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投稿日:2021年02月24日





 サミルの屋敷に戻ると、ルーフェンは、ひとまず少女を自室に連れていった。
本当は、ちゃんと施療院に預けて治療してやりたいところだが、もし少女が目を覚まして、先程のように大暴れし始めたら、医師たちでは太刀打ちできない。
獣人の存在を公にするかどうかも迷っていたし、まずは、ダナを頼ることにしたのである。

 ことの経緯を話すと、自警団員のロンダートは跳び上がって驚いていたが、ダナは、いつも通り一笑しただけであった。
獣人かもしれない、と聞いても、ダナは大して動揺することなく、慣れた手付きで触診すると、少女をルーフェンの寝台に寝かせた。

「……うむ。痩せすぎている、という点を除いても、気になるところだらけじゃのう」

 身体の汚れを、濡れた手拭いで拭いてやりながら、ダナが呟く。
ルーフェンは、少女の青白い顔を見つめながら、顔をしかめた。

「事情を話して、施療院に連れていった方がいいですか? この子の素性も分からないし、俺達以外だと、まだサミルさんにしか話してないんですが……」

 ダナは、悩ましげに唸ると、少女の着ていたぼろ布をめくり上げた。

「まあ、治療自体は、この屋敷でも可能じゃが……。問題は、傷一つの深刻さというより、数じゃな。まずは、この脇腹。内出血して、腫れておるじゃろう。骨は折れとらんようだから、じきに治るとは思うが、下手をすれば、内臓も損傷しかねん位置じゃ」

 少女の全身の傷を、一つ一つ示しながら、ダナは言った。

「他にも、こういった内出血が何ヵ所もある。あとは、蹴られたような痕や、深い切り傷、擦り傷も多い。少し熱もあるし、古傷も見られるな。軽く引っ掻いたような浅い傷も含めると、まさに満身創痍の状態じゃ」

「…………」

 そうして説明されながら、少女の身体の傷を見ていくうちに、ルーフェンは、だんだん全身が冷たく強張ってくるのを感じていた。

 ルーフェンも、武術の心得はあるから、この少女が負っている傷の深刻さは、なんとなく分かった。
刃物で抉られたような傷に、棒で叩かれたような内出血。
縄目の跡も、手首だけでなく、肩や太股など至るところに残っていて、腹部には蹴られたか、殴られたかしたようなあざがいくつもあった。
どれも、屋敷の倒壊に捲き込まれて、出来たものではない。

 最後に、背中に捺された焼き印を見ると、ルーフェンの隣にいたロンダートが、嫌そうな顔で呟いた。

「この子……奴隷ですね」

「…………」

 三人の間に、重苦しい沈黙が下りる。
二十年前のリオット族による騒擾をきっかけに、シュベルテでもアーベリトでも、奴隷制は禁止されている。
だから、こんな間近で奴隷を見るのは、初めてだ。

「かわいそうに……この子、きっと、どっかから逃げてきたんですよ。決死の覚悟で、ここまで来たんじゃないかなぁ」

 ロンダートが、ため息混じりに言った。
その含みのある物言いに、ルーフェンが首を傾げると、ロンダートは苦笑した。

「いや、実は、俺も奴隷出身なんですよ。でも十二の時に雇い主が借金して、夜逃げしましてね。途方に暮れてるところを、サミル先生の孤児院に拾ってもらって、こうしてアーベリトの自警団員をやってるんです。アーベリトで働いてる奴らは、俺みたいな拾われっ子、多いですからね。だから、この子の気持ちも分かるなぁ」

 ロンダートは、胸当てを外して上着を脱ぐと、ルーフェンに背中を見せた。
そこには、奴隷印と呼ばれる焼き印が、確かに残っている。

 皮膚を醜く引きつらせ、くっきりと背中に刻まれた奴隷印。
少女の背中にあるものと、多少模様は違うが、どちらも、何年経とうと消えはしないのだろう。

 いそいそと脱いだ上着を着直しながら、ロンダートは続けた。

「まあ、なんとか逃げ出したんだから、この子はすごいですよ。ある程度奴隷生活が長いと、普通、逃げようって考えすら浮かびませんからね」

「……そうなんですか?」

 ルーフェンが暗い声で尋ねると、ロンダートは頷いた。

「逃げたところで、行く場所なんてないですから。中には誘拐されたり、親に売られたりして奴隷にされた奴もいるけど、大半の奴隷は捕虜とか、身寄りがない奴等ばっかりです。だから、逃げ出しても、結局路頭に迷うことになるんです。それに、脱走がばれたら、主人にこっぴどく暴力振るわれたりしますし、最悪殺されます。それが怖くて、逃げようなんて気も失せてくるんですよ」

「…………」

 ロンダートの話を聞きながら、ルーフェンは、じっと少女の背中の焼き印を見つめていた。

 この少女は、その小さな身体で、どれほどの苦痛に耐えてきたのだろう。
一体どれだけの覚悟で、ここまで走ってきたのだろう。
人間しかいないこの国で、たった一人──。

 先程、ルーフェンから逃げようと、懸命に身をよじっていた少女の必死さを思い出すと、なんとも言えない息苦しさに襲われた。

 ダナが、興味深そうに少女の耳の付け根を探っていると、ふいに、少女が薄く目を開けた。
あっと思う間もなく、少女がびくっと頭を起こして、ルーフェンたちを凝視する。

 一瞬、また逃げ出すのではないかと身構えたルーフェンだったが、予想に反して、少女は逃げなかった。
ダナとルーフェン、ロンダートの三人の顔を順に見ると、怯えたように身を縮めて、急に泣き出した。

