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投稿日:2021年02月24日
「ロゼッタの食事に毒が盛られていただと!? 毒見は何をしておった!」
クラークの怒声が響いて、広間の空気が、一層張りつめたものへと変わる。
翌日、毒入りの夕食を口にしたロゼッタが倒れたと聞き、外出先から戻ってきたクラークは、当然ながら、烈火の如く激怒した。
混入していた毒が致死性のものではなかったことと、比較的すぐに気づいて対処できたことが幸いして、ロゼッタはすぐに回復したが、一歩間違えれば、どんな結果になっていたか分からない。
トワリスと共に召し出され、ロゼッタの食事の毒見を担当していたと言う料理番の男は、真っ青な顔で、床にひれ伏した。
「も、申し訳ございません! しかしながら、私共がお出ししたお食事には、毒など盛られておりませんでした。毒が混入したのは、その前です。我々が夕食をご用意する前に、何者かが、毒を入れた別のお食事を、ロゼッタ様にお出ししたのです」
瞬間、クラークの鋭い視線が、トワリスの方へと向く。
背の高い、豪奢な椅子から見下ろされて、トワリスは、床に縫い付けられたように動けなくなった。
「食事を受け取ったのは、トワリス、君だったそうだな。何故違和感に気づかなかった? ロゼッタに食事を持って行く侍女は、いつも決まった顔ぶれであったはずだろう?」
「……申し訳ございません」
トワリスは、深々と土下座をして、そう一言発することしかできなかった。
クラークの口調は静かだったが、その表情を見ずとも、彼が心の底から激怒していることが分かる。
屋敷に迎え入れてくれた時の、優しい笑みなど跡形もないクラークの厳しい態度に、トワリスは、額を床から離せなかった。
言い訳も思い付かない、護衛として自分に非があったと、認めるざるを得なかった。
魔導師団に入団して五年、魔術の知識や戦い方は学んできたが、要人に仕えた経験など、トワリスには一切ない。
ロゼッタの我が儘に振り回され、世話役の真似事をして生活している内に、自分の本来の役割を失念していた。
ロゼッタは領主ではないが、ハーフェルンを治める侯爵家の一員である以上、権力を持ち、人の上に立つ人間なのだということは変わらない。
いつどこで、誰に狙われるか分からない彼女たちを、常に気を張って守るのが、自分たちの仕事なのだ。
クラークは、怒りと呆れが混ざったような声で、言い募った。
「……私はね、これでも君には期待しているんだよ。シュベルテのことは、心から信頼しているし、君は女性の身でありながら、魔導師団では、大変優秀だったと聞いていたからね。だが、護衛としての役目を果たせないというなら、私の愛娘を託すわけにはいかない。ロゼッタは危うく死にかけた……この失態は、斬首にも値する。分かるかね?」
ひやりとしたものが、首筋をなぞる。
唇の震えを抑えるように噛み締めて、トワリスは、冷たい床を間近に見つめていた。
ややあって、トワリスに顔をあげるように命じると、クラークは、その血の気のない顔を見て、嘆息した。
「……まあ、私も非情ではない。運良くロゼッタは無事であったわけだし、君のような年若い娘に、斬首を宣告するのも良心が痛む。それに、件の毒入りの食事を持ち込んだ侍女を、はっきりと見たのは君だけだ。別の者にも調べさせているが、毒を混入させた犯人が、まだ屋敷の中に潜んでいる可能性がある。其奴を探し出し、私の前に連れてくるのだ。その任を果たせば、今回の失態には目を瞑り、これからもマルカン家に魔導師として仕えることを許そう。勿論、ロゼッタの専属護衛からは、外れてもらうがね」
「……はい」
どこか遠い、掠れた自分の声。
重々しいクラークの言葉を受け止め、どうにか返事をすると、トワリスは、ぐっと拳を握った。
期待している──そう言ってもらえたことが、唯一の救いだ。
再度深々と頭を下げ、クラークの御前から下がろうとした時であった。
不意に、部屋の扉が叩かれたかと思うと、侍女を連れ立ったロゼッタが、ゆっくりとした足取りで入室してきた。
「おお! おお……! ロゼッタ!」
椅子から転がるようにして駆け出し、跪く毒見やトワリスを押し退けて、クラークは娘の元へ走り寄る。
連れ添っていた侍女すらも払い除けると、クラークは、涙ながらにロゼッタを強く抱擁した。
「お父様ったら、そんなに強く抱き締められたら、苦しいですわ」
苦笑混じりに言って、ロゼッタが、ぽんぽんとクラークの肩を叩く。
クラークは、鼻をすすりながら離れると、自分の上着を脱いで、薄い寝巻き姿のロゼッタにかけた。
「駄目じゃないか、こんな薄着で出てくるなんて。まだ寝ていなさい。必要なものがあるなら、届けさせるから」
クラークの声が、まるで幼子に言い聞かせるような、優しいものへと変わる。
