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投稿日:2021年02月24日
夕刻まで続いた長い食事会は、大きな柱時計が四の刻を報せる頃に、ようやく終わりを迎えた。
呼びに来た侍従に応じると、クラークは、満足そうにトワリスを見た。
「おっと、もうこんな時間か。悪いね、つい話し込んでしまった。詳しい仕事内容は、明日うちの魔導師に説明させるから、ひとまず今日は休むといい。君の荷物は、部屋に運ばせてあるからね」
それだけ言うと、クラークは立ち上がって、侍従と共に客間を出ていってしまう。
休むといい、と言われても、用意してくれた部屋の場所が分からないので、案内してもらえないと動けない。
困っていると、同様に席を立ったロゼッタが、立ち去りがたい様子でトワリスに向き直った。
「貴女のお部屋は、私のお部屋のすぐ近くよ。折角だから、もう少しお話しましょう? お屋敷の説明もしたいし、魔導師団のお話とか、シュベルテのお話とか、もっと聞きたいですわ」
「は、はい!」
慌てて返事をすると、トワリスは、ロゼッタについて、侍従が開けてくれた扉をくぐった。
ようやくこの緊張状態から抜けられると、内心安堵していたのだが、どうやらロゼッタは、まだトワリスを解放する気はないらしい。
親しみやすい人柄だったとはいえ、ロゼッタは、他でもない侯爵家の息女である。
やはり、友人と世間話をするのとは、訳が違うのだ。
客間を出て、長廊下を進むその歩調にすら、ロゼッタからは、貴族の令嬢たる威厳が醸し出されているように見える。
纏う空気は柔らかなのに、背筋をぴんと伸ばし、前を見据えて歩くその姿を見ていると、改めて、彼女は自分とは住む世界が違う女性なのだな、と感じるのであった。
一通り屋敷を案内された後、トワリスは、ロゼッタの自室に通された。
広い屋敷を回ったので、高かった日は既に沈みかけていたが、ロゼッタはまだまだ話し足りないらしい。
侍従を一度下がらせ、トワリスを自室に招き入れると、今度はゆっくりお茶でもしようと言い出した。
ロゼッタの部屋は、彼女の印象に違わず、絨毯から敷物まで、全体がフリルとレースで飾り立てられているような一室であった。
部屋の中央に置かれた小さな食卓には、既に淹れたての紅茶と、焼き菓子が用意されている。
紅茶の香りと、ロゼッタの香水の匂いが入り交じって、部屋は甘やかな香りに包まれていた。
(……女の人の部屋、って感じだな……)
落ち着かない様子で辺りを見回しながら、トワリスは、ふと今までの自分の生活を省みた。
アーベリトの孤児院で暮らしていた時も、魔導師団の寮で暮らしていた時も、必要最低限の家具と日用品しかない質素な生活をしていたので、ロゼッタの部屋を見ていると、まるで物語の世界に入り込んでしまったかのような気分になってくる。
もし、可愛い小物やお洒落な装飾が好きなリリアナがこの場にいたら、声をあげて大はしゃぎしただろう。
どこか夢見心地な気分になっていたトワリスは、しゅっとマッチを擦る音で、ふと我に返った。
葉巻特有の芳香が鼻をつき、部屋に似合わぬ紫煙が、ふわりと宙を揺蕩う。
長椅子の下──屈まなければ見えない位置にある引き出しから、葉巻を取り出したロゼッタは、まるで別人のような荒々しい仕草で髪を掻き上げると、どかりと椅子に腰を下ろした。
「……貴女って、魔導師なのよね? 火をつけたりもできますの?」
不意に、ロゼッタが問いかけてくる。
しかしその声には、鈴のような甲高さはない。
突然葉巻を吸い出したロゼッタの姿に、呆然と突っ立っていると、ロゼッタは苛立たしげに長椅子の手すりを叩いた。
「ねえちょっと! 聞いてる? 火はつけられるのかって聞いてるのだけど?」
「えっ……あ、はい」
質問の内容が全く頭に入って来ない状態で、トワリスは、思わず返事をした。
声を荒げて問い詰めてくるなんて、ますますロゼッタらしくない。
先程までの、高貴でおおらかなロゼッタはどこに行ったのだろうか。
困惑するトワリスに、ロゼッタは満足そうに微笑んだ。
「ふーん、魔導師が身近にいると、便利ですわね。マッチって結構高いのよ。次からは貴女が火をつけてちょうだい」
指に挟んだ葉巻を見せてから、ふうっと紫煙を吐き出す。
一変した彼女の様子に、動揺を隠せずにいると、ロゼッタは鼻を鳴らした。
「なぁに、文句でもありそうな顔ね? 私が葉巻を吸っちゃいけない?」
ぎくりとして、顔を強張らせる。
トワリスは、首を左右に振った。
