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投稿日:2025年12月31日





 一階層まで下ると、主塔の入り口に、見張りが立っているのが見えた。
昨日、シャルシスが地下で斬りつけた二人とは、別の盗賊たちである。
こちらに気付いた盗賊二人が、はっと振り返り、腰を落とす。
シャルシスは、考えるより先に小刀を振り回し、抜刀しようとした一人の懐に突進した。

「──うわっ、あぶねっ!」

 反射的に頭をのけぞらせた男の頬を、シャルシスの刃が浅く切り裂く。
後ずさった男たちの間に飛び込むと、シャルシスは、雪道で一転し、その勢いのまま立ち上がって、再び走り出した。

 森に入って盗賊たちを撒けたとしても、時間稼ぎには限界がある。
こうなったら、ゼナマリアが便りを出したという北部支部の魔導師たちが、麓の周辺にいることを信じて、彼らに居場所を伝えるしかない。
木でも上着でも、何でも良いから手当たり次第に燃やして、狼煙のろしを上げるのだ。

 はらはらと舞う灰雪が、駆けるシャルシスの顔に吹き付ける。
雪が目に入って、一瞬失速した時──突然、左脚に鋭い痛みが走って、シャルシスは雪道の上に転倒した。
見張りの盗賊が放った矢が、シャルシスの左の太腿に命中したのだ。

「ったく、手間かけさせやがって……!」

 吐き捨てた盗賊たちが、剣を片手に駆け寄ってくる。
その手に捕らえられる前に、シャルシスは、小刀を自らの首筋に押し当て、叫んだ。

「寄るな! それ以上近づくなら、首を掻き切って死んでやる!」

 盗賊たちは、躊躇ったように足を止めた。
どうやら、シャルシスが王子だと名乗ったという情報は、しっかりと広まっているらしい。
内心安堵したのもつかの間、盗賊たちの背後から、あの野太い声が聞こえてきた。

「……なるほど。その威勢の良さ、確かに掃き溜め出身の孤児とは思えんな……」

 ゆったりとした歩調で雪を踏み、盗賊たちを退けて、大きな人影が現れる。
シャルシスの前に立ったのは、熊の毛皮を羽織った、存外に若く見える、目元の古傷が特徴的な三、四十ほどの男であった。
──やはり、シャルシスの記憶の中の老伯爵、ガシェンタ・マイゼンとは、明らかに容姿が違う。
警戒してずり下がったシャルシスに、獲物を睨むような視線を向け、大男は口を開いた。

「……髪と瞳の色は、噂に聞く王子殿下のものと同じか。しかし、そのように薄汚い身なりでは、本物かどうかなど判断がつかんな。……さて、貴殿は真にシャルシス王子であらせられるのか」

「…………」

 黙っていると、今度は主塔の方から、怯えた様子のゼナマリアが、私兵の男に後ろ手を掴まれて歩いてきた。
彼女が傷つけられることはないだろうと踏んでいたのに、私兵は、容赦なくその首筋に剣を突きつけている。
まるで、答えねばゼナマリアを殺すと、シャルシスに表明しているようだ。
しかし、動揺は見せまいと、シャルシスは大男を睨み返した。

「……余の素性を問う前に、まずはそちらが名乗ったらどうだ。貴様こそ、マイゼン伯の名を語る偽物だろう。本物のガシェンタ・マイゼンは、既に六十近い老伯爵のはずだ!」

 大男の双眸に、面白がるような光が宿った。

「ほう……本物を知っていると? これはこれは、驚きましたな。貴殿がシャルシス王子だという話、全くの嘘とは言い切れなくなった。となると、礼を尽くさねばな……」

「話を逸らすな! 貴様、一体何者だ? 何のためにマイゼン伯の名を語る!」

 シャルシスが厳しい口調で問い詰めると、ゼナマリアや盗賊たちの顔にも、驚きが浮かんだ。
反応を見るに、マイゼン家の私兵以外は、この大男が本物のガシェンタ・マイゼンであると信じていたようだ。
身分の詐称を明かされたにも拘らず、大男は、全く焦った様子を見せず、ふっと唇の端を持ち上げた。

「こちらが正体を暴くつもりが、逆に暴露されてしまったか。まあ、そう周知されては仕方がない。……言っておきますが、先ほど語った称号は、全てが嘘というわけではありません。私は正真正銘、マイゼンの血を継ぐ、誇りある伯爵家の生まれです。──が、当主ガシェンタ・マイゼンではない。私の名は、イヨルド・マイゼン。ガシェンタの異母弟です」

