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投稿日:2021年03月30日




 リラの森と言えば、アーベリトの西区に住む子供たちが遊びに入るような浅い森であったが、トワリスは、散策したことが一度もなかった。
移動陣が敷いてあるため、ハーフェルンからアーベリトに来る際に通りはしたが、その時はじっくり見る暇などなかったし、子供の頃も、暮らしていた孤児院が東区に建っていたので、訪れる機会がなかったのだ。

 騒々しい中央通りを外れ、閑散とした西区の住宅街を抜けると、古い石畳が割れていったところから、草地が開けている。
リラの森は、その奥に広がっていた。
森と呼ぶには、大した高低差もないので、ルーフェンの言っていた通り、かつては森だった名残があるだけなのかもしれない。
春や夏ならば、木々の葉が青々と繁っているから、まだ賑やかな印象を受けただろう。
だが、冬の気配が濃くなった今は、裸の木が立ち並んでいるだけの、物寂しい雑木林といった感じであった。

  ラッカたちから事前に知らされていた情報に従い、森の中へと入っていくと、ほどなくして、切り株の連なる空き地へと出た。
なだらかに盛り上がっている斜面には、木の根が張ってひび割れた石壁が、崩れかけの状態で立っている。
これが、件の擁壁の残骸だろう。
空き地の至るところには、解体済みの石材が高々と空積みされていた。

「ラッカさんたち、いないみたいね。ここで合ってるの?」

 先程まで上機嫌に鼻歌を歌っていたリリアナが、トワリスに尋ねた。
勿論、その傍らにはカイルが、トワリスの後ろにはハインツが佇んでいる。
晴れやかな顔つきで周囲を見回すリリアナに対し、男二人の顔つきは、疲れでどんよりと曇っていた。

 城館前で大泣きしたリリアナを、不本意ながら、トワリスは同行させることにした。
というよりは、リリアナが公衆の面前で、号泣しながら「トワリスの馬鹿」やら、「トワリスのケチ」やら叫ぶので、連れていく他なかったのである。
最初は、リリアナを放置して逃げようと思っていたが、途中でハインツまで座り込んで泣き出したので、どうしようもなくなった。
ハインツは仕事に同行することになっていたから、置いていくわけにはいかないし、かといって、うずくまるハインツを引きずっていけるほどの馬力はない。
一刻も早く、通行人の好奇の眼差しから逃れるためにも、リリアナを泣き止ませ、ハインツの尻を蹴り飛ばして、カイルと共にその場から去ることしかできなかったのであった。

 その後も、何度か追い返そうと試みたが、同行できると知ってからのリリアナが、あまりにも楽しげだったので、だんだん言いづらくなってしまった。
リラの森には、舗装された道が通っているが、市街地に比べれば、やはり平坦とは言えない道のりである。
車椅子のリリアナからすると、決して楽な移動ではなかったはずなのだが、それでも彼女は、ハインツと一緒にいられることがよほど嬉しいのか、終始嬉しそうに歌っていた。
昔から、リリアナには強引なところがあったが、カイルまでげんなりさせるほどの傍若無人な振る舞いを見る限り、今の彼女は、まさに“恋は盲目”状態なのだろう。

 周囲を見回して、他に気配がないかを探りながら、トワリスは、リリアナに向き直った。

「集合場所も時間も合ってるはずなんだけど……。作業場って言ったって広そうだし、もしかしたら別の場所で待ってるかもしれないから、ちょっと探してくるよ。リリアナたちは、ここで待ってて」

そう言って、擁壁を越えて行こうとすると、リリアナが、トワリスの手を掴んで引き留めてきた。

「だったら、私も探すわ。手分けした方が、ラッカさんたちも早く見つかるだろうし」

 冒険でもしている気分なのか、生き生きした瞳で、リリアナが見上げてくる。
トワリスは、呆れ顔で首を横に振った。

「駄目。カイルとハインツと一緒に待ってて。この辺、足場もあまり良くないし、不用意に動くのは危ないよ。来るときだって、何度か車輪をとられてただろう?」

 言葉を詰まらせて、リリアナが俯く。
トワリスと同意見なのか、無言で睨んでくるカイルを一瞥してから、リリアナは口をすぼめた。

「で、でも……私がわがまま言って連れてきてもらったんだから、トワリスにばっかり動いてもらうのは、なんだか申し訳ないわ。道が通ってる場所なら、車椅子でも行けるし……」

「リリアナのわがままで連れてきたんだから、これ以上勝手なことはしないで」

「うっ……はい」

 トワリスとカイル、双方から冷たい視線を受けて、流石のリリアナも、大人しく引き下がった。
いつもは、なんだかんだでリリアナの無茶を許してくれるトワリスであったが、今回ばかりは、小言を言ってくるときの目が一切笑っていない。
城館前で号泣して、仕事の邪魔をしてしまったこともあり、相当怒っているのだろう。

