トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年03月30日








「もうー、うちの弟がごめんね! ほら、カイルも謝んなさい」

「…………」

 ぶすぐれた表情のカイルは、姉に謝罪を促されても、黙ったままであった。
いかにも納得がいかない、といった顔つきで、トワリスとハインツを睨み、そっぽを向いてしまう。
トワリスは、小さく首を振った。

「い、いや……私たちも、怪しい格好で店の前に突っ立ってたから。むしろ、感心したよ。昔から大人びてるなぁとは思ってたけど、カイルって、よく口が回るし、頭良いんだね」

 褒めたつもりであったが、残念なことに、カイルの機嫌は直らなかった。
一言も発することなく、カイルは身を翻して、二階へと続く階段を駆け上がっていく。
リリアナは、呼び止めても応じない弟に嘆息すると、申し訳なさそうに眉を下げた。

「本当にごめんね、カイルってば最近無愛想で。昔はあんなことなかったのよ? これがお年頃ってやつなのかしら……」

 ふう、と息を吐いて、リリアナは紅茶をすする。
それを見て、苦笑すると、トワリスも用意してもらった紅茶をすすった。
仄かな花の香りが、ふわりと鼻腔を抜けていく。
飲むまでは分からなかったが、この紅茶は確か、昔よくロクベルが淹れてくれていたものであった。

 小料理屋マルシェは、トワリスがいた頃から改装したのか、多少変わっている部分もあったが、居心地の良い空気感はそのままであった。
天井の梁からは、種々様々な干した茶葉が吊り下げられ、程よい木と草の香りを放っている。
開いた大窓からは、爽やかな風が入っては、時折茶葉の束を揺らし、カウンター越しに見える厨房からは、くつくつと煮える鍋の音が聞こえていた。

 空席も見られるものの、狭い店内に並ぶ食卓には、仕事の合間にやってきたのであろう作業着姿の客たちが、談笑しながら食事を頬張っている。
トワリスは、食卓に紅茶を戻すと、目の前のリリアナを見た。

「お店の開店時間なのに、押しかけて大丈夫だった? 迷惑だったら、出直すけど……」

 一際、豪快な声で笑う男性客たちを一瞥してから、小声で謝る。
リリアナは、首を横に振ると、嬉しそうに笑った。

「気にしないで。厨房にはおばさんが入ってくれてるし、今の時間はそう混まないから。それより、そちらの方は?」

 ふとハインツの方を見て、リリアナが尋ねる。
ハインツは、店の雰囲気に馴染めないのか、リリアナの声など耳に入っていない様子で、椅子の上で縮こまっている。
一向に話し出す気配がないので、代わりにトワリスが紹介をした。

「えーっと……リオット族の、ハインツって言うんだけど。一応、私の仕事仲間ってことになるのかな。召喚師様の下に仕えてる、魔導師みたい。私も今日初対面なんだけど、ここに来るまでの案内役としてついてきてくれたんだ」

「まあ……随分大きな仕事仲間さんなのね」

 ハインツをじっと見上げて、リリアナは呟いた。
流石、孤児院で浮いていた獣人混じりに躊躇いなく話しかけてきただけあって、ハインツの姿を見ても、リリアナは動じていないようだ。
しかし、その規格外かつ奇怪の風体には、やはり興味を引かれたらしい。
カップの持ち手に通せないほど、硬くて太いハインツの指を見て、リリアナは目をぱちくりとさせていた。

 しばらくは、ハインツを眺めていたリリアナであったが、ふと、何かに気づいたように瞠目すると、トワリスを見た。

「……ん? ちょっと待って。召喚師様に仕えるハインツさんと、トワリスが仕事仲間、ってことは……」

 リリアナの言わんとすることが分かって、頬を緩める。
トワリスは、どこか照れ臭そうに頷くと、言葉を継いだ。

「……うん、そうなんだ。実は、私も召喚師様に仕えることになって。今後は、アーベリトで暮らすことになったから、今日はそのことで、リリアナに相談したいことが──」

「きゃぁあーーっ!」

 突然、リリアナがあげた甲高い悲鳴に、トワリスもハインツも、椅子ごと後ろに倒れそうになった。
周囲で談笑していた客たちも、何事かとリリアナを見る。
しかしリリアナは、そんなことはお構いなしに、トワリスの方へと身を乗り出してきた。

