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投稿日:2021年03月30日





  *  *  *


「ハインツ……こんなところにいた」

 朝から半日かけて探し回ったハインツが、中庭の噴水の影にうずくまっているところを見つけると、トワリスは、やれやれと肩をすくめた。
噴水といっても、来客があった時に稼働させるだけの溜め池みたいなものなので、普段は誰も近寄らない。
道理で、城館中を巡っても見つからないし、目撃者すらいなかったわけだと、トワリスは納得した。

 トワリスが、噴水の石囲に寄りかかり、隣に腰を下ろすと、ハインツは、大袈裟なくらいにびくついた。
叱られるとでも思っているのか、膝を抱えて、その巨体を極限まで小さくしている。
トワリスは、ふうと息を吐くと、口を開いた。

「リリアナ、昨日あの後、森を出てすぐの施療院に行って、今は通り沿いの病院に入院してるよ。全治三ヶ月くらいだって」

「さ、さんかげつ……」

「うん。左肩の脱臼と、あと前腕の骨にちょっとひびが入ってたみたい」

「…………」

 リリアナの状態を説明すると、ハインツの顔から、目に見えて血の気が引いた。
昨日、倒れたリリアナと半泣きのカイルを連れて、病院に駆け込んだのはトワリスであったが、その時の二人よりも、今のハインツのほうが、よっぽど顔色が悪い。
ハインツは、立てた膝の間に顔を埋めると、こもった声で呟いた。

「……お、お金、とか……働いて、ちゃんと、払うので……。ゆ、許して、ください」

 膝を抱えるハインツの手に、ぎゅっと力がこもる。
トワリスは、困ったように眉を下げた。

「お金は私が払ったから、いいよ。ほら私、リリアナの家に居候してるだろう? 家賃なんていらないって言われてたんだけど、やっぱり、何のお礼もなしにご厄介になるのは気が引けてたし、今回の治療費がその代わりってことにしたんだ」

「…………」

「そんなことは気にしなくていいから、あとでリリアナのお見舞いに行こう。城下の視察は、夜にも回せるし、なんなら、私一人だって出来る。ハインツの顔を見たら、リリアナだって元気でるだろうから。ね」

「…………」

 ハインツは、しばらくの間、何も言わなかった。
ただひたすら、トワリスの顔を見ようともせずに、怯えた様子で俯いている。
もう一度声をかけようとしたとき、ハインツが、ようやく言葉を発した。

「……元気なんか、出るわけ、ない。もう、俺、関わらない方が、良い。きっと、お、怒ってる……」

 リリアナから事情を聞いたとき、かっとなったカイルが、思わず怒鳴ってしまったことも聞いていたから、ハインツが気にしていることは、なんとなく検討がついていた。
案の定ハインツは、その罪悪感から、自分には見舞いに行く資格すらないと思い込んでいるらしい。
トワリスは、小さく首を振った。

「誰も怒ってないよ。今回の件は、リリアナの自業自得みたいな部分もあるし、ハインツは、リリアナを助けてくれたんでしょう。むしろ、感謝してるよ。カイルが色々言っちゃったのも、頭に血が昇って、うっかり口が滑っちゃっただけだと思うんだ。実際、ハインツがいなかったら、リリアナは死んでたかもしれないわけだし」

「…………」

「鬱陶しいと思うこともあるかもしれないけど、リリアナもカイルも、本当に良い子なんだ。だから……その、私も前に、嫌ならはっきり言えって怒鳴っちゃって、ごめん。でも、二人のこと、嫌わないであげて。リリアナも、ハインツに謝りたいって言ってたよ」

 微かに、ハインツが顔をあげる。
しかし、すぐにまた顔を膝の間に埋めると、ハインツは、鼻をすすった。

「……嫌われるのは、俺の方。……会ったら、また、痛い思い、させるかも。また……」

 ひどく、沈んだ声音であった。
トワリスは、ハインツの意図を図りかねたように、首を傾げた。

「痛い思いって……脱臼のこと? あれは、咄嗟のことで力が入っちゃったんだろうから、仕方ないよ。リリアナは脚が動かない分、腕を引っ張ったら、そこに全体重かかっちゃうからね。勢い良く腕を引かれて投げ飛ばされたら、そりゃあ、方向次第では脱臼くらいするさ。まあ、リリアナって華奢だから、十分痛々しいけど……でも、石に潰されてたことを考えれば、不幸中の幸いだよ」