 トワリスは、リリアナから少し距離をとった場所に、ひっそりと佇むハインツを見た。

「すぐ戻ってくるから、二人のことよろしくね」

「…………」

 一瞬、困惑したように目線を動かしてから、ハインツは小さく頷いた。

 子供の遊び場にもなっているような森だが、作業場は一般の立入禁止となっている場所だし、歩けないリリアナと幼いカイルを二人きりにしておくのは、やはり心配である。
それに、もしラッカたちが後から合流してきた場合、この場に誰もいないと、行き違ってしまう。
リリアナと一緒に残していくのは、ハインツが可哀想な気もしたが、いざというときはカイルが間に入ってくれるだろうから、問題はないだろう。

 自身の身長ほどある擁壁跡を軽々と飛び越えて、トワリスは、ラッカたちを探しには向かった。
三人取り残されてから、しばらくは、リリアナだけが一方的に話していたが、不意に、カイルは顔をあげると、横目にハインツを見やった。

「……ねえ、魔導師ってさ、やっぱ儲かるの?」

 カイルの唐突な質問に、リリアナが目を剥く。
急に話しかけられて驚いたのか、硬直したハインツは、長い沈黙の末に、小さな声で答えた。

「わ、分からない……。俺、正式には、魔導師じゃない……」

「ふーん……」

 もじもじと下を向くハインツに、カイルが淡白な声で返事をする。
自分を挟んで、両側に並ぶ二人を交互に見ながら、リリアナは、意外そうに瞬いた。

「カイルからハインツくんに話しかけるなんて、珍しいわね。もしかして、カイルも魔導師になりたいの?」

 極端な質問に、カイルは、やれやれと首を振った。

「そんなわけないだろ。ただ、魔導師って稼げるって聞くから、興味本位で聞いてみただけだよ。治安を守るためとはいえ、命を落とすかもしれない職業なんて、俺はまっぴらごめんだね」

「またそういう、失礼なこと言って……」

 つんとした態度で、カイルはそっぽを向いてしまう。
リリアナは、慌ててハインツのほうを見上げると、眉を下げて微笑んだ。

「ごめんね! どうか気を悪くしないでね。私もカイルも、魔導師団や自警団の人たちには、すっごく感謝してるのよ! 命をかけて街を守ってくれてる人がいるから、私たちは安心して生活を送れてるんだもの。ハインツくんだって、召喚師様の下について働いてくれているんだから、その一員よ。いつも本当にありがとう」

「…………」

 リリアナが下から顔を覗き込むと、ハインツは、逃げるように目をそらした。
変わらず俯いたまま、戸惑ったように唇を動かすだけで、結局何も言わない。
明らかな質問をしたとき以外、ハインツは、基本的に何も答えなかった。

 リリアナと話すときに限らず、ハインツは、こうして黙って下を向いているが多い。
大抵の相手が、自分より背が低いからという理由もあるかもしれないが、単純に、誰かと目を合わせて話すのが苦手なようであった。

 リリアナは、それでもハインツの視線を追うように顔を覗くと、明るい声で続けた。

「あ、それにね! 私、魔導師団の人達のこと、尊敬もしているの。魔導師団って、強いだけじゃなくて、頭も良くないと入れないでしょう? 魔術が使えるってだけで十分すごいことなのに、その上で沢山練習して、お勉強もしたのよね。きっと魔導師には、努力家がいっぱいいるんだわ。トワリスもね、昔、一緒に暮らしていたことがあったんだけど、とっても頑張ってたのよ。初めて魔術を見せてもらったときは、私も感動しちゃった。木をね、蹴り飛ばして折っちゃったのよ! たったの一蹴りでよ」

 話している内に、思い出が蘇ってきたのか、リリアナは、頬を紅潮させて語った。
当時、十二だったトワリスが、歩けないリリアナの脚を治すのだと言って、初めて独学の魔術を見せてくれたのも、今いるリラの森のような、冬の立ち木が並ぶ林の中だった。
いつ話しかけても、仏頂面で本ばかり読んでいたトワリス。
その理由が、魔導師になりたいからというだけでなく、実はリリアナのためでもあったのだと知って、胸がいっぱいになった記憶がある。
結果的に、リリアナが歩けるようになることはなかったが、あんな風に人前で弱音を吐けた相手は、トワリスが初めてであった。

