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投稿日:2021年02月24日
ロゼッタの手を取り、登ってきた階段の方を振り返ると、ルーフェンは、微かに目を細めた。
クラークの命令で動いている監視役なのか、敵意のない気配も混じっているが、マルカン邸を出たときから、複数人の視線を感じていた。
市街でロゼッタの露店巡りに付き合っていた時は、人混みに揉まれていたので、探るのも面倒で無視していたが、こうして人気のない閘門橋まで上がると、嫌でも周囲に潜む気配を感じ取れてしまう。
左右の階段に一人ずつ、そして橋の下にもう一人。
うまく隠れている者もいるが、虎視眈々とこちらの隙を狙っている、不遜な輩も混じっているようだ。
ルーフェンは、口元に薄く笑みを浮かべると、ロゼッタの方を向いた。
ロゼッタは、橋の欄干に掴まって、眩しそうに運河を眺めている。
ルーフェンが隣に並び、同じように欄干に寄りかかると、ロゼッタは、嬉しそうに運河を指差した。
「ねえ召喚師様、ご覧になって。この運河、昨年から更に広げていますのよ。完成したら、船も今より行き交うようになって、ハーフェルンが一層華やぎますわ。そうしたら、また私と一緒に、ここでお祝いして下さる?」
ふわりと風に靡いた茶髪を耳にかけ、ロゼッタが言う。
ルーフェンが、もちろん、と返事をすると、ロゼッタの笑顔は、更に明るくなった。
「距離としては、どこまで?」
問うと、ロゼッタの指先が、運河を辿る。
賑わう街を抜けた、更のその先──明色な海との合流点を指差すと、ロゼッタは答えた。
「閘門をあと三ヶ所、距離としては、文化都市ウェーリンまで伸ばすつもりですわ。そうすれば、ネール山脈との物資のやり取りも出来るようになりますもの。あそこと取引できたのは、ハーフェルンが初めてですの」
「へえ、あんな北まで」
ルーフェンが、感心した様子で、肩をすくめる。
ロゼッタは、微笑みを浮かべたまま、自らの深紅の耳飾りに手を触れた。
「北方の鉱脈には、ハーフェルンも注目していますの。ネール山脈の周辺は、閉鎖的な街や村が多いから、門外不出になっているようですけれど、あの地域一帯で採れる鉱物は、装飾品としても魔石としても有用だって、お父様が仰っていましたわ。ほら、この耳飾りに使われているアノトーンという宝石も、北方から譲り受けましたの。綺麗でしょう?」
指で弾けば、ロゼッタの耳飾りが、ちらりと光る。
次いで、ルーフェンのランシャムの耳飾りを一瞥すると、ロゼッタは続けた。
「召喚師様の耳飾りについた緋色の石も、北方でしか採れないってお聞きしましたわ。私ね、召喚師様とお揃いにしたくて、お父様に紅色の耳飾りをおねだりしたの。そうしたら、珍しい宝石ならネール山脈で沢山採れるから、運河の開通と同時に、北方は私が開拓してやるって、そうお約束してくださったわ。お父様ったら、召喚師様が以前、南のリオット族を使ってノーラデュースを開拓したことに、よっぽど感銘を受けたみたい。ネール山脈はハーフェルンが手に入れるんだって、すごく張り切ってますのよ」
ルーフェンが、微かに眉をあげる。
その銀の瞳に笑みを閃かせると、ルーフェンは、一拍置いて答えた。
「それは光栄だな。リオット族の皆も、今の話を聞いたら喜ぶと思うよ」
「まあ、本当?」
ロゼッタは、跳ねるようにルーフェンに向き直った。
「だったら、是非お話しして差し上げたいですわ。私は、リオット族の方々を野蛮だの、恐ろしいだの、そんな風に言うつもりはありません。むしろ、直接お会いしたいと思っていたくらいですもの。ハーフェルンとしては、いつでも大歓迎です。いかがかしら? なんなら、今からでも遅くはありませんし、今回の祭典にお招きしてもよろしくて?」
上目遣いにルーフェンを見て、ロゼッタが尋ねる。
ルーフェンは、くすりと笑うと、肩をすくめてみせた。
「……気持ちは嬉しいけど、俺がちょっと困るかな」
「あら、どうして?」
ロゼッタが、愛らしく首を傾げる。
ルーフェンは、彼女の手をとると、その薄い甲を、指の腹でゆっくりとなぞった。
「君との時間を誰かにとられるのは、惜しいから」
