トップページへ
目次選択へ
投稿日:2025年12月31日
縛り上げた兵たちを装飾杖にくくりつけると、ルーフェンとシャルシスは、物見塔の出口──ではなく、最上部へと上がった。
外は既に夕暮れ時で、西の空が茜色に染まっている。
王宮から抜け出して、まださほど時間は経っていないはずなのに、こうして新鮮な外気を吸うのは、随分と久しぶりのように感じた。
壁面の隙間から眼下を覗くと、西門の前に大勢の人と荷馬車が集まり、門衛に向かって口々に何かを叫んでいた。
シュベルテの西区は商業区で、商人や職人階級の者達が多く暮らしている。
明日の朝一で行商に発とうとしていた商人達が、突然門を閉鎖されたことに戸惑い、理由を尋ねているのだろう。
兵と商人達が言い争っている隙に、無人になった荷馬車を狙う物盗まで現れているようで、ちょっとした騒動に発展している様子であった。
ルーフェンは、胸壁に沿って身を隠すと、同じくしゃがんだシャルシスに、小声で囁いた。
「身体はもう大丈夫? 引き返すなら、今の内だよ」
躊躇いを見透かしたような口調で言われて、むっと顔をしかめる。
本当は、まだ関節が軋むように痛んだし、心の底では、倒れた祖母を置いて王宮から出て良いのかと迷う気持ちがあったが、それらの葛藤を押しやって、シャルシスは言い返した。
「お、男に二言はない! そなたこそ、深傷を負った状態で、無事に逃げ切れるのであろうな? 既に四門は封鎖されておるし、どうするつもりなのだ。監視を二名も襲ったとなれば、余でも庇いきれぬかもしれんぞ」
意固地な顔つきのシャルシスに、ルーフェンは、微笑んで見せた。
「上等。むしろ、張り合いがあったほうが、君も退屈しないだろう? いよいよ冒険らしくなってきたじゃないか」
言うなり、胸壁の縁に足をかけると、ルーフェンは、怪我人とは思えない身軽さで跳躍し、眼下に並ぶ民家の屋根へと着地した。
目を見開いたシャルシスが、思わず身を乗り出して、顔を青くする。
胸壁から屋根までは、人二人分程度の高さしかないが、その間には路地が通っているので、実際よりもずっと距離があるように感じられた。
一歩間違えれば、路地に叩きつけられることになるし、無事に屋根に着地できたとしても、瓦を踏み外したら、地面に落下することになるだろう。
身を屈めたルーフェンが、こちらを振り返って、「君も跳べ」と合図をしている。
気後れしていることを悟られたくなくて、シャルシスは、すぐに胸壁に足をかけたが、その瞬間、腹が疼くような恐怖が迫り上がってきて、膝ががくがくと震え始めた。
(こんなところで落ちて死んだら、全く笑えぬぞ……!)
ルーフェンは成功させているし、実際、跳べば届きそうな距離ではあるのだが、万が一を考えると、どうしても身体がすくんでしまう。
シャルシスは、しばらくそうして、胸壁に足をかけたまま固まっていたが、挑発するように「早く来い」と手を振っているルーフェンを見ると、やがて、覚悟を決めた。
大きく息を吸い、渾身の力で胸壁を蹴って、宙へと飛び出す。
無意識のうちに、ぎゅっと目をつぶっていたのだろう。
暗闇の中、凸凹とした瓦の感触を踏みしめたものの、次の瞬間、ずるっと足が滑って、体勢を崩した。
まずい、と思う間もなく、身体が屋根の斜面上を転がっていく。
落下の衝撃に備えて、本能的に身を丸めたシャルシスであったが、しかし、強い力に引っ張りあげられて、なんとか屋根の棟にしがみついた。
恐る恐る目を開けると、何か言いたげに含み笑いしているルーフェンが、こちらを見下ろしていた。
悔しくて睨み返すと、ルーフェンは、わざとらしく眉を上げる。
シャルシスは、襟首を掴む彼の手を振り払うと、ようやく屋根の上で立ち上がったのであった。
不安定な足場に苦戦するシャルシスを連れ、何軒分かの屋根を渡って移動したルーフェンは、ふと、鳥の古巣が詰まった煙突を見つけると、その前で足を止めた。
そろそろ夕食の準備にとりかかる時分で、周囲には、白煙をあげている煙突が多い。
そんな中で、古巣を詰まらせたまま沈黙している煙突の家の家主は、不在である可能性が高かった。
