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投稿日:2021年02月24日





 トワリスは、長廊下に立つ掲示板を横切り、共用の食堂へと向かうと、並ぶ大皿から自分の皿へ適当に料理を盛って、一人席についた。
訓練終わりの昼時の食堂は、混雑していて、空いている席を見つけるのも一苦労だ。

 冬だというのに、人の熱気で蒸し暑くなった室内。
長い木造の食卓を囲んで、寮住まいの男たちは、それぞれ談笑しながら食事を口に運んでいる。
寮で出される料理は、質より量であったが、疲れていると、不思議と美味しく感じるもので、皆、忙しなく口を動かしていた。

 トワリスは、端のほうの席でスープを飲みながら、賑やかな男連中をさりげなく見ていた。
なんとなく、いつも一緒にいる面子は固定されていたが、トワリスの同期である見習い魔導師は、約百名ほど在籍している。
それだけいれば、中にはトワリスと同じように、好んで、もしくは仕方なく一人で食事をしている者もいる。
卒業試験で誰かと組むならば、そういった独り者を誘うのが良いだろう。
トワリスと組みたがらない人間も多いだろうが、今は、そんなことは言っていられない。
組んでみて、仲良くなれればそれで問題ないし、なれなくても、仕事と割りきって行動を共にするしかない。

 そんなことを考えながら、ちらちらと同期の魔導師たちを観察していると、不意に、誰かがトワリスの向かいに座った。
他に空席がなく、やむを得ずその席を選んだのかと思ったが、相手はどうやら、トワリスが目当てのようであった。

「ここ、いいかしら?」

「えっ、は、はい……」

 思いがけず声をかけられて、慌てて視線を前に戻す。
トワリスの前に座った女は、満足げに微笑すると、どうも、と一言告げた。

 甘やかに香る豊かな蒼髪に、整った眉と、色づいた唇。
透き通った青い瞳は、妖艶な色を放っていて、女のトワリスですら、見つめられると思わずどきりとしてしまう。
彼女は、アレクシア・フィオールという、同期の中で、トワリスともう一人だけの女魔導師であった。

 魔導師というよりは、どこぞの娼婦か芸妓だと言われた方が頷けるような、美しい見た目だが、これでトワリスより一つ年下──まだ十六歳だと言うのだから、驚きである。

 年も近いし、女同士ということもあって、入団当初は、アレクシアに声をかけてみようかと思っていたこともあった。
しかし、なんだかんだで、こうして話すのは初めてである。
というのも彼女は、トワリスとはまた違った意味で、有名人だったのだ。

 派手な容姿も由来してか、アレクシアには、悪い噂が多かった。
例えば、魔導師団の上層部に色目を使って贔屓してもらっているとか、ある魔導師を脅して退団させたとか、そういった噂だ。
もちろん、そんなものは根も葉もないことだし、鵜呑みにして信じているわけではない。
ただ、実際にアレクシアは、人を小馬鹿にするような態度をとったり、謀(たばか)ったりすることが多い女だったので、噂もあながち、全くの嘘ではないのかもしれない、なんて考えていた。

 本人も、誰かとつるみたがる質には見えなかったし、正直なところ、トワリスとアレクシアは、性格が合うようにも思えない。
だから、特に近づこうとしないまま、五年もの月日が経ったのだ。
それなのに、そのアレクシアが今更話しかけてくるなんて、意外であった。

 アレクシアは、頬杖をついて、トワリスを見つめた。

「卒業試験の内容、見た?」

 持っていた匙を食卓に置いて、頷く。
やはりその話題か、というのは、なんとなく検討がついていた。

 アレクシアは、目を細めて、顔を近づけてきた。

「じゃあ、私と組まない? いえ、正確には私達、ね。貴女ともう一人、サイ・ロザリエスも誘ってるの。悪い話じゃないでしょう?」

 色香たっぷりに微笑んで、アレクシアが言う。
トワリスは、少し警戒したように眉を寄せた。

 サイ・ロザリエスというのも、トワリスの同期である。
彼とも話したことはなかったが、名前は知っていた。
サイは、筆記試験の首席合格者であり、入団から現在まで、常に首位を取り続けている期待の新人なのである。

 トワリスだって、入団してからは、独学ではなく、しっかりと魔導師団内で魔術を学べるようになったので、現在は、実技も座学も、成績上位者であった。
だが、サイに関しては、別格である。
あれが所謂天才なのだろうな、と誰もが思わざるを得ない。
サイは、そんな男であった。

 確かに、サイと組めれば、試験を有利に進められるだろう。
アレクシアの言う通り、悪い話じゃない。
しかし、それこそサイは、トワリスやアレクシアと違って、同期内で浮いているわけじゃないので、引く手数多だったはずだ。
それなのに、何故アレクシアと組むことにしたのだろう。
──というより、アレクシアは、どうやってサイを引き入れたのだろう。
そう考えると、アレクシアの誘いに安易に頷くのは、躊躇われた。