「召喚師様に仕えるようになったって、いつから? いつの間にそんなことになったの!?」

「い、いつからって……! とにかく、ちょっと声おさえて!」

 慌ててリリアナの口を手でふさいで、しーっと人差し指を押し当てる。
思いがけず注目を集めることになり、熱くなった頬を扇ぎながら、トワリスは、咳払いをして続けた。

「城館仕えが決まったのは数日前だけど、アーベリトについたのは、ついさっきなんだよ。手紙で知らせてなくて、ごめん。それで、本当に急な話で申し訳ないんだけど、もしよかったら、またリリアナと一緒に住めないかなって……」

「…………」

 そろそろと手を離すと、リリアナは、驚いたような顔つきで、トワリスを見つめた。
ややあって、驚愕の表情が、みるみる歓喜の色に染まる。
綻ぶような笑顔を見せると、リリアナは言った。

「そんなの、もちろん大歓迎よ! おばさんもきっと喜ぶわ!」

 言いながら、リリアナが、トワリスの手をぎゅっと握る。
そして、店内を振り仰ぐと、言い募った。

「あのね、トワリスがアーベリトに戻ってきたら、お話ししたかったことが山ほどあるの。このお店も改築したし、いろんなことがあったのよ。おばさんの料理、とっても評判が良くて、マルシェ亭は結構有名なお店になったし、私も、基本は給仕をしているけれど、手伝っている内にお料理の腕も上がって、今じゃ立派な看板娘なんだから! あ、そう! この辺りに、サミル先生と召喚師様がいらしたことがあったんだけど、うちのお店に立ち寄ってくださったのよ。その時に、初めて召喚師様を間近で見たけれど、とっても綺麗で優しい方だったわ。カイルがすごく懐いてね、私も、この人がトワリスの憧れの人かぁって、ちょっとドキドキしちゃった!」

 ああ、だからカイルが、親しげにルーフェンの名を呼んでいたのかと、トワリスは納得した。
興奮した口調で、リリアナは、トワリスの知らぬ五年間を語り続けている。
だんだん声が大きくなっていくので、その度に諌めたが、いつしか、楽しげに話している彼女に、横槍を入れようという気はなくなっていた。

 話している内に、リリアナの目に、涙が滲んでくる。
やがて、握る手に力がこもったかと思うと、リリアナは呟いた。

「良かったぁ……。この五年間、手紙だけじゃ想像できないくらい、トワリスも頑張ってたのね。ずっと諦めずに走り続けて、かっこいいわ。私、とっても嬉しい。トワリス、出会った頃から、召喚師様の下で魔導師になって働きたいって言ってたものね。……叶って、本当に良かった」

 そう涙声で言われたとき、泣くことではないはずなのに、トワリスの胸にも、熱いものが込み上がってきた。
鼻の奥が、つんと痛んで、うまく言葉が出ない。
リリアナが、まるで我がことのように喜んでくれていることが、どこか不思議で、とても幸福なことだと感じられた。

 思えば、最初に背中を押してくれたのは、リリアナだったのだ。
生まれつきの地位も学もないくせに、魔導師になるなどと言い始めたトワリスの言葉を、サミルもルーフェンも、内心子供の語る夢物語だと、受け流していただろう。
トワリス自身でさえ、志は本物であったが、どこか現実味のないものだと思っている節があった。
リリアナだけだ、応援すると言ってくれたのは。
「トワリスなら夢を叶えられる」と、最初から信じてそう言ってくれていたのは、リリアナだけであった。
レーシアス邸を出て、最初に仲良くなったリリアナから夢を否定されていたら、どうなっていたか分からない。
魔導師になれるなんて、根拠のない言葉ではあったが、当時の自分がその励ましにどれだけ救われていたか、今なら分かる。


- 84 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数148)