瞬間、ぼんっと音を立てて、ロゼッタの顔が茹で上がる。
俯き、ルーフェンに握られた手を胸元で握りこむと、ロゼッタは、くるりと背を向けた。
「あ、あの、耳飾り……さっき、召喚師様とお揃いにしたかったから、同じ赤系統の石を選んだって言ったでしょう? 実は、その、もう一つ意味があって……。願掛けもしていますの」
「願掛け?」
ルーフェンが聞き返すと、ロゼッタは振り返らずに、こくりと頷いた。
「聞いたことありませんか? 対の耳飾りを分け合って、男性は左耳に、女性は右耳につけるんです。そうすれば、離れ離れになっても、再び対に戻れるっていう、古い言い伝え。二人で一つ、将来を誓い合った男女で交わす、おまじないみたいなものですわ」
言いながら、左耳の耳飾りをはずすと、ロゼッタは、欄干の上から腕を伸ばした。
眩い陽の光に透かせば、その紅色の宝石が、朱や茜に煌めいて、色を変える。
恥ずかしいのか、緊張しているのか。
その指先を震わせ、耳まで真っ赤に染めながら、ロゼッタは、思いきった様子で唇を開いた。
「召喚師様は、命懸けのお仕事をなさっているわけですし、今はまだ、頻繁にお会いできるわけではないでしょう? だから……その、この耳飾り、もらっては頂けませんか?」
光を反射しながら、耳飾りが揺れる。
ルーフェンが返事をする前に、ロゼッタは、どこか慌てたように付け加えた。
「召喚師様には、その緋色の耳飾りがありますから、つけてほしいなんて我が儘は言いませんわ。ただ、このアノトーンの耳飾りも持っていて下さったら、私達、いつも一緒にいられるような気持ちになれるでしょう? 持っているだけでも、願掛けに意味はあると思いますの。対であろうとなかろうと、昔から、耳飾りを大切な人に贈ったり、預けたりすることは──あっ」
「あ」
不意に、握られていた紅色の耳飾りが、するりとロゼッタの指から滑り落ちた。
咄嗟にロゼッタが手を伸ばすも、耳飾りは、あっという間に運河の底に吸い込まれていく。
ロゼッタまで落ちないようにと気遣ったルーフェンが、橋の下を覗いた時には、もうすでに、耳飾りは見えなくなっていた。
「う、うそ……」
呟いたロゼッタの目に、みるみる涙が溢れていく。
欄干から顔を出し、つかの間、耳飾りを目で探していたルーフェンであったが、やがて、姿勢を戻すと、やれやれと内心息をついた。
手先に集中していなかったせいで、うっかり落としてしまったのだろうが、あんな小さな耳飾りを、広大な運河の中から見つけるのは、ほとんど不可能に近いだろう。
魔石か何かであれば、魔術で探し出す方法もあるかもしれないが、あの紅色の宝石は、見る限り希少価値が高いというだけの単なる貴石だ。
運河の水を全部抜いたところで、耳飾りも一緒に流れていくだろうし、水深があるので、人数を動員したところで浚うのも難しい。
ここは、諦めがつくように説得して、それとなく話題を変えるしかないだろう。
そう思って、ルーフェンがロゼッタの肩に手を当てた──その時だった。
「──……」
何かが、鳥の如く軽やかに、橋の欄干に降り立った。
陽の光が遮られて、目の前がふっと暗くなる。
それが、人の形をしていると悟ったとき、ルーフェンは、驚いて瞠目した。
欄干の上なんて、足場としては不安定なはずだ。
それなのに、人影はまるでバネのように体を縮ませ、欄干を蹴ると、弧を描いて運河の中へ飛び込んでいく。
到底、人とは思えぬ身軽さと、しなやかな力強さ。
水音も、人々の喧騒さえも耳に入らず、ルーフェンは、呆然とその姿を見つめていた。
「──ト、トワリス!?」
焦ったようなロゼッタの声で、我に返る。
次いで、聞こえてきた着水音と同時に、困惑した民衆たちのざわめきがあがって、ルーフェンも、慌てて橋の下を覗いた。
何が起きたのか、一体誰が飛び込んだのかと、口々に騒ぎながら、周囲に人が集まってくる。
当然だ。ここは、ただの浅い水路などではない。
閘門橋は、巨大な商船すら潜り抜けられるほどの高い位置に掛かっているし、運河自体の水深だって、そこらの川など比較にならないくらい深いのだ。
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