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投稿日:2021年03月30日





  *  *  *


 夕暮れの光はとうに暮れ落ち、空が夜闇にどっぷりと浸かった頃に、トワリスは、ようやく城館へと戻った。
街の住民は既に寝静まり、城館仕えの臣下たちも、夜番の自警団員以外はとっくに下城している。
トワリスは、事情を門衛に話すと、結界を抜けて、城館内へと入った。

 ひとまず今夜は荷物だけ置いて、城下視察の報告は明日で良いだろうと思っていたが、二階へ上がると、ルーフェンの執務室に、まだ人の気配があった。
閉まった扉の隙間から、柔らかな光が漏れている。
とはいえ、こんな夜更けに訪ねるのも非礼だろうと、そのまま部屋の前を通りすぎようとすると、ちょうどその時、向こうから、扉が引き開けられた。

「あ……」

 扉を開けたのは、ルーフェンであった。
少し驚いた顔で、トワリスのことを見ている。

「まだ帰ってなかったの?」

「あっ、はい。ちょっと色々あって、城下視察を夜に回したら、こんな時間になってしまって……。すみません」

 もっと早く終わる予定だったのですが、と付け加えて、謝罪する。
リリアナが怪我をしたことを説明すれば、ルーフェンなら許してくれるだろうが、そもそも彼女の同行を許してしまったことが、トワリスの甘さ故の過失だったのだ。
リリアナの見舞いを終えた後、ハインツは大工衆の手伝いへ、トワリスは視察に向かって、結果的に双方終わらせることができたのだから、わざわざ言い訳をする必要もないだろう。

 頭を下げると、ルーフェンは、微苦笑を浮かべた。

「今日までってお願いしてたわけじゃないし、謝る必要はないけど、夜中に外を出歩くのは危ないよ。それに、寒かったでしょう。鼻が真っ赤」

 そう指摘されて、トワリスは、隠すように鼻先に手をやった。
冷えきった手指で触れると、顔は仄かに熱を持っているように感じられたが、言われてみると、鼻先には感覚がない。
赤い顔を見られたのかと思うと、急に恥ずかしくなって、トワリスはうつむいた。

「別に、大丈夫ですよ。私だって、夜番で警備に回ることありますし、むしろ危ないことが起きたら、それを解決するのが仕事です。動き回ってたので、寒さも全く気になりませんでした」

 ぶっきらぼうに答えると、ルーフェンは、くすくす笑った。

「そう? まあ、それならいいんだけど。あんまり無理すると、また倒れちゃうから、気を付けてね」

 言いながら、羽織っていた室内着を脱ぐと、ルーフェンは、それをトワリスの肩にかけた。
事前に問われれば、羽織など必要ないと答えられたが、何の前触れもなく渡されると、わざわざ脱いで突き返すのも躊躇われる。
なんとなく居たたまれなくなって、目線を反らすと、トワリスは、荷袋からアーベリトの市街図を取り出した。

「そ、そんなことより、お時間があるなら、件の報告をさせてください。警備体制を変えるから、なるべく早い方がいいですから」

 矢継ぎ早に告げて、話を変えると、ルーフェンに詰め寄る。
ルーフェンは、一瞬困ったように執務室の方を一瞥したが、ややあって頷くと、扉を押し開いた。

「わかった。どうぞ、入って」

 促されるまま、執務室へと踏み入れ、来客用の長椅子に腰を下ろす。
暖炉の火影が揺らめく室内は、じんわりと暖かく、仄かに甘酸っぱい香りが漂っていた。

 トワリスは、目の前の机に、飲みかけの果実酒瓶とグラスが置いてあることに気づくと、隣に座ったルーフェンに目をやった。
トワリスが来るまで、この部屋にはルーフェンしかいなかったようだから、彼が飲んでいたに違いない。
話題に困って、勢いで報告を切り出してしまったが、今が真夜中であることを思い出すと、トワリスは、さっと顔色を変えた。

「あの……もしかしなくても、お休みでしたよね? すみません、こんな非常識な時間に押し掛けて。ご迷惑でしたら、宿舎に戻ります」

 借りた羽織を脱ぎ、軽く畳んで、ルーフェンに差し出す。
トワリスが、先程酒瓶を見たことに、気づいていたのだろう。
ルーフェンは苦笑いしながら、羽織を受け取った。

「休むって言ったって、考え事してただけだから、気にしなくていいよ。……はい。トワリスちゃんも、飲んでみる? 貰い物の、林檎酒」

 からかい口調で提案して、空いたグラスを手渡してくる。
むっとして受け取ると、ルーフェンは、意外そうに瞬いた。

「……なんですか?」

「いや、トワリスちゃんのことだから、仕事中にお酒飲むなんて! って怒るかと予想してたんだけど……。そもそも、酒なんて飲んだことないって言うかと思ってた」

 おかしそうに言いながら、ルーフェンは、酒瓶を傾ける。
トワリスは、眉を寄せると、注がれた果実酒を一口飲んで見せた。

「今は本来、仕事の時間じゃないですし、私だって、お酒を飲んだことくらいあります。子供扱いしないでください」

 強気な声で言って、どん、とグラスを机に置く。
酒を飲んだことがあると言っても、以前、ハーフェルンにいた頃に、ロゼッタに勧められて舐めたことがある程度である。
しかし、幸いなことに、果実酒は甘くて飲みやすかったので、飲み慣れていないことがばれることはなかった。

