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投稿日:2021年05月01日






 不意に、扉を叩く音が響いた。
我に返ったルーフェンは、返事をしようとして、しかし、扉越しに聞こえてきた声に、さっと血の気が引いた。

「あの……夜分に失礼します。召喚師様、いらっしゃいますか?」

──トワリスの声だ。
そう悟った瞬間、開こうとした口を閉ざし、寝台に腰かけたまま、ルーフェンは動けなくなった。

 狙ったかのようなこのタイミングに、一体、何をしに来たのだろう。
祭典が開かれていた七日間、折角会わずに済んだと安堵していたのに──なんていうのは、ルーフェンの勝手な都合だが、それにしたって、トワリスがわざわざ尋ねてくる理由なんて思い付かない。

 無意識に息まで殺して、居留守を決め込んでいると、やがて、扉の外に佇んでいた気配が消えた。
ルーフェンを不在だと思って、帰ったのだろうか。
詰めていた息を吐き出し、目をつぶると、のし掛かるような疲れが、どっと押し寄せてきた。
確かに会いたくはなかったが、無視までするなんて、なんだか自分が情けなくなった。
トワリスに対して、後ろめたいことがあるわけでもないし、いつも通りの態度で、扉を開ければ良かったのだ。

 自分自身に呆れ果てながら、ほっと肩を撫で下ろしたのも、つかの間。
ふと、窓の方から、枠が軋むような、微かな音が聞こえてきた。
まさか、と思いながら腰をあげ、恐る恐る窓に近づき、押し開く。
一階の窓を見下ろし、それから、突き出た屋根のほうを見上げると、その──まさかであった。
視線の先では、屋根伝いに渡ってきて、ルーフェンの部屋を窓から伺おうとしていたトワリスが、洋瓦から顔を覗かせていたのだ。

「──!?」

 目があった瞬間、二人は驚いて、同時に悲鳴をあげた。
トワリスは、飛び退いた拍子に屋根から落ちたが、咄嗟にせり出した窓枠を掴んで、事なきを得たらしい。
腕一本で落ちずに持ちこたえたトワリスを、そのまま室内に引きずり上げると、ルーフェンは、目を白黒させながら尋ねた。

「な、えっ!? 何してるの!?」

 二階なので、そこまでの高さがないとはいえ、不意打ちで落下していたら、トワリスとて着地に失敗していたかもしれない。
妙にずっしりと重たそうな背負い袋を下ろし、腹に抱え込みながら、トワリスは、ふるふると首を振った。

「いや、あの……すみません。でも、違うんです。別に侵入しようとしたとかじゃなくて……気配はあるのに、扉を叩いたとき、返事がなかったから、中で召喚師様が倒れてるんじゃないかと思って……。別の人なんですけど、前にそういうことがあったから、心配で……」

 もう一度、すみません、と付け足して、トワリスは言葉を濁した。
だからといって、屋根を伝ってくるのはいかがなものかと思うが、心配してくれていたのは、本当だったのだろう。
よほど焦っていたのか、いつもは血色のよいトワリスの頬が、心なしか青白い気がする。
彼女の心境を思うと、居留守なんて決め込んでいた自分が、一層憎らしく思えた。

 窓を閉めると、ルーフェンは、床に座り込んでいるトワリスと向かい合った。

「……ごめん。その、寝てて気づかなくて。何か用だった?」

 一度咳払いをして問うと、トワリスは、躊躇いがちに顔をあげた。
まるで、この場にいる自分に戸惑っているような、まごついた表情であった。

 床の上で正座をすると、トワリスは、口を開いた。

「用、というほどのものではないのですが……召喚師様は、明日には、アーベリトに帰られますよね? 私も、実は解雇を申し渡されてしまったので、祭典の後始末が終わり次第、シュベルテに戻ろうと思うんです。それで、その……色々と失礼なこともしてしまったので、ご挨拶に伺いたいって言ったら、ロゼッタ様が、召喚師様の泊まっているお部屋を教えてくださって……」

