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投稿日:2021年02月24日
不安を抱えながら始まったロゼッタとの生活は、護衛というよりも、子守りに近かった。
彼女の猫かぶりは、もはや二重人格と呼べるほど見事なもので、外では貴いマルカン家の息女を演じるのだが、自室に戻ると、途端に彼女は、高飛車で我が儘放題の子供のように振る舞うのだ。
ロゼッタの本性を知らない侍従は多く、父親のクラークでさえも、娘は淑やかで、引っ込み思案な性格だと思い込んでいる様子であった。
屋敷の者達が鈍い、というよりも、そう思い込ませるためのロゼッタの手回しが徹底的で、まず、彼女の部屋に入れるのは、本当にごく一部の侍従のみであった。
そのごく一部に引き入れられてしまったことが、そもそもの悲劇の始まりである。
早々にロゼッタに手駒認定されたトワリスは、時に、家政婦のような仕事まで押し付けられることもあったし、欲しいものが出来たから買ってこいだの、そんな使いっ走りのような仕事まで強いられるようになった。
それだけではない。
ロゼッタは、トワリスが普通よりも身体能力が高いのだと気づくと、「窓から跳んで、素手で鳥を捕まえて見せなさいよ」なんて、面白半分に無理難題まで課してくる始末だ。
最初は、彼女も日頃の鬱憤が溜まっているのだろうと、我慢していたトワリスであったが、半月も経つ頃には、堪忍袋の緒が切れていた。
しかし、いくら注意しても、叱り飛ばしても、ロゼッタの無茶苦茶な行動は止まらない。
おまけに彼女は飽き性で、散々わめき散らしてトワリスにせがんだことも、翌日には忘れたりしているので、余計に質が悪かった。
一方で、護衛としての任務は、ほとんどないに等しかった。
何せマルカン家の豪邸には、当然のことであるが、厳重な警備が敷かれている。
屋敷内に不審な者が入ってくることはないし、ロゼッタも滅多に外出することがなかったので、そもそも彼女が危険な目に遭うことがなかったのだ。
近年のハーフェルンでは、内戦に巻き込まれるようなこともないし、勿論、平和であるに越したことはない。
だが、魔導師らしい仕事もなく、日がなロゼッタの無茶に付き合わされてばかりいると、いよいよ何故自分は専属護衛としての雇われたのか、分からなくなってくる。
だんだん自分は、ロゼッタの世話役として招き入れられたのではないか、とさえ思うようになった。
十九の我が儘な子供、ロゼッタのお守りは、今まで受けてきたどんな任務よりも、精神的に疲れるのであった。
その日も、突然呼び出されたかと思うと、用件は庭の木の実をとってこい、だったので、ロゼッタの部屋に入った瞬間、トワリスはため息をついてしまった。
とうに日は暮れ落ち、燭台に灯された炎に照らされて、レースのカーテンが、ゆらゆらと光っている。
そんな幻想的とも言える部屋の中で、ロゼッタは、窓を開け放つと、下方に見えるリバーブの木を指差して、口を開いた。
「見てご覧なさい。リバーブの実が生ってるの。今は緑色だけれど、熟れると明るい橙色になって、とっても綺麗ですのよ。乾燥させたら、装飾品にも使えるの。私、あれがほしいわ。トワリス、今から取ってきなさいよ」
興奮した様子で言いながら、ロゼッタは窓枠を掴んで、ぴょんぴょんと跳ねている。
トワリスは、呆れたように肩をすくめると、静かに首を振った。
「取ってきなさいって、窓からですか? 嫌ですよ、ここ二階ですし。明日、朝になったら、庭師の方に頼んで取ってもらえばいいじゃないですか」
ぶっきらぼうに答えると、いつものように、ロゼッタは頬を膨らませた。
