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投稿日:2021年05月01日
ルーフェンは、誰に対しても優しく、人当たりが良いように見えるが、その実、誰にも興味を持っていないのだろうというのが、ロゼッタの印象であった。
中には、ルーフェンの甘言を本気にする者もいたし、当初はロゼッタも例外ではなかったが、付き合っていく内に、彼は笑顔の裏で、一体何を考えているのだろうと、不気味に思うようになったのだ。
しかし、元々政略的な理由で婚約者になったので、そこに恋情がないからといって、関係を解消することにはならなかった。
ロゼッタ的にも、アーベリトとは友好的な間柄で在りたかったし、何より、ルーフェンと仲睦まじい演技をしていれば、召喚師に取り入りたい父、クラークも喜ぶ。
勿論、嫌だと言えば、クラークは関係解消に動いてくれたのかもしれないが、そもそもルーフェンとは、年に数度会うか、会わないかといった状態であったし、彼は察しが良く、何も言わずに“婚約者ごっこ”に付き合ってくれていたので、そういう意味では一緒にいて楽であった。
召喚師一族に嫁げるということは、マルカン家にとって非常に名誉なことであったし、ルーフェンだって、ハーフェルンとの関係は大切にしたいはずである。
あくまで利害の話をしているのに、そこに好きだの嫌いだの、個人的な感情が入ると厄介だ。
だから、このまま後腐れのない、無感情な関係を続けていく上では、ルーフェンが誰にも関心を持たない酷薄な人間であっても、腹の底の読めない狸男であっても、さして問題はない。
むしろ、余計な私情を挟んでこない分、都合が良い。
五年間ずっと、そう言い聞かせて、信じていたのに──。
まさか、こんなにも分かりやすく、ルーフェンの感情が動いた瞬間を目の当たりにするとは。
ロゼッタはしばらくの間、ルーフェンの顔を、黙って眺めていた。
しかし、ややあって、呆れたようにため息をつくと、ぼそりと囁いた。
「……なんかもう、面倒になりましたわ」
気づいたルーフェンが、ロゼッタに視線を戻す。
ロゼッタは、ルーフェンの手を引いて、人気のない舞台袖まで来ると、突然、左耳の耳飾りをとって、床に叩き落とした。
追い討ちと言わんばかりに、靴の踵で耳飾りをぐりぐりと踏みつければ、付石は、小さく音を立てて、呆気なく砕ける。
以前ルーフェンと、願掛けだのなんだのとやり取りをした、紅色の耳飾りであった。
「こんなに馬鹿馬鹿しい婚約者ごっこって、ないですわね。私、本気で恋愛をするなら、追いかけるより追いかけられたい派ですの。他の女ばっかり見てる男なんて、絶対に御免ですわ」
「…………」
腕組みをして、吐き捨てるようにロゼッタが言い放つ。
ルーフェンは、つかの間沈黙して、微かに首を傾げた。
「えーっと……何の話?」
「私達の話ですわ!」
だんっ、と床を踏み鳴らして、ロゼッタがルーフェンを睨む。
歩み寄って、ルーフェンの顔を至近距離で見つめると、ロゼッタは、打って変わった低い声で告げた。
「よろしくて? この際、婚約者だからとか、そんな話はどうだって良いのです。私が欲しいのは一つだけ、リオット族の独占権をハーフェルンに譲渡してちょうだい」
ルーフェンが、ぱちぱちと目を瞬かせる。
頑として目をそらさず、返事を待っているロゼッタに、ルーフェンは、ぷっと吹き出した。
「……やたらとリオット族をハーフェルンに招待したがってたけど、やっぱりそれが目的だったんだ?」
「ええ、今更否定はしませんわ。召喚師様と駆け引きしたって埒が明きませんから、もう直球に申し上げます。……お返事は?」
「お断りかな」
「チッ」
隠す様子もなく盛大に舌打ちをして、ロゼッタが離れる。
くすくすと笑うルーフェンに、ロゼッタは、苛立たしげに尋ねた。