 周囲の木々を見回しながら、リリアナは、興奮した様子で言い募った。

「一蹴りって言ってもね、そんな細い木じゃなかったのよ。……そう! ちょうどあれくらいの木!」

 数ある木の中から一本、記憶に近いものに目をつけると、リリアナは、そちらへと車椅子を動かした。
地面が土なので、石畳の上ほど滑らかに移動することはできないが、トワリスやカイルが心配するほど、車輪をとられることはない。
途中、浮き出た木の根に進行を邪魔されて、滑った車椅子が詰まれた石材をかすったが、その頃には、もう目当ての木までたどり着いていた。

 心配げなカイルたちを振り返って、木の幹に触れると、リリアナは、上機嫌な顔で言った。

「ほら、見て見て! 子供だった私が両腕を回して、抱え込めるかなーってくらいの木! これをトワリスが、蹴っ飛ばして──」

──その時だった。
ふっと、黒い影が落ちてきて、辺りが暗くなった。
木々のざわめきも、カイルの叫び声も遠のいて、妙にゆったりとした一瞬が、リリアナの全身を包みこむ。
上を向くと、目の前に、巨大な石塊が迫っていた。
解体された擁壁の残骸──木のすぐそばに詰んであった石材が、崩れ落ちてきたのだ。

 リリアナは、ぎゅっと目をつぶって、身をすくめるしかなかった。
まず頭から押し潰されていくであろう、その痛みは、しかし、次の瞬間、リリアナの肩に走った。
咄嗟に落石の最中に飛び込んできたハインツが、リリアナの左腕を掴んで、身体ごと後方へ引いたのだ。

 車椅子から放り出されたリリアナは、ハインツに投げられるような形で、地面に叩きつけられた。
同時に、落ちてきた石材が車椅子を押し潰す、鈍い音が響く。
一部始終を、凍りついたように見つめていたカイルは、一瞬の静寂の後、顔を真っ青にすると、すかさず倒れているリリアナに駆け寄った。

「姉さん! 姉さん、大丈夫!?」

 上半身を支えて、土で汚れたリリアナの頬を、何度か軽く叩く。
リリアナは、意識を失ってはいなかっていなかったが、激痛で返事をするどころではないのか、歯を食いしばって、ぶるぶると震えていた。

 リリアナの左腕が、だらりと、不自然に垂れ下がっている。
それを見た瞬間、カイルの頭に、かっと血が昇った。

「お前っ! どんな力で引っ張ったんだよ! リオット族の化物じみた力で投げ飛ばしたら、怪我するに決まってるだろ……!?」

 ハインツに対し、力一杯怒鳴り付ける。
ハインツは、びくりと顔を上げると、か細い声を絞り出した。

「……ご、ごめっ、そ、そんな、つもりじゃ……」

 聞き取れないような小声で謝りながら、ハインツは、怯えた様子で俯いている。
カイルは、その時になってようやく、立ち尽くすハインツの異様さに気づいた。
立ち位置を考えれば、落石はハインツにも直撃したはずなのに、彼は、肩に軽い擦り傷を負っているだけだったのだ。

 詰んであった石材は、バランスを崩した拍子に、雪崩れるようにいくつも落ちてきた。
その衝撃は、ひしゃげて原型を留めないほどに潰されている車椅子を見れば、一目瞭然である。
それなのに、ハインツの身体は、まるで何事もなかったかのようだ。
落下と同時に砕けた石片に囲まれ、平然と立ち尽くしているハインツに、カイルは、恐怖を感じずにはいられなかった。

「……ハインツくん」

 不意に、リリアナが唇を動かした。
声は弱々しかったが、汗に濡れたその顔には、薄い笑みが浮かんでいる。

「ハインツくん、私、大丈夫よ。助けてくれて、ありがとう。……カイルも、心配かけてごめんね。私、平気だから……」

「で、でも……」

 不安げなカイルの頭を撫で、それから、ハインツの方に右手を伸ばすと、リリアナは言った。

「ハインツくんは、大丈夫? 怪我、してない……?」

「…………」

 伸ばされた手に、ハインツが触れることはなかった。
ひどく動揺した様子で、ハインツはリリアナたちの横を通りすぎ、街の方へと走り去ってしまう。
カイルは、咄嗟にハインツの名を呼んだが、彼にその声は届いていないようであった。

 リリアナは、浅い呼吸を繰り返しながら、カイルを見た。

「ぅ、ど、どうしよう……大丈夫って言ったけど、だっ、大丈夫じゃ、ないかも……」

「えっ!?」

 慌ててカイルが視線を戻すと、リリアナは、真っ赤な顔で震えていた。
話す余裕があるところには安堵したが、やはり、左肩が痛むのだろう。
リリアナは、力の入らない左腕を押さえながら、苦し紛れにうめいた。

「トっ、トワリス、早く戻ってきてぇ……」



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