 可愛げのない態度をとっている自覚はあったし、慳貪(けんどん)な対応をしたいわけでもないが、ルーフェンは何かと、トワリスのことを子供扱いしてくるきらいがある。
昔は兄妹のような関係で暮らしていたので、仕方がないのかもしれないが、十七にもなって蝶よ花よと扱われるのは、トワリスとしては嫌であった。

 細かく書き込んだアーベリトの市街図を広げると、トワリスは、口火を切った。

「では、報告は手短に済ませますが、結論から言うと、自警団員の巡回はなくしても良いんじゃないかと思いました」

 はっきりとした口調で言って、トワリスは、ルーフェンの反応を伺った。
ここでふざけた態度をとっては、流石に彼女の機嫌を損ねると察したのか、ルーフェンも、市街図へと視線を落とす。
てきぱきとした仕草で、自警団員の巡回経路を示しながら、トワリスは続けた。

「召喚師様が以前仰っていた通り、アーベリトは、シュベルテの保護下に入っていることもあって、位置的には、かなり狙われづらい場所にあります。ただ、だからといって、大して高さもない外郭一枚を当てにして、市門にしか警備を置いていない現状は、あまりにも寡少戦力です。ですから、街中に配置していた自警団員、つまり戦いの心得がある者は、基本的に外郭周辺の守りに回しましょう。その代わり、街中の監視は、物見用の主塔を建てて行うんです」

 市街図に三ヶ所、印をつけておいた部分を指すと、トワリスは言い募った。

「アーベリトの場合は、この三ヶ所。ここに主塔を建てて、監視役を一人ずつ置けば、街全体が見渡せます。人数と時間をかけて街中を巡回するより、よっぽど効率的ですし、主塔を連絡用にも活用すれば、有事の際の知らせも届きやすくなるはずです。シュベルテは広いので、城壁内にしか主塔は建てていなかったのですが、アーベリトの面積なら、三ヶ所も建てれば機能としては十分です」

 ルーフェンは、机の上で指を動かしながら、計算式を書き出すと、納得したように頷いた。

「確かに、外郭と同じか、それよりも少し高いくらいの主塔を建てれば、街を見渡せる範囲に死角はないね。しかも、監視役というだけなら、自警団員じゃなくても出来る」

「そう、そうなんです!」

 まさにそれが言いたかったのだと、トワリスは、身を乗り出して訴えた。

「大工衆の方々に聞いたんですが、ここ数年で、アーベリトには人が多く流れ込んできたでしょう。その影響で、専門職を除き、仕事にあぶれている人も結構いるみたいなんです。そういう人達を監視役として雇っても、物見と連絡に戦闘技術は必要ありませんから、問題はないはずです。今後移動陣を導入するなら、いざという時は、連絡一つで現場に駆けつけられるわけですから、どこに戦力が集中しているかどうかは、さほど重要じゃなくなります。だったら、街中の監視は一般の人達に任せて、戦える人間を城館と外郭周辺に集中させれば、少人数の自警団員でも、ある程度の守りは固められるんじゃないでしょうか」

 次いで、書き込んだ別の書類を荷から引っ張り出すと、トワリスは、それをルーフェンに手渡した。

「とはいえ、私の一存で決めるべきことじゃありませんし、いきなり明日から巡回なしっていうわけにもいかないでしょうから、あとのことは、自警団員の方々と話し合って決めるのが良いかと思います。一応、今回は巡回経路の再検討が目的の一つだったので、それについても三案ほどまとめました。お時間のあるときに、目を通して頂ければ幸いです。報告は以上です」

「…………」

 ルーフェンはしばらく、考え込むような顔つきで、トワリスに渡された書類を捲っていた。
やがて、一通り読み終わったのか、顔をあげると、トワリスのほうを見た。

「ありがとう、助かったよ。近々、ロンダートさんとも話してみるね。まだアーベリトに戻ってきて間もないのに、大変だったでしょう? 二日でここまでまとめるなんて、流石トワリスちゃんだね」

 率直に褒められて、トワリスの内に、嬉しさが込み上げてくる。
思い付きのように城下視察を頼まれたときは、まるで頼りにされていないと感じて、少し不満に思ったものだが、今は、出来ることから精一杯、着実にこなしていくことが大事だろう。
ハインツ同様、役に立たねばと焦ったところで、何かが変わるわけでもないし、そんなことは、ルーフェンだってきっと望んでいない。
考えてみれば、トワリスは今、散々焦がれていたアーベリトに着任していて、ずっと恩返しがしたかったルーフェンから、礼を言われたのだ。
その実感がわいてきただけで、この上なく、幸せな気持ちになれた。

