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投稿日:2021年03月30日
ロンダートに導かれ、レーシアス邸の中を進んでいくと、やはり館内は、掃除が行き届いていないのか、全体的に埃っぽかった。
物が少ないので、散らかっているという印象は受けなかったが、途中立ち寄った図書室では、出しっぱなしの本が机に積んであったし、壁に備え付けられた燭台には、燃えさしがそのまま残っている。
それとなく聞けば、城館の掃除等を一手に引き受けてくれていた家政婦のミュゼが、三年ほど前に腰を痛めて、自宅療養中らしい。
当時、子供ながらに、男たちの全胃袋を握っていたミュゼが、この屋敷最強なのだろうと感じ取っていたが、その認識に間違いはなかったようだ。
魔導師としてレーシアス家に仕えるようになったら、まず始めなければならないのは、掃除かもしれないと、トワリスは内心ため息をついたのであった。
執務室の前までたどり着くと、ロンダートが扉を叩き、ルーフェンの帰還を知らせた。
中から、どうぞ、と返ってきた穏やかな声を聞いたとき、トワリスは、鼓動が速くなるのを感じた。
室内に踏み入れると、サミルとダナ、そして、見知らぬ巨漢が佇んでいた。
サミルとダナは、執務机につき、入ってきたトワリスたちを見上げている。
真っ白な髪を後ろで結い、厚い毛織のローブを纏ったサミルは、五年前よりも更に細く、華奢になっているようだったが、その薄青の瞳を見た瞬間、トワリスの胸に、熱いものが込み上げてきた。
「陛下……ご無沙汰しております。トワリスです」
跪いて、深く一礼する。
もう子供ではないのだから、王の御前だという自覚を持たねばと、自分に言い聞かせながらここまでやってきたが、そんな思いは、サミルの柔らかな表情を見た瞬間から、どこかへと消えてしまっていた。
事態が飲み込めないのか、未だに硬直しているサミルとダナに、何故か得意げなロンダートが、前に出て補足した。
「お二人とも、トワリスちゃんですよ! 覚えてますか? ほら、何年か前、一緒に住んだことがあったでしょう!」
それから、ふと不可解そうな顔になると、ロンダートもトワリスを見た。
よく考えてみると、トワリスが何故アーベリトに帰ってきたのか、その理由はロンダートも知らない。
今更そのことに気づいて、説明に詰まったのだろう。
ルーフェンは、苦笑しながら、口を開いた。
「彼女、魔導師になってたんですよ。ハーフェルンで偶然再会して、腕が良かったので、アーベリトに来ないかって誘って引き入れたんです。ちょうど人手がなくて困ってましたし、今後は王家お抱えの魔導師として、活躍してもらおうかと。事後報告ですみませんが、サミルさん、構わないですよね?」
ルーフェンが問いかけると、サミルはようやく立ち上がって、トワリスの目の前まで歩いてきた。
合わせてトワリスも立ち上がれば、頭一つ分ほど高い位置で、サミルと目が合う。
そっとトワリスの髪を掬うように、優しく頭を一撫ですると、サミルは、目尻にしわを寄せて微笑んだ。
「もちろん、覚えていますとも……。また会えるとは思っていなかったものですから、驚きましたよ。……おかえりなさい、トワリス」
ややあって、骨ばったサミルの手が、トワリスの肩に置かれる。
それだけで、日だまりに包まれたような、暖かな匂いが全身を覆った気がした。
感極まって、何も返せずにいると、サミルがふと心配そうに眉を下げて、ルーフェンのほうを見た。
「しかし……君が決めたことなら反対はしませんが、魔導師としてアーベリトに置こうだなんて、危険ではありませんか? トワリス、君も良いのかい?」
念押しするように尋ねられて、トワリスは、顔をあげた。
思えば五年前、レーシアス邸に置いておくのは危険だからと、トワリスの孤児院行きを決めたのは、他でもないサミルである。
今も昔も、厄介払いしたくて言っているわけではないと分かっているが、サミルの中でトワリスは、まだ幼く非力だった少女のままなのだろう。
魔導師になったからといって、いつまた襲撃を受けるかも分からぬレーシアス邸にトワリスを迎え入れるのは、抵抗があるようであった。
トワリスは、腰の双剣に手を置くと、深く頷いた。
「勿論です。魔導師になって、アーベリトに帰ってくることが夢だったんです。まだまだ未熟なところもありますが、精一杯陛下をお守りします!」
力強い口調で言うと、その勢いに押されたのか、サミルが目を丸くした。
思わず張り切りすぎてしまったかと、急に恥ずかしくなって、トワリスが口を閉じる。
その後ろで苦笑いしながら、ルーフェンが言った。
「大丈夫、腕は確かですよ。ハーフェルンで一悶着あったときも、大活躍だったから。ね?」
