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投稿日:2021年03月30日





 トワリスとハインツが病室に入ると、寝台に座っていたリリアナは、晴れやかな笑顔で二人を迎えた。
先程まで話していたのか、壁際の椅子には、仏頂面のカイルが座っている。
負傷したリリアナの左肩と前腕は、分厚く巻かれた包帯で固定されていたが、寝台のすぐそばに新しい車椅子が用意されているところを見ると、もう院内の移動を許されるくらいには回復したらしい。
病院に運び込まれた昨日は、痛みで流石のリリアナも口数が少なくなっていたが、今はすっかり、いつもの元気を取り戻した様子であった。

「二人とも、来てくれたのね! 嬉しいわ。早くこっちに来て、座って」

 寝台横に並ぶ椅子を示しながら、リリアナが言う。
トワリスは、見舞いに持ってきた果物をカイルに渡すと、病室を見回しながら、椅子に腰を下ろした。

「個室にしてもらったんだ。良かったね」

「うん! 他に患者さんが来たら、共同部屋に戻るように言われたんだけど、カイルも一緒に寝泊まりしてくれてるし、特別にね。ほら私、車椅子があるから、共同部屋だと狭くって、他の患者さんにも迷惑かけちゃうでしょ」

 そう話しながら、リリアナは、未だ扉の近くに佇んでいるハインツの方に、視線を向けた。
自分が寝巻姿であることが、気になるのだろう。
一度座り直してから、リリアナは、ハインツに声をかけた。

「ハインツくんも、近くに来て、お話しましょう。昨日は色々と、ごめんね。石が降ってきたときは死んじゃうかと思ったけど、お陰でもう元気になったわ。本当にありがとう!」

 嬉しげな声で言って、リリアナは、頬を綻ばせる。
ハインツは、戸惑った様子でうつむいてから、おずおずと近寄ってくると、ゆっくりと床に膝をついた。

「あ、あの……ほ、本当に、ごめん、なさい」

 震える声で謝りながら、ハインツは、床に手をつく。
土下座までしようとするハインツに、リリアナは慌てた。

「え? いや、だから謝らないでいいのよ? 私はハインツくんに、助けられたんだもの!」

「で、でも……怪我、させたのは、俺、だし……」

「そんなこと気にしないで! 私、ハインツくんがいてくれなかったら、死んじゃってたんだから!」

 懸命に手を振りながら、リリアナは、なんとかハインツに頭を上げさせる。
おろおろする二人のやり取りを見ながら、トワリスは、苦笑いを浮かべた。

「私も同じこと言って説得したんだけど、ハインツ、朝からずっとこの調子なんだ。どうしても気になるんだって」

「そんな……責任を感じる必要なんてないのに……」

 どうすべきかと困った表情で、リリアナが眉を下げる。
それでも、頑なに顔を上げようとしないハインツに、リリアナは、ぴんと右手の人差し指を立てた。

「あっそうだ! じゃあハインツくん、私のお願いを、一つ聞いてくれないかしら? それで今回のことはチャラ! 謝るのはもう無しよ」

 その瞬間、横で聞いていたトワリスとカイルの顔が、ぴくりと強張った。
リリアナは、まるで名案だとでも言いたげな顔をしているが、一体何をお願いするつもりなのだろうか。
今までの傍若無人ぶりを見る限り、恋人にしてくれとか、結婚しようとか、そんな無茶も言い出しかねない。
気弱なハインツのことだ。罪悪感から拒否できない可能性もあるし、リリアナのお願い次第では、トワリスとカイルが止めに入る必要があるだろう。

 そんな二人の心中など露知らず、リリアナは、楽しげに思案し出した。

「うふふ、何がいいかなぁ。結局昨日は出来なかったから、お昼ごはんを一緒に食べる、とか。お買い物に行くのもいいわね。それならいっそ、ハインツくんのお休みの日に、二人でお出かけするとか? きゃっ、私ったら大胆すぎるかしら」

 リリアナの思考が駄々漏れた呟きに、トワリスとカイルは、ほっと肩を撫で下ろした。
流石のリリアナも、ハインツが断れないのをいいことに、手篭めにしようなどという考えは起こさなかったようだ。
食事を一緒にとったり、出掛けたりするくらいなら、ハインツもそこまで消耗しないだろう。
むしろ、人付き合いの練習になると思えば、ハインツにとっても悪い話ではないかもしれない。

 安堵したのもつかの間、あっと声をあげると、リリアナは、ハインツの顔を見つめた。

「その仮面をとって、お顔を見せてもらうっていうのも良いわね。私、ずっと素顔のハインツくんとお話ししてみたかったのよ。どう? 今日だけでもいいから──」

 にこやかに話すリリアナの口を、トワリスが、目にも止まらぬ速さでふさいだ。
そのまま彼女の肩を掴み、ぐるりと上体を回して、壁の方を向かせる。
トワリスは、リリアナに顔を近づけると、ハインツに聞こえないよう、小声で囁いた。