「い、いえ……そういうわけでは。ただ、ちょっと意外だなと」
言いながら、思わず目を反らしてしまって、自分はなんて嘘が下手なのだと呆れ果てた。
別に、文句があるわけではない。
ただ、優雅に微笑んでいたはずの侯爵家のご令嬢が、自室に戻った途端、ふんぞり返って葉巻を吸い出すなんて、誰が予想できただろう。
長椅子から立ちあがり、靴の踵をかつかつと鳴らして歩いてくると、ロゼッタは、トワリスの顔面に煙を吹き掛けた。
「……っぅぶ!」
鋭い刺激臭が鼻をつき、激しく噎せ返る。
涙を浮かべ、屈んで咳き込むトワリスを、ロゼッタは見下ろした。
「貴女とは、今後四六時中一緒にいることになるだろうから教えておくけれど、私はね、こっちが素なのよ。この部屋にいるときは、何をしようと私の自由なの。そこに口を出すことは許さないから」
きっぱりとした口調で言って、ロゼッタは、鋭い視線を投げてくる。
咳が治まらず、苦悶しているトワリスを横目に、ロゼッタは続けた。
「そもそも私は、専属護衛なんて反対だったのよ。朝起きてから寝るまで張り付いて監視されるなんて、そんなのやってられませんもの。息が詰まっておかしくなりそうですわ。しかもよりによって、来たのがど新人の小娘なんて!」
まるで虫でも払うかのように、しっしっと手を振って、ロゼッタが嘆息する。
トワリスは、なんとか息を整えると、困ったように眉を下げた。
「そ、そう仰られましても……女の魔導師は、私しかいないんです。一応、もう一人心当たりはありますが、今年卒業の者ではないので……」
ふと、アレクシアの顔を思い浮かべ、言い淀む。
ハーフェルンに来たことは、トワリスにとっても本意ではなかったが、そんな風に邪険に扱われると、やはり良い気分はしない。
それに、ロゼッタに何を言われようと、彼女の父親であるクラークが護衛を望んでいる以上、トワリスは命令通りに動くしかないのだ。
ロゼッタは、吐き捨てるように答えた。
「もう一人の女魔導師って、あの蒼髪の女でしょう? 嫌よ。シュベルテに行ったとき、ちらっと見たけれど、私の勘が言ってましたもの。あれはいけ好かない女だって」
(……ま、間違ってない……)
的確なロゼッタの勘に、一瞬吹き出しそうになる。
性格のきつい女というのは、同じく性格に難のある女をかぎ分けるのが上手いのだろうか。
そんな失礼なことを考えていると、今度はロゼッタが、化粧台から香水と櫛を持ち出して、トワリスに近寄ってきた。
「えっ、ちょっ、何ですか!」
警戒した面持ちで、数歩後ずさる。
何しろ、顔に葉巻の煙を直接吹き掛けてくるような女だ。
この期に及んで香水なんてかけられたら、トワリスの鼻が曲がってしまう。
ロゼッタは、葉巻を食卓の灰皿に押し付けて捨てると、訝しげに眉を歪めた。
「何って、多少身綺麗にして差し上げますわ。あの蒼髪の女よりは性格がましだと思って、貴女を選んだけれど、貴女は貴女で、この屋敷にふさわしくないんですもの。髪はぼさぼさだし、お肌も荒れているし、服だってよれよれ。そもそも私、シュベルテの団服のセンスって、理解できませんの。もっと可愛くて綺麗な服を用意させるから、明日からはそれを着なさい」
「い、いえ! 大丈夫です! お心遣いは結構ですから……」
首を振って距離をとるが、ロゼッタは、構わず近づいてくる。
まさか侯爵家の令嬢を殴るわけにもいかず、壁際まで追い詰められると、ロゼッタは、手のひらに出した香水を、無遠慮にトワリスの髪につけ始めた。
「……っ」
咄嗟に息を止めるも、むせかえるような薔薇の香りが、鼻腔と喉に入り込んでくる。
普通の人間が嗅げば、甘い良い香りだと感じるのだろう。
けれど、鼻の利くトワリスからすれば、頭の奥が痺れるような、強烈な刺激臭である。
香水が馴染むよう、トワリスの髪を櫛で梳いていたロゼッタは、ややあって、怪訝そうな顔をした。
「何をしかめっ面しているのよ。この香水、あのグランス家が私に贈って下さった特別なものですのよ。これだから物の価値の分からない人は……」
呆れたように文句をこぼして、ロゼッタが言う。
しかし、トワリスが呼吸を止め、本気で苦しんでいるのだと気づくと、ロゼッタは、やがて髪を梳く手を止めた。
「……ねえトワリス、貴女って、香水が苦手ですの? それとも単に、お洒落に慣れていないだけ?」
不機嫌さの滲んだ声に、ぷはっと息を吸って、顔をあげる。
悩んだ末に、差し障りのない言葉を選ぶと、トワリスは、控えめな声で答えた。
