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投稿日:2021年05月01日
祝宴の参加者たちが、食事で腹を満たし、各々酒も回ってきたところで、突然、シャンデリアや燭台の炎が消えた。
視界が暗転するのと同時に、談笑していた者たちも、一斉に口を閉じる。
突如訪れた暗闇と沈黙に、それでも、動じる者が一人もいないのは、今から始まる興行が、この祝宴恒例の目玉であると、皆が分かっていたからであった。
ぽっと、広間の奥にある壇上に、魔術の光が灯る。
その中心へと現れた、派手な服飾の語り手に、賓客たちの視線が、一様に注がれた。
「──遠い昔、あるところに、一人の男が在った」
語り手は、一度深々と観客に礼をすると、朗々とした声で言った。
「男は、類稀な叡知と、鋼の如き強健さを持ち合わせていた」
澄んだ声が広間に響き渡り、やがて再び、舞台が暗転する。
次に明かりが灯った時には、語り手の姿は消え、代わりに壇上には、屈強な一人の男が立っていた。
「名を、ドリアード。後に、炎剣の使い手として語り継がれる、水蛇殺しの英雄である……」
俳優が、腰の大剣を引き抜くと、その残光が炎を纏って、舞台上を焼き尽くす。
観客たちは、思わず身をすくませ、あまりの迫力に、短く悲鳴をあげた。
といっても、これは本物の炎などではなく、幻術である。
クラークが毎年用意する、この祝宴の目玉──それは、名のある劇団を招いて上演する、演劇なのだ。
(……今年は“ケリュイオスの蛇”か)
目を引く幕開けに、周囲が息を飲む中。
ルーフェンは、どこか冷めたような気分で、英雄役の男を眺めていた。
“ケリュイオスの蛇”とは、ハーフェルン発祥の、有名な伝承の一つである。
かつて、西のケリュイオスと呼ばれる海域には、九つの頭を持つ大蛇が棲みついていた。
大蛇は、その巨大な九つの口で、通りがかった船を海水ごと飲み込んでしまう、邪悪な化物であった。
人々は大蛇を恐れ、ケリュイオスには船を出さなくなったが、すると大蛇は、陸地まで首を伸ばして、近隣の漁村を襲うようになった。
そこで、困り果てた人々を救おうと立ち上がったのが、ドリアードという男なのである。
ドリアードは、生まれつき魔術の才があり、賢く心優しい青年であった。
元は魔導師などではなく、ただの船乗りであったが、漁村に襲来した水蛇に挑み、追い返してみせたことをきっかけに、周囲から英雄視されるようになっていた。
人々は、そんな彼の勇敢さ、そして強さを見込んで、海へと逃げ延びた水蛇を退治するように頼んだのだった。
とはいえ水蛇は、九つある頭を全て落とさねば死なない、凶悪な化物である。
荒れ狂う海上に一人、大蛇を討たんと航海に出たドリアードは、三日三晩の苦戦を強いられ、最終的には、燃え盛る炎剣と共に自ら喰われることを選ぶ。
己の命と引き換えに、水蛇を身の内から焼き滅ぼしたドリアードは、伝説の英雄として、後世に名を残したのだという。
最期は相討ちになって終わりだなんて、悲劇的な結末のように思われるが、この“ケリュイオスの蛇”は、演劇などではよく取り上げられる演目であった。
英雄の海への旅路──命を擲(なげう)って、人々を救わんとするドリアードの苦悩、そして勇猛果敢な姿に、誰もが胸を熱くする、いわゆる冒険譚というやつだ。
子供の頃、親が読み聞かせてくれる絵本の中に、“ケリュイオスの蛇”があったという少年少女も少なくはないだろう。
しかしながらルーフェンは、この物語が、昔から好きではなかった。
他人の死を美化した、ありがちな御伽噺など、掃いて捨てるほどあるが、その中でも、随分と胸糞の悪い結末だな、と思う。
王道な英雄譚、というよりは、哀れな生贄の生涯を目の当たりにしているような気分になるのだ。