「そ、そんなことは……」
否定しながらも、トワリスは、どこか照れ臭そうに俯いた。
サミルはつかの間、そんなルーフェンを、意外そうに見つめていたが、やがて、穏やかに破顔すると、トワリスの手を両手で挟み込むように握った。
「そういうことなら、歓迎しますよ。心配ではありますが、君がこうして立派になって、望んでアーベリトに帰ってきてくれたのなら、私としても、これほど嬉しいことはありません」
握られた手の暖かさが、染みるようだった。
同時に、ひょっこりとサミルの横から顔を出したダナが、微笑ましそうに首肯する。
「宣言通り魔導師になるとは、本当に立派なことじゃ。思えばトワリス嬢は、随分と勉強熱心だったしのう」
昔を懐かしむように、ダナが目を細める。
同調するように、ロンダートは、うんうんと頷いた。
「すっごいですよねえ、だってシュベルテの魔導師団って、入ると滅茶苦茶大変だって言うじゃないですか! ハーフェルンで勤務してたってのも、俺からすりゃあえらいことですよ。トワリスちゃんってば、いつの間にか雲の上の存在になっちゃったんだなぁ」
冗談めかした言い方であったが、手放しに褒められて、トワリスは一層こそばゆい気持ちになった。
現在の王都はアーベリトなのだから、ハーフェルンやシュベルテよりも、アーベリトに配属されることこそ、誇るべきなのである。
しかし、昔からアーベリトに住んでいる当の本人たちは、いまいち垢抜けない雰囲気が捨てきれないらしい。
変わらぬロンダートやダナの呑気さに、呆れつつも、安堵している自分がいた。
話に耳を傾けていたサミルが、ふと、ルーフェンに問いかけた。
「ハーフェルンといえば……どうでしたか? 祭典中に敵襲があったと伺いましたが……」
ルーフェンが、サミルのほうを見る。
真剣な顔つきになると、ルーフェンは答えた。
「その件については、俺からも話があります。おそらく、アーベリトにも関係のあることなので」
「え、ええ。分かりました」
緊張した面持ちになって、サミルがルーフェンの元へ歩み寄る。
ルーフェンは、トワリスに向き直った。
「到着したばかりで疲れてるだろうし、今日のところは、休むなり、城下を見に行くなり、好きに過ごしててよ。宿舎も使いたければ使っていいし、他に当てがあれば、そちらに泊まっていいよ。案内は、ロンダートさんか、ハインツくんあたりに頼んでよ」
それだけ告げると、ルーフェンはサミルを連れ立って、さっさと執務室を後にしてしまった。
慌ててお礼を言ったが、聞こえたかどうかは分からない。
ハーフェルンの話題が出た途端、ルーフェンもサミルも顔つきが変わったから、何か早急に話さねばならぬ事情があるのだろう。
ハーフェルンにて、突如祝宴の場に現れた侵入者たち──。
人数からして、マルカン家の没落を目論む少派かと思っていたが、先ほどルーフェンは、あの襲撃はアーベリトにも関係があることだと言っていた。
トワリスの知らないところで、何か繋がりがあるのだろうか。
眉をしかめて考え込んでいると、ロンダートに、ぽんと肩を叩かれた。
「……で、どうする? 空きはあるから、宿舎で寝泊まりするなら、案内するけど。とりあえず、荷物置かなくちゃだもんな」
トワリスの背負い袋を一瞥して、ロンダートが言う。
トワリスは、慌てて表情を繕うと、迷ったように言葉を濁らせた。
「あっ、えっと……そうですね。この城館で働いている人たちって、基本、その宿舎を利用しているんでしょうか?」
ロンダートは、首を横に振った。
「いや、そうでもないよ。半々くらいかな。日中しか勤務しない事務官とか、家族がいる奴なんかは、普通に城下の家から通ってるよ。まあでも、トワリスちゃんは女の子だし、当てがあるなら城下から通った方がいいかもね。うちの宿舎、城館のすぐ隣だから、近くて便利なんだけど、家政婦やってくれてたミュゼさんたちが抜けて以来、俺みたいな独り身の自警団員ばっかり使ってるからさぁ。勿論部屋は別々にできるけど、水場とか共用だし、野郎臭いかも」
あはは、と苦々しく笑って、ロンダートが言う。
男所帯なのは、魔導師団でも同じ状況だったので構わないが、トワリスが一つ気になっていたのは、孤児院にいた頃からの友人──リリアナのことであった。
魔導師団に入れたのは、リリアナの叔母、ロクベルからの援助があったからだというのに、なんだかんだでトワリスは、もう五年半も彼女たちの元に帰っていない。
手紙のやりとりでは、正規の魔導師になれたら帰れるかもしれない、と伝えていたのだが、早々にハーフェルンに異動になって忙しくしていたから、それも果たされなかったままだ。
