶつかられて、思わずよろける。
手紙を落としたトワリスに、男は、謝ろうとしたようであったが、相手がトワリスだと分かると、嫌そうに鼻を鳴らした。
そして、明らかに狙って手紙を踏みつけると、ちらりと笑った。

「悪いな、足が滑った」

「…………」

 踏みつけられて、皺が出来てしまった手紙を拾いあげる。
そのまま横を通りすぎようとする男を睨みながら、ぐっと怒りを抑えようとしたトワリスだったが、しかし、手紙の端が破れていることに気づくと、男の脚を蹴るように払った。

「うわっ」

 咄嗟に反応できなかった男が、思い切りつんのめって、床に転ぶ。
顔面を打ち付けた男が、痛みに呻いているのを見下ろして、トワリスは言った。

「すみません、足が滑りました」

 絶句した男が、呆気にとられたような顔で、こちらを見上げてくる。
やり返してくるかと思ったが、訓練時間外に諍(いさか)いを起こすなんて、上に露見したら処罰ものだ。
それを分かっていて、往来の長廊下で騒ぎを起こすほどの度胸は、男にはなかったのだろう。
トワリスは、周囲に目撃者がいないか確認すると、黙りこんだ男を尻目に、その場を後にした。

 仕掛けてきたのが相手の方だとはいえ、こんな風にやり返していると、自分でも、性格が荒んでしまったなと思うことがある。
この程度の嫌がらせは、それこそ、アーベリトの孤児院にいた頃からあったし、差別的な目で見られることにも、とっくの昔に慣れていた。
だから、いちいち真に受けず、流すのが賢明だとは分かってはいるのだが、最近は、精神をすり減らしてまで我慢するのが、なんだか馬鹿馬鹿しく感じるようになっていた。

 魔導師団に入ってから、五年も経ったというのに、トワリスには、いわゆる友人というものが出来ていなかった。
もちろん、話しかけられれば返事をするし、必要があれば、こちらから声をかけたりもする。
だが、非番の日に一緒に出掛けたり、下らない世間話を交わすような相手は、一人もいなかった。
今も昔も、文通しているリリアナが、唯一と言っていい友人である。

 原因は、獣人混じりを敬遠している連中にもあるだろうし、口下手で取っつきづらい自分にもあると思う。
それこそ入団したばかりの頃は、孤児院では失敗したのだから、今度こそ周囲に馴染まなければと、努力してきたつもりであった。
それが今や、嫌がらせを受けては、仕返しをするような日々を送る羽目になっている。
何故こうなったのだろうと、考える度に悲しくなるが、結局のところ、付き合おうとも思えない人間にまで気を遣うから、こんなにも疲れるのだろう、という結論に至った。

 思えば、無理に周囲に馴染む必要はないし、性根の腐った人間から嫌われたところで、痛くも痒くもない。
ある程度の人付き合いは大切かもしれないが、少なくとも、書いた手紙をわざわざ踏みつけるような人間とは、一生仲良くなることはないだろう。
そう思い始めたら、理不尽な目に遭っても我慢するなんて、無駄なことのように思えたのだ。

 気の許せる相手がいるに越したことはないが、別に、一人で生活していけないわけではない。
折角ルーフェンやサミルと出会って、振り上げられた手に無条件で怯えるような己とは、決別したのだ。
たとえ友人などできなくても、心を押し殺すのはやめて、自分らしく魔導師としての道を歩むべきである。
トワリスが魔導師団に入ったのは、決して、誰かと仲良くなるためではない。
強くなって、アーベリトを守れるようになるためなのだから──。

──なんて、そんなトワリスの決心が崩れ去ったのは、書き直したリリアナへの手紙を投函して、すぐのことだった。
その日、発表された卒業試験の内容が、三人一組で任務を遂行することだったのである。

(三人、一組って……)

 トワリスは、本日何度目とも知れぬため息を吐き出した。

 卒業試験は難関だと聞いていたから、一体どんな内容なのだろうと気になっていたが、まさか、誰かと組むことを強要されるとは思っていなかった。
これまでも、複数人で訓練を受けたり、任務をこなしたりすることはあったが、問われていたのは個人の能力だったので、それほど他人を意識する必要はなかった。
しかし、“三人一組”と言われた以上、どうしたって協力し合わなければならない。
つまり、いかに能力が高くても、協調性のない者は落とす、と言われているのだ。

(……まあ確かに、性格に難ありっていうんじゃ、やっていけないしね……)

 つい先程まで、一人でもやっていける、なんて開き直っていた自分が、恥ずかしい。
我ながら、卒業試験の内容としてふさわしい、と納得してしまったので、文句など一つも出てこなかった。

 強さも大事だが、最も重要なのは、国を守護する魔導師として正しき心を持っていることだと、そう言われているのかもしれない。
入団してから、厳しい訓練や任務に耐えかねて、魔導師団を去った者は大勢いる。
そんな中、卒業試験まで残った者には、きっと素質がある。
だからこそ、次に問われるのは内面なのだ。

 とはいえ、こんなに卒業試験の内容に動揺しているのは、トワリスくらいのようであった。
考えてみれば、当然である。
訓練生として、五年も苦楽を共にしていれば、友人の一人や二人、できて当たり前である。
となれば、わざわざ誘わなくても、誰と組もうかなんてすぐに決まりそうなものだ。
むしろ、卒業試験の内容が貼り出された掲示板の前で、騒がしく話し込む同期たちの表情を見る限り、仲間と協力できる方が心強いと、安堵している者も多くいるようであった。


- 33 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数125)