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投稿日:2021年05月01日
七日間にも渡る、ハーフェルンの祭典に招待された時。
事前入りすることも考えると、半月近くもアーベリトを空けてしまうことになるので、ルーフェンは正直、乗り気ではなかった。
現国王、サミルからは、「ハーフェルンとの付き合いを無下にするわけにはいかないし、たまには外に出た方が、息抜きできるだろうから」と言われて送り出されたが、社交場で卑しい貴族連中と無駄話をしていると、息抜きどころか、むしろ息が詰まる。
たとえ、生死の境を渡り歩くような、命のやり取りに手を出すことになったとしても、直接アーベリトを守っている実感がある方が、よほど生きているような感じがした。
アーベリトが王都になってから、五年。
サミルたちと過ごすようになって、救われた部分も多くあったが、一方で、彼らとの時間を、かけがえのないものだと自覚するほど、じわじわと広がる焦燥感や不安感が、心を支配するようになった。
王位を得たことで、少なからず他街から悪意を向けられるようになったアーベリトを、もし自分が守りきれなかったらと、そんな仮定をする度に、神経を苛むような痛みが、胸の奥に走るのだ。
その痛みから、解放されたいと思うこともあったが、その先を考えると、別の虚しさや寂しさが、目の前に鎮座していた。
そもそもアーベリトは、現在シュベルテにいるエルディオ家の庶子、シャルシスが成人するまでの期間限定という約定で、王都になったのだ。
元王太妃、バジレットの判断にもよるが、シャルシスが成人するまで、あと十年もない。
これから、十年も経たぬ内に、サミルは王位をエルディオ家に返上し、王都は再びシュベルテとなる。
そうなれば、アーベリトを守らねばという重圧はなくなるが、召喚師であるルーフェンは、シュベルテへと戻らなければならなかった。
ふとした拍子に心を蝕む、そうした痛みや虚しさは、皮肉にも、あれだけ忌避していた、召喚師としての責務を果たしている時にだけ、忘れることができた。
そうする以外に、無慈悲な時をやり過ごす方法が、思い付かなかったのかもしれない。
かつての制圧対象といえば、内乱時でもない限り、イシュカル教徒くらいのものであったが、アーベリトへの遷都をきっかけに、サミルやルーフェンを狙う輩は増えた。
セントランスやハーフェルンといった大都市を押し退け、アーベリトなどという、ちっぽけな街が王都になったことで、単純に気に食わないと感じる者もいたし、政治的に権力を持っている者の中には、エルディオ家が継続して王位を継承しなかったせいで、痛手を被った勢力もあるだろう。
ルーフェンは、リオット族を引き入れ、一部の商会にのみ特権を与えているから、商家にも、召喚師を恨んでいる者は多くいるはずだ。
アーベリトの破滅を願う、そういった連中の動きを見逃さず、引きずり出して殺した時が、一番安心できた。
まだ自分は、アーベリトを守れていると思うと、そこに自分の存在意義を、見出だせているような気がするのだ。
徹底的で、ある意味正しいルーフェンのやり方を、サミルが察する度に悲しんでいることは知っていたが、犠牲の上に平和が成り立つのであれば、この方法が最善なのだと、ルーフェンは確信していた。
敵対する人間を潰すことでしか、不安をやり過ごせないなんて、我ながら、哀れな生き方だと思う。
それでもこの先、たった十年足らずで終わってしまう、穏やかなアーベリトの時間を守るためならば、何でもするつもりであった。
そういう心持ちでいないと、自分がアーベリトに来た意味が、なくなってしまう。
時折、幼い姿をした自分が、こちらを睨んでいた。
かつて自分が、母をそう罵ったように、軽蔑の眼差しを向けながら、「人殺し」と、そう叫ぶのだった。
そんな子供さえ殺している内に、身悶えするような痛みを感じることは少なくなっていったが、心を巣食う負の感情が、消え去ったわけではなかった。
無意味に時間を過ごしている時は特に、悩んでもどうしようもない不安を、悶々と考えてしまう。
厄介なことに、そういう時間ほど、ゆっくりと流れていくものだ。
苦しんでいることを、人に悟られたくはないから、誰かと話すときは、笑って慇懃(いんぎん)に済ませるが、ハーフェルンに来て、久々に社交場に出てみると、その時間は、永遠に続くのではないかと思うほど長く、憂鬱であった。
しかし、意外なことに、いざ祭典が始まると、それは身構えていたよりずっと早く、幕引きしてしまった。
一日目の祝宴で一悶着あった後も、ロゼッタを連れ立って、貴族たちの相手をしなければならなかったが、その時間は、あっという間に過ぎ去った。
