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投稿日:2021年02月24日





  *  *  *


 例えば、空腹や渇きで、今にも死にそうな子供が倒れていたって、平然と見殺しにしてしまうような──。
姉は冷たくて、とにかく性格の悪い女だった。

 自分勝手で、一方的で、一言でも口答えをすれば、百の言葉で怒鳴り返してくる。
そんな姉、トリーシアのことが、アレクシアは嫌いだったが、生きている肉親は彼女だけだったので、なんとか二人で助け合って、生きていくしかなかった。

 二人は生まれつき、見えないはずの景色が視える、不思議な蒼い目を持っていたが、その能力のことは、口外しないようにしていた。
かつて母が、異端だと蔑まれ、村人たちから石を投げられて生活する様を、嫌というほど見て育ったからだ。
母は、穏やかで優しい性格の持ち主であったが、貧しい中で娘二人を抱えて生活していく内に、病で倒れ、トリーシアが十二、アレクシアが八の時に、呆気なく死んだ。
すると村人たちが、蒼い目の異端者が流行り病を持ち込んだと騒ぎ、家ごと燃やそうとやって来たので、二人は夜通し走って、別の村まで逃げたのだった。

 移り住んだ村でも、珍しい蒼髪と蒼目は、歓迎されなかった。
それでも、出来る限り従順に、静かに暮らしていれば、石を投げられることはなかったし、幸いというべきか、トリーシアは見目の良い女だったので、一部の者たちからは、気に入られている様子であった。
けれど、どんな理由で姉が人々の気に引き、金や食料を手に入れていたかなんて、当時のアレクシアは、考えてもいなかった。

 ある時、村が干ばつに襲われた。
トリーシアとアレクシアには、山一つ向こうに、枯れていない泉があることが視えていたが、そんなことを知らない村人たちは、飢えと渇きに喘いでいた。

 アレクシアは、姉に言った。

「姉さん、泉の場所を皆にも教えてあげようよ。このままじゃ、村は終わりよ」

 しかし、トリーシアは、首を縦に振らなかった。

「教えてやる義理はないわ。泉を見つけたのは私達なんだから、私達だけが使っていいのよ」

 干からびていく村人たちを見もせずに、トリーシアは、平然と言ってのける。
そう、姉は冷酷で、非情な人なのだ。

 アレクシアは、村人たちが哀れでならなかった。
一応この村には、置いてもらっている恩もあるし、何より、このまま死んでいく村人たちを横目に、自分達だけ隠れて喉を潤しているなんて、いくらなんでも忍びない。

 アレクシアは、引き下がらなかった。

「でも姉さん、私達じゃ、毎日水桶を持って山一つ越えるなんて、体力的に無理だわ。村の男の人たちに、運んできてもらおうよ。それで、泉の場所を教えてあげたお礼として、水を分けてもらうの」

 名案のつもりで言ったが、結局その日、姉は頷いてくれなかった。
けれど、その翌朝、村の手伝いとやらを終えて帰ってきた姉が、ふと言い出した。

「アレクシア、私達、これからはヴァルド族だって名乗るのよ。村の連中が、言ってたの。昔、この近辺の山には、ヴァルド族っていう不思議な一族が棲んでいたんだって。そいつらは、どんな遠くの景色でも、未来すら見通せる目を持っていたらしいわ」

 珍しく、興奮したように語る姉に、アレクシアは首をかしげた。

「でも私達、未来なんて見えないわ。遠くの景色だって、時々夢みたいに頭に浮かぶだけだもの。どうしてそんな嘘をつかないといけないの?」

 問うと、姉はいつものように、苛立たしそうな顔になった。

「いいから、言うことを聞きなさい。あんたは黙って、私に従っていればいいの。何にも出来ないくせに、一丁前に文句ばかり言うんじゃないわよ」

「…………」

 怒ったトリーシアには、何を言っても負けてしまうので、言う通りにするしかなかった。
実際に、姉がヴァルド族の末裔を名乗り、泉の在処を村人たちに教えたところ、彼らの自分達を見る目が明らかに変わったので、余計に文句のつけようがなくなってしまった。
トリーシアのついた嘘のお陰で、村人たちが、自分達を神聖な一族として敬うようになったのだ。

 異端だの、気持ち悪いだの、指を差されて貶されることもなくなった。
蒼い瞳も髪も、特別なものだと噂され、村人たちは、トリーシアの出任せを予言だと信じ、「ありがとう」とお礼を言うようになった。

 前の村では、眼の力のことを話したら石を投げられたのに、伝え方一つでこんなに待遇が変わるなんて、なんだか奇妙な気分だった。
トリーシアは、穏やかでのんびりしていた母に比べて、頭の回転も速い女だったから、生き方が上手なんだろう。
そんな彼女に従っていれば、きっと自分も生き延びられる。
そう思う一方で、やはりアレクシアの心には、村人たちを騙している罪悪感が、日に日に募っていっていくのだった。

 ある日、アレクシアは、トリーシアに言った。

「ねえ、もうやめようよ。私達、予知なんてできないんだし、これ以上はったりを言い続けても、ばれるのは時間の問題よ。ヴァルド族だなんて嘘をついていたことが知られたら、私達、どんな目に遭わされるか分からないわ。泉の場所を教えたのは事実なんだし、今、正直に言って謝れば、村の人たちも許してくれるよ」

 素直に不安を打ち明けたが、トリーシアは、相変わらずの刺々しい口調で返事をした。

「そんなの、ばれなきゃいい話じゃない。あんたは、前の惨めで汚ならしい生活に戻りたいって言うの? 私は嫌だわ。地面を這いずって必死に生きていくなんて、もうこりごりよ」