「いいじゃない、トワリスならできるでしょう? それに朝になると、あっという間に鳥が実を啄んじゃうのよ。リバーブはこの時期しか実らないのに、去年も一昨年も、それで採り損ねたの」
だから夜の内に採らないと、と意気込んで、ロゼッタは、窓から身を乗り出す。
それでも興味を示さないトワリスに、みるみる表情を歪めると、ロゼッタは癇癪を起こしたかのように叫んだ。
「ねえ! 取ってきなさいって言ってるのよ、ケチ! あんまり私に逆らうと、お父様に言いつけますわよ! 貴女を雇ってるのはお父様で、お父様が怒ったら、貴女なんて呆気なく潰れるんだから!」
言いながら、ロゼッタが腹立たしげに床を踏み鳴らす。
随分と物騒な脅し文句だが、似たような言葉を何度も聞いているので、今更揺らぎはしない。
今はリバーブの実がほしいと騒いでいるが、どうせ明日になれば、飽きて別の事柄に執心するのだ。
トワリスは、憤慨するロゼッタを無視して窓際まで近づくと、静かに窓とカーテンを閉めた。
「夜風に長時間当たっていると、風邪を引いてしまいますよ。明日になっても実が欲しいなら考えますから、今日はもう休んでください」
「…………」
落ち着いた声でなだめるが、ロゼッタはスカートの裾を握りしめ、トワリスをきつく睨んでいる。
思い通りにいかないと、ロゼッタは大抵駄々をこねて、最終的にはだんまりを決め込む。
猫かぶりをしているときは、感心するほど立派に振る舞うのだが、素のロゼッタは、まるで年端も行かぬ子供のようであった。
こうしてロゼッタの相手をしていると、かつて、孤児院で年下の子供たちの世話をしていたときのことを、頻繁に思い出す。
その時、不意に扉を叩く音が聞こえてきて、トワリスは振り返った。
いつもの時刻より早いが、侍女がロゼッタに夕食を届けに来たのだろう。
クラークが屋敷にいるときは、共に広間で食べるのが常だったが、不在の時は、ロゼッタは自室で一人で食べたがるのだ。
トワリスは、扉を開けて侍女から夕食を受けとると、それを食卓に並べ、不貞腐れて立っているロゼッタに声をかけた。
「ほら、夕食が届きましたよ。温かい内に召し上がってください」
ロゼッタは、依然として動こうとしない。
しばらくそのまま、黙って突っ立っていたが、そんなことをしても、トワリスが折れないことを悟ったのだろう。
やがて、ぶうたれた顔で席につくと、夕食を食べ始めた。
「……今日は悪い日ですわ。トワリスは生意気だし、夕飯には人参が入ってるし……。私、人参は嫌いだから入れないでって、再三料理長に言ってますのよ」
ぶつぶつと文句をこぼしながら、ロゼッタは器用に人参を避けて、スープを口に運んでいる。
言い分は幼稚なのに、食後の一服にと葉巻を用意して食卓に置いている辺りは、なんとも爛れた大人らしい。
なんて、もちろん口が避けても言えない。
これまでも、葉巻は程ほどにしろとか、好き嫌いするなとか、何度も注意してきたが、その度に言い争いになってきたので、トワリスは、何も言わずに部屋の隅で立っていた。
程なくして、夕食を食べ終わると、ロゼッタは紫煙を吐きながら、向かいの席に示して、トワリスに座るように言った。
そして、長椅子の下の秘密の引き出しから、細長い硝子瓶を取ると、グラスを二つ並べて、薄黄色の液体を注いでいく。
グラスを一つ、トワリスの前に出すと、ロゼッタは、唇を開いた。
「今夜は気分が悪いから、一杯付き合いなさい。これくらいはいいでしょう?」
どこか気だるそうに言って、ロゼッタは、一気に杯を呷る。
トワリスは、差し出されたグラスを覗きこんで、眉をしかめた。
「いや、仕事中なので、お酒は……」
「大したお酒じゃありませんわ。度数の低い果実酒よ。なぁに、この程度も聞けないって言うの?」
断ろうとするトワリスを遮って、ロゼッタは、グラスを押し付けてくる。
