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投稿日:2025年12月31日







 黙り込んでしまったシャルシスを見て、イヨルドは、満足げに顎をさすった。

「……とは言ったものの、生きた殿下の御身がウェーリンにあると分かれば、シュベルテ側の動揺を誘えることは確実。王族の価値をどぶに捨てるような真似は、こちらとしてもしたくはありません。殿下も、出来ることなら、このような僻地へきちで雪下に骨をうずめたくはないでしょう。……さあ、その小刀を捨て、こちらにおいでなさい」

 言いながら、持ち上がったイヨルドの刃先が、ゼナマリアの首筋に添えられる。
悔しげに俯き、シャルシスは歯噛みした。
その手の小刀が、わずかに動いたのを見て、ゼナマリアは叫んだ。

「殿下! 耳を傾けてはなりません! 私のことは気にせず、どうかそのままお逃げ下さい! 貴方様が生きて、シュベルテまで逃げ延びることが叶えば、この者の愚かな謀略を打ち砕くこともできましょう!」

 黙れ、と応じたイヨルドが、大剣の腹で、ゼナマリアの頭部を殴りつける。
シャルシスは、びくりと顔を上げ、拘束されたまま頭部から血を流しているゼナマリアを見た。
それから、横目で背後の森を一瞥し、自分に向けた小刀をぐっと握り直した。

 本来ならば、ゼナマリアの言う通り、ここで自分が死ぬわけにはいかない。
カーライルの名を名乗り、王族としての務めを果たすのであればこそ、誰を犠牲にしてでも生きて、この手でおおやけに、逆賊を裁かねばならない。

 シャルシスは、煮えたようにぐらつく頭の中で、懸命に考えた。
今、シャルシスに刃を向けているのは、自分自身だけだ。
ナジムたちやゼナマリアを見捨て、身を翻せば、自分だけは、森の中に逃げ込むことができるかもしれない。
だが、逃げ込んだところで、果たして活路を見出せるのだろうか。
仮に生き延びて、事態を好転させることができたとして、自分は今後、ナジムたちを見捨てたことを、仕方がなかったと精算して生きていけるのだろうか──。

 シャルシスは、目を閉じて、深く息を吸った。
破裂しそうな程に脈打つ心臓と、寒さに打ち震える身体を、なんとか落ち着けようと、呼吸を繰り返す。

(……俺は、友のしかばねを踏み越えねば得られないような、腐り切った王威おういが欲しいのか……?)

 不意に息を詰め、左腿に刺さった矢をへし折る。
骨にまで響いた痛みと衝撃で、交錯していた思考が、一つに定まったような気がした。

 やがて、目を開けると、シャルシスは、自身に小刀を突きつけたまま、よろよろと立ち上がった。

「……マイゼン卿。一つ頼みがあるのだが、聞いてくれるか」

「……頼み?」

 打って変わって、シャルシスが神妙な態度に見せたので、不自然に思ったのだろう。
笑みを消したイヨルドが、訝しげに問い返してくる。
シャルシスは、乞うような視線をイヨルドに向け、弱々しく懇願した。

「子供たちとストンフリー夫人から、剣を引いてくれないか。もう分かっていると思うが、その者たちは、余の友人であり、恩人だ。そなたにとっては、本物の王子が手に入ったら利用価値の下がる、軽々しい命なのかもしれんが、余にとっては、苦楽を共にしてきた大切な仲間たちなのだ。こんなところで、死んでほしくない。
……マイゼン卿、誇りある伯爵家の生まれだと言うならば、どうか、余の頼みを聞き入れてくれ。さらわれてきただけの無力な女子供を人質に取るような真似はせず、一対一で話をしよう。これは、シュベルテとのウェーリンの問題──つまり、カーライル王家と、マイゼン家の問題なのだから」