「そりゃあ、以前の暮らしは苦しかったけど……」

 反論しようとすると、案の定、姉は声を荒げた。

「うるさいわね! 大体、あんたの考えは都合が良過ぎるのよ! 正直に言って謝れば、許してくれる? そんなわけないじゃない。どこまで馬鹿なの? 私達、もう引き返せないところまで来てるのよ。分かるでしょう? 私達はヴァルド族で、村を救った英雄! この嘘で生き永らえてるの。それが真実よ!」

 アレクシアは、泣き出しそうになりながら、強く言い返した。

「それなら、姉さん一人でやってよ! そもそも、最初から正直に泉の場所を教えていれば、村の人達とも仲良くなれて、胸を張って生きていけたかもしれないでしょ! 姉さんが村の人を騙そうなんて言うから、こんな、後ろめたい気持ちで暮らさないといけなくなったんじゃない。もう私を巻き込まないでよ!」

 トリーシアは、アレクシアの頬を平手打ちした。

「そうやって能天気に、正直に生きた結果が母さんでしょ! なに、あんたは母さんみたいに死にたいわけ? 石を投げられて、家まで燃やされて、最期まで蔑まれながら野垂れ死にたいっていうの? 私達はね、異端なのよ。異端な上に、無力で弱いの! 助け合いだの何だのとほざいて、どれだけ善良に、正直に生きたって、結局糞虫みたいに泥にまみれて、踏みつけられながら生きていくしかないのよ。だから、すがれるものにはすがって、利用できるものは全部利用して、そうやってのし上がっていくしかないの!」

 頬を押さえて、涙目で睨んでくる妹に、トリーシアは怒鳴り続けた。

「後ろめたいって、誰に対して言ってるのよ? 頭の悪い、この村の人間? それとも、存在しない神でも信じてるわけ? そんな役立たずから見返りを求めてる暇があるなら、水の一杯でも汲んできなさいよ! 自分達の力で踏ん張らなきゃ、私達簡単に死ぬの! 馬鹿な母さんみたいにね!」

「……っ」

 そんな言い合いをした日以降、アレクシアは、トリーシアと口をきかなくなった。
自分だって、辛い日々を一緒に乗り越えてきたのだから、姉の考えだって少しは理解できる。
ただ、彼女のやり方はあまりにも汚いから、それは間違っているんじゃないかと、意見を述べただけだ。
それなのに、姉はいつだって聞いてくれない。
頭ごなしに怒鳴り返してくるばかりで、挙げ句、一生懸命自分達を育ててくれていた母まで貶す始末だ。

 姉は冷たくて、とにかく性格の悪い女だった。
だから、自分以外のことは、本当にどうなったって良いと思っているのだろう。
妹であるアレクシアのことだって、邪魔なごく潰しくらいにしか思っていないのかもしれない。
その日から、アレクシアは、姉のことが大嫌いになった。

 そんな姉に天罰が下ったのは、茹だるような、暑い夏の夜だった。
突然、数人の男たちが家に押し入ってきたかと思うと、男たちが、抵抗する姉に刃を突き立てたのだ。

 頭を殴られ、気絶していたアレクシアが目を覚ました頃には、姉は血塗れになって、部屋の隅に倒れていた。
まだ微かに息はあったが、彼女の両の眼球は、男たちが抉りとっていったらしい。
トリーシアの眼窩(がんか)には、ぽっかりと暗い闇が広がっていた。

「……神、様……」

 姉の乾いた唇から、吐息のような声が漏れている。
殴られて、鈍く痛む頭を押さえながら、どうにかトリーシアの元まで這いずると、彼女は、繰り返し何かを呟いていた。

「……神、様……助けて、助けて、ください……。どうか、妹だけは、助けて……ください……」

 手を伸ばしても、もう感覚などないのか、姉は反応しなかった。
ただ、壊れたかのように、同じ言葉を、何度も何度も紡いでいた。

「全部……私です。村の人達を、騙した、のも、盗みを、したのも、全部……汚いのは、私です……」

「…………」

「悪いのは、私です……。罰なら……私が、受けます……。妹は、関係、ありませ……」

 いつも気丈だった姉の、掠れて弱々しい声。
アレクシアは、それをただ呆然と聴いているしかなかった。

 悔しくて、涙が出た。
悲しくて、苦しくて、恥ずかしくて──いろんな感情がごちゃ混ぜになって、涙が止まらなかった。

 もう私を巻き込まないでよ、なんて、どうしてあんなことが言えたのだろう。
母が死んだ後、ずっと周囲を蹴散らして引っ張りあげてくれていたのは、姉だったのに。
彼女が選ぶしかなかった選択肢を、ただ呆然と見つめて「それは汚いやり方だ」と罵っていた自分が、ひどく情けなかった。

「妹は……妹は、正直な、優しい子です。だから、どうか、妹だけは……」

 トリーシアの唇は、やがて、動かなくなった。

 古の時代に存在したとされる、ヴァルド族の力を持った娘だと、トリーシアの名は近隣の村々にまで届いていた。
そんな彼女の不思議な能力に目をつけたある魔導師が、特殊な魔導人形を作るために、姉の目を奪っていったのだと。
そんな事の顛末を知ったのは、何年か後のことであった。
そして、家の場所を知らせ、自分達姉妹を売ったのが、金に目が眩んだ、村人たちだったということも。

 姉は性格が悪くて、日頃の行いも悪かったから、天罰が下ったのだろう。
母のような間抜けな人間は切り捨てるし、姉のような汚くて残酷な人間にも、勿論容赦はしない。
もし、神様がいるならば、きっとそれは、そういう存在だ。

「……神様は、いないんでしょう?」

 アレクシアは、姉の手を握った。
姉の手は、石のように硬く、氷のように冷たかった。



To be continued....


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