ロゼッタは、口元を覆って笑むと、小さく首を振った。
「もう、お父様ったら、大袈裟ですわ。入っていたのは、鼠程度も殺せるか分からないような少量の毒だったって、お医者様も仰っていたじゃない。きっと軽い悪戯か、誰かの悪ふざけですわ」
ロゼッタのふわふわとした態度に、部屋を縛っていた緊張感が、僅かに緩まる。
しかし、クラークは厳しい表情に戻ると、ロゼッタの両肩を強く掴んだ。
「何を言っておるんだ! 例え悪戯だったのだとしても、到底許されることではない! 屋敷の警備は厳重だ。侍女のふりをして毒を盛った女も、まだ屋敷の中にいるやもしれん。見ていろロゼッタ、絶対に私が捕らえて、殺してやる……!」
クラークが、怒りで語尾を震わせながら、顔を真っ赤にする。
だが、ふとロゼッタの顔を見ると、クラークの顔は瞬時に青くなった。
すん、すんと鼻をすすりながら、ロゼッタは泣いていたのだ。
「ロ、ロゼッタ!? どうしたのだ!? すまない、声を荒らげたのが怖かったかい?」
クラークは、すぐさま華奢な肩から手を引くと、ロゼッタの顔色を伺った。
やりとりを見守っていた侍従たちも、思いがけず流れた涙に、ごくりと息を飲む。
ロゼッタは、取り出したハンカチで口元を押さえると、弱々しく震えながら、かくりとその場に崩れ落ちた。
「わ、私だって、すごく、すごく怖かったですわ……。もしあのまま死んで、二度とお父様ともお会いできなくなっていたかと思うと、そんな想像、するだけで涙が止まりませんの……。もう二度と、あんな思い、したくありませんわ……」
儚げな、今にも消え入りそうな声で言いながら、ロゼッタは泣き崩れる。
絶句するクラークを、潤んだ瞳で見上げると、ロゼッタは言い募った。
「でも、でもね、私、お屋敷の皆を疑うなんて……もっとしたくありませんの。皆、私やお父様のために、一生懸命働いて下さっているのよ。それを、まだ残っているかも分からない犯人を探すために、疑うなんて……。罪悪感で、胸が張り裂けそうですわ……」
「ロゼッタ……」
娘の涙につられたのか、心なしか、クラークも鼻を赤くしている。
彼だけではない。
侍従たちも、扉の前で警護を行っている魔導師たちでさえ、広間にいる全員が、泣き出しそうな顔でロゼッタのことを見つめている。
つい先程まで、全身の毛が逆立つような緊張感で場が支配されていたのに、ロゼッタが現れてから、空気は彼女一色に染まってしまった。
ロゼッタは、唖然としているトワリスを一瞥すると、クラークに向き直った。
「トワリスのことも、あまり責めないで……? トワリスは、この屋敷に来て、まだ日が浅いんですもの。沢山いる侍女の顔が覚えられていなくても、無理はありませんわ。トワリスが毒を盛ったわけでもないのに、罰として護衛を外そうなんて、可哀想よ」
「う、うむ……だが……」
戸惑った様子で口ごもり、クラークも、トワリスに視線を移す。
やはり、一度失態を犯したような者に、最愛の娘を任せたくはないのだろう。
クラークの目には、訝しげな疑念の色が浮かんでいる。
ロゼッタは立ち上がると、寝巻きのスカートの裾を揺らして、トワリスの元へ駆け寄った。
「私、トワリスとはとっても仲良くなったんですのよ。毎日お仕事も真面目にやってくれるし、今回だって、トワリスがいなかったら、私は自室で倒れて、そのまま動けなくなっていたかもしれませんわ。ね? 私、専属護衛はトワリスのままがいいですわ」
すり寄るように身体を寄せると、ロゼッタは、トワリスに腕を絡めてくる。
何度見ても目を疑ってしまうようなロゼッタの猫かぶりに、思わず鳥肌が立ったが、この状況で彼女が味方についてくれたことは、トワリスにとっても有難いことであった。
クラークは、悩ましげに眉を寄せて、しばらく二人のことを見つめていた。
だが、やがて一つ咳払いをすると、ゆったりとした足取りでトワリスたちの前に立ち、言った。
「……ロゼッタが気に入っているというなら、仕方あるまい。トワリス、君には引き続き、娘の護衛を命じよう」
背後から、侍従たちのため息が聞こえたような気がした。
ロゼッタが望んだことを、クラークが拒否した前例はないのだろう。
侍従たちの諦めたような顔を見ていると、彼らの親子関係が伺える。
ロゼッタは、ぱぁっと眩い笑顔を見せると、クラークに抱きついた。
「嬉しいですわ! お父様大好き!」
威厳を保つべく顔つきを引き締めようとしているが、クラークの表情は、明らかに緩んでいる。
侍従たちも、やれやれと呆れたような顔をしてはいるが、どこか微笑ましそうにロゼッタたちを眺めていた。
広間に張り巡らされていた緊張の糸が、跡形もなく切れ、ばらばらと解かれていく。
ロゼッタは、一瞬だけトワリスの方を見ると、ぺろりと舌を出して見せたのだった。
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