「ああ、なんと恐ろしい! 彼(か)の残虐な水蛇めは、きっとまた、村を襲い人を喰らうでしょう。この漁村だけではありません。いずれは大陸中の父を、母を……そして子を貪り、殺してしまうのでしょう。そうなる前に、どうか、あの水蛇を葬っては下さいませぬか! どうか、どうか──……」
村人役の男が、ドリアードにすがりつく。
その悲嘆に暮れた、胸を引き裂くような懇願の声に、観客たちは、時を忘れて舞台の世界に引き込まれていった。
読み手は皆、ドリアードが正義心から水蛇退治を引き受けたと考えるのだろう。
しかし、どうか助けてほしいと乞われたとき、実際にドリアードは、何を思ったのか。
いくら屈強で、魔術の才があったのだとしても、彼は元々、船乗りとして生きる道を選んでいた男だ。
それなのに、生まれつき力を持っていたというだけで、人喰いの化物に挑めと言われて、一体どんな気持ちだったのか。
自分が生まれ育った村を守るだけならともかく、関わったこともないような他人を守るために、命をかけて戦うなんて、そんなことをする筋合いは彼にはない。
荒れた海上に船を出し、三日三晩戦い抜いた末に、己の身ごと化物を焼き尽くそうなどと、それは本当に、彼の意思だったのだろうか。
ドリアードの悲惨な生き様を、正義の一言で片付けたのは、読み手の一方的な望みのように思える。
「おのれ、化物め……! これ以上、貴様に好きにはさせぬ! その身切り裂いて、二度と海上へ出られぬようにしてやる!」
天を裂かんばかりの絶叫を上げ、炎渦巻く剣を振りかぶって、ドリアードは水蛇へと立ち向かう。
水蛇は、九頭の化物ではなく、幻術で産み出された、強大な渦潮で表現されていた。
実際は、壇上でドリアード役の男が、剣舞を披露しているだけに過ぎないが、彼の迫真の演技と、幻術による水と炎の激しいぶつかり合いで、より美しく、力強い演出となっている。
内容自体は単純で、元は子供向けの御伽噺だが、そのあまりの迫力に、観客たちは皆、固唾を呑んで英雄の最期を見守っていた。
周囲から力を求められ、孤独に戦った哀れな生贄の末路は、語り手次第で、美談へと変わるのである。
とはいえ、作り話にケチをつけていても仕方がないので、ルーフェンは、手近にあった杯を傾けながら、背後の壁に寄りかかった。
本来なら、社交場でこんなだらしのない格好は見せられないが、今は辺りが暗く、賓客たちは演劇に夢中なので、誰もルーフェンのことなど見ていないだろう。
すぐ隣にいるロゼッタも、目をきらきらと輝かせて、英雄ドリアードの勇姿に釘付けのようだ。
芸術は一通り嗜んでいるであろう、目の肥えた貴族たちさえ唸らせているわけだから、流石はクラークの選んできた劇団である。
演劇など見たことがなさそうなトワリスだって、目を奪われているに違いない。
子供の頃から彼女は、一見関心がなさそうでいて、意外とこういった娯楽に興味を示すのだ。
視界が悪い中で、トワリスのほうを見ようとして、ふと、ルーフェンは一人の侍従に目を止めた。
演劇に魅入る賓客たちの間を、つまみや酒が乗った盆を持って、うろうろと行き来している。
一見、給仕としての役割を果たしている、ただの侍従のようであったが、彼の行動は、実に不可解であった。
今、酒など持って往復しても、肝心の賓客たちが演劇に夢中なので、呼び止められることはないはずからだ。
召し出された様子もなく、侍従はただ、広間を見回しては、時折立ち止まって、一点に視線を注いでいる。
誰に気づかれることもなく、人の間を縫うようにして、目線を動かす侍従のそれが、目配せだと察したとき──。
ルーフェンは、持っていた杯を静かに卓に置いて、そっと周囲の気配を探った。
(相手は誰だ……? 何人いる?)