「…………」

 少年たちは、色濃い戸惑いと不安を瞳に浮かべ、固唾を飲んでシャルシスを見つめている。
イヨルドは、拍子抜けしたように鼻を鳴らすと、呆れたように唇を歪めた。

「何を仰るのかと思えば……。人質が解放された瞬間に、全員で背を向けて、この山中を逃げ惑うおつもりか?」

 シャルシスは、冷静な口調で答えた。

「そんなことはしない。背を向けて斬られたくはないし、こちらには、逃げ切る体力も、そなたたちを足止めできる策もないからな。……といっても、信じる気にはなれぬか。我々の逃亡を懸念しているならば、今、ストンフリー夫人に向けている剣先を、余に向けるが良い。もし、そなたが頼みを聞き入れて、子供たちと夫人を解放してくれるなら、余は望み通り小刀を捨て、そちらに行く。それで、その刃を突きつけらられば、こちらは話す以外に何もできない。余を生かすも殺すも、逃すも捕えるも、全てはマイゼン卿の思うままになる、ということだ」

 さっと青ざめ、再度制止の声を上げようとしたゼナマリアを、イヨルドが睨んで黙らせる。
彼女に突きつけていた剣先を、手招くように振って、イヨルドはシャルシスを呼んだ。

「……良いでしょう。では殿下、小刀を捨て、私の前に来て頂きましょうか」

「子供たちと夫人を解放するのが先だ」

「いいえ、殿下がこちらに来るのが先です。これは、そちらの"頼み"なのですから」

「…………」

 少し迷ってから、シャルシスは、小刀を雪の上に落とし、ゆっくりとイヨルドの方に近づいて行った。
ほくそ笑んだイヨルドが、大剣の刃を持ち上げ、向かい合ったシャルシスの首筋に当てがう。
シャルシスと睨み合い、一拍の間を置いてから、イヨルドは、周囲の私兵と盗賊たちに目配せをした。

 ゼナマリアを拘束していた私兵が、彼女を突き飛ばすように少年たちの方へ押しやり、少年たちを囲んでいた盗賊たちも、無言で剣を下ろす。
──が、あくまでも納刀しただけで、その場からは動こうとしない。
ゼナマリアも少年たちも、未だイヨルドのすぐそばで並び、ひざまずかされた状態のままだ。

 ゼナマリアたちを取り囲み、監視するように立っている面々を見て、シャルシスは、内心舌打ちをした。
確かに剣は引かれたが、それだけだ。
私兵と増員された盗賊たち、合わせて十二名は、再び剣を抜きさえすれば、すぐにナジムたちを斬れる位置にいる。
これでは、とても解放されたとは言えない状況である。

(……まあ、いい。想定内だ。ならば、まずは数の多い盗賊たちのほうを突き崩す……!)

 シャルシスは、覚悟を決めると、改めて、大剣を突きつけてくるイヨルドと対峙たいじした。

──この場にいる、全員の命運がかかった、最後の賭けの始まりであった。
勝ったところで、救いがあるとは限らない。
だが、負ければ確実に、カーライル王家の系譜は潰えることになるだろう。

 シャルシスの心中を図りかねた様子で、イヨルドが、話の続きを促した。

「……それで? 一対一でしたい話とは、なんなのです? 自らを差し出した勇姿に敬意を表し、かせ猿轡さるぐつわを嵌めて地下にお連れする前に、お聞きしておきましょう」

「…………」

 シャルシスは、イヨルドを真っ直ぐに見据えた。
明らかに自分が不利な状況で、単純な脅しが通じないことは、先ほどのやりとりで分かっている。
イヨルドはシャルシスのことを、哀れにも囚われた、本物かどうかも疑わしい年若い王子だとしてあなどっているのだから、尚更だ。

 故に、その形勢を逆手に取り、よく見てよく考え、今の立場に合った言葉を選ばねばらならない。
父王エルディオのように動じず、威厳を纏って。
けれども、それだけではなく、祖母王バジレットのように慎重に。
そして、ルーフェンのように柔軟に、内では強かに、もっと狡猾に──。
イヨルドの意表を突き、その足元を掬うのだ。