「どうして頷いて下さらないの? 勿論、利益の分配だって、アーベリトが損にならないよう計らいますわ。ハーフェルンなら、南方だけでなく北方の鉱脈とも繋がりがあります。リオット族の能力は、シュベルテの弱小商会よりも、ハーフェルンが所有していた方が有用でしょう」
「うん、だからだよ」
ロゼッタが、怪訝そうに眉を寄せる。
ルーフェンは、足元で砕けた紅色の耳飾りを一瞥すると、言い募った。
「俺がリオット族をアーベリトに留まらせているのは、彼らの価値を下げないためだよ。ハーフェルンに頼った方が、そりゃあ手広く成功するんだろうけど、それで結果的にリオット族の存在が身近になるのは、本意じゃない。この耳飾りに使ってる石だって、言ってしまえば、ただの石ころだ。でも、そう簡単には手に入らないから、高値で取引される」
「……つまり?」
「人は身近なものには価値を見出ださないけど、普段お目にかかれないものには、価値を見出だすし、欲しくなるってこと」
至極全うな答えが返ってきて、ロゼッタは、面白くないといった風にそっぽを向いた。
よほど不機嫌そうな表情になっていたのだろう。
ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
「ごめんね、怒らないで。リオット族の件は承諾できないけど、君のお願いは、なるべく聞き入れたいと思ってるんだ」
「…………」
尚も吐き出される歯の浮くような台詞に、ロゼッタの眉間の皺が深まる。
すっと目を細めると、ロゼッタは冷たい視線を投げ掛けた。
「そういう嘘、軽々しく言わないで下さる? いつか私怨で刺されますわよ」
「あはは、もう手遅れかな」
特に反省した様子もなく、ルーフェンは、軽い調子で返事をした。
真面目な話をしていたかと思いきや、突然、会話をはぐらかすような、掴み所のない部分を見せるのは、もはやルーフェンの癖みたいなものだ。
いちいち真に受けなければ、さほど気にならないが、相手によっては、人を食ったような態度に見えて、腹が立つだろう。
ロゼッタは、ため息混じりに言った。
「まあ、いいでしょう。元々良い答えがもらえるとは思ってませんでしたし、今回は、お父様が貴方を利用するような真似をしてしまいましたから、多くは望みませんわ。アーベリトがハーフェルンとの協力関係を反故(ほご)にしない限り、私達は、貴方の思うように従います。……トワリスのことも、欲しいなら差し上げますわ」
トワリスの名前を出すと、ルーフェンは、不思議そうに目を見開いた。
「……トワリスちゃん? どうして?」
いっそ動揺を見せてくれたら面白かったのだが、ただただ疑問に思った様子で、ルーフェンは尋ねてくる。
この話の流れで、何故トワリスの名前が出てきたのか、本気で分かっていないようだ。
唾を吐きたい衝動を抑え、再び顔を近づけると、ロゼッタは凄味のきいた声を出した。
「どうして? 今、どうしてって仰いました? ここ数日、婚約者には目もくれず、ずーっとあの女のことばかり追いかけていたでしょう。お忘れかしら」
「いや、追いかけてた、っていうか……そういうつもりではなかったんだけど。……寂しい思いをさせてたなら、ごめんね?」
言いながら、じりじりと迫ってくるロゼッタに、ルーフェンが一歩下がる。
へらりと笑って、ルーフェンは謝ったが、ロゼッタは、表情をぴくりとも動かさなかった。
「薄っぺらい謝罪は結構ですわ。一度懐に入れた臣下をとっかえひっかえしたくなかったから、手元に残すつもりでしたけれど、気持ち的には、トワリスなんてさっさと手放したかったんですもの。お父様も、トワリスのことは能力不足だと思っていらっしゃるようですし、彼女を屋敷から追い払って、結果的に召喚師様に恩が売れるなら、それが一番だって、ついさっき思い直しましたの」
「……そうなの? 卿はともかく、君はトワリスちゃんのこと、気に入ってるのかと思ってたけど」
「気に入ってませんわ! あんなうるさい女!」