ずっと、何者かがマルカン邸を狙っているのは、分かっていた。
ロゼッタと運河に行ったときも、クラークが差し向けた者以外に、尾行してくる気配があった。
おそらくこれには、クラークも気づいている。
だからこんなにも、広間に多くの警備を置いているのだ。
元々クラークは、物々しい雰囲気を嫌って、こういった祝宴の場には、最低人数の自警団員しか置かない。
その分、外の警備は固めるが、賓客たちの目の触れるところには、信頼できる一部の武官しか配置しないのである。
しかし、今回はどうだ。トワリスを始め、信用できるかどうかも分からぬ手合いを、広間中に置いて、目を光らせている。
これに敵が怯んで、動かなければそれで良いし、何か悪巧みをすれば、ついでに炙り出して叩こう、という算段なのかもしれない。
ルーフェンは、隣で演劇に心奪われているロゼッタに、小さく耳打ちをした。
「……少なくとも四人、いや、もっとか。胡散臭いのが紛れ込んでる。心当たりは?」
問うと、ロゼッタは、舞台上から目を離さぬまま、しれっと答えた。
「あんまりしつこいから、お父様が、この祝宴に招待なさったのだと思いますわ。……本当に来てくださったなら、良かった」
次いで、にこりと笑って、ルーフェンを一瞥する。
「召喚師様、やっつけてくださる?」
「…………」
特に動じる様子もなく、平然とそう言ってのけたロゼッタに、苦笑する。
呆れたように肩をすくめると、ルーフェンは、謀ったな、と一言だけ呟いた。
つまりは、全て計画の内だった、ということだ。
他街からの印象を重んじるクラークが、こんな大胆な作戦に出るとは少し意外であったが、要は、相手がそれだけ執拗にマルカン家を狙っている、ということなのだろう。
この祝宴に不遜な輩が紛れ込むことも、そして、その場に召喚師であるルーフェンが居合わせることも、全てクラークの策の内だったわけだ。
賓客たちは演劇に夢中で、周囲は暗闇。
潜り込んだ刺客からすれば、これだけ動きやすい環境はない。
ルーフェンは、再び壁に寄りかかって、演劇を観る振りをしながら、侍従らしき男の動向を注視していた。
どんな攻撃を仕掛けてこようと、ねじ伏せることは造作もないが、問題は、相手が何人か、そしてどう賓客たちを逃がすか、である。
マルカン家を狙っているなら、標的は当然クラークかロゼッタだろうが、敵が必ずしも、二人に的(まと)を絞るかは分からない。
大勢いる賓客相手に、同時に魔術でも放たれたら、流石に防ぎきれないし、そもそも大広間の中で戦闘をすれば、何かしらの被害が出ることは確実。
場合によっては、こちらから仕掛けて、負傷者が出る前に敵を潰すほうが有効かもしれない。
ルーフェンは、ロゼッタを近くの自警団員に任せると、静かに侍従らしき男の元へと歩み寄った。
今のところ、この男以外に、怪しげな動きをしている者はいない。
この男を仕留めて、敵がマルカン家の急襲を諦めるならば、祝宴後に身元を調べれば良い話だし、強攻するならば、その場で動きを見せた者全員を、芋づる式に片付けていく他ないだろう。
不自然に目線をちらつかせていた男と、ふと、目が合った。
男は、漫然と広間を見渡しているようにも見えたが、やはり、その視線の送り方には、意味があったのだろう。
ルーフェンの接近にいち早く気づくと、横目に何かを訴えてから、焦ったように駆け出した。
周囲を押し退けて走る男に、賓客たちが、何事かと目を向ける。
男が頭上のシャンデリアに手を掲げ、魔術を使う──その素振りが見えた時には、ルーフェンは、男の首筋に一発入れて、昏倒させていた。
しかし、その次の瞬間。
鈍い金属音と同時に、吊っていた金具部分が弾け、大量の蝋燭とシャンデリアが、ルーフェンの頭上に落下してくる。
手を翳し、短く詠唱すれば、シャンデリアは横から風で殴られたように吹き飛び、壁にぶち当たった。
蝋燭の土台となっていた色硝子が、床に落ちて割れる、派手な音が重なる。
賓客たちは悲鳴をあげ、さっと顔色を変えたが、腰をあげただけで、扉まで向かう者はいなかった。
突然の出来事に、事態を把握できていない者もいれば、劇の演出の一部ではと、勘繰っている者もいる。
逃げようにも、視界が暗く、思うように動け出せない者も多いようであった。
素早く舞台上に駆け上がると、ルーフェンは、騒然とする広間を俯瞰した。
残っている二つのシャンデリアや、燭台に炎を灯してから、腰を抜かした舞台役者たちに、目で逃げるように示す。
次いで、クラークの姿を探したが、つい先程まで舞台脇にいたはずの彼は、忽然と姿を消していた。
わざわざ祝宴に敵を招き入れたわけだから、賓客の避難に関しては、彼が算段を立てているものと信じていたが、どうやらあては外れたようだ。
クラークの性格上、一人で逃げて、顰蹙(ひんしゅく)を買うような真似はしないはずだが、何の指示も出さないところを見ると、そもそも避難誘導をする気がないのだろう。
賓客ごと敵を逃がすつもりはないし、それどころか、この騒ぎを、演出の一部だった、とでも言い張るつもりなのかもしれない。
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