ルーフェンは、窓の庇を伝って路地に降りると、自分を追ってずり落ちてきたシャルシスを拾い、家の石壁に身を寄せた。
まだ昼間の暖かさが残る細い路地は、市場通りに比べると静かで、見渡す限り人通りはない。
一般の民家と言うには大きく、どこか上品な佇まいで軒を連ねている家々からも、人の気配はしたが、騒がしく話す声などは聞こえなかった。
ルーフェンたちが目に止めた家は、周辺の家々に比べると小さく、色味のない石造の一軒家であった。
しかし、古臭い木扉には、不釣り合いな魔法錠が取り付けられている。
魔法錠とは、鍵を差し込んだ上に、術式を解除しなければ開かない強固な錠である。
開錠に手間がかかるので、一般的には普段使いせず、長期間家を空ける際や、金庫室の施錠などに使われる魔法具だ。
それをわざわざ見せつけるかのように取り付けているということは、やはり、この家の家主は不在なのだろう。
王都の商業区に住む商人たちは、近場に行商へ出ることはあっても、基本的に定住している。
遠方での商売に着手する場合は、仲介業者と連携して流通機構を確立させることがほとんどだし、本拠地をあえて王都から動かす例はあまり見ない。
だが、特産品を扱うような商家や、当主自身が仕入れにこだわるような商家は、安い持ち家を複数所持して各地を転々としたり、交易が盛んな港湾都市ハーフェルンを本拠地にしたりして、海の荒れる冬にのみ王都シュベルテに戻ってくる者たちもいる。
春先に留守にしているなら、この家は、そんな商人の持ち家の一つなのかもしれない。
ただ一つ、気になるのは、窓の下に並べられた花壇に、丁寧に手入れをされた花々がぽつぽつと咲いていることであった。
ルーフェンは、家の石壁を確かめるように触り、次いで、窓枠に足を引っ掛けると、獣の姿を模した雨樋の上を探った。
何の遠慮もなく、家の周囲を物色し始めたルーフェンに、シャルシスは囁いた。
「……何をしておるのだ?」
花壇をどかし、その台座となっている煉瓦を一つ一つ外しながら、ルーフェンは答えた。
「この家、長い間留守みたいだけど、花壇は手入れされてるみたいなんだよね。家主が不在の間、誰かが花の世話だけしに来てるんだ。となると、別宅の一つだろうし、多分、どこかに合鍵が……」
ルーフェンの手元を覗きこんで、シャルシスは、花壇をまじまじと眺めた。
言われてみれば、確かに、花壇には雑草一本生えていないし、土も程よく湿り気を帯びている。
張りのある花弁を見れば、人の手が入っているのは明らかであった。
やがて、外した煉瓦の下に、小さな鍵を見つけると、ルーフェンは、それを窓の外付け錠に差し込んだ。
カチリ、と開錠された音がして、両開きの窓を開く。
外から手を伸ばせば届く棚上──窓からすぐ横の位置に、水差しが置かれていることを確認すると、ルーフェンは、シャルシスを一瞥して、「ほらね、あった」と微笑んだ。
遮光布をめくり、改めて無人であることを確認すると、二人は、窓から室内へと侵入した。
家の中は閑散としており、板張りの居間には、食卓や箪笥など、最低限の家財道具しか置いていない。
世話役を出入りさせているくらいなので、盗まれて困るようなものは、奥の部屋に隠してあるのだろう。
別室へと続く扉には、玄関と同じ、魔法錠が取り付けてあった。
ルーフェンが衣装箪笥の方に向かうと、窓からの斜光に舞っていた埃が、突然の来客に驚いて踊った。
しかし、室内に汚れが溜まっているかというとそうではなく、むしろ、床や調度品は、丁寧に磨かれているようであった。
出入りしている人間が、花の世話ついでに、部屋の掃除も行っているのだろう。
まるで我が家に帰ってきたかのように箪笥を開け、堂々と衣類を漁っているルーフェンに、シャルシスは尋ねた。
「ここ……別宅って、そなたの別宅か? 随分と狭い家だな……」
言いながら、部屋全体をゆっくりと見回す。
血塗れの服を脱ぎ、箪笥から引っ張り出した丈の長い衣装に着替えると、ルーフェンはあっけらかんと答えた。
「いや、知らない人の家だよ」
「……え?」
