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投稿日:2025年12月31日
麓まで降りた頃には、空を覆っていた群青も消え、辺りはすっかり闇に覆い尽くされていた。
光源の少ないヘンリ村では、日が暮れ始める頃には、人々は既に帰路についている。
家々の近くを通ると、時折談笑する声や物音が漏れていたが、夜の帷が下りたヘンリ村は、動植物の息遣いが感じられるほどに静かであった。
カイルたちの家の前に着くと、裏手の戸の隙間から、漏れ出た灯りと共に、鼻歌が聞こえてきた。
リリアナが、夕飯を作っているのだろう。
煙突からは湯気が上がり、少しだけ開いた窓からは、蒸し芋の良い匂いが漂ってくる。
カイルが裏戸を開けて、トワリスとハインツを引き入れると、すぐ脇の台所で鍋をかき混ぜていたリリアナが、振り返って目を輝かせた。
「あ、トワリス! ハインツくん! 今日はもうお仕事終わったの?」
嬉々として鍋を火から下ろすと、リリアナは、車椅子を操って土間へと近づいてくる。
ハインツを見るや、リリアナは、二つに結った赤髪をいそいそと整え始めたが、沈んだ表情の面々を見て、それどころではないことを悟ったのだろう。
笑顔のままピタリと動きを止めると、そのまま首を傾げた。
「えっと……なんだか顔色が悪いわ。どうしたの?」
「……ごめん、リリアナ。ちょっと……」
歯切れの悪い言い方をして、トワリスは口ごもる。
困惑する姉をよそに、カイルは、無言で居間に上がると、慣れた手つきで一角の床板を外し、地下の物置から、目当ての物を引っ張り出した。
「二人とも、来て。……ほら、これだよ」
言いながら、カイルは、袋状に丸められた外套を、食卓の上に置く。
リリアナに断って、トワリスとハインツも食卓の方へ行くと、早速、その外套を手に取った。
一見すると、薄汚い布の塊にしか見えないそれは、近くで見てみると、確かにトワリスがルーフェンに渡したものであった。
適当に結ばれた裾を解くと、広げた外套から、ずっしりとした小袋が現れる。
小袋の口を開くと、中には、庶民階級の人間では滅多にお目にかかれぬであろう金貨と、一通の封書が詰まっていた。
「あ、あー……それね! この前、急にルーフェン様が、トワリスに返しておいてって、届けに来て下さったのよ」
ようやくトワリスたちの目的を察したらしいリリアナが、やけに明るい声で言う。
車椅子を食卓に寄せると、リリアナは、二人の顔色を伺った。
「それを預かった時、私、すっごくびっくりしたのよ。ほら、その……昔色々あったし、ルーフェン様が麓まで来て、私達と直接お話しするようなことは、今まで一度もなかったじゃない。しかも、お帰りになった後に見てみたら、預かった外套にお金が入ってたんだもの。カイルと二人で、夜中だったのに、思わず大声上げちゃったわよ」
カイルがじろりと姉を睨んで、「俺は声なんてあげてないよ」と突っ込みを入れる。
トワリスは、姉弟のやりとりなど耳に入っていない様子であったが、少しして振り向くと、リリアナに尋ねた。
「あのさ、ルーフェンさんが来た時、何か変わった様子はなかった? 焦ってたとか、思い詰めてるみたいだったとか、とにかく、なんでもいいんだけど……」
「か、変わった様子? ええと、そうねえ……」
その時のことを思い出すように眉を寄せ、リリアナは首をひねる。
少しの間、リリアナは悩んでいたが、すぐに諦めたように肩を落とした。
「ごめんなさい、特に思い当たることはないわ。でも、私はこれまで、ルーフェン様とちゃんとお話したことはなかったから……。カイルは? 貴方、時々お山のお屋敷の方で、構ってもらっていたでしょう。アーベリトでお店をやっていた頃も、いらっしゃる度に遊んでもらっていたし」
質問を振られると、カイルは、ぶすっとした顔になった。
「アーベリトにいた時のことなんて、昔すぎてよく覚えてないよ。ヘンリ村に来てからも、ミストリアとのことがあってからは、全然会ってなかったし。……第一、外套を渡されただけで、長話をしたわけじゃないから、いつもと違うとか違わないとか、そんなの分かんなかったよ」
「そう……」
露骨に気落ちしたトワリスとハインツを見て、リリアナとカイルは、揃って目を見合わせた。
いつもと違って焦っているのも、思い詰めているのも、どちらかというとトワリス達の方なのだが、何があったのかどうかは、聞くに聞けないような雰囲気であった。
リリアナは、困ったように視線を動かしてから、トワリスが握っている封書を示した。
「トワリスたちは、何も聞いてないの? 私てっきり、お仕事で使ったりするものなのかなと思って、その手紙にも触れずにいたのだけれど……」
