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投稿日:2021年08月03日





†第五章†──淋漓たる終焉
第二話『欺瞞ぎまん



「……失礼いたします。ジークハルト・バーンズです」

 入室の許可を得ると、ジークハルトは、団長室へと足を踏み入れた。
月明かりさえ射し込まぬ暗い部屋の中で、大きな燭台の明かりだけが、ゆらゆらと光っている。
現宮廷魔導師団長、ヴァレイ・ストンフリーは、ジークハルトを見やると、ここ数年で一気に痩せ衰えた頬を、わずかに緩めた。

「明日も早いというのに、夜更けに呼び立ててすまないな」

「……いいえ。離反者の件でしょう」

 平坦な声で返すと、ヴァレイは静かに頷いた。
示された長椅子に腰を下ろし、執務机を挟んで、二人は向かい合う。
ジークハルトは、小指の先程の小さな女神像を三つ、懐から取り出すと、ヴァレイの前に置いた。

「これは……」

「先日、無断退団で処分対象となった魔導師たちから押収したものです。やはり、新興騎士団とイシュカル教会には、何かしら繋がりがあると見て間違いないでしょう」

「…………」

 ヴァレイの眉間に、深く皺が寄る。
かつて、優れた結界術の使い手として名を挙げた彼の目は、今やすっかり落ち窪み、憔悴しきっている様子であった。

 イシュカル教会とは、創世の時代に大陸を四つに分断し、四種族を隔絶させることで平和をもたらしたとされる女神、イシュカルを信仰する反召喚師派の勢力である。
元は非暴力的な活動を基本とする穏健派で、暴動を起こすような急進派は、鎮圧に時間を要さぬほどの少数であった。
ルーフェンがまだ次期召喚師であった頃に、壊滅させたサンレードも、鎮圧された急進派の一派である。

 しかしながら近年、ルーフェンが、アーベリトへと移ってから、イシュカル教会は、シュベルテにおいて着々と力をつけ始めていた。
主に、リオット族の受け入れや、アーベリトへの王位譲渡に反対していた者たちが、召喚師一族や旧王家に対して不信感を募らせ、入信し始めたのである。

敵対する召喚師が、別の街に移ったことを好機とし、イシュカル教会が増長するところまでは、魔導師団側も予測できていた。
だが、予想外だったのは、旧王家に仕えている世俗騎士団までもが、イシュカル教会と繋がりを持っている可能性が、最近になって示唆されるようになったことであった。
しかも、召喚師一族の管轄である魔導師団の中にまで、教会側に寝返る者が現れ始めたのである。
シュベルテでは、非暴力を掲げている限りでは、宗教の自由を認めている。
しかし、騎士や魔導師など、言わば中立の立場で国を守るべき武装集団が、召喚師一族や旧王家に反駁(はんばく)し、反権力的な思想を唱え始めたとあれば、話は別である。
まだ水面下での“疑い”段階に過ぎないが、騎士団が反召喚師派に回り、魔導師団までもが分派を始めれば、シュベルテの軍事体制は崩壊するだろう。

 ジークハルトは、淡々と続けた。

「既に、下級魔導師の中にも、団からの離反と新興騎士団への蜂起を呼び掛ける者が出始めています。処分した魔導師たちは、表向き、イシュカル教徒を名乗ってはいませんでしたが、この女神像を所持していたことから、入信者であると判断して間違いないかと。今月で既に、七名が退団しています。我々の目の届かぬところで、大規模な動きが生じているのだとすれば、規律違反を罰しているだけでは、もう抑えきれないでしょう」

「…………」

 ヴァレイは、ぼんやりと女神像を見つめて、しばらく押し黙っていた。
だが、やがて、ため息をつくと、低い声で言った。

「……表沙汰となって混乱が生じる前に、対処できれば思っていたが、もう限界だな。陛下と召喚師様にも、ご報告をあげるしかあるまい。イシュカル教の追放令を出したところで、事態は一層波立つだけだ。教会が騎士団をも巻き込んで武力を持ったのだとすれば、今更叩く相手として、あまりにも大きすぎる。軍内勢力が二分し、内乱でも起きたら、シュベルテはもはや、今の姿を保てないだろう」

 ヴァレイは、目に苦笑の色を浮かべた。

「皆、すがるものを必要としているのだろうな。数年前までのシュベルテには、常に進取と発展の風が吹いていた。召喚師一族の庇護の下、王都として歩んできた、その誇りと自信。安定した王政と、磐石な軍制……そんなものに囲まれて、これからも、変わらぬ豊かな暮らしを送れると、そう信じて疑わなかった。……それが、今はどうだ。旧王家、カーライル一族は、まるで呪われているかのように次々と不審死を遂げ、王位継承者は、幼いシャルシス様を除いて、全員絶えた。結果的に、成り上がりに過ぎないレーシアス伯に王位が渡り、召喚師様までシュベルテを“棄てた”のだ。召喚師一族が持つような絶大な力は、手元にあれば心強いが、そうでなければ、ただの脅威だ。五百年続いてきた王都の歴史に終止符が打たれ、我々にはもう、何も残っていない。古の時代に平和をもたらした、目に見えぬ神などというものに、皆、すがりたくもなるのだろう。遷都などせずに、シルヴィア様を一時即位させ、シュベンテに王権と召喚師一族を残しておけば、また結果は違ったのやもしれぬが……」

