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投稿日:2021年05月01日





 一礼してから、誘導指示に向かったクラークに代わり、ロゼッタが、ルーフェンの元へと歩いてきた。

「召喚師様、お疲れ様です。思えば私、召喚師様が魔術を使っているところ、初めて拝見しましたわ。私達を守って下さって、ありがとうございます」

 ロゼッタは、どこか興奮した表情でそう言ったが、ルーフェンは、返事をしなかった。
心ここに非ずといった様子で、ルーフェンは、移動する賓客たちの流れを、ぼんやりと見下ろしている。
首を傾げたロゼッタが、すぐ隣で腕を絡めると、ようやくルーフェンは顔をあげた。

「もしかして、怒ってしまった? お父様が、まるで召喚師様のことを利用するような真似をしてしまったから……」

 眉を下げて、ロゼッタが今にも泣き出しそうな声を出す。
ルーフェンは肩をすくめて、首を振った。

「……いや、そういうわけじゃないよ。確実に暴徒が騒ぎを起こすかどうかなんて、誰にも分からなかったんだし、君たちも瀬戸際だったんだろう? 陛下ではなく、俺がこの祭典に呼ばれた時点で、何かしらあるんだろうなとは思ってたよ。ハーフェルンに手を出そうっていうなら、それはアーベリトの敵でもある」

 ロゼッタは、表情を明るくすると、ルーフェンにすり寄るように身体を密着させた。

「そう言って頂けると、心強いですわ。実は、今回の件について、他にも召喚師様にご相談したいことがあって……。よろしければ、助けてくださったお詫びとお礼も兼ねて、祝宴の後──」

 そこまで言って、ロゼッタは言葉を切った。
ルーフェンの意識が、再び舞台下に注がれていたからだ。
ルーフェンは、つかの間、誰かを探すように視線を巡らせた後、ふと動きを止めると、ロゼッタの方を振り返った。

「相談には乗るけど、お礼はいらないよ。今回、俺はほとんど何もしてないから」

 それだけ言うと、ルーフェンは、するりと腕を抜いて、壇上から降りていく。
ロゼッタは瞠目してから、ルーフェンの後を追ったが、豪奢なドレスを着ている状態では、そう速く歩くことはできない。
ルーフェンは、広間を出ていく賓客たちの間を縫って、シャンデリアの破片を掃き掃除している、トワリスの元へと駆け寄った。

「……トワリスちゃん」

 声をかけると、トワリスは驚いた様子で、箒を動かす手を止めた。
もう一歩近づけば、踏んだ破片が押し割れて、ぱきりと音を立てる。
先程、三人もの刺客を一瞬で昏倒させたのは、やはり彼女だったのだろう。
激しく動いたせいか、トワリスの髪は跳ね、着用していた自警団員用の正装も、全体的に着崩したように乱れていた。

「……何か御用でしょうか?」

 固い声で返事をしたトワリスに、ルーフェンは、一度言葉を止めた。
目線を落とせば、箒を握ったトワリスの手が目に入る。
彼女の手は、皮膚が分厚くて硬い、剣を扱う者の手であったが、それでも、男の手指よりはずっと小さく、細かった。

 運河から彼女を引きずりあげた時も思ったが、近くで見てみると、案外トワリスは小柄だ。
特別華奢というわけではないが、他の同業の男たちと並ばれてしまうと、やはりその線の細さが目についた。
剣を持たず、獣人混じりであることを差し引けば、トワリスは素朴な一般人にしか思えないだろう。
少なくとも、戦い慣れした男三人を、一瞬で延したようには見えない。

 女にしては節榑(ふしくれ)立った、トワリスの手を見つめながら、ルーフェンは答えた。

「怪我とか、してない? ……さっき、すごかったね。君の動き、目で追うこともできなかった」

 言ってから、トワリスの顔を見ると、彼女もまた、ルーフェンを見ていた。
意外そうに瞬いた後、トワリスは、どこか面映ゆそうに俯いた。

「……ありがとうございます。多分、紛れていたのはあれで全員だと思いますが、まだ油断はできません。雰囲気を悪くしてしまうかもしれませんが、この祝宴が終わったら、参加した全員の身元を、改めてお調べした方が良いと思います」

「うん、そうだね。マルカン侯に伝えておくよ」

「……いいえ、仕事なので」

 そこで会話が途絶えてしまって、同時に目を伏せる。
今にも掃き掃除に戻ってしまいそうなトワリスを、どうにか引き留めようして、ルーフェンは、立て続けに尋ねた。

「ねえ、あの時……どうして紛れ込んでる奴等が分かったの? 剣を取り出したり、魔術を使うまでは、検討もつかなかっただろう?」

 付け焼き刃の質問であったが、本当に気になっていることではあった。
トワリスは、短い間とはいえマルカン家に仕えているので、見慣れぬ侍従や武官を片っ端から警戒していれば、紛れ込んでいる刺客に予想をつけることは出来たかもしれない。
しかし、遠方から来た賓客を装われれば、誰が刺客で、誰が本物の招待客だったかなんて、そんなことは分からなかったはずだ。
ルーフェンも、疑わしい相手に目星をつけることは出来たが、確信するまでには至らなかった。
トワリスが、一体どこを見て判断し、確実に侵入者を炙り出せたのか、ひっかかっていたのである。