 トワリスは、あえて毅然とした態度で、アレクシアを見つめ返した。

「……えっと、フィオールさん、だったよね? 誘ってくれるのは有り難いんだけど、どうして? 私達、話したこともないだろ」

 アレクシアは、ふふっと笑みをこぼした。

「アレクシアでいいわ。単純な理由よ、さっさと試験を終わらせたいの。そのためには、優秀な人と組むのが一番でしょう? ねえ、首席合格のトワリスさん?」

「…………」

 褒められている、というよりは、何か試されているような気分である。
要は、アレクシアは、同期の首席合格者二人と組んで、試験を簡便に済ませようというのだ。
それくらいのことは、誰でも考え付きそうなことだし、別段なんとも思わない。
しかし、アレクシアの笑みを見ていると、彼女には、何かそれ以上の思惑があるように感じられた。

 トワリスはつかの間、アレクシアの目をじっと見ていた。
だが、やがて小さく息を吐くと、静かな声で尋ねた。

「……どんな任務を受けるかは、決まってるの?」

 アレクシアの眉が、ひょいと上がる。
少しの沈黙の末、懐から数枚の書類を取り出すと、アレクシアは答えた。

「ええ、決まっているわ。悪いけど、その辺りの主導権は、私が握らせてもらうわよ」

「…………」

 トワリスの眉間の皺が、深くなる。
主導権を握らせてもらう、とはっきり断言している辺り、アレクシアの狙いは、卒業試験の合格ではなく、ここにあるのだろう。
確実に合格することだけが目的なら、任務の指定なんてしてくる必要がないからだ。
つまり、あまり面識のないサイとトワリスの力を借りてまで、早急に済ませたい任務がある、ということである。

 通常、任務は上層部に命令されて行うものだが、卒業試験で受ける任務に、特に決まりはなかった。
上層部が提示してきた案件の中からであれば、決められた期間内に、どんな内容のものを、いくつ遂行するかも、自由に選んで良いことになっている。
正規の魔導師たちが請け負うまでもない、要はおこぼれの任務ばかりなので、そこまで重大な案件はないはずなのだが、わざわざ首席合格者二人を引っ張り出そうというのだ。
何か訳ありな任務なのだろうと、疑わざるを得なかった。

「……どんな任務?」

 訝しげに眉をひそめ、問う。
アレクシアは、おかしそうに口端を上げた。

「もしかして、私のことを警戒してるの?」

「いいから、見せて」

 ずいと手を差し出せば、アレクシアが、やれやれといった様子で書類を渡してくる。
受け取った書類に目を通すと、トワリスは、その文面を読み上げた。

「……魔導人形、ラフェリオンの捜索、及び破壊……」

 見落としがないように、渡された書類全てに、目を通す。
そこに書かれていた内容は、トワリスが思っていたよりもずっと簡単そうな、いわゆる“正規の魔導師が請け負うまでもない”任務であった。

 魔導人形とは、言ってしまえば、一種の魔法具である。
とはいっても、魔導師が使う杖などの武器とは違う。
娯楽目的で作られた、言わば玩具であった。
ただの木や布綿で出来た人形とは違い、魔導人形は、自力で動いたり、話したりすることができる。
もちろん、そこに意思はないが、子供や独り身の老人の遊び相手、話し相手として、人気を博していた。
また、劇団が魔導人形を並べ、一斉に奏でさせたその歌が美しいというので、話題になったこともあった。
魔導人形とは、富裕層の間で一時期大流行した、特別な玩具なのである。

 今回の書類に書かれていたのは、稀代の人形技師と名高い、ミシェル・ハルゴン氏の最高傑作にして遺作──魔導人形『ラフェリオン』を探して壊せ、といったような内容であった。
魔法具の破壊を命じられる任務というのは、決して珍しいものじゃない。
魔術をかけるのに失敗したり、制作者が亡くなったりして、誰も手に負えなくなった魔法具を処分してほしい、なんていう依頼は、よくあるものであった。
魔法具は、基本的には使わなければ何の効力も発揮しない、ただの道具に過ぎないが、中には、特殊な魔術がかかっていたりして、燃やそうとしても燃えないものや、魔力を暴発させて、何かしら被害を生み出すものも存在する。
そうなっては、一般人では対処できないので、魔導師が処理するのである。

 一見、そう難しそうには見えない案件なので、アレクシアがなぜこの任務にこだわっているのか、トワリスには分からなかった。
しかし、ふと書類に書かれた日付を見ると、トワリスは顔をしかめた。

(……一四八六年……これ、八年も前の事件なんだ)

 八年も解決されていない、ということは、それなりの理由があるはずだ。
難しい任務だからと敬遠するつもりはないが、卒業試験は、正規の魔導師に昇格できるかどうかがかかっているわけだから、やはり慎重に選びたい。

 トワリスは、書類を裏返すと、アレクシアに返した。

「……これは、受けるべきじゃないと思う。かなり長い間、解決されてない案件みたいだし、もっと確実にこなせる任務の方が良いよ。簡単でも、数さえこなせば、評価されるはずだし」

