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投稿日:2021年02月24日




†第四章†──理に触れる者
第二話『 蹉跌さてつ



 春前になると、正規の魔導師へと昇格した同期たちは、正式に任務地を告げられた者から、順にシュベルテを旅立っていった。
新人魔導師は、基本的に遠隔地へと回される場合が多い。
しばらくは、地方で常駐魔導師としての仕事をこなし、その手腕次第で、シュベルテやハーフェルンといった、大都市勤務の魔導師に出世できるのだ。

 トワリスは、春になっても任務地を言い渡されていなかったので、王都周辺を管轄区とする、中央部隊での勤務になる可能性が高かった。
元々、王都アーベリトでの勤務を希望していたので、いよいよそれが叶うのではないかと、内心浮かれていた。
勿論、必ずしも希望が通るわけではないことは分かっていたが、他にアーベリトに行きたがっている新人魔導師がいるとは聞いたことがなかったし、成績上位者でもあったので、望みは十分にある。
本当は、無事に正規の魔導師になれた旨を、サミルやルーフェン、リリアナたちに手紙で報告しようと思っていたが、アーベリト勤務になって皆を驚かせたかったので、書かなかった。

(そういえば、サイさんはどこの勤務になるだろう……)

 その日、午前中の訓練を終え、共同の食堂で昼食をとっていたトワリスは、ふと、卒業試験を共に乗り越えた、サイの顔を思い浮かべた。
今まで同期の魔導師たちとは、足並みを揃えて生活していたが、卒業試験が終わると、それぞれの進路に向けて慌ただしく準備を始めないといけないので、訓練への参加は絶対ではなかった。
それだけではなく、中には休暇をとって、遠方の実家に帰る者もいた。
言わば、ほとんど休みなしで鍛練を重ねてきた訓練生たちへの、ご褒美期間と言えるだろう。
卒業試験後は、そういった自由が、唯一認められているのだ。

 サイも、訓練には顔を出していなかったので、もしかしたら、里帰りなどしているのかもしれない。
彼もまた、トワリスと同じく、まだ正式な勤務地は決まっていないようであったから、今後中央部隊に呼ばれる可能性が高いだろう。
ラフェリオンの一件があったせいで、最優秀者には選ばれなかったものの、サイは、成績だけで言えば、入団してから常に首席を取り続けてきたような新人だ。
彼ならば、希望なんて出さなくても、中央部隊から直々に呼ばれたって何らおかしくはない。
あるいは、魔術が好きなようだから、研究分野に着手するのも向いているかもしれない。
どんな道を行くことになっても、サイなら、手際よく仕事をこなしてしまうんだろう。

 卒業試験の間、行動を共にして改めて感じたが、サイは本当に聡明で、優れた洞察力を持っていた。
普通は気づかないような、どんな些細な変化も見逃さないし、それらの情報から導き出される策は、どれも隙がなく、様々な事態が想定されたものだった。
話せば話すほど、彼には敵わないな、と何度も思わされたし、それでいて、不思議と嫉妬の念が湧かないのも、サイの魅力の一つなんだろう。
サイは、天性の才覚を持ちながら、嫌みのない、過ぎるほど謙虚な性格をしている。
だからこそ、純粋に尊敬できるし、羨望の眼差しを向けられることはあっても、妬む者はいないのだろう。

 悩んだ末に、トワリスは、サイを訪ねてみることにした。
故郷に戻っているのだとしたら、諦めるしかないが、訓練に出ないのは、別の理由があってのことかもしれない。
トワリスも、いずれシュベルテを離れることになるだろうから、その前に、別れの挨拶くらいはしておきたかった。

 食堂から出ると、トワリスは、早速男子寮の方へと向かった。
トワリスが寝起きしている自室は、訓練場のある本部の一角を間借りしていたが、男は人数が多いので、別の棟を宿舎として暮らしている。
一人部屋ではなく、何人かで一つの部屋を使っているようなので、扉を叩いて、サイ以外の同輩が出てきたらと思うと、少し緊張した。
だが、アレクシアも男子寮には何度も行ったことがあると言っていたので、トワリスが訪問したからといって、咎められることはないだろう。

 石造で頑強な魔導師団本部に比べ、男子寮は、古臭い木造建築であった。
踏む度にぎいぎいと音を立てる廊下や、漂う汗や砂が混じったような臭いが鼻をつくと、なんとなく、孤児院にいたときのことを思い出す。
来たのは初めてであったが、どことなく既視感のある光景に、トワリスは、ふと懐かしさを覚えたのであった。

 遠方での勤務が決まった者や、休暇を堪能している者が不在なので、男子寮は、部屋数の割に人の気配が少なく、静かだった。
とはいっても、換気のために開かれた廊下の窓からは、城下の人々の声が、騒々しく聞こえてくる。
昼時で、今日は天気も良いので、市場が賑わっているのだろう。
アーベリトにいた頃は、周囲が森に囲まれていたので、虫の鳴き声や鳥の囀りがよく耳に入ってきていたが、 シュベルテは建物ばかりで、人も多いので、常に人の声が聞こえていた。

 サイの名前が入った金属板がかかった部屋を見つけると、トワリスは、一つ呼吸をしてから、扉を叩いた。
幸い、中からは人の気配がしたし、サイと新しい墨の匂いもしたので、彼が部屋の中にいるということは、確信していた。
しかし、二度扉を叩いても、声をかけてみても、一切反応がない。
都合が悪かったのだしても、返事くらいはするはずなので、どうにも様子がおかしい。

 訝しんだトワリスは、躊躇いつつも、思いきって扉の取っ手に手をかけた。
勿論、無断で人の部屋に侵入しようなんて思ってはいないが、いるはずなのに反応がないなんて、万が一ということが考えられる。

 取っ手を回せば、がちゃり、と音がして、扉が開いてしまう。
拳一つ分ほど押し開いて、中を伺ったトワリスは、目の前の光景にぎょっとした。
部屋の中に並ぶ、複数の寝台の隙間に、サイが倒れ込んでいたのだ。

「サイさん……!?」

 思わず叫んで、トワリスは部屋へと踏み込んだ。
駆け寄って抱き起こしてみれば、サイの口からは、すう、すう、と寝息が聞こえてくる。
呼吸はしており、どうやらただ眠っているだけのようなので、トワリスは、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。
しかしながら、その顔面は真っ青で、目の下には色濃い隈が刻まれている。
最後に会った時とは比べ物にならないくらい、窶(やつ)れたサイの姿に、何があったのかと動揺せざるを得なかった。

(とにかく、医術師を呼ばないと……!)

