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投稿日:2021年02月24日





 トワリスは、呆れたように肩をすくめた。

「本当ですよ……たまたま私が来たから良かったものの、このまま誰も部屋を訪ねてこなかったら、どうするつもりだったんですか。全く、何をそんなに夢中になってたんだか……」

「重ね重ね、すみません……。その、魔導書を読んでいたら、昔から周りが見えなくなる質でして」

 項垂れるサイを睨んで、それから、荒れた文机を一瞥する。
トワリスは、真剣な面持ちになると、探るような目でサイを見た。

「……魔導書って、医療魔術に関する勉強をしてたんですか? ここ数日間、ずっと?」

 トワリスからの、疑念の眼差しに気づいたのだろう。
サイは、少し戸惑ったように目線をそらすと、曖昧に首肯した。

「えっと、はい……まあ、そんなものです。ちょっと、色々気になることが出来てしまって……」

 あはは、と乾いた笑みを浮かべ、誤魔化そうとする。
トワリスは、一度躊躇ってから、懐に隠していた青い硝子の眼球を取り出すと、それをサイに見せつけた。

「……気になることって、これが関係してるんですか?」

 瞬間、サイの目の色が変わる。
飛び付くように文机の下の紙の山を漁り、振り返ると、サイは引ったくるようにして、トワリスの手から青い眼球を奪った。

 微かに呼吸を乱して、サイは、守るように青い眼球を握りこんでいる。
トワリスは、表情を険しくすると、鋭い声で尋ねた。

「どうしてそれを、貴方が持っているんですか? あの時確かに、飛び散って瓦礫に紛れちゃったんだろうって、サイさんも言っていましたよね? ……嘘ついて、隠し持っていたんですか?」

「…………」

 サイの額に、じっとりと汗が流れる。
射抜くような視線を向けてくるトワリスに、サイは、身体を細かく震わせながら答えた。

「……結果的に、トワリスさんやアレクシアさんを騙してしまったことは、本当に申し訳ないと思ってます。でも、誤解しないでほしいんです。別にお二人を欺こうとか、そういう意図はなくて、ただ私は、どうしても、ハルゴン氏の造形魔術について知りたくて、この眼球を持ち帰ったんです……」

 そう言って、顔をあげたサイの表情を見て、トワリスはぞっとした。
サイは、具合が悪くて震えているわけでも、トワリスに嘘がばれたから、怯えて震えているわけでもない。
ただ、興奮して震えているのだ。

 青い眼球を大切そうに胸元で握り直すと、サイは続けた。

「だって、素晴らしいと思いませんか……? 偽物のラフェリオンは、結局操られていただけでしたけど、あの本物のラフェリオンは、自らの意思で動いていたんです。あんな、あんな、本物の人間みたいに……。……いえ、人間ですよ、あれは。死体と死体を繋ぎ合わせて、ハルゴン氏は、一人の人間を作り出したんです。命を作ったんですよ! でも、ハルゴン邸にあった魔導書にも、ラフェリオンのついて詳しいことは書かれていませんでしたし、一体どうやって作ったのか、検討もつかないんです。どんな魔術を使ったのか……どうしても、知りたいんです。私が、この手で……!」

 サイの緑色の瞳が、爛々と光り出す。
いつも穏やかなサイからは想像もできないような、高ぶった口調に、トワリスは何も言えなくなった。

 ミシェル・ハルゴンが使ったのは、命を操る禁忌魔術だ。
その行使を強制された彼が、ラフェリオンの制作過程など記録して残しているはずはないし、事件の真相を知るはずの前団長、ブラウィン・エイデンとその一派も亡き者になった以上、その方法を探る手立てはないはずである。
というより、探ってはいけないのだ。
禁忌魔術は、使用は勿論、研究することも禁止されている。

 絶句するトワリスの腕を強く掴んで、サイは言い募った。

「トワリスさん、もう一度、一緒にラフェリオンに会いに行きませんか……? あの時は、アレクシアさんのこともありましたし、私も混乱していたので、思い切れなかったんです。でも、やはり諦められません。別に、破壊しようというわけじゃないんです。ただ、ラフェリオンに会って、どんな魔術が施されているのか、調べたいんです……!」