叫びにも近いようなロゼッタの声に、ルーフェンは、思わず周囲を見回した。
人目に触れない舞台袖とはいえ、幕を隔てたその先の広間には、まだ侍従や賓客たちが残っている。
ロゼッタ的に、こんな癇癪を起こしている姿を誰かに目撃されたら、まずいのではないだろうか。
しかし、ルーフェンが口を挟む隙もなく、ロゼッタは、地団駄を踏みながら憤慨した。
「あれは駄目、これも駄目、怪我をしたら危険だから、健康に悪いからって。私、これまでの人生で、あんなに怒られたことありませんでしたわ! 健康に悪いってなに? トワリスは、私のお母様にでもなったつもりだったのかしら? 年下のくせに、乳母よりうるさいんだもの!」
乳母より、という言葉を聞いた瞬間、耐えきれなくなって、ルーフェンはいきなり吹き出した。
腹を押さえ、身体をくの字に曲げて、大爆笑している。
ロゼッタは、顔を微かに赤くすると、ルーフェンを怒鳴り付けた。
「もう、笑うところじゃありません! お父様が私に専属護衛をつけたいって言うから、どうにか我慢していましたけれど、トワリスったら、一挙一動に文句をつけてくるんですもの。息苦しさで、頭がどうにかなりそうでしたわ!」
畳み掛けて言うと、ルーフェンは、更に笑い出した。
何がそんなに可笑しかったのか、ロゼッタには分からなかったが、もしかしたらルーフェンにも、トワリスの口うるささに心当たりがあったのかもしれない。
ややあって、涙を拭きながら顔をあげると、ルーフェンは、ようやく出たような声で言った。
「……確かに、言われてみれば、トワリスちゃんってそういうところあるかも」
トワリスとの出来事を思い出しているうちに、再び笑いの発作が起きたのか、ルーフェンが、何度か堪えるように咳き込む。
それから、「そっかぁ」と呟くと、柔らかい表情になって、幕の隙間から溢れる、ほんの僅かな光を見つめた。
「そういうつもりじゃなかったけど……そうなのかもね」
「…………」
ルーフェンが自分に向けた、ただの独り言のようであった。
ほら見たことかと、指を差して笑ってやりたかったが、彼の視線は、やはりロゼッタの方には向いていない。
こちらを見もしない相手を、ご丁寧にからかってやるのも馬鹿馬鹿しくなったので、ロゼッタは、開こうとした口を閉じた。
しばらくの間、ロゼッタは、ただ呆れた様子で、ルーフェンのことを見ていた。
だが、やがて、大きくため息をつくと、平坦な口調で言った。
「もうおしまいにしましょう。どうせ別室で祝宴が再開したら、またご一緒することになりますし、今は貴方のお顔を見ていたい気分ではありませんわ」
それだけ言って、くるりと背を向ける。
わざと靴の踵を鳴らし、舞台袖から出ていこうとすると、ルーフェンが、声をかけてきた。
「ロゼッタちゃん、さっきの言葉、嘘じゃないよ」
足を止めて、振り返る。
一体どの言葉だと、訝しむように無言で問うと、ルーフェンは言い直した。
「君のお願い、可能な限りは聞くよってやつ。だから今日みたいに、俺の力が必要だったら、また呼んで。いずれ君が治めるであろうハーフェルンを、敵に回すなんて、恐ろしくて出来ないからね」
そう言うと、ルーフェンは眉をあげて、唇で弧を描いた。
ロゼッタは、しばらく真顔で立っていたが、ふと目をつぶってから、別人のような可憐な笑みを浮かべると、鈴を転がしたような、高い声で言った。
「私も、召喚師様とは、これからも円満な関係でいたいですわ。だって貴方といると、皆が私のことを羨ましい、妬ましいって陰口叩きながら、指を差してくるんですもの。私、そういう奴等の不細工顔をつまみにお酒を飲むの、だーい好き」
愛らしく片目をつぶって見せて、にっこりと笑う。
その笑顔を見て、ルーフェンは肩をすくめると、苦笑を浮かべたのだった。
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