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投稿日:2025年12月31日






 寝台に横たわったバジレットは、まるで彫像と見紛うほどに生気がなかった。
体温を分け与えるように手や腕をさすっても、彼女の身体は冷たいままである。
あの威圧的な目を閉じれば、祖母はこんなにも弱々しい姿をしていたのだと思うと、シャルシスの背筋に寒気が走った。

 ふと、扉が叩かれたかと思うと、居室にモルティスが入ってきた。
モルティスは、恭しい仕草でシャルシスに礼をすると、床に伏せるバジレットの顔を覗き込んだ。

「ああ、おいたわしや陛下……。ですから申し上げましたのに……」

 ぶつぶつと呟きながら、モルティスは、首にかけていた小さな女神像を握って、祈るように目を閉じた。
しばらくはそうして、祈りを捧げていたが、ややあって振り返ると、寝台脇に控えている宮廷医師を見た。

「して、陛下の容態は?」

「え、ええ、今は呼吸、脈拍共に落ち着いていらっしゃいます。しかしながら、まだ予断を許さぬ状態かと……」

 沈痛な面持ちで答えた宮廷医師に、室内の空気が重くなる。
随分と長い間、居室は沈黙に包まれていたが、しばらくして、配下の騎士を呼び寄せると、モルティスは指示を出した。

「至急、城内に触れを出せ。陛下がお倒れになったことを、皆に知らせるのだ」

「はっ」

 敬礼した騎士が、慌ただしく扉から出て行く。
祖母の枯れ枝のような手を握っていたシャルシスは、はっと我に返ると、モルティスを睨んだ。

「モルティス、何を勝手なことをしておる! 余が呼んだのは、そなたと召喚師だけだ」

 思いがけず、大声をあげると、宮廷医師や警備兵が、驚いたように目を丸くした。
これは、祖母の不調を、まだ大事おおごとにはしたくないという気持ちから出た言葉であった。

 王宮内には、バジレットに対し、不満を抱いている者が少なからず存在する。
中には、後継のシャルシス共々、失脚させようと企んでいる輩もいるだろう。
そうした者達が、王が倒れたなどと聞いたら、良からぬはかりごとを始めるかもしれない。
故に、モルティスら有権者達は除き、公にするのはまだ避けたかったのだ。

 取り乱したシャルシスを見ても、モルティスは、落ち着いた口調を崩さなかった。

「殿下、お気持ちはお察し致します。しかし、これは由々しきことなのです。陛下がご病気を得て長いことは、皆が存じ上げております。恐れながら、このように突然お倒れになって、まだご回復の見込みがあることが、不幸中の幸いというもの。十四年前のように、王権をよそへ移すなどという不測の事態を起こさぬためにも、陛下には、お目覚めになった時すぐに、皆の前で"後継者はシャルシス様だ"と公言して頂かねばなりません。そのためには、すぐに召集に応じられるよう、早い段階で状況を周知させておいた方がよろしいかと存じます」

「それは、お祖母様がじきに亡くなるということか? 不敬だぞ……!」

 勢いづいて怒鳴ってから、はっと口を閉じた。
周囲に控える者達が、一様に俯いて、複雑な顔つきをしている。
口に出していなかっただけで、バジレットの死の可能性は、今まで誰しも考えたことがあったのだろう。

 ぐっと拳を握って、シャルシスは言い直した。

「と、とにかく、勝手なことは許さぬ。今更公言などせずとも、次期国王はこの私だ。その、もし……万が一、お祖母様がお目覚めにならなかったとしても、その事実は変わらぬ。サーフェリアを統べる正統な一族は、我々カーライル家だ」

 はっきりと言い切って、モルティスを見つめる。
モルティスは、少し意外そうに目を見開いたが、すぐに綽々しゃくしゃくとした態度に戻った。

「その意気込み、大変ご立派でございます。勿論、承知しておりますよ。ですが、不埒な考えをする者もおりますので……念のため。改めて宣言することで、シャルシス様の地位は確固たるものになるのです」

 一瞬、表情を隠すように、額を手で覆ってから、モルティスは続けた。

「殿下、ご自分だけで全てを抱え込もうなどと、お考えになりませぬよう……。貴方様は、責任感のお強いお方。しかし一方で、まだまだお若いのです。即位なされた際には、優秀な摂政役がつき、殿下をお導きになることでしょう。ですからどうか、ご安心を」