 三人は、その様子を黙って眺めていたが、やがて、少しずつ少女の呼吸が整ってくると、ルーフェンは、躊躇いがちに口を開いた。

「大丈夫……?」

 はっと顔をあげた少女が、ルーフェンを睨む。
ルーフェンは、一歩だけ近付くと、努めて穏やかな声で言った。

「何もしないよ。さっきは、無理矢理捕まえてごめんね。俺はルーフェン。……君、名前は?」

「…………」

 問いかけても、少女は何も言わなかった。
長い間、強張った顔でルーフェンたちを見つめていたが、しばらくすると、徐々に頭が傾き始めて、ぱたりと寝台の上に倒れてしまった。

 ダナは、少女が再び眠ってしまったことを確かめると、腕組みをした。

「とにかく、体力を回復してもらわにゃ、話にならん。今日のところは点滴して、よく寝てもらったほうがええの。その間、召喚師様は近くにいておくれ。このお嬢ちゃんが暴れだしたら、わしじゃ止められん」

「それは、もちろん」

 ルーフェンが頷くと、ロンダートが口を挟んだ。

「召喚師様はお忙しいですし、俺がこの子を見張ってましょうか? 俺、魔術はあまり使えないですけど、この子一人押さえるくらいは、できると思います!」

 意気揚々と申し出たロンダートに、ルーフェンは首を振った。
そして、少し考え込むように俯いてから、答えた。

「……いや、ロンダートさんは、シュベルテに行って、十一年前のことを調べてきてもらえますか? 書状を出すだけだと、誤魔化される可能性がありますが、俺の名前を出して直接聞き出せば、魔導師団も、変な隠し立てはしないと思うので」

「十一年前、というと?」

 聞き返してきたロンダートに、ダナが答えた。

「獣人奴隷の件じゃな」

「はい」

 ルーフェンは、首肯した。

「十一年前、不法に人身売買された奴隷の中に、獣人が混じっていた件です。報告書には、その獣人は成人女性と書いてありましたが、この子と全くの無関係とは思えない。逆に、無関係なら、最近新しく獣人がサーフェリアに渡ってきたってことなります。どちらにせよ、調べた方が良いと思うんです」

 ロンダートは、納得したように頷いてから、首を捻った。

「でも確か、その獣人って死んじまったんですよね? 調べるって言っても、どう調べればいいんです? シュベルテの魔導師団を訪ねて、詳しく話を聞けばいいんですか?」

 ルーフェンは、眠っている少女を一瞥してから、答えた。

「そうですね……。では、魔導師団にこういう聞き方をしてください。『十一年前のシュベルテでの獣人奴隷に関する報告書が、未処理の状態でアーベリトに回されてきた。こちらで対応するのは構わないが、何故事件を解決しないまま放置しているのか、教えてほしい』と。本当に獣人奴隷の件が、獣人が死んで完結していたなら、報告書は処理されていたはずなんです。でも、されていなかったってことは、あの事件には続きがあったのかもしれない。とりあえず、この子の存在は伏せて、それだけ聞いてきて下さい」

 ロンダートは、少し困ったように笑った。

「なんか、喧嘩売ってるみたいじゃないですか? シュベルテの魔導師団って、お高く止まってる感じだし、単に『事件を解決できなかったんじゃない! 報告書が残ってただけだ!』とか何とか言って、突き返されそうな気が……」

 以前、シュベルテの魔導師団に、冷たく当たられた経験でもあるのだろうか。
気が進まない様子のロンダートに、しかし、ルーフェンは、わざとらしく眉をあげた。

「大丈夫、逆ですよ。事件を解決出来ていなかったなら、下っ端魔導師の能力の問題ってことになりますけど、解決したはずの事件の報告書が、未処理になってたっていうなら、魔導師団の上層部の“職務怠慢”ってことになります。下の失敗は認めても、上の過失は認めようとしませんから、事件が解決できていない言い訳を、丁寧に教えてくれるんじゃないですかね。だから、『未処理の報告書が流れてきたんだけど、まさか理由もなく未処理なんじゃないよね? 事件が解決できていない、ちゃんとした理由あるんだよね?』って、そういう風に聞いてきて下さい」

「うわぁ……おっかない」

 喧嘩売ってるみたい、ではなく、本当に喧嘩を売っているのだと気づくと、ロンダートは密かにぼやいた。
それに対し、いたずらっぽく笑って見せると、ルーフェンは、再び少女のほうを見つめた。

「……場合によっては、この子を、シュベルテに引き渡した方が良いのかもしれません。可哀想だけど、本当にこの子がミストリアとの接点になりうる存在なら、ただ生かしておくわけにはいかない……」

 そう呟いたルーフェンの顔に、もう笑みはなかった。


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