そう言われて、トワリスは、手にしていた封書を改めて眺めた。
柄一つない、宛名さえ書かれていないその封書には、裏面に一行、日付だけが記してある。
その字は、間違いなくルーフェンの字であった。
トワリスは、意を決して封を切ると、中の用紙を取り出して広げた。
一体何が書いてあるのか──横から覗き込んだ他の三人も、ごくりと息を飲む。
しかし、そこに書かれていた簡潔な文を見て、リリアナとカイルは、拍子抜けした。
何か重要な文書なのかと思いきや、そこには「時間が経ってから、少しずつ使うように」と一文、流麗な文字で書かれていただけだったのだ。
「少しずつ使うようにって……これ、お金の話かしら? そりゃあ、いくら宮廷魔導師でも、こんな大金、一気に使うことなんてできないだろうけど……」
うーんと唸って、リリアナは、訝しげに呟く。
だがトワリスには、すぐに何のことだか分かったようだった。
「これ、私やハインツに宛てたものじゃないよ。……リリアナたち宛だ」
「え? 私達……? ……って、ぇえっ⁉︎」
途端に目を剥いたリリアナが、素っ頓狂な声を上げる。
いつもは表情を崩さないカイルも、これには流石に驚いたのだろう。
二人は、石像のように硬直して、金貨の詰まった袋を見ていた。
トワリスは、冷静な口調で言った。
「リリアナたちっていうか、正確には、今ヘンリ村に住んでいる、アーベリト出身の人たち宛。でも、いきなり大金を使い出したら、怪しまれるだろう? だから、時間が経ってから皆で分けて、少しずつ使うように、って書き残したんだと思う」
「皆で……って、待って、訳が分からないわ。確かにルーフェン様は、何かとこの村を気にかけては下さってたけど、だからって、どうしてそんな急に……。……う、受け取れないわ。私達、裕福ではないけれど、食べるのに困ってるわけじゃないもの」
震える手で小袋の口を閉じ、リリアナは、それをトワリスの方へ押しやる。
しかし、それを更に押し返すと、トワリスは首を振った。
「……いや、持っていていいと思う。まあ、リリアナの家にまとめて置いておくのは少し怖いから、小分けにして隠しておくのが良いと思うけど。ヘンリ村は、シュベルテの庇護下に入っていない訳だし、いざという時のために、とっておくべきだよ。……これからこの国では、何が起こるか分からないから……」
ふと、声を低めたトワリスが、剣の柄を握る。
リリアナは、不安げに胸元に手を当てると、トワリスとハインツの顔を見た。
「何が起こるか分からないって……どういう意味? 王都で何かあったの……?」
「…………」
二人は何も答えず、ルーフェンが残していった手紙を見つめている。
トワリスは、一瞬だけ、心細げなリリアナの顔を見たが、気まずそうに目を逸らすと、ハインツの方へ向き直った。
「……行こう、ハインツ。やっぱりルーフェンさん、こうなることが分かってたんだ。それこそ七年以上前から、召喚師制が廃止になる流れを作り始めていて、自分がいなくなっても良いように、体制を整えていたのかもしれない。リオット族を召喚師一族の保護下から外したのも、アーベリトの人達をヘンリ村に移住させて独立させたのも、全部そのためだったんだよ」
「…………」
ハインツは、ぎゅっと唇を引き結んだ。
すぐにでも外へ出て行こうとしたトワリスに対し、彼は、一歩も動こうとしない。
振り返ったトワリスに、ハインツは、ぽつりと問いかけた。
「行って……ど、どうするの……?」
「え……?」
訝しげに眉を寄せて、トワリスが聞き返す。
半歩戻ると、トワリスは、巨躯を縮めて立っているハインツを見上げた。
「どうするって……決まってるじゃないか。ルーフェンさんを追うんだよ。探し出して、事情を聞かなきゃ。こうなってしまった以上、教会は確実に召喚師制を廃して、自分たちが実権を握るつもりだ。ルーフェンさんが、そうなることだけを目的として王宮から去ったのか、それとも、他に理由があるのかは分からない。でも、どちらにせよ、今は逃げて身を隠さないきゃいけない。……一人じゃ心配だよ。私たちが行かないと」
「…………」
ハインツは、ふるふると唇を震わせ、再び黙り込んでしまう。
その様子を見て、トワリスは目を見開いた。
宮廷魔導師団の駐屯地から出た時、ハインツは、離反者扱いされることも厭わずに、トワリスに着いてきてくれた。
だから、てっきり彼も、ルーフェンを追うつもりなのだと思っていたのだが、違ったのだろうか。
顔を上げると、ハインツは言った。
「で、でも……ルーフェン、追ったら……だ、団長や、アレクシア、たちと、た、戦うことに、なるかも……。俺、そんなの、嫌だよ……」
トワリスは、苦しそうに顔をしかめた。
「そりゃ、私も戦いたくないよ……! だけど、しょうがないじゃないか。このままルーフェンさんが追われるのを、黙って見てるわけにいかないでしょう」