 ぐっと腕を握る手に力を込められて、トワリスは、痛みに顔を歪めた。
抵抗しても、びくとも動かない、凄まじい力だ。

「──っ、離して下さい……っ」

 トワリスは、空いている方の手でどうにかサイを突き飛ばすと、なんとか腕を振りほどいた。
心臓が激しく脈打って、掴まれていた手首が、じくじくと痛む。
伸びてくる人の手が恐ろしいと思ったのは、久々であった。

 よろけたサイは、我に返った様子でトワリスを見ると、慌てて口を開いた。

「す、すみません、痛かったですか?」

 赤くなったトワリスの手首を見て、サイが心配そうに眉を下げる。
トワリスは、近づいてきたサイから、一歩距離をとった。

「……どうしたんですか、サイさん。……ラフェリオンは、禁忌魔術によって作り出されたんですよ……? 私たちが、これ以上手を出していいことじゃないんです」

 サイの瞳に、一瞬、暗い陰が落ちる。
サイは、残念そうに一つ吐息をこぼして、うつむいた。

「……手を出しちゃいけないなんて、そんなことは、先人が決めたことでしょう? 古い掟に、いつまで縛られなければならないんです? 勿論、ブラウィン・エイデンのように、使用を他人に強制するなんて、そんなことはあってはならないと思います。でも私は、禁忌魔術には、いろんな可能性が秘められていると思うんです。ここ数日、様々な文献に目を通しましたが、どの専門書にも、禁忌魔術については書かれていませんでした。……それが、むしろ興味深い。禁忌魔術とは、一体何なのか。知りたくて知りたくて、夜も眠れません。確かに、代償が伴う魔術もあるでしょう。しかし、それらの危険性も含め、理解した上で行使できる魔導師がいるなら、使うことは愚か、調べることも禁止するなんて、そんな極端な真似をしなくても済むんじゃないでしょうか」

 一枚、また一枚と、散らばっている紙を手にとっては、落としていく。
サイは、口元を歪めて、薄ら笑いを浮かべた。

「ハルゴン氏は、一人の人間を魔術で生んだ。人間は、魔術で生物を作れるんですよ、トワリスさん。彼に出来たんです、私にだって、出来る可能性はあると思いませんか……?」

 ぞわりと、全身に鳥肌が立った。
サイは、禁忌魔術の絶大な力に、酔っている。
その感覚は、トワリスにも覚えがあったからこそ、サイの取り憑かれたような言葉が、冷水のように胸に染みこんできた。

 五年ほど前、孤児院で出会ったリリアナの脚を治せないかと、魔術を探していた時。
トワリスも、一度だけ禁忌魔術を使ったことがあったのだ。
枯れたはずの押し花を、生花に蘇らせる魔術──命を操る魔術を使ったのである。

 無知であったが故に行使してしまい、後々冷静になって、後悔した。
しかし同時に、強力な魔術を使えたということに喜びを感じ、酔いしれたのも、また事実であった。
あの時の、狼狽と愉悦が混じったような奇妙な感覚は、今思い出しても、吐き気がする。

 トワリスは、自らを奮い立たせるように拳を握ると、サイに問うた。

「……仮に出来たとして、どうするっていうんです? 魔術で命を作って、サイさんは、一体何がしたいんですか……?」

 サイの瞳が、微かに揺れる。
胸を打たれたように、大きく目を見開くと、サイは、長い間黙りこんでいた。
しかし、やがて魂が抜けたように息を吐くと、ぽつりと答えた。

「……そこまでは、考えてませんでしたね」

「…………」

 内心ほっとして、トワリスは、肩の力を抜いた。
きっとサイは、本当にただの知識欲で、禁忌魔術に執着しているだけなのだろう。
悪用しようとか、そんなつもりはないのだ。
そうだと、信じたかった。