瞠目すると、ルーフェンは悪びれもなく答えた。
「だって、こんな血だらけの格好で出歩くわけにはいかないでしょ? 今から俺たちは、没落商家の哀れな兄妹で、家の金を持ち出して追われている設定ね。はい、君も着替えて」
異議を唱える間もなく、毛織の服が投げて寄越される。
すぐさまそれを床に捨てると、シャルシスは叫んだ。
「知らないって……せ、窃盗ではないか! 民の家に侵入して服を盗むなど、余にそんな卑しい真似をしろと言うのか? そなた、召喚師のくせに誇りはないのか!」
思わず大声が出て、はっと口をつぐむ。
慌てて窓の方を確認したが、ルーフェンは特に気にしていない様子で、平然と返してきた。
「何を今更。誇りとか、そんなこと考えてる状況じゃないでしょうよ。大丈夫大丈夫、この家、お金ありそうだし、服を何着か盗んだくらいで傾かないって」
「そういう問題ではない!」
再び声を荒げたシャルシスに、しーっと人差し指を見せる。
床に落ちた服を拾って押し付けると、ルーフェンは言った。
「仕方ないでしょ? 王都内で足止め食らったのも、君が着いてきたのも完全に予定外だったし。高潔な意思も誇りも結構なことだけど、従わないなら置いていくよ」
「ぐ……っ」
押し黙ったシャルシスが、じろっとルーフェンのことを睨む。
反抗はしても、それ以上のことは出来ないだろうと言わんばかりのルーフェンの態度が、心底腹立たしかった。
渋々服を広げて見て、シャルシスは、うげっと顔をしかめた。
「……これ、女物の服ではないか」
ひらひらと揺れるスカート部分を掴んで、訝しげにルーフェンを見上げる。
ルーフェンは、壁にかかっていた外套を着込むと、淡々と答えた。
「言ったじゃん、兄と妹の設定ねって。シャルシスくん、背が低いから着られるでしょ」
「なっ、別に低くはない! 背などすぐに伸びる! というか、なぜ余が妹役なのだ!」
声を落としつつ問い詰めると、ルーフェンは、やれやれと肩をすくめた。
「そりゃあ、俺の女装は流石に無理があるし、シャルシスくんの方が適任かなと思って。王宮が俺たちの逃亡を世間に広めたら、ちょうど召喚師と王子くらいの年齢の男二人旅なんて、真っ先に怪しまれるだろう? だったら、兄妹を装っていたほうが、色々と誤魔化しが効くじゃない」
「そ、それは……そうかもしれぬが。……でも嫌だ! 余はサーフェリアの王子だぞ! もし王子が婦女子の服を盗み、しかもそれを着て逃げたなどと知られたら、臣下たちに示しがつかぬではないか!」
「もー面倒臭いな。だから、その臣下たちに見つからないために、変装しろって言ってんじゃん。ほら、上衣と下履き脱いで」
「や、やめろ……! 触るな!」
嘆息して、ごねるシャルシスの身ぐるみを剥ぐと、ルーフェンは、奪ったワンピースの腰紐を緩めて、ズボッと彼の頭に被せた。
女の服が合うはずがない、と思っていたシャルシスの願いも虚しく、ワンピースは、少年らしい華奢な肩を抜けて、身幅に収まっていく。
毎日剣術の稽古をして、これでも筋肉がついてきたと信じていたのに、女物のワンピースは、悲しくなるほどシャルシスの身体にぴったりであった。
ワンピースを着こなし、黙って俯いているシャルシスを見ると、ルーフェンは、満足げに頷いた。
「うん、やっぱりちょうどいい。なかなかお似合いだよ」
ぷるぷると腕を震わせて、シャルシスは怒鳴った。
「全然ちょうど良くなんかない! 肩はきついし、生地がゴワゴワしていて、肌に擦れて痛い。こんなの、絶対にバレるぞ。女の格好をしていても、余は立派な男だ」
「そうかなぁ? 外套かぶっちゃえば、分かんないと思うけど」
「…………」
明らかにシャルシスの反応を楽しんでいる様子で、ルーフェンは、くすくすと笑う。
真っ赤になった顔を上げると、シャルシスは、先程脱いだ上衣をルーフェンに投げつけた。
「黙れ! 先程から無礼が過ぎるぞ! 確かに余は、連れて行って欲しいとそなたに頼んだ立場だが、だからといって、こんなことが許されると思うのか⁉︎」
「まあまあ、落ち着いて。背に腹は代えられない事態なんだから、協力してよ。ね? 可愛いお嬢さん」
