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投稿日:2021年02月24日




 何故、アーベリトにいるはずのルーフェンが、ハーフェルンにいるのだろう。
そんなことより、どうして自分は隠れているのだろう。
先程、確実に目が合ったのに。
しかも話しかけられたのに。
黙ったまま柱の裏に逃げ込むなんて、完全に不審人物である。

 トワリスは、逡巡の末、ぎくしゃくとした足取りでルーフェンの前に出ると、斜め下に視線をそらして、声を絞り出した。

「あ、あの……あ、怪しい者じゃないです……」

「…………」

 言い終わった瞬間、再び柱の後ろに隠れたくなった。
いきなり怪しい者じゃない、なんて言う奴は、絶対に怪しい。
案の定、目の前に立っているルーフェンも、きょとんとした表情で、目を瞬かせている。

 思考がぐるぐると回って、口を開閉させても、上手く言葉が出てこなかった。
全身から汗が噴き出して、緊張なのか、恥ずかしさなのか、頬に熱が集まっていく。
もしルーフェンと再会できたら、一言目は、何を言おうと思っていたんだっけ。
何度か考えたことはある気がするが、今は頭が真っ白で、何も思い付かない。

 自分は今、どんな間抜けな顔をしているだろう。
そういえば、今日はまともに髪も梳(と)かしていなかった気がする。
最近は、身なりを整えていないとロゼッタが怒ってくるので、特別跳ねている癖毛くらいは、意識して直していた。
だが、今朝は怒り心頭のクラークに呼び出されて、髪をどうこうする暇なんてなかったから、みっともない姿をしているかもしれない。

 唇をしきりに動かしては、下を向いて、黙り込む。
ルーフェンは、そんなトワリスの言葉を、しばらく待っていたようだったが、ややあって、彼女の耳を目に止めると、少し驚いたように言った。

「……もしかして、トワリスちゃん?」

 トワリスの動きが、ぴたりと止まる。
名前を呼ばれたことが、つかの間、現実のことなのかどうか、分からなかった。

 鼓動が異様なほど速くなって、胸の中で、心臓が暴れまわっている。
口を開けば、勢いよく心臓が飛び出してきてしまいそうだった。

 トワリスは、瞠目したまま、おずおずと顔をあげた。
そして、ぐっと何かを堪えるように一拍置くと、ようやく言葉を押し出した。

「……そう、そうです……トワリスです……」

 喉の奥が熱くなって、大きく頷けば、その拍子に涙がこぼれそうになる。
声が震えて、再びうつむくと、トワリスは泣くまいと、ぐっと口を閉じた。

 もっと心の準備をしてから再会したかったとか、まともな一言目を言いたかったとか、そんな思いが渦巻いていたが、名前を呼ばれたのだと分かった瞬間、強い喜びが突き上げてきた。

 柔らかくて、優しくて、けれどトワリスが知っているものより少し低い、落ち着いた声。
多く助けた内の、子供の一人でいい。
獣人混じりの、珍しい子供としてでもいい。
ただ、自分のことを覚えていてくれたことが、本当に嬉しかった。

 トワリスは、ごしごしと顔を拭うと、ルーフェンの目をまっすぐに見つめた。

「……魔導師になれました、召喚師様。孤児院を出たあと、私、魔導師になったんです」

 そうこぼした途端、言いたかった言葉が、頭の中に一気に溢れてきた。

 五年前、奴隷のまま生活していたならば、あの暗い地下で、誰にも知られることなく、トワリスは死んでいただろう。
今の自分があるのは、サミルとルーフェンのおかげだ。
そう、もしも再会できたなら、一言目は、感謝の言葉を言いたかったのだ。

 命を救ってくれて、ありがとう。
手当てをして、何度も反抗したのに優しくしてくれて、文字を教えてくれて、生き方を示してくれて、ありがとう。
別れは寂しかったけれど、孤児院に行ったら、リリアナという友達が出来た。
魔導師になるまでの道程も、決してなだらかではなかったが、サイやアレクシアと共に戦って、己の世界は広がった。
今までも、そしてこれからも、沢山のものを見て、感じていけるのは、五年前、サミルとルーフェンが自分を助けてくれたからだ。

 トワリスは、涙のたまった目で、ルーフェンを見上げた。

「召喚師様、私……私、伝えたいことが──」

「召喚師様ぁーっ!」

 言葉を続けようとした、その時。
どこからか、聞いたことのない声が響いてきた。
ルーフェンの声でも、ロゼッタの声でもない、甲高い女性の声である。

 声がした方に振り向くと、トワリスが来たのとは反対の長廊下から、金髪の女性が駆けてくるのが見えた。
装飾の多い豪華なドレスを着て、濃厚な香水の匂いを纏った女は、長いスカートの裾を持ち上げて、中庭に入ってくる。
女は、一直線にこちらに向かってくると、大きな胸を揺らして、ルーフェンに勢いよく抱きついた。

「こんなところにいらしたのね! お会いしたかったわ!」

 言い様、女は背伸びをして、ルーフェンに口付けをする。
ひゅん、と涙の引っ込んだトワリスは、目の前で起きている光景が信じられず、凍りついたように立っていた。

 この金髪の女性は、一体どこの誰だろうか。
身なりからして、どこぞの貴族のご令嬢だろうが、人が会話をしているところに突然現れて、しかも堂々と口付けを交わすなんて、いくらなんでも非常識過ぎる。