「お、俺だって……いざと言う、時は、た、戦うよ! だけど、み、見たくない。もし戦って、ルーフェンが、誰か殺しちゃったら……きっと、お、怒った人達、もっと、ルーフェンのこと、憎むよ。そしたら、ルーフェン、その人達も、殺して……。でも、ルーフェンや俺達、戦わなきゃ、俺達が、今度は殺される。そういうのが、ずっと、ずっと続くよ」
「でも、それは──」
「ルーフェン、きっと、殺しちゃうよ。目的、邪魔されたら……きっと殺しちゃう。じ、自分の、母親も、こ、殺そうとした……」
「──……」
不意に、血に染まった銀髪が、記憶の底で翻った気がした。
七年前、旧王都アーベリトが、炎の海に沈んだ日──。
力尽きたシルヴィアに、とどめを刺そうとしたルーフェンを止めたのは、確か、ハインツであった。
トワリスは、すっと息を吸った。
込み上がってきた激情が、何なのか分からぬまま、トワリスは口調を強めた。
「だって、あれは……あれはっ、そうする以外になかっただろう! ルーフェンさんが止めてくれなきゃ、今頃私達は死んでた! アーベリトの人達だって、誰一人生き残らなかったかもしれない。今までルーフェンさんが、好き好んで汚れ役を引き受けていたとでも言うわけ⁉︎」
「ち、違うよ! だけど、そういうの、もう、嫌なんだよ……。身近な、ひ、人同士……憎んで、憎まれて、殺して、殺されて、ずっと繰り返すの……そういうのは、もう……」
「嫌とか嫌じゃないとか、そういう話じゃない! 何かを守るためには、犠牲が出てしまうことだってあるんだよ! ハインツも魔導師なんだから、綺麗事ばっかりじゃ生きていけないって、それくらい分かるだろ⁉︎」
「わ、分かってる! 頭では、わ、分かってるけど……でも! ル、ルーフェンが、言ったんだよ! に、憎しみ合うのは、間違ってる、から、やめようって! ルーフェンが、俺たち、リオット族に、い、言ったんだよ! お、俺は……ルーフェンが、そういう国を、作ってくれる、召喚師だと、お、思ったから……これまでずっと、ついてきたのに……!」
聞いたこともないようなハインツの大声に、トワリスはつかの間、言葉を失った。
リオット族とルーフェンの間で、昔どのようなやりとりが交わされたのか、トワリスは知らない。
けれども、ハインツがどれほどの覚悟で、仲間たちとの生活を捨て、魔導師になったのかは知っている。
些細なことで萎縮してしまうハインツが、必死に反論してくる姿を見ていれば、彼が、かつてのルーフェンの理想に、どれほどの想いを託していたのかは、分かるような気がした。
トワリスは、迫っていた言葉を飲み込むと、歯を食いしばった。
「そんなの……誰だって、理想を追い続けられるなら、そうしたかったに決まってるよ。ルーフェンさんだって、サミルさんだって……私達だって。だけど、そういうのって、本来は皆で目指すべきものでしょう? 勿論、立場によって、出来ることと出来ないことは違うけど、だからって、誰か一人に背負わせて良いものじゃないはずだ」
ハインツは、大きく首を振った。
「せ、背負わせる、とか、そ、そんなつもりじゃ……ないよ。ただ、俺は、昔の……召喚師としてのルーフェンに……ついて、いきたかった」
「ハインツだけの話じゃない。……世間一般の話だよ」
不思議そうに瞬いたハインツを、トワリスは、真っ直ぐに見つめた。
「召喚師っていう異質な存在がいると、どうしても、それに頼り切ってしまう人が出てくるだろう。中には、その力を手に入れようとしたり、逆にその力を忌み嫌って、争いを始めたりするような人だって出てくる。……そういう召喚師絡みの諍いを食い止められるのは、この国で自分しかいないって、ルーフェンさんは考えたんだと思う」
「…………」
トワリスは、一言一言を強調するように、ゆっくりと言った。
「正直私には、召喚師制を廃するべきかどうかとか、そんなのは分からないよ。でもこれまで、ルーフェンさんやシルヴィア様、ファフリたちを見てきて……どうしてこの人たちが、こんなに理不尽な思いをするんだろうって、何度も思った。だからルーフェンさんが、そんな思いをするのは自分で最後にしたいと思うなら、私は否定しない。セントランスやアーベリトでの悲劇を、二度と繰り返さないためにも、サーフェリアから召喚師という存在自体を消す。……それが、最終的にルーフェンさんがたどり着いた結論だったんだ」
「…………」
トワリスが言い切ると、ハインツは、下を向いて黙り込んだ。
しきりに何か言おうとはするのだが、うまく言葉にならないようだった。
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