「……慣れていない、のもありますし……。私、多分普通より鼻が良いんです。だから、香水とか匂いの強いものは、つけたくなくて……。折角のご厚意を、申し訳ありません」
一度頭を下げてから、ちらりとロゼッタの表情を伺う。
香水を振りかけられるのは勿論嫌だが、ロゼッタの機嫌を損ねてしまうのも問題だ。
既に不安しかないが、これからはロゼッタの専属護衛として働いていかなければならないわけだから、出来ることなら、彼女とは円満な関係を築いていきたい。
ロゼッタは、しばらく不満げな顔で、じっとトワリスを見つめていた。
だが、やがてスカートの裾を軽く持ち上げると、華麗な足運びで、くるりと回って見せた。
「このドレス、素敵だと思わない? 高級感があって肌触りも上質、北方から取り寄せたモスリン製ですのよ」
淡い緑色の生地が、目の前でふわりと揺れる。
次いで、深紅の石が嵌め込まれた指輪と耳飾りを見せると、ロゼッタは自慢げに続けた。
「この指輪と耳飾りも、綺麗でしょう? 北方でしか採れない、アノトーンという稀少な宝石が、贅沢に使われたものなのよ。お父様から頂いた、大切な宝物ですの。お父様は、私がおねだりすれば何でもくださるんだから。こういうものを見ていると、憧れるわ、私も身につけたいわ、とか思いません?」
うっとりとした顔で、指輪がきらきらと光を反射する様を眺めながら、ロゼッタが言う。
トワリスは、何度か首肯すると、ぎこちなく答えた。
「そ、そうですね……。私は似合わないと思うので、つけたいとは思いませんけど、綺麗です……。ロゼッタ様に、よくお似合いですよ」
「…………」
ロゼッタの顔が、ますます不機嫌そうに歪む。
トワリスの言葉が、上辺だけの称賛に聞こえたのだろう。
実際、指輪や耳飾りを綺麗だと思ったのは本音だったのだが、質の良し悪しはいまいち分からなかった。
重そうなドレスも、爪ほどの大きな宝石がついた装飾品も、高価だと言われれば高価そうではあるが、城下の露店で、似たようなものを見たことがある気もする。
それに、なんだか着けていると動きづらそう、というのが正直なところだ。
そんなトワリスの本音を、的確に読み取ってしまったのか。
ロゼッタは、やれやれと首を振ると、ふうと息を吐いた。
「……なんだか、興醒めしましたわ。これじゃあ、私が貴女に迫っているみたいじゃない。別に、嫌だっていうなら無理強いをする趣味はありませんわ。第一その耳じゃ、耳飾りはつけられませんものね」
トワリスの狼の耳を見てから、ロゼッタは、つまらなさそうに顔を背ける。
しかし、あからさまに安堵の表情を浮かべたトワリスを見ると、ロゼッタは、今度は子供のように頬を膨らませた。
「あのねえ! 無理強いなんてはしたない真似はしませんけれど、貴女がこの屋敷にふさわしくないという言葉を、撤回する気はなくてよ! 貴女はこれから、社交場でも常に私の隣に立つことになるの。護衛が仕事だからといって、あまりみすぼらしい格好をしていると、雇い主である私の品位まで低く見えるということよ。お分かり?」
びしっと目前で指を差され、捲し立てられる。
顔を近づけると、ロゼッタは、トワリスの頬を両手で挟んだ。
「明日からは、ちゃんと身だしなみを整えてくること。ただし、私より派手な格好なんてしたら、許しませんわよ」
「わ、わかりました……」
凄まじい剣幕で脅されて、トワリスは、こくこくと頷いた。
とはいえ、今だって決してだらしない格好をしているわけではないし、むしろ、団服をきっちりと着こなしてきたつもりだったので、これ以上、どこをどう綺麗にしたら良いのか分からない。
確かに、ロゼッタに比べれば、トワリスは日焼けもしているし、癖毛だし、全身古傷だらけだ。
しかし、見て嫌悪感を催すほど、不潔な見た目をしているわけでも、みすぼらしい服装をしているわけでもない。
ロゼッタの美の基準で測られても、その期待に答えられる気がしなかった。
ロゼッタは、ふん、と鼻を鳴らすと、腕を組み、トワリスにとどめを刺した。
「言っておくけれど、私に部屋に連れ込まれて脅されたなんて、お父様や他の方々にばらしてみなさい。二度と魔導師として世間に出てこられなくしてやるんだからね!」
もはや、表情を取り繕う気力もなくなって、トワリスは、ぴくりと顔を強張らせる。
この先、ロゼッタと上手くやっていける気がしない。
そんな絶望を胸に抱えながら、トワリスは、再度頷くしかないのだった。
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