 女は、ぽかんと棒立ちするトワリスには目もくれず、ルーフェンの首に白い腕を回した。

「今回の祭典には、召喚師様もいらっしゃるって聞いて、楽しみにしていたのよ。召喚師様ったら、ここのところ全然お相手してくださらないんですもの。私、とっても寂しかったわ」

 いじけた様子で膨れっ面になるも、女は未だに、ルーフェンに抱きついたままだ。
ルーフェンは、それを拒否することもなく、へらへらとした笑みを浮かべた。

「ごめんね。最近立て込んでいて、なかなかアーベリトから離れられなかったんだ」

「最近? 嘘よ。ここのところ、ずーっとじゃない!」

 ようやくルーフェンから離れると、女は声を荒らげ、ぷいっと顔をそらす。
ルーフェンは、苦笑して肩をすくめると、憤慨する彼女の手を取り、軽く口づけた。

「そんなに怒らないで。君には笑顔の方が似合うから、機嫌直してほしいな」

「…………」

 ルーフェンがそう囁けば、女の頬が、ぽっと赤く染まる。
まだ顔は背けているが、彼女の機嫌がその一瞬で直ってしまったのは、見て取るように分かった。

 ルーフェンは、女の手を離すと、トワリスの方に向き直った。

「……で、話の途中だったけど、なんだっけ?」

(な、なんだっけ……?)

 ひくっと口元を引きつらせると、トワリスは、ルーフェンを見上げる。

 なんだっけ、だなんて、どうしてそんなこと、何事もなかったかのように言えるのだろうか。
トワリスが、ずっと暖めてきた感謝の気持ちを、たった今伝えようとしていたことなど、ルーフェンは知る由もない。
けれど、五年ぶりの再会であったことは、トワリスにとっても、ルーフェンにとっても同じだったはずだ。
せめて「久しぶりだね、元気だった?」とか、「魔導師になれたんだね、おめでとう」とか、そういう一言くらい、言ってくれても良かったのではなかろうか。
思いがけない再会が、こうもあっさり完結してしまうなんて、こんなに悲しいことはない。

 ふと目線をずらせば、金髪の女が、恨めしそうにトワリスのことを見ている。
さっさとどこかへ行け、とでも言いたげな表情である。

 彼女からすれば、トワリスのほうが、ルーフェンとの逢瀬を邪魔する厄介者なのだろう。
最初にルーフェンと話していたのはトワリスなのだから、責められる謂れはないのだが、もしかしたら、ルーフェンとこの金髪の女性は、恋人同士なのかもしれない。
いや、口づけなんて交わしているくらいだから、きっとそうだ。
ともすれば、やはり去るべきなのは、自分の方なのだろう。

 トワリスは、忙しなく視線をさまよわせながら、一歩後ずさった。

「いや、その……やっぱり、何でもないです。……すみません、邪魔をしてしまって……」

 ちら、と二人の表情を伺いながら、軽く頭を下げる。
しかしルーフェンは、不思議そうに瞬くと、首を傾けた。

「すみませんって、何が? 邪魔だなんて思ってないよ。ごめんね、何か言おうとしてくれてたのに」

「え……」

 ルーフェンの言葉に、思わず耳を疑う。
邪魔だなんて思ってない、ということはつまり、ルーフェンにとって、人前で誰かと抱き合ったり、口付けをしたりすることは、恥ずかしくもなんともない、日常茶飯事だということだろうか。
確かに、女から抱きつかれたとき、ルーフェンはそれを拒んだり、トワリスの方を気にしたりする様子はなかった。
普通、恋人同士だろうがなんだろうが、人目のある場所で触れ合うのは、抵抗があるものではないんだろうか。
それとも、貴族の間では、口づけなんて挨拶の一種なんだろうか。

 折角気持ちが落ち着いていたのに、再び頭が混乱してくる。
今、目の前にいるルーフェンが、なんだか自分の知っているルーフェンとは、別人のように思えた。
柔らかい表情も、落ち着いた声音も、記憶の中の彼そのものであるが、昔と今のルーフェンでは、何かが違うような気がする。
五年前は、一緒にいれば心が暖かくなって、安心できたのに、今のルーフェンは、見ているだけで、胸の奥がざわついてくるのだ。

 言い表しようのない感情が沸き上がってきて、目を白黒させていたトワリスは、不意に、何かが頬に触れた感覚で、はっと我に返った。
気づけば、ルーフェンが、トワリスの頬に触れている。
ルーフェンは、どこか心配そうな口調で、問いかけてきた。

「大丈夫? 顔、真っ赤だけど……」

 銀の瞳に覗き込まれて、びくっと身体が強張る。
ルーフェンは、どういうつもりでこんなことをしているのだろう。
無自覚なのか、それとも意図的なのか。
もしかして、いや、もしかしなくても、ルーフェンはすごく女慣れしているのでは──。
そんな風に思った瞬間、言葉より先に、手が出てしまった。

「──うっ、うぎゃぁぁああっっ!」

 奇声をあげ、ルーフェンの腕をはねのけると、トワリスは踵を返した。
ルーフェンのほうなど見向きもせずに、元来た廊下を、全速力で走り出す。
道中、驚いた侍従たちが、何事かと声をかけてきたが、それに返事をする余裕もなかった。

(な、なんっ、なんであんなこと、平然と……!)
 
 暴れていた心臓が、いよいよ喉元まで迫っている。
トワリスは、心臓を吐き出さないよう、強く唇を引き結ぶと、そのままロゼッタの部屋へと駆け戻ったのだった。


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