「ルーフェン、貴様……っ」
力一杯睨みつけてみるも、ルーフェンに動じた素振りはなく、それどころか、今度は外套を手にすると、シャルシスにすっぽりと被せてきた。
こうして頭巾で顔も隠せば、見えるのはスカートの裾くらいなので、ルーフェンの言う通り、ぱっと見は女に見えるのかもしれない。
もはや着せ替え人形と化している自身の現状に、怒りを通り越して、ため息が溢れた。
「……屈辱だ。こんな屈辱は、生まれて初めてだ。女の格好をして、しかも、そなたの妹だなんて……」
シャルシスが呟くと、ルーフェンは、大袈裟な口調で言った。
「ええ? ひどいなぁ。人質よりは、よっぽどいい待遇だと思うけど」
シャルシスは、むすっとした顔になった。
「人質の方がまだマシだ。大体、そなた年はいくつだ。腹違いじゃあるまいに、十以上も歳の離れた兄妹が旅をしているなんて、どちらにせよ怪しまれるぞ。まだ親子設定の方が、信憑性があるのではないか?」
「親子ぉ? 俺、まだ二十代だよ。そこまで離れてるようには見えないでしょう」
「そんなことはない。余の母上は、生きていらっしゃったら、そなたと同年代だ」
「……ああ、クロエ妃ね。そりゃ、君のお母上が立派だったって話であって、世間一般では十四、五で子供を持つのは、早い方だよ」
その言葉に、シャルシスは、はっと目を見開いた。
ルーフェンの口から、母の名前がすんなり出てくるとは思わなかったからだ。
シャルシスの母クロエは、先々代王エルディオ・カーライルの妾で、元は平民出の侍女である。
十代半ばという若さでシャルシスを身籠ったものの、国王エルディオの寵愛は、正妃ユリアンや召喚師シルヴィアに向いていたとされていたため、クロエは、王が気まぐれに手を出した下賤の女として、周囲に認識されていたという。
当時、母がどんな扱いを受けていたのか、シャルシスは知らない。
だが、察するに、王宮ではあまり良い思いはしていなかったのだろう。
クロエは、シャルシスの妊娠がわかってから、気心の知れた側仕だけを数人連れて、城下の屋敷に移り住んだらしい。
後に、王位継承者たちの死が相次ぎ、継承順位が下位だったシャルシスは、たった一歳で次期国王として宮殿に連れ戻されることになるが、母クロエは、出産してすぐ亡くなるまで、ずっと城下の屋敷で暮らしていた。
故に、クロエが王宮で暮らした時間はほとんどなく、彼女を王妃として認めている者も少ない。
存在は知っていても、次期国王の母親が平民出という事実に、触れたがらない輩が多いのだ。
だから、ルーフェンにとっては何気ない一言だったのかもしれないが、他人から母の名がクロエ妃だと聞けたのは、本当に久々のことだった。
シャルシスは、外套をピン留めしているルーフェンを、じっと見つめた。
「そなた……母上に会ったことがあるのか?」
ふと、ルーフェンの手が止まる。
一瞬、間を開けてから、ルーフェンは答えた。
「いや、会ったことはないかな。聞いたことがあるだけ」
「聞いた? 誰にだ?」
「……さあ? 誰だったかな。何年も前のことだから、忘れたよ」
外套にしっかりと留め具が刺さっていることを確かめると、ルーフェンは、ようやくシャルシスから離れた。
そして、自分たちが脱いだ衣類を回収し、侵入した形跡を消していく。
シャルシスが、何かを言いたげにこちらを見ていることには気付いていたが、ルーフェンは、あえて応えなかった。
血で汚れた服を暖炉に突っ込み、魔術で燃やすと、巻き上がった黒煙が、もくもくと噴き上がった。
煙突に古巣が詰まっているせいで、煙が逆流してきたのである。
といっても、炉の周りに目立った汚れがついたわけではないし、わざわざ時間をかけて、掃除していくほどのことではないだろう。
もしかしたら、次に訪れた花壇の世話役が、部屋が少し煤けていることに気づくかもしれないが、よほど神経質な性格の持ち主でなければ、多少怪しむくらいで掃除してくれるはずだ。
- 16 -
🔖しおりを挟む
👏拍手を送る
前ページへ 次ページへ
目次選択へ
(総ページ数102)