 たどたどしいトワリスの言葉に、なるほど、と納得して、ルーフェンもその場に胡座をかいた。
祝宴の際、随分と素っ気ない態度だったので、トワリスはもう自分とは関わりたくないのだろうと思っていた。だが、それはそれとして、召喚師に対して暴言や暴力を振るったことを、きちんと謝罪したいらしい。
律儀なトワリスのことだから、お互いがハーフェルンを去る前に、ルーフェンに会いに行かねばと思い悩んでいたのだろう。

 冷たい床に座らせたままというのも酷なので、椅子を勧めようかと思ったが、やめた。
トワリスは、そこまで気にしていないだろうが、仮にもここはルーフェンの部屋で、他に人はいない。
一度椅子に腰を落ち着けてしまうと、長話になるかもしれないし、仮にも二人きりの状態で、トワリスを長く引き留めるのは、なんとなく憚られた。

 ルーフェンは、にこりと微笑んだ。

「……それは、わざわざありがとう。君には嫌われてたような気がしてたから、最後に会えて嬉しいよ」

 そう言うと、トワリスは表情を曇らせた。

「べ、別に嫌ってたわけじゃ……。ただ、いろんな女の人の前で鼻の下を伸ばして、いい加減な態度ばかりとるのは、いかがなものかと……」

 口ごもりながら、目線を下にそらして、トワリスは不満げにぼやいた。
この調子で、ロゼッタにもあれやこれやと、口うるさく注意していたのだろう。
母親になったつもりか、と憤慨していたロゼッタの表現が言い得て妙で、思い出すだけで、再び笑いそうになった。

 言うか言うまいか迷ってから、困ったように肩をすくめて、ルーフェンは続けた。

「あのさ、一応言っておくけど、祭典中に会った女の子たちは、全員ただの知り合いだから。社交場だと、ああいう距離感が普通というか、深い意味はないというか……。なんなら、ロゼッタちゃんとも別に──」

「分かってます。いちいち気にしてる、私が悪いんです。ロゼッタ様にも怒られました、他人のすることに逐一目くじらを立てるなって。浮気したとかしてないとか、そういう恋愛沙汰も、貴族の方々は本来、笑ってやり過ごさないといけないんですよね。まして、私みたいな一般の魔導師が、怒るようなことじゃない。今回の件で学びました」

「……いや、俺が言ってるのは、そういう話でもないんだけど……」

 言葉を遮り、間髪入れずトワリスが答える。
まるで分かっていない答えに、改めて説明しようとも思ったが、そこまで必死に言い訳をするのも、逆に怪しまれそうだったので、ルーフェンは口を閉じた。
誤解されたままというのも、なんとなく嫌であったが、そう思われるような振る舞いをしていたのも確かなので、弁解の余地はない。

 一方のトワリスは、しばらく小言を言った末に、しまった、という風に口元を押さえると、自分の頬をぴしゃりと叩いて、怒ったように言った。

「そうじゃなくて……! えっと、私はこんな話をしに来たんじゃないんですよ!」

 何やらぶつぶつと溢しながら、やがて、ふと真剣な顔つきになると、ルーフェンに向き直る。
居住まいを正し、一つ呼吸をしてから、トワリスは、持ってきた背負い袋の中から、三冊の分厚い魔導書を取り出した。

「これ……ようやく、召喚師様にお返しできます。いずれ私が、アーベリトに直接伺って、お返ししたかったのですが、先になってしまいそうなので……今、お返しさせて下さい」

 ルーフェンの方に向きをそろえ、丁寧に重ねると、トワリスは、そのまま魔導書を差し出してきた。
五年前、トワリスがアーベリトの書庫から借りていった、三冊の魔導書であった。
よほど使い込んだのだろうが、丁寧に扱ってもいたようだ。
魔導書は、所々擦りきれている部分があったものの、その硬表紙の保存状態は、元が古い蔵書と思えぬほど良かった。

 続けて、その上に便箋を一枚乗せると、トワリスは、どこか恥ずかしげに言った。

「あと、この手紙は……私の気持ちです。直接だと、余計なことしか言えないので、手紙にまとめました。もし、お時間があったら読んでください。なければ、捨てていただいて構いません」

