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投稿日:2025年12月31日





 再び大通りに戻り、雑踏に紛れながら南下すると、ルーフェンたちは、南区へとたどり着いた。
南門の前でも、封鎖により立ち往生した荷馬車が、いくつか放置されている。
しかし、西門の前で渋滞していた数を思えば、随分と少なかった。

 南区の市場通りは、王都内で最も大規模だが、一方で出所の怪しい露店も多く、治安が悪い。
故に、正規の取引場としては向かないので、商人たちは基盤を東西に置き、出入りの際も、東門か西門を使う場合が多いのだ。
おかげで、南門周辺の警備は少なかったが、集まる荷馬車も少数なので、混雑に紛れ込んで検問を突破するのは難しそうであった。

 無人の荷馬車が集められている門前広場の近くには、小さな貸馬車屋があった。
懐に余裕のない商人や、脚がなくて困っている旅人なんかは、そこで一時的に馬を借りたり、買ったりすることができる。
だが今は、馬を貸す場所というより、外へ出ようとした人々が、朝まで馬を休ませる場所と化しているようであった。

 よほど貴重な品を積んでいるなら別だが、そんな者は南区には来ないので、多くの馬車の持ち主たちは、近くに宿をとって荷から離れたのだろう。
夕方から夜に差し掛かり、今日中に王都を出るのは無理だと、皆諦めたらしい。
貸馬車屋の周りには、時折荷馬車を狙って寄ってくる浮浪者と、それを追い払う夜番の兵しかいないようであった。

 街中を巡回する魔導師たちの目を掻い潜りながら、ルーフェンとシャルシスは、貸馬車屋に近づいていった。
広場に放置されている複数の荷台には、盗んでも仕方がないような生活ゴミや屎尿しにょうなんかが、たるに詰められ、積載されている。
馬を使って街道を行き来するのは、品物を売り買いする商人だけではない。
各所で出たゴミを郊外や堆肥場に捨てにいく回収屋や、郵便物を取り扱う運送屋など、様々な業者が存在するのだ。

 ルーフェンは、貸馬車屋につけてある荷馬車の一つに目をつけると、そこに積まれている樽を、いくつか引きずり倒した。
すると、樽の中から飛び出た馬糞が散乱し、強烈な腐敗臭が鼻を刺す。
何故そんなことをしたのか、シャルシスには分からなかったが、理由を聞く間もなく、ルーフェンは荷台置き場を通り過ぎると、窓から貸馬車屋の中へと侵入した。

 貸馬車屋の中は、灯りがなく、真っ暗であった。
姿勢を低くして、馬房の前を通ると、伏臥ふくがしていた馬が驚いたように立ち上がり、前脚で地面を掻く。
静かにしろ、という意味で、しーっと言うと、馬がブルブルと鼻を鳴らしたので、シャルシスは身をすくませてしまった。

 窓からの月明かりだけを頼りに進み、飼料庫まで行き着くと、ルーフェンは、乾草かんそう置き場の下を指差した。
よく見ると、乾草の束は木製の土台に積まれており、石床と土台の間には、わずかに隙間がある。
地面を這う虫やカビなどが、乾草につかないようにするための隙間だ。

 ルーフェンが、ここに入るよう目で示してきたので、シャルシスは、這いつくばって隙間に潜り込んだ。
途端、目の前をネズミが通り過ぎていって、悲鳴を上げそうになる。
目を凝らして見ると、隙間の奥は蜘蛛の巣だらけだ。
シャルシスは、慌てて後退して首を振ったが、ルーフェンがもう一度促してきたので、渋々奥へと進んだ。

 顔についた蜘蛛の巣を払っていると、同じように、ルーフェンが隙間に入り込んできた。
匍匐ほふくして身体の向きを半転させると、埃っぽい地面が目に入る。
牧草の粉がうっすら積もった石床は、シャルシスたちが這ってきた道筋だけ、綺麗な跡になっていた。