「……イヨルド、マイゼン……?」

 繰り返して、シャルシスは、過去の記憶を遡った。
ガシェンタに異母弟がいたという事実にも、イヨルド・マイゼンという名前にも、全く聞き覚えがない。
だが、ゼナマリアによれば、イヨルドは間違いなくマイゼン家の城館から護衛を伴って出てきたようだし、事実、今も彼には、盗賊とは別の私兵らしき男たちが従っている。
大型船を用意し、廃港など利用して誘拐事件など引き起こすことも、貴族に成りすましただけの悪党にはできない所業だ。
ということは、おそらく彼は、この期に及んで、身分を偽ってはいない。
ただ、爵位を継いだ者ならば、一度は王宮で開かれる授爵式じゅしゃくしきに参加しているはずだから、シャルシスの記憶にないということは、イヨルドは爵位を持っていないのだ。
つまりイヨルドは、下賤げせんの腹から生まれた爵位を継げぬ庶子しょしであるが、現当主であるガシェンタには認知された立場にある、ということである。

(……当主に認知されながら、この男は、なぜ城館を出た? シュベルテへの宣戦布告に、ガシェンタが反対すると思ったからか……?)

 注意深くイヨルドの顔を見つめながら、シャルシスは、低い声で尋ねた。

「……では、改めて問いたい、イヨルド・マイゼン卿。シュベルテでのイシュカル教会による弾圧を抑止するという体で、無理な徴兵を繰り返し、多くの子供達を攫い、開戦準備など進めているのは、全て貴様の指示なのか?」

 イヨルドは、鋭く目を細めた。

「その言い方には、どうも含みを感じますが。私の指示、という部分は、合っておりますよ」

 シャルシスは、歯を食いしばり、瞳にきつい光を浮かべた。

「……貴様は、マイゼンの名を冠してシュベルテに刃を向けることの罪深さを、しかと理解しているのか? 貴様のしようとしていることは、カーライル王家に対する裏切りであり、これは、大逆に値する重罪だぞ!」

「…………」

 矢傷の痛みに耐えながらも、シャルシスは強気な表情を保ち、昨夜、盗賊たちに投げかけたのと同じような脅迫を口にした。
逃げ場のない状況で、幸か不幸か、こうして件の首魁しゅかい邂逅かいこうしてしまったのだ。
かくなる上は、その真意を問いただし、宣戦布告など取りやめるように説き伏せるしかない。
窮地に立っているのは自分のほうだが、その恐れや焦りさえ見せなければ、対等な交渉が成り立つ。
イヨルドが、シャルシスが王子であると信じているならば、その権力を利用し、従わせるまでであった。

 イヨルドは、目を細めたまま、じっとシャルシスのほうを眺めていた。
少しの間、そうして黙り込んでいたが、やがて、近くにいた見張りの盗賊を呼ぶと、一言命令をした。

「地下のガキ共を連れてこい」

 盗賊が頷き、主塔の地下へと消えていく。
しばらくして、増員された盗賊たちに囲まれながら、ナジムを含む二十一人の子供らが、静かに地上へと上がってきた。
昨夜、シャルシスが地下から逃げ出した後、ずっと拘束されていたのだろうか。
子供らの腕には手枷が嵌められ、逃げられないように、二人一組で鎖に繋がれている。
盗賊たちに怒鳴られ、死人のような生気のない顔で歩かされている姿は、初めて船上で皆に会った時のことを、シャルシスに彷彿ほうふつとさせた。

 イヨルドは、少年たちを自分の目前に一列に並ばせると、膝を折らせ、その場にひざまずかせた。
そして、何をする気かと、内心たじろいでいるシャルシスの方を一瞥すると、突然、近くにいた少年の頭を掴み、その耳を、懐から出した小刀で削ぎ落とした。

「──うぎぁあぁっ‼︎」

 悲痛な叫び声をあげ、切り口から血を振り撒きながら、少年が雪上に倒れ込む。
事態が飲み込めず、シャルシスは硬直した。
他の少年たちも、ゼナマリアも、ひっと息を呑んで身をすくませる。
切り取った耳を捨て、淡々と次の少年に手を伸ばそうとしたイヨルドを見て、シャルシスは我に返った。