「でも……骨に、ひびも」

「それは、地面に落ちた時に、打ち所が悪かったんじゃないかな。私も、受け身に失敗して腕折ったことあるし。何にせよ、ハインツはリリアナを助けてくれたんだから、気にすることないよ」

「…………」

 ハインツを慰めるためにも、努めて明るい声で言ったが、彼の表情は、暗くなっていくばかりである。
それどころか、背を丸めて震え出すと、ハインツは、ついにぐずぐずと泣き出してしまった。

「違う、違う……多分、俺が、握ったから……」

 ひくひくとしゃくりあげながら、ハインツが繰り返す。
トワリスは、わずかに顔をしかめた。

「握ったから……って、それで骨折したってこと? まさか、そんなわけないよ」

「ううん……きっと、そう。弱く、握った、けど……でも、俺、力、強いから」

「強いから、って、そんな大袈裟な……」

 半ば呆れたような顔つきで、トワリスがこぼす。
瞬間、ふと、ハインツが拳を振り上げたかと思うと、目の前で、信じられぬことが起きた。
垂直に下ろされたハインツが拳が、噴水の石囲を叩き割ったのだ。

「──……っ」

 ハインツが叩きつけた一点から、稲妻の如くひび割れが広がり、分厚い白亜の石囲が、みるみる崩れ落ちていく。
一瞬、腰が抜けたかと思うほどの、重々しい威力であった。

 何が起きたのか理解できず、トワリスはつかの間、呆然とした顔で噴水を見ていた。
崩れた石囲の隙間から、じわじわと、溜め水が漏れ出してくる。
その水が、膝を浸した冷たさで、ようやく我に返ると、トワリスは、呼吸を思い出したように、はっと息を吸った。

 ハインツは、緩慢な動きで腰をあげると、崩れた石材の表面をなぞるように手を動かして、石囲を修復した。
石や土を扱うことを得意とした、リオット族の地の魔術である。
しかし、そんな魔術よりも、石囲を叩き割ったハインツの腕力の方が、トワリスにとっては、よほど衝撃的であった。
拳を振り上げたあの時、ハインツは、魔力を使ってさえいなかったのだ。

「……分からない、の。違い」

 ぽつりと、ハインツが呟く。
「違い……?」と聞き返すと、ハインツが、暗い瞳で、すがるようにトワリスを見た。

「石と、紙と……人の、腕の違い……分からない」

「…………」

 ぞっとした。恐怖とも、驚愕とも言えぬ、痺れるような強い感情が、全身を突き抜けていく。
ハインツは、再び地面に座り込むと、頭を抱えるように身を縮めた。

「鉄も、木も、綿も……違いが、分からない。全部、少し掴んだだけで、壊れる……。こんなの、関わっていい、わけがない。きっとまた、怪我、させる。怖がらせて、嫌われて、化物って、言われる……」

「…………」

 ハインツのその言葉を聞いて、トワリスは初めて、ルーフェンの発言の意味を理解した。
ルーフェンは、ハインツについて、魔導師の仕事をしていた方が良さそうだと、そう述べていたが、それは魔導師としての素質がどうとか、そんな話ではなかったのだ。
土台、無理なのである。これだけ異様な力を持っている者が、一般人として生きていくことなど──。

 なんと声をかけて良いか分からず、トワリスは、しばらく沈黙していた。
ハインツに対し、浅はかな発言を繰り返していたことへの後悔が、どっと押し寄せてくる。
思えばハインツは、会話をしている時でも、相手とやたら距離をとっていることが多かった。
単に人付き合いが苦手だからだと思っていたが、もしかしたら、うっかり触れてしまわないようにという、彼なりの配慮があったのかもしれない。

 トワリスは、強張った全身からゆるゆると力を抜くと、躊躇いがちに尋ねた。

「リオット族の人って、皆、そんなに力が強いの……?」

 ハインツは、弱々しく首を振った。

「強い、けど……俺、特に、強い。昔は……こんなんじゃ、なかった。でも、大きくなって、どんどん、力、強くなって……」

 沈んでいく空気を払うように、トワリスが口を開く。

「でもほら、召喚師様から聞いたんだけど、ハインツって、石細工……だっけ。作るの、好きなんでしょう? ああいう器用さが必要な作業が出来るってことは、練習すれば、力の制御も、できるようになんじゃないかな。私も獣人混じりで、力あるし、脚も速いから、普通の人との感覚の違いで、苦労したことあるんだ。それでも、今は問題なく生活できてるし……。えっと、つまり、何が言いたいかというと──」