 シャルシスは、ルーフェンに耳打ちをした。

「いつまでここに隠れているつもりなのだ?」

「……とりあえず、朝まで」

 短く答えてから、ルーフェンが、かかとで土台を打つ。
すると、頭上からブワッと乾草の粉が舞ってきて、石床に降り積もった。
同時に、粉を吸い込んでしまった鼻がむずむずと疼いて、堪えきれず、シャルシスがくしゃみをする。
咄嗟に息を止めたので、大した声は出なかったが、その瞬間、馬のいななきが馬房に響き渡った。

 思わず身を硬直させると、ほどなくして、人の足音が近づいて来た。
馬の声を聞きつけたのか、それとも偶然か。
貸馬車屋の前で立ち止まって、何やら話している。
姿は見えなかったが、ガタゴトと樽を立て直す音を聞けば、彼らが荷馬車を探っているのだということが分かった。

「──……るな」

「……か? どうせまた、乞食のガキがゴミを漁りに来たんだろう。日中だけで、何回追い払ったと思ってる」

 苛立たしげな声が、馬房の方に入ってくる。
会話内容や、金属が擦れ合うガチャガチャという足音からして、南門の警備兵だろう。
兵士たちは、馬を落ち着かせるようになだめた後、飼料庫の方にも近づいてきた。

「……ったく、これで四度目だぞ。ガキが忍び込む度に荷台を確認してたら、俺までゴミ臭くなっちまった」

「もう放っておけよ。きったねえ荷台を何度ひっくり返しても、出て来るのは貧民街のガキくらいだ。俺たちは、そんなもん探すために警備してるわけじゃないだろ」

「そりゃそうだけどさ。万が一ってこともあるし……」

 不意に視界が明るくなって、目の前の隙間から、兵士の鉄靴が見えた。
角灯ランタンを持った二人の兵士が、飼料庫にやって来たのだ。

 鼓動が速くなって、息が苦しくなってくる。
荒くなった呼吸音が、漏れ聞こえてしまう気がして、シャルシスは両手で口を塞いだ。
兵士の言った"万が一"という言葉が、ルーフェンとシャルシスが潜んでいる可能性を示しているのは、明らかであった。

「そういや、さっき忍び込んだガキは、馬房の中に逃げて馬に蹴られたんだぜ。ありゃ、腹をやられたな。妙に厩舎きゅうしゃが騒がしかったもんで、見に行ったらさ、ガキが腹抱えてキャンキャン泣いてたよ」

 けらけらと笑いながら、兵士の一人が、壁際に並んでいる麻袋を蹴り倒した。
その中にも、馬の餌が詰められていたのだろう。
倒れた袋からは、ザラザラと穀類が流れ出している。
シャルシスは、徐々に接近してくる兵士の鉄靴を、凍りついたように見つめていた。

 兵士は、次いで地面に膝をつくと、今度は、乾草置き場の下を覗き込んできた。
暗闇を照らそうと、角灯を動かしながら、隙間に剣を鞘ごと突き入れてくる。
召喚師たちを探しているというよりは、面白半分で、荷台荒らしの子供を探しているのだろう。
隙間の奥を探って、ブンブンと左右に動く剣先が、シャルシスのすぐ目の前を往復していた。

 もう一人の兵士が、呆れたように笑った。

「馬鹿お前、そんなところに潜んでいるのは、ネズミくらいだぞ。やめろよ、みっともない。侵入した跡がないことくらい、周りを見りゃ分かるだろ」

 言いながら、兵士は、石床に積もった乾草の粉を爪先で散らす。
埃のように舞ったそれは、先程ルーフェンが、土台を蹴ったせいで降ってきたものだ。
おかげで、シャルシスはくしゃみをする羽目になったので、いきなり何をするんだと思っていたが、あの行動は、自分たちが隙間に潜り込んだ形跡を消すためのものだったようだ。