 ルーフェンの方に向き直ると、トワリスは、食い気味に言った。

「他にも、私に出来ることがあれば、何でも言ってくださいね。アーベリトに呼んで良かったって思われるくらい、もっと頑張りますから」

 嬉しさを隠しきれぬ様子で、トワリスが頬を緩める。
するとルーフェンが、妙な表情になって、動かなくなった。
返事をするわけでもなく、ただ黙って、じっとトワリスのことを見つめている。
トワリスが、怪訝そうに眉をひそめると、ルーフェンは、ようやく口を開いた。

「……いや、可愛いなぁと思って」

 しみじみとした声で言われて、今度は、トワリスが硬直する。
我に返ってから、長椅子の端まで身を引くと、ルーフェンが苦笑を浮かべた。

「そんなに警戒しないでよ。褒めただけじゃない。トワリスちゃん、笑うと可愛いねって」

「…………」

 まるで挨拶でもするかのような軽さで、ルーフェンが告げてくる。
そういえば、アーベリトに来てからはすっかり忘れていたが、彼はこういう人であった。
そんな笑顔になっていただろうかと、思わず表情を引き締めて、トワリスがルーフェンを睨む。

「そういうことを……誰彼構わず言うのは、良くないと思います」

 ルーフェンが、ぱちぱちと瞬く。

「誰彼構わずは言ってないよ?」

「どの口が言ってるんですか」

「……妬いてるの?」

「国の象徴とも言える召喚師様が、実はだらしない性格だったと知って、虫酸が走っただけです」

「そっかぁ、残念」

 口ではそう言いながらも、大して残念がる様子はなく、ルーフェンは笑っている。
それから、机に置いていた果実酒を一口含むと、ルーフェンは、何事もなかったかのように続けた。

「じゃあ、今後はトワリスちゃんに言うようにするね」

「は!? なんでそうなるんですか!」

 かっと頬を染めて、トワリスが声を荒げる。
勢い余って、自分が長椅子から立ち上がっていることに気づくと、トワリスは、慌てて座り直した。

「召喚師様には、婚約者がいるでしょう。冗談でも、そういう浮わついたこと言ってると、いずれ恨みを買いますよ」

 刺々しい口調で忠告して、再度ルーフェンを睨む。
ルーフェンは、肩をすくめた。

「婚約者って、ロゼッタちゃんのことでしょう? 前にも言ったけど、彼女とは別に何でもないんだって。こういう立場だと、婚約者の一人や二人いないと、周りにあれこれ言われるからさ。ロゼッタちゃんも、俺と婚約しろってマルカン候に散々言われて、苦労してたみたいだから、いっそ本当に婚約関係を結んだほうが楽かもねって話になって、そういうフリをしてるだけ。あくまで利害の話。貴族同士の間柄なんて、仲良さそうに見えても、大体そんなものだよ」

 まるで笑い話でも語るかのように、ルーフェンは、あっけらかんと告げる。
一方でトワリスは、納得がいかないといった様子で、眉を寄せた。
確かに、貴族たちが横行する社交界は、腹の探り合いばかりしている印象があるし、ルーフェンの言っていることも、間違いではないのだろう。
トワリスもハーフェルンで、好意的に見える相手の発言を信じて、実際に痛い目を見た。
しかし、だからといって、人と人との繋がりを、完全に利害の一致でしかないと語るのは、なんだか寂しいことのように感じた。

 膝上に置いた自分の手を見つめながら、トワリスは、たどたどしく呟いた。

「……それでも、やっぱり、不誠実なのは良くないと思います。召喚師様にとっては、たかが遊び感覚で、損得の話に過ぎないのかもしません。でも、召喚師様のことを本気で好きな人は、そういう軽い一言にだって、振り回されてしまうと思うので……」

 言ってから、顔をあげると、ルーフェンも、驚いたような顔でこちらを見ていた。
ややあって、ぶっと吹き出すと、ルーフェンが笑い始める。

「……なに笑ってるんですか」

「いや、トワリスちゃんの中で、俺ってどれだけの節操無しに仕立て上げられてるのかなと思って」

 だってその通りじゃないか、と目で訴えると、ルーフェンの顔が、一層笑いを噛み殺したように歪む。
一応、トワリスは真剣なのだから、笑ってはいけないという自制心はあったのだろう。
すぐに笑いをおさめると、ルーフェンは言い募った。

「否定しても信じてくれなさそうだけど、名誉のために一応言っておくよ。俺は別に、誰かを弄ぼうとするほど悪趣味じゃないし、そもそも、召喚師相手に、本気になる子なんていない」

 冗談めいた調子で言いながら、ルーフェンは、果実酒を呷る。
軽口とは言え、ルーフェンが卑屈な発言をしたことが意外で、トワリスは、目を丸くした。

「そんなことは、ないと思いますけど……」

 考える前に、言葉が口を突いて出る。
特に深い意味はなかったし、反芻してみても、的外れな返答とは思わなかった。
だがそのあと、ルーフェンが急に黙ったので、トワリスも、どうすれば良いのか分からなくなってしまった。


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