「リリアナ、それは……駄目」

「え? どうして?」

 きょとんとした顔で、リリアナが問い返す。
ハインツとカイルも、いきなりトワリスがリリアナの話を中断させたので、驚いた様子だ。
大袈裟すぎたかと些か焦りながらも、トワリスは、リリアナに言い聞かせた。

「ど、どうしても何も、人には、触れられたくないこととか……あるだろ」

「触れられたくないって……ハインツくんの、仮面のこと? なに、そんなに隠さなきゃならない、重大な理由があるの?」

 一体どんな想像をしているのか、妙にうきうきとした顔で、リリアナが迫ってくる。
トワリスは、たじろぎながらも、察しろと言わんばかりにリリアナを睨んだ。

「重大、というか……私も見たことないから、分かんないけど。……リオット族なんだから、色々あるんだよ」

「色々って、ああ、病気のこと? 私、全然気にしないわよ。それにリオット族の人って、病気はもう治してるんでしょ? ハインツくんも、腕の皮膚とか、私たちとそう変わらないじゃない」

「だから、ハインツはむしろ、それを気にしてるというか……」

「えっどういうこと? ハインツくん、病気を治したこと、後悔してるの?」

「い、いや、あの……」

 説明せねば納得してくれなさそうな雰囲気に、トワリスは困り果てた。
ハインツの事情を、腫れ物扱いするつもりはない。
だが、カイルもいるような場で無遠慮に問いただすのは如何なものかと思うし、だからといって、トワリスの口から話すのも違うだよう。

 かばってくれたトワリスが、返事に詰まっていることに気づいたらしい。
ハインツが、控えめな声で告げた。

「い、いいよ……別に。そんな、気を、遣ってもらう、ような、話じゃ……。お、俺も、気にして、ないし……」

 言いながら、後頭部の留め具を外して、鉄仮面を取る。
顕になったハインツの顔には、トワリスの想像通り、目の周辺にみみず腫れのような腫瘤が幾筋も走っていた。
右目だけ弱視なのか、瞳の色素が薄く、上瞼が腫れて、ほとんど開いていない。
まじまじと見て良いものなのか分からず、トワリスは、一度ハインツと目を合わせてから、躊躇ったように視線を落とした。

 リリアナは、はっと息を飲むと、頬を紅潮させた。

「わ、わっ、もっと近くで見てもいい? やだ、どうしようトワリス! ドキドキしてきちゃった! 心臓吐いちゃうかも!」

 トワリスの肩をばしばしと右手で叩きながら、リリアナは興奮している。
彼女の反応が予想と違ったのか、ハインツは、困惑したようにうつむいた。

「お、俺は……見た目も、こんな、だし。病気、治った、ところで……力、強くて、びっくり、されるし。あまり、近づかない、ほうが……」

 たどたどしく言って、リリアナの視線から逃げるように、ハインツは目を伏せる。
リリアナは、ハインツの言葉を、目を丸くして聞いていたが、やがて、ぱちぱちと瞬くと、不思議そうに尋ねた。

「びっくりするのって、そんなに悪いこと?」

 率直な口調で言って、リリアナは、首を傾ける。
黙り込んでしまったハインツに、リリアナは、何かを思ったのか。
ふと、表情を緩めると、穏やかな声で言った。

「もし、それでハインツくんが嫌な気分になっちゃってたなら、ごめんなさい。だけど、ハインツくんを見たら、誰でも最初はびっくりしちゃうと思うわ。こんなに大きくて力持ちなんだもの、街中に出たら注目の的よ。ついでに言うと、私、トワリスを見たときだって驚いたわ。獣人の血が混じってる子なんて、初めて見たんだもの。でも、トワリスとハインツくんだって、私を見たとき、ちょっとびっくりしたでしょ? あ、この人、歩けないんだなぁって」

「…………」

 トワリスもハインツも、否定はしなかった。
リリアナは、おかしそうに続けた。

「もちろん、それで差別をしようとか、馬鹿にしようとするのは、良くないことだわ。だけど、珍しい特徴を持ってるんだから、びっくりされるのは当然よ。それで悲しくなって、直接否定されたわけでもないのに、下を向いちゃうのは、もったいないことだと思う」

 床に膝をついたまま、うつむいているハインツを、リリアナは、じっと見つめた。

「ハインツくんは、いつも下を向いてるのね」

 そう言われて、ハインツが、わずかに顔をあげる。
リリアナは、その頬に右手を添えて、目線を合わせると、穏やかに言い募った。

「私ね、前を向いて生きていれば、傷があるかどうかなんて、大した問題じゃないと思うの。一生脚が動かなくても、形として残る傷があっても、そんなの、本人が気にも留めなくなったら、ないのと同じだわ。諦めずに、前を向いて生きていたら、びっくりしてこちらを見る、色んな人と目が合うでしょう? その中には、気にしなくて良い、助けてあげるって言ってくれる暖かい人が、必ずいるわ。そういう人たちと一緒に生きられたら、傷なんて、大した問題にはならないのよ。……ハインツくんは、きっともう出会えているから、あとは前を向くだけね」

