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投稿日:2021年03月30日




†第五章†──淋漓たる終焉
第一話『前兆』



「き、汚い……」

 五年ぶりにアーベリトに帰ってきて、念願のレーシアス邸を前にしたとき。
トワリスの第一声は、汚い、であった。

 ハーフェルンの領主、クラークの娘であるロゼッタから、正式に解雇を申し渡されて、丸三日。
魔導師団の最高権力者である召喚師、ルーフェンにアーベリト配属を決められた以上、わざわざ本部のあるシュベルテに報告に行く必要もないので、トワリスは、マルカン家に挨拶を済ませて早々、アーベリトへと発った。
夢にまで見た、王都での勤務が決まり、ルーフェンと共に人生初の移動陣を経験した頃には、トワリスの気持ちは、これまでにないくらい高揚していた。
久々にやってきたアーベリトの街並みは、五年前に比べると、大きく様変わりして栄えており、眺めていると、懐かしいというよりは、知らない街に来たような気分になる。
それでも、中央地までやってきて、落ち着いた白亜の家々が並ぶ通りに出ると、当時の面影を感じることもできるのであった。

 昔は、レーシアス邸は市街地内に位置していたが、五年の間に移転し、現在は、街を抜けた先の丘に、城館として建っていた。
シュベルテやハーフェルンの領主邸に比べれば、こじんまりとしているものの、緊急時にはこの城館に籠城、もしくは人々を背後の山々に避難させられるよう、意識して造られている。
しかし、言わば王城であるはずのこの邸宅は、トワリスの第一印象の通り、どことなく“汚かった”。
鉄柵の隙間から見える庭の雑草は荒れ放題、伸び放題で、白亜の石壁には、枯れて絡まった蔦がへばりついている。
一応新築なので、石壁はひび一つない綺麗な状態であったが、土埃で薄汚れた窓々は、誰にも磨かれていないのが丸分かりだ。
手入れの行き届いたマルカン邸で暮らした後だから、一層みすぼらしく感じるのかもしれないが、今のレーシアス邸に、王の居城という威厳はまるでなかった。

 トワリスが、レーシアス邸を前に唖然としていると、ルーフェンが苦笑した。

「いやぁ、本当は城塞として高い塀も建てたかったんだけどね。城下の居住区を増やすことが最優先だったから、とにかくお金がなくてさぁ」

「…………」

 相変わらずの気の抜けた口調で言うルーフェンに、そういう問題ではないと、突っ込む気力も湧かなかった。
金銭不足なら、庭師や侍女を雇う金も惜しいということなのだろうが、王の城館ともなれば、他所から人を招くこともあるはずだ。
ハーフェルンのように、無駄に豪華にする必要はないが、最低限の管理と清潔さを保つことは、遵守せねば王の沽券に関わるだろう。

 ルーフェンに促されるまま、城館の柵内に入ると、不意に、肌が粟立った。
とぷんと、薄い水の膜を突っ切ったかのような、奇妙な魔力を感じる。
どうやら、目には見えないが、レーシアス邸には結界が張られているらしい。
五年前、サミルが襲撃を受けた時から、ルーフェンは信用できない余所者を、アーベリトに入れたくないと主張していた。
その言葉通り、基本的に許可を得ていない者は、レーシアス邸には侵入できないようになっているのだろう。
建てられなかった城壁の代わりに、この結界が、サミルたちを守っているようだ。
一時的ならばともかく、常時城館を覆うほどの結界を張っていられるなんて、召喚師であるルーフェンでなければ、できないことであった。

 庭の敷石の上を進み、木造の大門まで歩いていくと、暇そうな自警団員の男が、ぷらぷらと足を動かしながら立っていた。
柵を抜けたときは、顔が見えなかったが、近づいていく内に、その顔がはっきりしてきた。
男は、ルーフェンの帰還に気づくと、ぶんぶんと手を振りながら、犬のように駆け寄ってきた。

「召喚師様、おかえりなさーい! ……と、君は……?」

 懐かしい声を漏らして、男は、トワリスを見る。
トワリスは、ぺこりと頭を下げると、表情を緩ませた。

「お久しぶりです、ロンダートさん」

 一言、それだけ言うと、途端にロンダートの目が、かっと見開いた。
トワリスの足元から頭までをじろじろと見て、やがて、ばっと両手を広げると、ロンダートはトワリスに抱きついた。

「トワリスちゃん!? トワリスちゃんだ! 本物!? なんでここに!?」

 体格の良いロンダートに強く抱き締められて、思わずよろける。
年齢的には、もう二十代半ばを過ぎているはずなのに、ロンダートは昔から、年甲斐もなくはしゃぐ、無邪気な男だった。
街の様相は変化しても、昔馴染みの変わらぬ様子を見ていると、嬉しさが込み上げてくるものである。

 一度離れて、わしゃわしゃとトワリスの頭を撫で回しながら、ロンダートは言った。

「最初見たときは、誰だか分からなかったよ。トワリスちゃん、大きくなったなぁ! 今、いくつだっけ?」

「もう十七になりました」

「十七か! じゃあもう立派な大人だ。ついこの間まで、片腕で持ち上げられちゃうくらい、ちっちゃくて軽かったのになぁ」

 言いながら、トワリスを抱えあげようとするロンダートに、流石に恥ずかしいからと、制止をかけようとすると、その前に、ルーフェンが彼の頭を小突いて止めた。

「いてっ」

 思わず頭を押さえて、ロンダートがうずくまる。
ルーフェンは、何事もなかったかのような笑顔で、ロンダートに合わせて屈んだ。

「やだなぁ、ロンダートさん。いきなり抱きつくなんて、変態のすることだよ」

「変態!? 別に他意はないし、トワリスちゃんとの感動の再会なんだから、いいじゃないですか。召喚師様だって、よく似たようなことしてるでしょう」

「そんなことより、サミルさんはどこかな?」

「露骨に話そらすのやめてもらっていいですか……」

 慣れた様子でルーフェンに冷たい一瞥をくれてから、ロンダートは立ち上がる。
そして、城館のほうを示すと、ロンダートはにかっと笑った。

「陛下なら多分、執務室にいます。ちょうど俺、もうすぐ見張り交代の時間だし、取り次ぎますよ!」


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