「作れない。……石細工も、出来なくなった。途中で、壊す、から……もう、作らない」

「……そ、そうなんだ」

 トワリスの捲し立ても虚しく、それっきりハインツが黙ってしまったので、辺りは、重苦しい静寂に包まれた。
日光で落ちた木々の影が、ざわざわと音を立てて、足元で踊っている。
まるで、墓穴を掘ったトワリスのことを、嘲笑っているかのようであった。

 トワリスはしばらく、必死になってハインツにかける言葉を探していたが、やがて、諦めたかのように嘆息すると、同様に膝を抱えて、座り直した。
トワリスは、ルーフェンほど言葉が上手くないし、リリアナのように、悩みが吹っ飛ぶような明るい笑みを作れるわけでもない。
どうにか慰めようなんて考えている時点で、その場しのぎの、薄っぺらい言葉しか出てこないに決まっているのだ。

 トワリスは、ハインツを横目に見ながら、落ち着いた声で問うた。

「……ハインツは、商会にいる他のリオット族の仲間と、一緒にいようとは思わないの? ハインツほどじゃないにしても、リオット族はみんな頑丈で、力があるんだろう。それに何より、ハインツのことを理解してる。少なくとも、異質扱いされたり、化物呼ばわりされるようなことは、ないんじゃない? ここで魔導師を続けているより、仲間がいるんだったら、その人達と暮らした方が、気持ちは楽だと思うんだけど……」

「…………」

 返事を待っていると、涙が収まっていたハインツの目から、再びぽとりと、雫が落ちた。
トワリスから隠れるように背を向け、仮面を取ると、ハインツは、濡れた目元を拭いながら、答えた。

「……どうしても、ルーフェンの、役に、立ちたかった……」

 思わぬ返答に、トワリスが瞠目する。
ハインツは、嗚咽混じりに言い募った。

「……昔、約束、した。一緒に、王都に行くって。ルーフェン、約束、覚えてて、すごく、嬉しかった。……俺、臆病、だけど……多分、魔導師とか、向いてない、けど……ルーフェンのためなら、きっと、頑張れる。必要、なら、戦うし、いろんな覚悟、して、ここに、来た」

 その言葉を聞いている内に、思いがけず、目頭が熱くなって、トワリスは慌てた。
ハインツの気持ちが、痛いほどに、よく分かった。

 ハインツは、静かに続けた。

「……だけど、病院、いたとき、医者の、人……怪我、させた。傷つける、つもり、なかったのに……。リオット病、治れば、普通に、なれると思った。皮膚、傷が、目立たなくなって、力も、弱くなって……。でも、駄目だった。弱くなっても、異質なまま。もう、どうすれば、良いのか、分からない……。ルーフェンのため、なら、何でもする。だけど、力も、制御、できない。俺、迷惑しか、かけてない……」

 トワリスに背を向けたまま、ハインツは、もどかしそうに頭を掻き毟った。
その拍子に、つけていた仮面が、草の上へと転がり落ちる。
身を縮め、声を押し絞るようにして泣いているハインツが、今は、ひどく弱々しく思えた。

「どうせ、こうなら、リオット病、治すべきじゃ、なかった。そうすれば、見た目、醜いまま、誰も怖がって、近づいて、来なかった……。身体、硬くて、力も、今より、もっと強いまま、ルーフェンの、役に立てた、かも……」

「…………」

 治すべきじゃなかったなんて、そんなことはないと、言いたかったが言えなかった。
自分が、もしハインツの立場だったらと考えたら、胸が詰まって、何も言えなくなってしまったのだ。

 本物のリオット族を見たのは、ハインツが初めてであったが、リオット病については、トワリスも魔導師になる上で学んだことがあったから、知識としては知っていた。
リオット族はかつて、寄生虫の媒介となる刺し蝿から身を守るために、岩のような硬い皮膚を得た。
その進化の結果であり、また、彼らが短命となってしまった原因こそが、リオット病である。
しかし、ルーフェンにより、刺し蝿のいない中央部にリオット族が召し出されるようになった昨今、彼らには、早死にする理由などないので、基本的には皆、リオット病の治療を受けていた。
それが、商会がルーフェンと取引する上での、絶対条件でもあり、アーベリトにとって必要な金策でもあったからだ。

