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投稿日:2021年02月24日





 トワリスが蹴破るようにして扉を開けると、長椅子に腰かけていたロゼッタは、びくりと肩を揺らした。

「なに、どうしたの……? そんなに慌てて……」

 ロゼッタが、訝しげに眉を寄せて、トワリスの方を見る。
本来なら、ノックもせずに主人の部屋に飛び込んできたことを責めるところだが、トワリスの様子に、これは只事ではないと察したのだろう。
トワリスは、ゆるゆると首を振ると、脱力して床に座り込んだ。

「す、すみません……ちょっと、色々あって……」

 曖昧な答えに、ロゼッタが眉をしかめる。
読んでいた本をぱたんと閉じると、ロゼッタは、呆れたように嘆息した。

「色々って、一体なんですの? 厨房まで行っただけでしょう?」

 その言葉に、はっと自分の両手を見る。
そういえば、ルーフェンとの衝撃的な再会で、すっかり忘れていたが、厨房から酒を取ってくるように頼まれていたのだった。
トワリスは、がっくりと項垂れると、ロゼッタに深々と頭を下げた。

「……申し訳ありません。お酒、取ってくるの忘れました」

「はあ!?」

 長椅子から立ち上がって、ロゼッタが詰め寄ってくる。
トワリスの両肩を掴み、がくがくと揺らすと、ロゼッタは早口で捲し立てた。

「忘れましたって、じゃあ貴女は一体何をしていましたの!? ここから厨房まで、大した距離ないじゃない! そんな短い間に、何があったら本来の目的を忘れるっていうのよ!」

「そ、その、中庭で召喚師様とお会いして……」

「なんですって!?」

 瞬間、ロゼッタが手を止めて、言葉を詰まらせる。
その栗色の瞳を、みるみる輝かせると、ロゼッタは足取り軽く、トワリスに背を向けた。

「それならそうと、早く言いなさいよ! 召喚師様ってば、もうご到着なさってたのね。早速お父様とお出迎えに行かなくちゃ!」

 酒のことはもう頭から飛んだのか、一転してご機嫌な様子で、ロゼッタは化粧台に向かう。
トワリスは、肩を擦りつつ立ち上がると、ロゼッタに問うた。

「あの、どうして召喚師様が、ハーフェルンにいらっしゃっるんでしょうか? ロゼッタ様がお呼びになったんですか?」

 長椅子に腰を下ろして、ロゼッタに向き直る。
ロゼッタは、緩く巻いた茶髪を梳かしながら、鼻歌混じりに答えた。

「ええ、そうですわ。五日後に開かれる祭典に向けて、各街の御領家をハーフェルンにご招待していますの。親交深いアーベリトに、声をかけないわけないでしょう? 陛下がおいでになるかどうかは分かりませんでしたけれど、召喚師様は、きっと来てくださると思ってましたわ。だって召喚師様は、私の婚約者ですもの」

「こんやく……!?」

 思わず声が裏返って、長椅子から落ちそうになる。
トワリスの動揺ぶりに、ロゼッタは振り返ると、不可解そうに眉を寄せた。

「あら、何をそんなに驚いていますの? 有名な話よ。私と召喚師様は、もう随分と前から、将来を誓い合った仲なの」

「そ、そうなんですか……」

 手探りで背もたれを掴み、どうにか長椅子に座り直す。
考えてみれば、不自然な話ではない。
アーベリト、シュベルテ、ハーフェルン──この三街には、今や強固な繋がりがあるし、旧王都シュベルテを治めるカーライル家に、老齢のバジレットと赤ん坊のシャルシスしかいない以上、召喚師ルーフェンと、年頃の近いマルカン家のロゼッタが結ばれるのは、ごく自然な流れだ。
しかし、だとすれば、先ほど見たあの金髪の女性は、誰だったのだろうか。
あの密着具合は、どう見ても友人の距離感ではなかった。

(……もしかして、浮気? あれって浮気だよね?)

 まさか、という思いが、頭の中を駆け巡る。
確かにルーフェンは、昔から、誰に対しても優しかった。
いつも穏やかな笑みを向けてくれる、その分け隔てない優しさに、つい惹かれてしまう気持ちは、トワリスもよく分かる。
だが、その気持ちに、ルーフェンがいちいち意味深で思わせぶりな返しをしていたのだとしたら、色々と問題が起こるだろう。
現に今、その問題に直面している。
ルーフェンは、ロゼッタという婚約者がありながら、他の女性に抱きつかれ、口づけまでされていたのだ。

(まあ、召喚師って立場なら、奥さんが複数いたっておかしくはないけど……。でもだからって、まだ本妻もいない内から、早々に浮気なんてする……? 位の高い人って、そんなものなの? ふ、不潔だ……)