渋々それを受け取ったトワリスは、仕方なく、薄黄色の液体を口に含んだ。
瞬間、強い酒の臭いが鼻を突き抜け、痺れるような痛みが、喉を刺す。
トワリスは、うえっと舌を出すと、グラスを食卓に戻した。
「……何か、変な味ですね」
トワリスの反応を見ると、不機嫌そうだったロゼッタは、楽しげな顔つきになった。
「あら、この美味しさが分からないの? トワリスって、もしかしてお酒も飲んだことなかったのかしら? お子ちゃまですわね」
からからと笑い声をあげて、ロゼッタはもう一杯、果実酒を飲み干す。
酒を飲んだのは、ロゼッタの言う通り初めてだったが、それを認めると、余計に馬鹿にされそうだったので、トワリスは返事をしなかった。
一頻り笑うと、ロゼッタは続けた。
「お酒も、多少は慣れておいた方が良いですわよ。ハーフェルンじゃもうすぐ祭典があるし、貴女も今後、お酒を勧められたりするかもしれないでしょう?」
果実酒の力か、どこか上機嫌な口調で言って、ロゼッタはグラスを揺らしている。
近々行われる祭典とは、ハーフェルンが西方の軍事国家、セントランスの支配下から脱した、言わば独立を記念する祭りのことだ。
もう五百年以上も前のことなので、今では祝事というよりも、陽気などんちゃん騒ぎといった色合いが強い行事であったが、七日にも渡るその祭典は、近隣の街をも巻き込んで、他にはないほどの大賑わいを見せるのだと言う。
トワリスは、困ったように首を振った。
「祭典の時は、色んな人がお屋敷を出入りするわけですから、それこそ私は、お酒を飲んでる暇なんてありませんよ。ロゼッタ様の護衛と、警備に回らないと」
ロゼッタが、わざとらしく嘆息する。
「なによ、お堅いわね。私が飲めって言っても飲まないわけ?」
「飲みません」
きっぱりと断ると、ロゼッタは笑みを消して、唇を尖らせた。
ぶつくさと文句を言いながら、もう一杯、更にもう一杯と、杯を煽っていく。
そんな彼女の指先が、微かに震えていることに気づくと、トワリスは顔をしかめた。
「……ロゼッタ様、もうやめておいた方がいいんじゃないですか? 酔って倒れちゃっても知りませんよ」
言いながら、ロゼッタからグラスを取り上げる。
するとロゼッタは、そのグラスにすがるように手を伸ばすと、再び駄々っ子の如く怒り出した。
「馬鹿言わないでちょうだい! この程度で酔ったりなんかしませんわ、まだ平気よ!」
ばんっ、と食卓を叩いて、ロゼッタがトワリスを睨んでくる。
しかし、その上気した頬にはうっすらと汗がにじんでいるし、心なしか、唇の色も悪い気がする。
酔っているにしても、違和感を感じるロゼッタの変化に、トワリスが眉をひそめた、その時──。
不意に、扉を軽く叩く音が聞こえてきたと思うと、部屋の外から、侍女の声が響いてきた。
「ロゼッタ様、お食事をお持ちしました」
瞬間、さっと青ざめたロゼッタが、口を覆って立ち上がった。
全身から冷や汗を噴き出し、そのままがくがくと震えだすと、ロゼッタは、トワリスと侍女を置いて、勢いよく部屋から飛び出していく。
「ロゼッタ様!?」
一瞬、状況が飲み込めずにいたトワリスであったが、すぐに事態の深刻さを理解すると、ロゼッタの食べ終えた食器を見た。
(まさか、何か入って……)
最初に食事を持ってきた、侍女の姿が脳裏に蘇る。
彼女は指定の侍女服を着ていたので、怪しむこともしなかったし、正直顔もよく思い出せない。
だが、果実酒は元々ロゼッタの部屋にあったものだから、何か入っていたのだとすれば、あの侍女が持ってきた食事以外に考えられないだろう。
トワリスは、慌てて部屋を出ると、ロゼッタの後を追ったのだった。
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