 リオット病の治療には、根本的な遺伝子治療の他に、皮膚移植も行われていた。
リオット病の症状が進んだ皮膚は、岩のように硬く、ひび割れており、また、全身にみみず腫れに似た腫瘤(しゅりょう)が走っていたためだ。
植皮には、症状の進んでいない自分の皮膚を使うので、普通の人間と全く同じ皮膚になることはなかったが、それでも、見た目はかなり改善される。
ただ、目の周り、特に瞼の皮膚は薄く、縫合が難しいため、移植は行わない場合がほとんどであった。
故に、治療を受けているリオット族は、目の周辺に顕著にみみず腫れが残っている。
ハインツが、それを気にして鉄仮面をつけているのだろうというのは、なんとなく勘づいていた。

 それだけハインツは、醜い部分が極力人目に触れないようにと、気を遣って隠してきたのだろう。
自分は力が強いから、不用意に人を傷つけないようにと一歩引いて。
けれど、ルーフェンに恩返しをしたいという思いだけは譲れなかったから、色んな気持ちを犠牲にして、ここまで一生懸命走ってきたのだ。

 そんな健気で臆病な少年が、醜さと強さを引き換えに、治療を受けるべきではなかったなんて──。
そんな言葉は、即座に否定すべきだと、頭では分かっていた。
しかし、涙ながらにそう告げたハインツの気持ちが、嫌というほど理解できたので、トワリスには、嘘はつけなかった。

 ルーフェンの役に立ちたくて、でもそれを叶えられない自分に苛立った経験は、トワリスにだって数えきれぬほどある。
もし、命を縮める代わりに、力を手に入れられるのだとしたら、どうしていただろう。
そんな疑問は、トワリスにとっては、仮定でしかないし、ハインツにとっては、後悔でしかなかったが、それでも、考えずにはいられなかった。
今のトワリスであれば、強くなることを願っていただろうという、確信があったからだ。

 ハインツの苦悩は、彼だけのものだ。
生い立ちだって異なるし、完全に理解出来るはずはないが、それでもトワリスは、ハインツの置かれている立場を、他人事とは思えなかった。
ハインツの悔しさが、手に取るように分かるからこそ、尚更、安い労りの言葉など、かけられるはずもない。
しかし、このまま何も言わず、落ち込んでいくハインツを、ただぼうっと見ていることも、トワリスには出来なかった。

 トワリスは、ふと立ち上がると、厳しい声で告げた。

「……ハインツ、ちょっと立って」

 急にトワリスの雰囲気が変わったので、驚いたのだろう。
慌てて仮面をつけ直し、立ち上がると、ハインツは、トワリスと向かい合った。
その薄茶の瞳を、まっすぐに見つめて、トワリスは言った。

「さっき、力が制御できないって言ってたけど、子供の頃は、石細工だって作れてたわけだろう? だったら、また出来るようになるはずだよ。要は、すっごく細かく手加減が出来るようになればいいわけだ。大丈夫、私も付き合うから、練習しよう。ハインツは魔術だってちゃんと使えるんだから、何年も根気強く続けたら、きっとなんとかなる」

「え……で、でも……」

「でもじゃない。出来ないなら、出来るように頑張るしかないんだから!」

 強い口調で言い放つと、ハインツが、びくりと肩を震わせた。
あわあわと唇を動かしながら、周囲に助けを求めるように、視線を彷徨わせている。
トワリスは、ハインツにずいと顔を近づけた。

「覚悟してきたっていうなら、もう走り抜けるしか、私たちには出来ないんだよ。言っておくけど、魔導師は、魔で守り国を導く存在なんだからね。いつまでもうじうじ泣いてるなんて、言語道断。そんなんだからハインツは、見かけ倒しって言われるんだよ」

「い、言われたこと、ない……」

「私は思ってたよ」

「え」

 硬直したハインツの手に、トワリスが、そっと両手で触れる。
慌てて距離をとろうとしたハインツの手を、トワリスは、引き留めるように握った。

「まずは、リリアナに会いに行こう。今回の件、ハインツは悪くないけど、怪我をさせたのは事実なんだから、お見舞いには行かないと」

 次いで、握る手に力を込める。
不安げに目を伏せたハインツに、微かな笑みを向けると、トワリスは言った。

「これから、一緒に頑張ろう。私も、召喚師様に恩返しがしたくて、魔導師になったんだ。二人で、アーベリトを守って、召喚師様を支えよう」

「……トワリス」

 ハインツが、その手を握り返してくることはなかったが、その瞳の奥で揺らいでいたものが、確かに、トワリスを見つめ返した。
ぐっと何かを堪えるように、ハインツが俯く。
ややあって、顔をあげると、ハインツは、深く頷いたのであった。


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