 トワリスは、少し迷ったように視線をさまよわせてから、ぼそぼそと答えた。

「……色々ありますけど……匂い、ですね」

「匂い?」

 思わず聞き返すと、トワリスは、躊躇いがちに頷いた。

「ここに来た方たちは皆、薔薇か、それに近い香りの香水をつけてるんです。……多分、ロゼッタ様が、薔薇の香りがお好きなので」

 ちらりと上がったトワリスの目線の先には、ルーフェンを追ってきていた、ロゼッタの姿があった。
一歩下がって、トワリスたちの話を聞いていたロゼッタが、ひょっこりとルーフェンの横に顔を出す。
言われてみれば、ロゼッタからいつも漂う甘やかな匂いは、上品な薔薇の香りであった。
こういった社交場では、確かに大半の人間が香水をつけているが、それが何の香りだったかなんて、いちいち考えたことはなかった。
考えたところで、それらを嗅ぎ分けることは、普通の人間にはできないだろう。

 広間を見回してから、トワリスは続けた。

「祝宴が始まったときから、四人、匂いが妙に薄い人がいたんです。一人は、最初に召喚師様が倒した侍従でしたが、他は全員、グランス伯の代理出席の方々でした。グランス伯って、以前、ロゼッタ様に香水を送ってきた北方の領家の方々なんです。……おかしいですよね、遠方から贈り物をするくらい、香水に精通してる家の出身なのに、肝心の自分達が香水をつけてこないなんて。あれは、たまたま今日だけつけ忘れた、っていう匂いの薄さじゃありませんでした。多分、香水なんてつけたことがない、グランス伯の名前を借りた偽物なんです」

 トワリスは、ルーフェンとロゼッタに向き直った。

「一度、グランス家の方々と連絡をとってみた方がいいかもしれません。遠方であるが故に、親交はあっても面識がなかったことを利用されて、成りすまされただけだと信じたいですが、もし本当にグランス家が代理人をハーフェルンに送っていたのだとしたら、その人たちがどうなったか、確かめないといけないので」

 それでは、片付けに戻ります、と一礼すると、ルーフェンの返事を聞かぬまま、トワリスは逃げるように、別の自警団員たちに合流してしまった。
ロゼッタはしばらく、トワリスの後ろ姿を見つめていたが、途中から入り込んだために、いまいた話が理解しきれていなかったのだろう。
ぱちぱちと瞬いてから、唇を開いた。

「えーっと……香水って? お二人で、何のお話をなさっていたの? グランス家の方々がどうとかって……」

 ルーフェンは、同様にトワリスが去っていった方向を眺めながら、呟くように言った。

「匂いで、紛れ込んでた奴等の正体が分かったんだってさ。今回、事態を解決したのは、俺じゃなくてトワリスちゃんなんだよ」
 
「に、匂いで……?」

 思わず引き気味に答えてしまって、ロゼッタは、慌てて口をつぐんだ。
炎の幻術が巻き上がった瞬間、ロゼッタは驚いて目をつぶってしまっていたので、あの場で何が起こったのかは、よく分かっていなかった。
しかし、ルーフェンの言葉を額面通り受け取るならば、トワリスは祝宴が始まった時から、広間にいる人々の匂いを嗅ぎ回って、侵入者を探していたということだろうか。
もしそうだとしたら、その様はまるで獣のようである。

 とはいえ、仮に内心ドン引きしていても、それをルーフェンの前で態度に出すだなんて、もってのほかだ。
マルカン家の淑女たるもの、たとえ相手が、人間離れした嗅覚を持つ得体の知れない女でも、表向き差別などしてはならない。
過程はどうあれ、侵入者を誰よりも早く見つけ出し、倒したことは、賞賛すべき行為である。
匂いで嗅ぎ分けたなんて予想外すぎて、うっかり素が出そうになったが、ここは素直に、誉めておくべきだろう。

 ロゼッタは、上品に微笑んで見せた。

「やっぱり、獣人の血が混じってると、鼻が利くものなのね。前に香水の匂いが苦手って言ってたことがあったから、普通より敏感なのかしら、とは思っていたけれど……まさかそれで、悪い人達を見つけ出してしまうなんて。トワリスってばすごいわ、これはお父様にも教えて差し上げないと。トワリスのことを揶揄する方もいるけれど、私はむしろ、獣人混じりであることこそ、彼女の強みだと思ってますわ」

 言ってから、同意を求めるように、上目遣いでルーフェンを見る。
その彼の顔を見て、ロゼッタは、思わず目を疑った。
ルーフェンは、いつものように笑むでもなく、かといって、トワリスの行動に呆れている様子もない。
虚を突かれたような、無防備な表情をしていたのだ。

 ルーフェンの沈黙を訝しんだロゼッタが、再び口を開こうとしたとき。
ルーフェンが、ぽつんと呟いた。

「……いや、本当に……すごいな。匂いなんて、考えたこともなかったし、考えていたとしても、あの子じゃなきゃ気づけなかった」

 おそらく、誰に言ったわけでもなかったのだろう。
無意識に、心の底から滑り出てしまった、素直な賛美の言葉のようであった。

「……召喚師様?」

 少し強めに声をかけると、ようやくルーフェンと、視線がかち合う。
けれどその目は、ロゼッタのことを見てはいなかった。

「あの子、古語どころか、普通の文字も読めなかったんだ」

「……え?」

 問い返すと、ルーフェンの顔に、初めて表情が現れた。
驚きと、その奥にある嬉しさを隠しきれないような、柔らかい熱のこもった表情。
ルーフェンは、再び前を向くと、穏やかな口調で言った。

「獣人混じりであることが強みだって、そう言っただろう? 確かに、それもあるかもしれない。でもあの子は、初めて会ったとき、会話もまともに出来ないような……そういう子だったんだよ。ここに来るまで、本当に……頑張ってきたんだと思う」

 その銀の瞳に浮かぶ、触れられそうなほどの感嘆の色を、ロゼッタは、不思議な思いで見つめていた。
アーベリトへの遷都をきっかけに、婚約関係を結んで、かれこれ五年。
少なくともその間では、見たこともない、眩しそうな表情であった。


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