というより、今思えば、終始ぼーっとしていたのだろう。
祭典中、賑やかな街並みを眺めていても、誰かと話していても、常に意識は別のところにあった。
客室に戻り、窓から射し込む月明かりを見ながら、その日一日を振り返ると、今日もトワリスを見かけなかったと、そんなことばかり思うようになっていたのだ。
トワリスのことを考えていると気づく度、最初こそ、呑気な己を嘲笑するだけで終わっていたが、いつしか、ひやりとしたものが、首筋に触れるようになった。
彼女の頑なな態度に、妙に苛立っていたのも、単なる庇護欲から来るものだけではないと、だんだん勘づき始めていた。
しかし、だからこそ早い内に、目をそらすべきなのだと、そう言い聞かせていた。
トワリスに限らず、誰かとの未来なんて、想像したことはない。
刹那的な関係を求めるなら、手を伸ばしても良いかもしれないが、潔癖なトワリスが、そんな不誠実な真似を許すはずがないし、かといって、長い間召喚師一族の横に縛り付けておくには、彼女は優しすぎるだろう。
召喚師に寄り添った者の末路を、ルーフェンはよく知っている。
母シルヴィアは、十八で一人目のルイスを産み落とし、結果的に四人の夫と四人の子を持ったが、誰一人として、幸福を得た者はいなかった。
召喚師一族と関わるというのは、つまり、そういうことなのだ。
本人たちの意思に関係なく、たとえどんな軽い気持ちで一緒にいたのだとしても、いずれは次期召喚師という、国の贄を誕生させる重責を背負わされることになる。
そんな重責を、他でもない好いた相手に、誰が背負わせようなどと思うのか。
少なくとも、ルーフェンには理解できなかったし、完全なる利害の一致で関係を持っていたロゼッタとも、これ以上続けるのは申し訳がないから、そろそろ潮時だろうと考えていた。
日毎、悶々とそのような思考を巡らせていると、危機感を感じていながら、自分にも人らしく春を知る余裕があったんだなぁと、他人事のように思えておかしくなった。
かつて、牙を剥いて噛みついてきていた少女に、まさかこんな想いを抱くようになるなんて、人生とは分からないものである。
初日の祝宴以降、下っ端の武官たちは、城下の警備に回されていたようで、結局祭典の間、ルーフェンがトワリスを見かけることは、一度もなかった。
顔を見ない時間が増えれば、トワリスのことを考えることも減っていくだろうと思っていたが、人の心とは不思議なもので、その逆だった。
二日目、三日目と祭典が過ぎていくと、むしろ、彼女はどうしているだろうかと、考える頻度が増えていったのだ。
祭典が終われば、ルーフェンはアーベリトに戻るし、トワリスだって、解雇通達を受け次第、シュベルテに戻るなり、魔導師を辞めるなりするだろう。
彼女が解雇される原因に、少なからず自分も関与していると思うと、多少罪悪感はあったが、そうなれば、今後トワリスと顔を合わせることはなくなる。
その事実に、安堵している自分がいた。
ロゼッタは、ルーフェンがトワリスに慕情を抱いている、とでも言いたげであったし、自分でも、これがそうなのかと思ったが、ルーフェンには、トワリスと共に過ごしたいとか、そういった願望はなかった。
アーベリトに誘ったのも、単にトワリスが、ハーフェルンにいるよりは穏やかに暮らせるんじゃないかと、そう思っただけだ。
あのときは、不器用なトワリスを守ってやりたい一心で、自分の目の届くアーベリトに来ないかと提案したが、今考えてみると、そんな誘いすら軽率だったと後悔しているから、トワリスが断ってくれて、良かったかもしれない。
今後、彼女に関わらなければ、身の内に起きた余計な変化を、認めずに済む。
このまま別れて、更に時が経てば、記憶なんて風化していく。
人生のほんの一瞬、一時抱いただけの感情など、簡単に薄まっていくだろう。
十年も経てば、若い頃の良い思い出だったと、満たされた気持ちで、忘れ去っていける。
自分の立場であれば、そうであるべきだ。
きっと、そうでなければならないのだ。
そんな風に思い込むと、纏まりのなかった思考は、途端に収束して落ち着いたが、代わりに、虚ろになった胸の奥に、ぽっかりと空洞ができたような気がした。
マルカン家の客室には、部屋全体を暖める大きな炉も、分厚い豪奢な寝具も用意されていたが、一度胸の空洞を意識してしまうと、足元から、薄寒さが這い上がってくる。
夜、しんしんと冷え込む室内で、独り物思いに耽っていると、妙に冴えた頭が、恐ろしいほど冷静に現実を叩きつけてくるのであった。
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