 あと少し、鞘が奥まで突き入れられたり、角灯で照らす角度が違ったりすれば、シャルシスたちは見つかっていたかもしれない。
だが、兵士は剣先を引くと、手をはたいて立ち上がった。

「うーん、暗くて何も見えんな。子供なら、二、三人くらい入れると思ったんだが。……うわっ最悪だ。蜘蛛の巣がついた」

「ほら見ろ、だからやめろって言ったのに」

 鞘に蜘蛛の巣がまとわりついたのだろう。
嫌そうに剣先を乾草に擦り付け、兵士たちは、実のない会話を続けている。
このまま立ち去ってくれ、と願っていると、ふと、馬房の方から、別の鋭い声が響いてきた。

「おい! そこで何をしている!」

 再び地面を掻く馬たちの蹄音つまおとと、叩きつけるような足音と聞こえて来る。
すると、途端に兵士たちが鉄靴を揃え、敬礼した。
やはり姿は見えないので、新しく来た男の階級や身分は分からなかったが、察するに、兵士たちの上官にあたる人物のようであった。

 兵士の一人が、焦ったような口調で返事をした。

「その、積荷が荒らされていたようでしたので、巡回をしておりました!」

 上官らしき男は、飼料庫には入って来なかったが、その入り口あたりで止まると、いきなり抜刀した。

「巡回だと? 貴様ら、先刻の伝令を忘れたか。怪しいな……今すぐ兜を脱ぎ、所属を言え!」

「は、はっ!」

 剣を向けられて、慌てたのだろう。
すぐさま兜をとると、兵士たちは、上擦った声で自らの所属と名前を答えていく。
上官は、しばらく黙っていたが、やがて、舌打ちをすると、剣を納めた。

「チッ……紛らわしい。新兵は、門での警備に注力せよとのご命令だっただろう。今すぐ南門へ戻れ!」

「は! も、申し訳ありません!」

 兵士たちが深々と頭をさげると、ややあって、重々しい足音が遠ざかっていく。
兵士たちは、長い間微動だにしなかったが、上官が貸馬車屋を出て行ったことを確認すると、ようやく顔を上げた。

「……騒がしいから貸馬車屋の方を見てこいって言ったのは、副隊長だぜ?」

「だよなぁ。ていうか、俺らみたいな上背の奴が、殿下な訳ないだろ……」

 ぶつぶつと小声で文句を言いながら、兵士たちも飼料庫を出て行く。
彼らの気配がなくなり、厩舎が静まり返ると、シャルシスは、ほっと息を吐いた。
このわずかな時間で、何度も「もう駄目だ」と思ったが、なんとか危機は脱したようだ。

 緊張が解け、身体の強張りが抜けていくと、シャルシスは、先程の兵士の言葉を思い出した。
殿下な訳ないだろ、というのは、どういう意味だったのか。
殿下というのは当然、この国の唯一の王子である、自分のことを指しているのだろう。
つまりあの上官は、シャルシスが新兵に扮していると疑っていた、ということだろうか。

 悶々も考え込んでいると、不意に、傍らでルーフェンが身じろいだ。
土台下の隙間は奥行きはあるが、縦幅は、大人一人が這って入れるくらいの高さしかない。
いや、シャルシスですら狭いと感じるくらいなのだから、胸板の厚い男であったら入れなかっただろう。
ルーフェンは、特別体格が良いわけではないが、それでも、改めて見ると窮屈そうであった。

 シャルシスからの視線を感じたのか、ルーフェンが振り向いて、小さく囁いた。

「間一髪。運が良かったね」

 暗いので、表情は見えなかったが、ルーフェンは、相変わらずの笑みを浮かべているような気がした。
それから彼は、「朝まで一眠りしな」と呟くと、顔を伏せてしまう。
こんな状況、こんな場所で、呑気に眠れる訳がないと反論しようと思ったが、また馬が騒ぎ出しても困るので、シャルシスは、何も答えなかった。