リリアナたちには、まだアーベリトに戻ってきたことすら伝えていないので、彼女たちの状況次第ではあるが、出来ることなら、リリアナたちの家に住まわせてもらって、レーシアス邸に通いたかった。
改めてお礼も言いたいし、今は宿代としてお金も払えるから、これを機に恩返しがしたいのだ。
トワリスは、少し考え込むように沈黙した後、ロンダートに言った。
「確かに、宿舎の方がいざというときにすぐ駆けつけられるので、便利だとは思うんですが……すみません、一つ心当たりがあるので、このあと城下の方に行っても良いですか? 孤児院にいた頃の友人がいるんですけど、私、一時期彼女の家にご厄介になっていたんです。事情を説明したら、また住まわせてくれるかもしれないので、一度相談に行きたいです」
ロンダートは、にかっと笑顔になった。
「おっ、それならちょうどいいじゃないか。行ってくるといいよ。ただ俺は、一応城館の警備中だから、街に下りるなら、案内はハインツにしてもらってくれ」
突然話題を振られて驚いたのか、ずっと黙って部屋の隅にいた黒髪の巨漢──ハインツが、びくりと肩を震わせた。
その図体には似合わぬ、怯えたような佇まいで、ロンダートを見つめている。
トワリスは、ハインツを一瞥してから、横に首を振った。
「いえ……ハインツさん、ですか。お仕事中ですよね? お邪魔するのは申し訳ありませんから、一人で平気です。一応五年前までは、アーベリトに住んでいた身ですし」
遠慮がちに言うと、ロンダートが、ハインツを強引に引っ張ってきた。
「大丈夫大丈夫! 確かに、色々手伝いはお願いしてるけど、ハインツに関しては、本格的に自警団の仕事に入ってもらってるわけじゃないんだ。この子、まだ十四歳だしさ」
「十四!?」
思わず大声をあげてしまって、トワリスは、慌てて口を押さえた。
まるでその反応を期待していた、とでも言いたげに、ロンダートがげらげらと笑う。
「そうそう! ハインツはリオット族だからさ、子供の頃から、そりゃあもう大きくて。もうすぐ十五になるんだっけ? 全っ然見えないよなぁ!」
「…………」
ロンダートにばしばしと肩を叩かれ、縮こまっているハインツを、トワリスは、唖然として見上げた。
顔の上半分を、歪な鉄仮面が覆っているせいか、確かにハインツは、外見を見るだけでは年齢不詳だ。
しかし、筋骨隆々としたその体躯は、大柄なロンダートよりも更に一回り大きいし、とてもではないが、十四歳には見えない。
リオット族とは、かつてルーフェンが、南端のノーラデュースと呼ばれる荒地から王都に引き入れた、特殊な地の魔術を操る一族のことである。
話には聞いたことがあったが、直接見るのは、初めてであった。
皆これほど、人間離れした風体をしているものなのだろうか。
絶句しているトワリスに、ロンダートは続けた。
「ここら辺、居住区を広げた影響で、通りが多少複雑化してるんだ。トワリスちゃんがいた頃のアーベリトとは、だいぶ状況が変わってるんだよ」
ダナが、顎を擦りながら、こくりと頷いた。
「そうじゃのう。城下に限らず、人も入れ替わりが激しくなったしな。わしもよう把握しとらんが、今年は特に、新しく魔導師やら事務官やらが増えたんだったかな」
「それも言えてますね! 去年とか一昨年あたりは、とにかく人手不足で大変だったから」
ロンダートが同調して、肩をすくめる。
次いで、再びトワリスの方を見ると、ロンダートはハインツを親指で示した。
「まあ、そういうわけだから、案内役は絶対にいた方がいいよ。ついでに、ハインツと仲良くしてあげてくれ。彼も、一応魔導師ってことで、最近城館の来るようになったんだけどさ。こんな成りなのに、すっごい人見知りなんだ」
「は、はあ……」
曖昧に答えつつ、ハインツの方を見ると、彼は全身から汗を吹き出しながら、小刻みに震えていた。
人見知りしている、というよりは、もはや怯えているようにしか見えない。
一体トワリスの何に対して、それほどの恐怖心を抱いているのかは分からないが、こうも一挙一動にびくつかれると、対応に困ってしまう。
トワリスとて、今後一緒に働く可能性があるならば、ハインツとは是非仲良くしておきたいところだが、とにかく彼は終始俯いていて、こちらを見もしないので、どう反応すれば良いのか分からなかった。
迷った末に、軽く会釈をすると、トワリスは控えめな声で挨拶をした。
「……はじめまして、トワリスと申します。よろしくお願いいたします」
すると、その時初めて、仮面越しにハインツと目があった。
ハインツは、しばらくおろおろと視線をさまよわせながら、黙っていたが、ややあって、ようやく顔をあげると、ぺこりと頭を下げた。
「……はじめまして。ハインツ、です……」
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