「──やっ、やめろ! 一体何のつもりだ⁉︎ その子らだって、貴重な戦力だろう! 傷つけて何になるというのだ⁉︎」

 振り向いたイヨルドの口元に、薄い笑みが浮かぶ。
笑っているのに、無慈悲に見える表情を向けられて、シャルシスは、しまった、と思った。
今、シャルシスが取り乱したことで、イヨルドとシャルシスの間に、乞う立場と情けをかける立場という、明らかな上下関係が生まれてしまったのだ。

 抑揚のない声で、イヨルドが言った。

「子供は扱いやすい駒ですが、最終的に戦力として使えるのは、殺しを経験して、死生観の狂ったごく一部だけ。大半は使い物になりませんので、殿下を従わせる材料になるなら、その犠牲など安いものです。
……そこのストンフリー夫人も同様。報告を聞く限り、殿下は既にこちらの事情をご存知のようですが、私がガキ共や夫人を安易に傷つけはしないだろう、と考えているなら、それは軽慮けいりょです。夫人は確かに、我々にシュベルテの内部情報を提供し、事の発端となってくれた恩人であり、交渉材料ともなり得るたっときお方ですが、本物の王子が手中に転がり込んできた今、その価値はないに等しい。私がこの者たちの耳を削ぎ、目を抉り、その断末魔を聞かせることで、殿下がこちらに従う気になるのであれば、私は喜んでそうしましょう」

 小刀を納め、今度は腰の大剣を抜刀したイヨルドが、その刃先を拘束されたゼナマリアに向ける。
シャルシスは、思わず腰を浮かせた。
それから、自身の首筋に押し当てた小刀を持ち直し、必死に怒鳴り声を作った。

「け、剣を下ろせ! 彼女らに危害を加えても、余は貴様の思い通りにはならない! その剣を振ってみろ。余はその瞬間に、己の首を掻き切るぞ! 人質を失う挙句に、王族殺しの罪まで負いたくはないだろう!」

 それは、シャルシスもゼナマリアも死ねば、イヨルドがシュベルテに対して示せる切り札が無くなるぞ、という脅しであった。
しかし、それを聞いても、イヨルドは、悠然とした物言いを崩さなかった。

「それならそれで、仕方がありません。そのように反抗的な態度を取られるならば、物言わぬむくろとなって頂いた方が、こちらとしても扱いやすい。私はその死体から取った首を、マイゼン家の城館前に晒し、ウェーリンに集った兵士たちを鼓舞するとしましょう」

「……っ」

 血の気の失せたシャルシスの唇が、小さく戦慄わななく。
息を吐いてから、イヨルドは、左腿から血を流すシャルシスを見下ろした。

「……良い機会です。偉大なる王子殿下に、一つ教えて差し上げましょう」

 イヨルドは、冷ややかな嘲笑を深めた。

「脅迫とは、優位に立っている者が、劣位の者に仕掛けるからこそ、意味を成すのです。いかに巧みに言葉を並べようとも、それが足元でうずくまる、手負いの獣の吠え声ならば、耳を貸す気にはならぬというもの。……言っている意味が、お分かりかな? 今、この場においては、上が私、下が殿下だということです。身の程を弁えるが良い」

「…………」

 全身から汗が吹き出し、頭の芯が痺れる。
恐怖心が、怒りも憎しみも押し退け、身体を強く縛り付けた。

 今のわずかなやりとりだけで分かる。
イヨルド・マイゼンは、心根から残虐な男だ。
彼は、各地で蛮行の限りを尽くしてきた盗賊たちなんかよりも、ずっと冷酷で、無情な目をしている。
シャルシスが従わなければ、イヨルドは、本気で子供たちやゼナマリアを傷つけ、殺すことも厭わないつもりだろう。
そして、シャルシスやゼナマリアに、シュベルテへの取引材料としての価値を見出しながら、一方で、交渉に持ち込むことにはさほど執着はしておらず、その機会が失われても構わないと考えている。
どんな秘策があろうとも、サーフェリア最大の軍事都市シュベルテと真っ向からぶつかって、無傷ではいられないだろうに、その代償の大きさを、勘定に入れていない。
何かよほど決定的な勝算があるのか、あるいは、イヨルドの目的は、シュベルテに勝って何かしらの特権を得ることではないのか──。
何にせよ、向こうが交渉にこだわらない姿勢だと、こちらも話し合いに持ち込むことが難しい。


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