 トワリスは、サイの目の前に手を出すと、毅然とした態度で言った。

「……青い眼球、渡してください。今更上層部に提出して、ラフェリオンの件を掘り返すのも嫌なので、アレクシアに渡します」

「…………」

 サイはつかの間、迷った様子で黙りこんでいた。
しかし、やがて緩慢な動きで手を伸ばすと、トワリスに青い眼球の欠片を渡してきた。
偽物のラフェリオンには、結局禁忌魔術は関わっていなかったわけだから、こんなものを取り上げたって、あまり意味はないのだろう。
けれど、サイがトワリスたちを欺いてまで手に入れたこの硝子玉を奪うことが、少しでも彼の禁忌魔術への執着を削ぐことになるなら、それでいいと思った。

 サイは、玩具を没収された子供のような顔で、床の一点を凝視している。
トワリスは、サイが食べた後の食器類を重ねながら、沈んだ声で言った。

「……サイさん、疲れてるんですよ。ちゃんと寝てください。医務室にも、後で行ってくださいね」

 サイは、返事をしない。
トワリスは、食器と盆を持つと、そのままサイから逃げるように扉へと向かった。

「それじゃあ、お邪魔しました。……お大事に」

 振り返ることもせずに、足早に部屋を出る。
それからは、廊下を駆けるように歩いたことも、食堂に行って盆と食器を返したことも、トワリスは、よく覚えていなかった。
自室に戻り、一人になってようやく、激しい恐怖が込み上げてきた。

 嘘をつかれていたことも悲しかったが、それ以上に、サイは一体どうしてしまったんだろう、という動揺が、心を支配していた。
元々、彼は魔術に対する探求心が強かったから、ラフェリオンに深い興味関心を抱いていることは、知っていた。
しかし先程のサイは、明らかに卒業試験時と比べ、様子がおかしかった。
今までは、純粋に魔術に憧れて、きらきらと瞳を輝かせる子供のようだったのに、今日のサイは、途中から、まるで何かに心を乗っ取られたかのように見えた。

 とはいえ、トワリス自身がどうすれば良かったかなんて、分からない。
止めたって聞いてくれる様子はなかったし、本音を言うと、深追いする勇気もなかった。
知らずに禁忌魔術を使い、喀血した幼少の頃の記憶が、今でも脳裏にこびりついているからだ。
だからといって、上層部にサイのことを報告するなんて、したくなかった。
上層部が介入すれば、サイを止められることはできるかもしれない。
だが、訓練にも出ず、サイが一心不乱に禁忌魔術に手を染めようとしていた、なんてことを上層部に知らせたら、これまでのサイの努力は、泡になって消えてしまうだろう。
短い期間ではあったが、彼は苦楽を共にしてきた同輩であり、気の合う友人だ。
少なくともトワリスは、そう思っている。
そんなサイの未来を、己の手で潰すなんて、トワリスにはできなかった。

 どうにも気分が落ち着かず、目を閉じて、サイのことを考えていると、不意に、ぱさりと物音がした。
扉の郵便受けに、一通の手紙が投げ込まれている。
寝台に座って、ぼんやりと扉の方を見つめていたトワリスは、いつもならすぐに開封する手紙を、郵便受けから取りにいくこともしなかった。

 手紙は、きっとリリアナからだろう。
検閲の厳しい魔導師団の本部宛に、しかもトワリス相手に手紙を送ってくる人なんて、彼女くらいしか思い付かない。
今は、手紙を読んで、明るい気持ちで返事を考える気にもなれなかったので、トワリスは、再び寝台の上で物思いに耽っていた。
しかし、ふと立ち上がると、まさか、という思いで、手紙を受け取りに行った。
手紙の正体に、リリアナの他にもう一つ、心当たりがあったのだ。

 郵便受けを開き、中から手紙を出す。
それが、リリアナがいつも送ってくる、可愛らしい柄の便箋ではないと気づいたとき、トワリスの鼓動が、どくりと跳ね上がった。
それは、本部から送られてきた、辞令書だったのである。

 本来は、上官から面と向かって勤務地を言い渡された後に、正式な辞令書を受け取る場合が多いのだが、何か行き違いでもあったのだろうか。
どうやら、呼び出しをされる前に、辞令書が届いてしまったらしい。

 そこに書かれている勤務地が、アーベリトであることを祈って──。
トワリスは、封筒を開いたのであった。


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