「…………」

 黙っているジークハルトに、ヴァレイは問うた。

「お前も、そうは思わないか」

 目を伏せると、ジークハルトは答えた。

「当然、違った結果にはなっていたでしょう。しかし、すがる対象が、神像か、召喚師一族かの違いだけです。その良し悪しを考えるのは、意味のないことと存じます」

 ヴァレイは、微かに口端を歪めた。

「召喚師一族を、このちっぽけな像と一緒にするとは。なんだ、お前も教会側か」

 揶揄するような口調で言って、ヴァレイは、机上の女神像に触れる。
ジークハルトは、ため息をついた。

「……いえ。ただ、何かにすがることで安心しきっているようでは、どの道、この国の支柱は腐り落ちるでしょう。命なき神像に祈って満足しているよりは、確かな力を有する召喚師一族にすがった方が、まだ延命処置としては有効かもしれません。その結果が、五百年。ただ、そのまま依存し続けたところで、最終的な末路は同じと言えましょう。召喚師一族もまた、人間です。頼るものもなく、一方的にすがられるばかりでは、いずれ限界が来る。それが、“今”だという話です」

 ヴァレイはつかの間、探るような目つきで、ジークハルトを見つめていた。
しかし、ややあって、指先で弄んでいた女神像を置くと、安堵したように表情を緩めた。

「お前は、昔から変わらないな。だが、その発言は、俺以外の前ではするなよ。場合によっては、侮辱の意味でとられるぞ」

「…………」

 黙っていると、ヴァレイは、呆れたように肩をすくめた。
ジークハルトの無愛想さには、もうすっかり慣れきっている様子である。

 ヴァレイは、冷静に物事を見通せる、稀有な魔導師の一人だ。
彼は決して、旧王家や召喚師一族に盲信して、国に仕えているわけではない。
魔導師としてどう在るべきなのかを、常に正しく、見据えていられる人物なのだ。

 そんな彼が、召喚師一族に傾倒したような発言をするなんて、らしくないと思っていたが、おそらくヴァレイは、ジークハルトの真意を確かめるために、心にもない文言を並べ立てただろう。
旧王家が呪われているだの、シルヴィアを一時即位させていれば事態は好転していただの、全てが間違いだとは言えないが、これらは、民の不安が産み出した極端な被害妄想に過ぎない。
しかし、『召喚師がシュベルテを棄てた』という言葉だけは、ヴァレイが預かり知らぬだけで、事実であるように思えた。

 ジークハルトは、ヴァレイの知らぬルーフェンの横顔を、六年前に見たことがある。
歴史上の召喚師一族は、それこそ神にも等しいような存在として神聖視されてきたが、ジークハルトの見たルーフェンは、自分と然程変わらぬ、ただの少年であった。

 時折、同年代とは思えぬ、冷たい顔を見せることもあったが、その一方で、ルーフェンにとっては、ただの一臣下に過ぎないオーラントが片腕を失くした時には、実子のジークハルト以上に取り乱していた。
存外に子供っぽい奴だ、とも思ったし、同時に、不思議な奴だ、とも思った。
誰もが羨む、地位と力を持っていながら、そんなことは、彼にとってはどうでもいいことのようであった。
それどころか、召喚師であることを突きつけられた時のルーフェンは、まるで、自分を取り囲む鉄格子でも見ているかのような目をするのだ。

 移籍先が同盟下にあるアーベリトとはいえ、召喚師が去れば、シュベルテが混乱することなど、ルーフェンにも予想がついていたはずだ。
それでも尚、去ったということは、言葉通りルーフェンは、シュベルテを棄てたのだろう。
冷静な者であれば、ルーフェンは、遷都した故にアーベリトに移っただけで、それを棄てられたなどと悲観的にとらえるのは、偏った感情論だと考えるだろう。
だが、それすらも、ルーフェンに対して理想を見出だした、楽観的な感情論なのかもしれないと、ジークハルトは時折思うことがあった。
召喚師一族は、確かに絶対的な力を持っているが、だからといって、気高い国の守護者だと決めつけるのは、何かを崇めたい人々の願望だ。
民が思うほど、召喚師一族は高潔な存在ではないし、教会が思うほど、邪悪な存在でもない。
彼らは、ただの人間だ。
拠り所を失った者たちが、神にすがるようになったのと同じように、ルーフェンもまた、すがれる何かを求めて、アーベリトにたどり着いたのだろう。
ジークハルトには、そんな風に見えていた。


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