 ぞわっと、全身に鳥肌が立った。
正直、人前で平然と乳繰り合っている時点で少し引いたが、あれが浮気現場だったなんて、更なる衝撃である。
この五年間で、ルーフェンはどうして、そんな移り気な性格になってしまったのだろう。
それとも、トワリスが知らなかっただけで、元々ルーフェンはだらしない質だったのだろうか。
どちらにせよ、なんだか夢から覚めたような気分だ。
昔のルーフェンと、今のルーフェンが別人のようだと思ったあの時、自分が何に違和感を感じていたのか、なんとなく分かった。
今のルーフェンの笑みには、妙な色気があって、気を抜けば心を捕らえられてしまいそうだが、一方で、どことなく胡散臭さがあったのだ。

 トワリスは、密かにため息をつくと、鏡と向き合っているロゼッタを一瞥した。
ロゼッタは、ルーフェンが浮気していることを、知っているのだろうか。
もし黙認しているならば、何も言うことはないが、知らずにいて、ルーフェンの訪問に喜び、こんな風にめかしこんでいるのだとしたら、可哀想で見ていられない。
ルーフェンはとんでもない、最低な男である。

 トワリスからの視線を感じたのだろう。
ロゼッタは、口紅を引き終わると、トワリスの方を振り返った。

「さっきからなんですの? 人のことじろじろ見て……」

「えっ、あ、すみません……」

 口ごもりながら謝罪をし、慌てて視線をそらす。
ややあって、落ち着かなさそうに手を組むと、トワリスは、控えめな声で言った。

「……あ、あの、ロゼッタ様。なんていうか、すごく、脈絡のないお話なんですが……」

 再び化粧を続けようとしたロゼッタが、トワリスを見る。
トワリスは、意味もなく両手の指を絡ませながら、ぼそぼそと尋ねた。

「……その、う、浮気をする男性って、どう思いますか……?」

 トワリスからの質問が意外だったのか、ロゼッタは、ぱちぱちと目を瞬かせる。
一度化粧台の席から立ちあがり、トワリスの隣に座ると、ロゼッタは、興味津々といった様子で、顔を近づけてきた。

「なに、トワリスってば、浮気でもされましたの?」

「い、いえ! 私の話ではないんですが……えっと、この前、私の知り合いの恋人が、別の女性と会ってるところを見てしまって……こ、これが浮気現場ってやつかぁと、しみじみ……」

 しみじみって何だ、と自分に突っ込みを入れながらも、ロゼッタの顔色を伺う。
嘘が下手な自覚はあるので、突然こんな話題を出したことを不審がられないかと不安だったが、どうやらロゼッタは、自分とルーフェンのことだなんて思ってもいないようだ。
腕を組み、ふうと息を吐くと、ロゼッタは、背もたれに寄りかかった。

「勿論、良くないことだと思いますわ。ただ、浮気は男の本能って言いますし、浮気される側にも、全く問題がないとは言いきれないでしょう? 一概には片付けられないことじゃなくて?」

「な、なるほど……」

 予想していたより寛大な答えが返ってきたので、トワリスは、思わず感心してしまった。
やはり、二歳しか違わないとはいえ、社交界を練り歩く領主の娘ともなれば、踏んできた場数が違うのかもしれない。
これまでも、いわゆる恋話っぽい話を振られたことはあったが、リリアナは白馬の王子様に夢を見ているタイプであったし、アレクシアは貞操観念がガバガバだったので、色恋沙汰とは無縁のトワリスでも、それはおかしいだろうと思うような会話にしかならなかった。
その点、ロゼッタの言葉には、重みと説得力が感じられる。
そもそも、ルーフェンとロゼッタの婚約だって、政略的な意味合いが大きいのだろうし、浮気されるくらい、ロゼッタにとっては大した問題ではないのかもしれない。

──と、安堵したのもつかの間。
不意に、ロゼッタの顔に影が落ちたかと思うと、ロゼッタは、低い声で呟いた。

「……まあ、この私を相手に浮気なんてしようものなら、そんな男、四肢を切り落として海に沈めるけれどね……」

(大問題だ、召喚師様が魚の餌に……)

 まるで害虫でも見下ろしているかのようなロゼッタの横顔に、思わず震撼する。
やっぱり、浮気は良くないですよね、なんて当たり障りのない返答をして、トワリスは、必死に平静を装おうとした。

 この場合、自分はどうすれば良いのだろう。
どうにかしてルーフェンと話す機会を作って、浮気をやめないと魚の餌になりますよ、と忠告すれば、事を収められるだろうか。
こういった色恋沙汰には、下手に介入せず、第三者は大人しく見なかったことにするのが正解なのだろうが、何しろ、相手が相手である。
浮気されていたなんてわかったら、ロゼッタ本人も怒るだろうし、彼女を溺愛するクラークが、一体どんな手段でルーフェンに報復するか分からない。
もし、本当にサーフェリアの守護者が魚の餌にでもなったら、痴情のもつれどころではない、国を揺るがす大事である。

(ぅう、なんで私が、こんなことで悩む羽目に……)

 海に沈める、だなんて言っているくらいだから、ロゼッタはやはり、ルーフェンの素行を知らないのだろう。
人知れず、トワリスは頭を抱えたのであった。


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