 じっとしていると、時折耳元を、ネズミの気配が通り過ぎて行く。
虫が身体に登ってくるのが嫌で、こまめに体勢を変えたり、手足を静かに動かしたりしていたが、そうしているのも疲れて、だんだん億劫になってきた。
移動陣の反動が残っているのか、それとも単に疲労が蓄積しているのか。
身体中の節々が痛んで、全身が、泥沼に浸かっているかのように重かった。

 移動陣、と考えたところで、シャルシスの頭に、西門での出来事が思い浮かんだ。
そういえば、あの時に物見塔にいた兵士たちも、新兵らしい若い男たちだった。
もしかしたら、飼料庫に入ってきた兵士たちと彼らは、同じくらいの階級だったのかもしれない。
思い起こしてみれば、鉄靴が似ていた気がする。
先程は、姿が見えない分、鉄靴だけをじっと見ていたので印象に残っているし、物見塔では、ルーフェンが兵の甲冑を脱がすところを間近で見ていたので、その形状はよく覚えていた。

(脱がした甲冑……確か、ルーフェンが見つからないように、移動陣でどこかへ飛ばしていたな)

 そう、なぜそんなことをするのだろう、と疑問に思っていたのだ。
わざわざ甲冑を隠滅しなくても、自分たちが着て兵士に扮すれば良かった。
そうすれば、あんな風に屋根を渡ったりしなくても、怪しまれずに物見塔から脱出できたかもしれないし、民家に侵入して服を盗む必要もなかった。

(……いや……)

 不意に、鳥肌が立って、シャルシスは目を見開いた。
あの時、襲った兵士たちは、自分たちの上着で拘束し、あえて殺さずに放置してきた。
だから、目を覚ました彼らは、召喚師に襲われたことを団に報告したに違いない。

 物見塔に残っていたのは、身ぐるみを剥がされた二人の兵士と、ルーフェンたちのものと思しき上着だけ。
見つけた側は、きっとこう考えたはずだ。
逃亡した召喚師と王子は、新兵の甲冑を奪い、変装して、西門付近に潜伏している可能性が高い、と。

 シャルシスは、ごくりと息を飲んで、ルーフェンを見た。

 道理で、市民街にはさほど捜索の手が及んでいなかったわけだ。
騎士団や魔導師団の者たちは今、貴重な時間と限られた人員を割いて、同じく召喚師を探す人手である新兵たちを警戒している。
こうなると、一般市民に紛れることを選んだシャルシスたちにとっては、かなり都合が良い。
少なくとも現段階では、王宮側は、既に何度も調べた荷馬車や商人なんかより、身内の方を優先して探っている、ということになるからだ。

 先程は、確かに間一髪ではあったが、別に運が良かったわけではない。
主に警備や物見を担う新兵たちが少ないのも、上官が新兵たちを呼び戻したのも、ルーフェンによって、巧妙に仕組まれた結果だったのだ。
そう思うと、恐怖心とは別の高まりが、シャルシスの鼓動を速くした。

 すっかり目が冴えてしまって、いつまでも起きていると、眠っていると思っていたルーフェンが、すっと手を伸ばしてきた。
そして、背中をとんとんと叩き、「寝ないと明日がもたないよ」と囁いてくる。
シャルシスが、逡巡の末に「寝ている間に、鼻や口に虫が入ったらどうすればいい?」と尋ねると、ルーフェンは、軽く吹き出してから「顔を伏せてれば大丈夫だよ」と答えて、今度はシャルシスの頭に手を置いた。

 それでも、眠れるわけがない、と思ったが、シャルシスは、ルーフェンの手に従って、大人しく石床に置いた手の上に、顔を伏せた。
こんな汚い場所に寝転がるなんて嫌だったが、ひんやりとした石床の冷たさが、緊張で暑くなった身体には心地よかった。


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