「…………」

 色味も飾り気もない、無地の白い便箋であった。
きっと中の手紙には、粛々とした別れの挨拶だけが、几帳面な文字で書き連ねてあるのだろう。
業務連絡でもあるまいし、そこまで畏まった文面にしなくても良いのに、トワリスが寄越す手紙は、昔から妙に堅苦しかった。
それでも、口では上手く言えないからと、選び抜かれた言葉が並ぶその手紙には、いつだって彼女らしさが認(したた)められている。
今日まで祭典で、トワリスとて日中忙しかっただろうから、昨夜あたりに、徹夜で書いたのかもしれない。
あの細い手指で筆を持ち、一生懸命文を綴っていたのかと思うと、なんとも言えぬ温かさが、胸の奥に広がった。

 そっと便箋を手に取ると、ルーフェンは問うた。

「……今、開けて読んでいい?」

「えっ」

 トワリスの顔が、ほのかに赤くなる。
それはちょっと、と俯いてから、ややあって、ルーフェンから便箋を引ったくると、トワリスは、か細い声で言った。

「や、やっぱり、直接言わせてください……」

 手繰り寄せた便箋が、トワリスの手の中で、くしゃりと丸まる。
もったいない、と思ったが、トワリスはもう、便箋のことなど頭にないらしく、強ばった顔で身を縮こまらせていた。

 緊張しているのか、便箋を握りつぶしているその手が、微かに震えている。
しばらくの沈黙の末、三つ指をつくと、トワリスは、決心したように、深々と礼をした。

「……まず、五年前のこと、本当に……ありがとうございました。陛下と召喚師様には、言葉では言い表せないほど、感謝しています。今こうして生きているのも、魔導師になれたのも、全部、お二人のおかげです。ハーフェルンでは、いらぬことばかり口走ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。失敗しているところばかり晒してしまって、お恥ずかしい限りなんですが……本当は、ずっと、ずっと、お礼を言いたかったんです。偶然召喚師様と再会できたときも、すごく、嬉しくて……色々あったけど、今まで頑張ってきて良かったなって、心から、そう思ったんです」

 トワリスの中で、何度も繰り返してはいたが、結局一度も、口には出せていなかった言葉であった。
本当は、中庭で再会したときに、開口一番で言いたかった言葉。

 顔を上げぬまま、トワリスは言い募った。

「短い間でしたが、ハーフェルンにきて、自分がまだまだだったんだってこと、沢山思い知らされました。マルカン侯やロゼッタ様に言われたことも、召喚師様に言われたことも、祭典の間、ずっと考えていたんです。納得できたものもあれば、正直、納得できないものもありました。だけど、全部私に対してのご意見だと思って、大切にします。シュベルテに戻ってからも思い出して、精進します。それでいずれは──」

 そこまで言ったところで、トワリスは、言葉を止めた。
ルーフェンが、話を聞きながら、くすくすと笑っている。
トワリスが顔をしかめたことに気づくと、ルーフェンは、慌てて手を振った。

「……ああ、ごめん、ごめんね。話がおかしくて、笑ったんじゃないんだ。ただ、トワリスちゃんって本当、真面目だなぁと思って」

 「そうですか?」と小さく問い返して、ようやく、トワリスが顔をあげる。
一度笑みをおさめると、ルーフェンは、いたずらっぽく口角を上げて、トワリスに尋ねた。

「ロゼッタちゃんが、君をそばに置くのが嫌になっちゃった理由、聞いた?」

 ぱちぱちと瞬いたトワリスが、首を横に振る。
眉を寄せ、考え込むような表情になってから、トワリスは、おずおずと答えた。

「……魔導師として、未熟だから、ですか?」

 一瞬、ルーフェンの顔が、笑いを噛み殺したかのように歪む。
真剣に答えたのに笑われて、トワリスが再び顔をしかめると、ルーフェンは謝りながら、どこか楽しげに答えた。

「……君がさ、乳母より口うるさいからだって」

「は? いや、だってそれは──」

 反論しかけて、慌てて口をつぐむ。
つい先程、納得ができない言葉でも、大切にすると宣言したばかりなのに、早速破ろうとしてしまった。
だってそれは、の先に続けたい文句は腐るほどあったが、それはルーフェンの前で言うことではないだろう。


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