 リリアナが、ふふっと笑う。
どこか戸惑った表情で見つめ返してくるハインツに、リリアナは問うた。

「ハインツくんは、誰が一番好き?」

「……ルーフェン」

「じゃあ召喚師様は、ハインツくんの病気が治ったって聞いたとき、何か言ってた?」

 ハインツは、何度か瞬きをした。
ややあって、当時のことを思い出したのか、ぽつりと答えた。

「良かった、って、言ってた」

「ふふ、そう! じゃあ、治って良かったわね!」

 ハインツの目が、微かに見開かれる。
リリアナは、ぱっと笑顔になった。

「大事な人が喜んでくれたなら、それで良いと思わない? 本当に大切な相手は、元気でいてくれるだけで嬉しいって、そう思うじゃない。私はハインツくんのこと、まだ全然知らないし、他に思うところがあるなら、お顔は隠してもいいと思う。でも、傷があるとかないとか、力が強いとか弱いとか、そんなこと気にしてない人が、ハインツのくんの周りには、いっぱいいるはずだわ。そのことを、忘れないでね」

「…………」

 ハインツはしばらく、ぼんやりとした顔で黙っていたが、やがて、何かを思い出したような光を瞳に浮かべると、こくりと頷いた。
そんなハインツのことを眺めている内に、トワリスの中に、どこか懐かしいような思いが込み上げてきた。

 こういうとき、リリアナを、心の底からすごいと思う。
トワリスも昔から、リリアナに言われて初めて、気づかされることが沢山あった。
彼女の純粋で、無邪気な言葉は、不思議なほどあっさりと、胸の中に落ちてくるのだ。

 嬉しそうな笑みを浮かべていたリリアナは、ふと、ハインツの肩に手を置くと、唐突に尋ねた。

「ところで、ハインツくんが召喚師様のことを大好きなのは分かったんだけど……女の子だったら、誰が一番好き?」

「え……」

 ハインツが、動揺した様子で身動いだ。
声こそ柔らかいものの、リリアナからは、どことなく威圧的な空気が醸されている。
トワリスとカイルは、同時に呆れ顔になった。
そもそもハインツには、女性の知り合いが少ないのだろう。
ここ何日かの行動を見て、そう判断しているに過ぎないが、それこそトワリスかリリアナか、リオット族の友人くらいしかいないのかもしれない。
ハインツは、答えに困っているようであった。

「お、女の子、だったら……」

 ハインツが、まごつきながら視線を彷徨わせる。
やがて、ちらりとトワリスの方を見ると、ハインツは、ぼそぼそと答えた。

「女の、人、だったら……トワリスが、好き」

──刹那、場の空気が、凍りついた。
真顔になったリリアナが、すかさずトワリスの方を見る。
ハインツは、恥ずかしげにうつむくと、もじもじしながら言った。

「一緒に、頑張ろうって、言ってくれて、嬉しかった……」

「…………」

 本来であれば、トワリスも心暖かくなる言葉であったが、今は、それどころではなかった。
無表情でこちらを凝視するリリアナに、トワリスが、慌てて首を振る。

「違う。違うから、リリアナ」

 トワリスの必死な様子に、リリアナの眉が、ぴくりと動く。
ハインツから離れ、上半身を乗り出してトワリスに近づくと、リリアナは問いかけた。

「一緒に頑張ろうって……な、何を?」

「仕事だよ。仕事を、一緒に頑張ろう、って話。同僚として」

「あっ、そ、そうよね……同僚としてよね。私、トワリスのこと、信じていいのよね……?」

「疑う要素全くなかっただろ……」

 始まった女同士の応酬に、何かまずい発言をしてしまっただろうかと、ハインツが震え出す。
三人のやりとりを遠巻きに眺めていたカイルは、ややあって、馬鹿馬鹿しそうに嘆息すると、ふと、ハインツに声をかけた。

「……ねえ、ハインツ」

 ハインツが、カイルの方に振り返る。
カイルは、壁際の椅子に腰かけたまま、罰が悪そうに目線をそらすと、ぽつりと呟いた。

「悪かったよ。化け物じみた、とか言って。……姉さんを助けてくれて、ありがとう」

「…………」

 驚愕の色を滲ませて、ハインツが瞠目する。
その時、ずっと肩に入っていた力が、ようやく抜けたような気がした。

 入院することになったリリアナには、もちろん申し訳ないと思っていたが、今回の件で一番怒っていたのは、弟のカイルだ。
ハインツには、兄弟姉妹はいないが、大事な姉が得体の知れない大男に怪我を負わされたら、怒るのは当然のことだろう。
たとえリリアナが許してくれても、カイルには完全に嫌われてしまうだろうと思っていたので、その彼がお礼を言ってくれたことは、ハインツにとって、心が救われる思いだった。

 顔色が良くなったハインツを見て、カイルは、腕組みをした。

「まあ、降ってきた石材がぶち当たっても平然と立っていられるくらいだから、ハインツは簡単には死なないだろうし。正規の魔導師でなくても、長く城館仕えやってれば、報酬はそれなりにもらえるでしょ?」

 突然変わった話題についていけず、ハインツが小首を傾げる。
カイルは、ふっと大人びた笑みを浮かべると、言った。

「姉さんのこと、よろしくね」

 ハインツの顔が、再び青ざめた。


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