 白い息を吐いて、シャルシスは、口火を切った。

「……本音を言うと、余は、ウェーリンと戦などしたくない。そちらが盗賊団なんぞ使ってまで、開戦準備を進めていると知った時は、かなり衝撃的だった。マイゼン家とは、ずっと友好な関係を築けていると思っていたから、正直、今でも信じられぬ気持ちだ。……だから、まずは理由を聞きたい。そなたは何故、協定を反故にしてシュベルテと敵対しようなどと考えたのだ? ストンフリー夫人に助力して、教会の動きを抑制するためだけならば、王家にまで剣を向ける必要はないはずだ。我々は、何かウェーリンの意に沿わないことをしてしまったか?」

「…………」

 イヨルドの目が、シャルシスの真意を探るように細まる。
先程は、王族に対する裏切りは重罪だ、などと脅し付けたのだから、一転した態度を訝しむのは、当然の反応だろう。

 顔をしかめたまま、イヨルドは問い返してきた。

「……そんなもの、聞いてどうするというのです? 話せば、殿下がこちらの不満を解消して下さるとでも?」

 シャルシスは、曖昧に首肯した。

「内容を聞いてみないことには、なんとも答えられない。だが、検討することは約束しよう。ウェーリンがシュベルテの属領である以上、不満を抱かせたのは、王家の責任でもあるからな」

「…………」

 イヨルドの目に、不愉快そうな色が浮かんだ。

 今から十四年前、国王バジレットが王権を一時委譲する先を選定した場に、マイゼン家は出席していない。
結果的に、ウェーリンと同格の、レーシアス伯爵家の治めるアーベリトが王都になると決定した時も、マイゼン家から異を唱えた者はいなかった。
つまり、当時から考えが変わっていなければ、イヨルドの目的は、権力狙いの下剋上ではないのだろう。
となれば、現在のカーライル王政を維持したまま、開戦を避ける道はある。
そう踏んでの歩み寄りの提案だったのだが、イヨルドには、何を提示されても、穏便に済ませようというつもりはなさそうだ。

 激情を抑えるように嘆息してから、イヨルドは、忌々しげに言葉を吐き出した。

「……そういうところだ」

「……そういうところ……?」

 イヨルドは、底光りする瞳で、シャルシスを見下ろした。

「……そういう、常に己が情けをかけてやる立場だと信じて、疑わないところ。自分たちこそが上に立つ者なのだと考え、当然のように他領を圧し、利を貪り、搾取したものを従順な者共に分け与えただけで、施してやった気になっているところ。……私は、カーライルの人間のそういうところが、昔から気に食わんのだ」

 シャルシスの首の皮に、刃を食い込ませ、イヨルドは言い募った。

「王子殿下。貴殿の父、エルディオ王は、かつてのマイゼン領をセントランスから解放した後に、自治を認めるなどと言いながら、我々から軍事権を剥奪した。そして、守護を理由にシュベルテの魔導師たちを常駐させ、内外を警戒、監視させ、街道を塞ぎ、実質ネール山脈の自由な採掘権と貿易権を奪った。北領を平定させた英雄面で、王がマイゼン領にもたらしたものといえば、急峻きゅうしゅんな北部山地と不毛で痩せた土地だけ。
……開戦準備をしていると知って、驚いた? マイゼン家とは、ずっと友好な関係を築けていると思っていた? 本気でそんなことを仰っているなら、やはり殿下は、この場で討たれるべきだ。王家が我らにしてきたことは、今、私が殿下にしていることと同じです。カーライル王家は、己だけは軍に守られた状態で、召喚師一族という剣を首に突きつけながら、『結ばれた協定が反故にされぬ限りは守ってやる。今後も仲良くやろう』と、懐に入れた属領を脅し虐げてきたのです」

「────……」

 シャルシスは瞠目し、憤然と語られるイヨルドの話を聞いていた。
今は、彼の言葉の正当性を考える余裕も、嘘ではないのであろう王家の仕打ちを悔いる余裕も、シャルシスにはなかった。
ただ、事実としては把握していた歴史の側面を──知らなかった先王たちの横顔を見せられているような、茫洋ぼうようとした薄寒さが、心身を蝕んでいた。


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