 アレクシアは、すっと目を細めた。

「あら、随分と弱気ね。誰でも出来る案件を馬鹿みたいにちまちまこなすより、大きな任務を一発成功させた方が、手っ取り早く評価されると思わない?」

「それも一理あると思うよ。でも私は、博打を打つより、確実な方を選びたいから」

 トワリスが、きっぱりと断る。
するとアレクシアは、途端に表情から笑みを消して、ふうっと面倒臭そうに息を吐いた。

「……つまんない女ね」

 意見を述べただけなのに、つまらないなどと貶されて、トワリスは、むっとした顔でアレクシアを睨んだ。
一方で、彼女の口車に乗らなくて良かったと、安堵している気持ちもあった。
組む相手がいなくて困っているのは事実であるが、だからといって、誰でも良いわけじゃない。
人選を誤れば、自分がどんなことに利用されるかも分からないし、試験に落ちてしまう可能性だってある。
噂が真実かどうかはともかく、このアレクシアという女が、どうにも胡散臭い人間なのだということは、確かなようであった。

 アレクシアは、乗り出していた身を戻すと、椅子の背もたれに寄りかかって、持ってきていたパンをかじり始めた。
もうトワリスには、興味がないということだろうか。
その態度にも腹が立ったが、いちいち突っかかっても仕方がないので、トワリスも再びスープを口に運ぶ。

 そうして二人は、しばらく黙々と食事をしていたが、やがて、不意に目をあげると、アレクシアが言った。

「……私、知ってるのよ?」

 意味深な言葉に、トワリスが動きを止めて、眉を寄せる。
視線を向けてきたトワリスに、唇で弧を描くと、アレクシアは、ゆっくりと告げた。

「貴女が、寮の廊下で、同期の男を蹴り飛ばしていたこと」

 ぶっと音を立てて、トワリスがスープを噴く。
げほげほと咳き込みながら、近くにあった台拭きをとると、トワリスは、動揺した様子でアレクシアを見た。

「な、なん、見てたの!?」

 アレクシアは、にやりと笑った。

「冷静そうに見えて、案外喧嘩っ早いのね、貴女。表立っていないだけで、同期と揉め事を起こしたのは、一度や二度じゃないでしょう? まあ、ちょっかいかけてくるのは向こうみたいだけど……ただ、このことが上層部に知られたら、貴女、どうなっちゃうのかしら。訓練以外での私情を挟んだ暴力沙汰なんて、ご法度だものね?」

 台拭きで噴き溢したスープを拭きながら、アレクシアを見る。
慌てて冷静になれと言い聞かせながら、トワリスは、低い声で返した。

「……脅しのつもり?」

 アレクシアが、白々しく肩をすくめる。

「嫌ね、人聞きの悪い。私はただ、今朝も貴女が、猿に躾をしていたことを知っているだけよ。あの猿……確かキーリエ子爵んとこのぼんぼんだったかしら」

「…………」

 脅しじゃないか、と反論しようとして、抑える。
問題は、そこではない。
何故アレクシアが、今朝トワリスが男を蹴躓けつまづかせたことを知っているのか、というところだ。

 あの時、最後に確認したが、確かに目撃者はいなかった。
凄腕の暗殺者か何かが、気配を殺して潜んでいたのだとしたら話は別だが、仮にそうだったとしても、普通より耳も鼻も利くトワリスは、大抵の気配なら気づける。
それなのにアレクシアは、一体どうやって知ったのだろう。

 はったりか、とも思ったが、男がキーリエ子爵の一人息子であったことまで分かっている辺り、どうやらでたらめを言っているわけではなさそうだ。
となると、これはトワリスにとって、かなり手痛い状況である。
大抵、男の方はプライドがあるらしく、「獣人混じりの女にいじめられた」なんて上層部に報告なんてしないのだが、第三者であるアレクシアなら、何の躊躇いもなく報告するだろう。
成績上では優等生で通っているトワリスが、度々同期と問題を起こしていたことが露見したら、それこそ、卒業試験どころではなくなってしまう。

 トワリスは、賑わう食堂内を見渡してから、小声で尋ねた。

「なんで貴女が知ってるの。見てたの?」

「ええ、私、何でも見えちゃうから」

「……どういう意味?」

「さあ? どういう意味かしら?」

 愉快そうに微笑んで、アレクシアはトワリスの反応を伺っている。
この様子だと、アレクシアはおどけるばかりで、口を割ることはなさそうだ。

 トワリスは、悔しそうに引き下がると、小さくため息をついた。

「……分かった。……私も、相手がいなかったし、アレクシアの誘いに乗るよ。でも、主導権が貴女にあるっていうのは、納得できない。どの任務を受けるか、期間中どう動くかは、ちゃんと三人で話し合って決めよう」

 完全に言いなりになる気はないと意思表示して、アレクシアに向き直る。
アレクシアは、少し考え込むように口を閉じた後、すらりと脚を組んでから、頷いた。

「まあ、いいわ。サイも、貴女と話したがっていたし」

 次いで、食事が終わった食器を盆の乗せ、それを持って立ち上がる。
そうして、勝者の如き笑みを浮かべると、アレクシアは言った。

「それじゃあ、この話は成立ってことで。これからよろしくね? トワリス」

 トワリスは、ただ黙って、去っていくアレクシアを睨むことしか出来ないのであった。


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