 取り急ぎ、サイを寝台に引っ張りあげ、毛布をかける。
そうして、立ち上がって初めて、トワリスは、この部屋の異常さを認識した。
文机の周辺を中心に、足の踏み場もないくらい、紙や魔導書が床に散乱していたのである。

(これは、医療魔術の魔導書……?)

 ふと足元にあった一冊を拾い上げ、中身を開いてみる。
よほど熱心に勉強していたのか、散らばっている紙にも、目が痛くなるほどびっしりと、古語が書き連ねられていた。

 共同部屋なので、暮らしていた人数分の寝台と、大きな文机が一つ、部屋の隅に設置されている。
しかし、一通り辺りを見回してみたが、部屋にはサイしかいないようなので、この紙と魔導書の山は、どうやら彼が散らかしたものらしい。
一心不乱に勉強していたのだとしても、これはあまりにも異様な散乱具合である。

 とりあえず、今は医務室に行こうと、持っていた魔導書を文机に置こうとしたとき。
不意に、目の端で何かがきらりと光った。
文机の下に落ちていたそれを、何気なく拾ったトワリスは、思わず目を疑った。
落ちていたのは、“回れ”の術式が刻印された、青い硝子玉の欠片──破壊されて飛び散ったはずの、偽ラフェリオンの眼球だったのである。

 大きく目を見開いて、トワリスはサイの方を見た。
何故、サイがこれを持っているのだろう。
偽ラフェリオンを破壊したあと、その残骸を集めたが、青い眼球は見つからなかった。
術式を解除したときに砕け、屋敷の崩壊に巻き込まれて散ってしまったのだろうと、皆でそう結論付けて、諦めたはずなのに──。

 硬直したまま、サイから目を反らせずにいると、不意に、サイの身体がぴくりと動いた。
小さく呻き声をあげながら、身を起こしたサイが、ゆっくりと目を開く。
しばらくは、夢と現の間をさまよっているような顔で、トワリスを見つめていたが、やがて、はっと瞠目すると、サイは寝台の上から飛び退いた。

「ト、トワリスさんっ!?」

 大声をあげるのと同時に、寝台から転げ落ちて、腰を打ち付ける。
痛みに悶絶しながらも、ふらふらと立ち上がったサイは、目を白黒させながら、トワリスに向き直った。

「えっ、あの……トワリスさん? トワリスさんが、どうして私の部屋に……?」

 混乱した様子で、サイはきょろきょろと部屋を見回している。
トワリスは、咄嗟に青い眼球を懐に隠すと、小さく頭を下げた。

「……勝手にお邪魔してしまって、すみません。最近訓練場にも全然いらっしゃってなかったので、お部屋を訪ねて来たんですけど、扉が開いていて……。中を覗いたら、サイさんが倒れていたので、つい」

 サイは、未だ状況が飲み込めていないような顔で、ぼーっとトワリスを見つめている。
しかし、ややあって、扉の方を一瞥すると、恥ずかしそうに頭を掻いた。

「あっ、そっか……昨夜食堂に行って帰ってきてから、そのまま扉を開けっ放しにしていたのかもしれません。ご迷惑おかけしてしまって、申し訳ないです……」

 トワリスは、怪訝そうに眉を寄せた。

「昨夜? 昨夜は食堂やってませんでしたよ。食堂長が、肩痛めたとかで……」

「えっ……」

 サイは、ぱちぱちと瞬くと、首をかしげた。

「……トワリスさん、今日何日ですか?」

「八日、ですけど」

 答えると、サイは驚いた様子で声をあげた。

「八日!? そんな、もう三日も経ってたのか……」

「……まさか、三日間何も食べてないんですか?」

 そうみたいです、と頷いたサイに、トワリスは、思わず口元を引きつらせた。
トワリスも、集中して勉強していたら朝になっていた、くらいの経験はあるが、三日も寝食を忘れるなんて、道理で倒れるわけだ。
日にちの経過に気づかないほど熱中していたなんて、集中の度を越している。

 慌ててサイを寝台に座らせると、遠慮する彼を振り切って、トワリスは食堂に行き、粥と蜂蜜湯を用意してもらい、再びサイの元に戻った。
医務室に駆け込もうとも思ったが、ひとまず話せるくらいの体力はあるようなので、飲み食いさせるのが優先だと考えたのだ。

 食事を終え、幾分か顔色のましになったサイは、蜂蜜湯を啜りながら、何度もトワリスに謝罪した。

「……す、すみません、何から何まで……。部屋が一緒だった同期は、みんな任務地が決まって出ていってしまったものですから、どうにも周りのことに気が回らなくて……」

 言いながら、気の抜けるような笑みを浮かべるサイに、図書室で昼夜問わず書類とにらめっこをしていた、銀髪が思い浮かぶ。
それにしても、サイは自己管理までしっかり出来ていそうな印象だったので、不摂生が祟って倒れるなんて、少し意外だった。


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