 優しい声で言って、モルティスは、頬の肉を持ち上げた。
耳あたりの良い言葉に聞こえるが、それを聞いた瞬間、シャルシスはぞっとした。
その裏に隠された言葉の本質は、陰険で狡猾なものだ。
要は、モルティスは、摂政役に自分を指名しろ、と言っているのである。

 そんなものは必要ない、思い上がりも甚だしいと、ここで一蹴することはできなかった。
実際、シャルシスはまだ成人していないし、祖母が回復したとしても、持病のある老王であることに変わりはない。
今までは、バジレットが拒否してきたが、過去にも、カーライル王政では、王が政務を負えない場合に、摂政役を立ててきたことは何度もあった。
本来であれば、王家と血の繋がりを持つ公爵家の人間が、摂政役を任じられることが多いが、十四年前、カーライル家の者はほとんどが亡くなっているため、残るは、バジレットとシャルシスだけだ。
となれば、王族との繋がりはないものの、この国で第二の地位を得た、現イシュカル教会の大司祭であり、元は事務次官として政務を執っていたモルティスが、摂政役の有力候補であることは確かであった。

 黙り込んだシャルシスに、モルティスは、念押しするように言い募った。

「出過ぎたことを、大変申し訳ございません。殿下のお望み通り、バジレット様がお倒れになったことを公にするのは、一度止めさせましょう。……しかしどの道、摂政役は必要となります。次の議会までに、"ふさわしい者"が誰なのか、お考え下さいませ」

「…………」

 モルティスは、最後に膝をつき、正式な礼をすると、外に立っている騎士達を引き連れて、部屋を出て行った。
シャルシスが、一人にしてほしいと伝えると、宮廷医師も、非常用の呼び鈴を残して、そそくさと居室を後にする。
バジレットとシャルシス以外、誰もいなくなると、重々しい空気が、一気に自分の肩にのしかかってきたような気がした。

(余は、一体どうすれば良いのだ……)

 深くため息をついて、祖母の眠る寝台に腰を下ろす。
バジレットは、起き上がる気配もなく、乾いた唇で、か細く呼吸だけを繰り返していた。

 こういう時、父がいれば、どうしていたのだろうと考えることがある。
かつて、転落事故で負った怪我が原因で、崩御してしまった父王エルディオ。
祖母バジレットは、老齢の女性ながらに鋭い洞察力を持ち、前王サミルも、先駆的な考えを持つ人物だったと聞く。
だが、シャルシスの中での王は、やはり父であった。
といっても、エルディオはシャルシスが一歳にも満たない頃に亡くなっているので、父との記憶などほとんどない。
それでも、肖像画で見た父の姿が、どんな物語に聞く英雄よりも豪傑で、堂々としているように見えて、シャルシスの頭の中に、王として鎮座しているのだった。

 摂政役を任命するならば──やはり、モルティス・リラードが適任なのだろう。
祖母は反対するはずだし、シャルシスも正直なところ、モルティスのことは好きではない。
あの男は、従順そうでいて、その実、自分が成り上がる機会を虎視眈々と狙っている。
だが、他にめぼしい者など思いつかなかったし、仮にモルティス以外を指名しても、臣下たちの同意が得られるか分からなかった。
それだけ、支持を集めている人物ではあるのだ。

 唯一、モルティスに対抗できるとすれば、同じくこの国で第二の地位にいる、召喚師ルーフェンだ。
彼には、得体の知れない側面があるが、切れ者であることは確かだったし、バジレットは、どちらかというと、モルティスよりもルーフェンを信頼しているようだった。

 ただ、召喚師一族の扱いというのはかなり特殊で、彼らは、王族に付き従う家系でありながら、王族よりも絶対的で、代えのきかない存在だ。
歴史書に目を通せば分かることだが、このサーフェリアにおいて、いかに王家が盛衰し、統治体制が変わろうとも、召喚師一族だけは滅びず、その系譜を紡いでいる。
古の時代のことは分からないが、代々の王は、召喚師に自らの立場を奪われることを恐れて、決して交わらず、かといって、その圧倒的な力を手放すこともなく、常に傍に置いてきた。
王族と召喚師一族は、どの時代でも、つかず離れずの距離を保ってきたのだ。

 父王エルディオが、前召喚師シルヴィアを寵愛していたことに加え、ここでシャルシスが、ルーフェンを摂政として迎えれば、両一族間の距離は、今までにないほど近く、交わることになるだろう。
軍事政権としての力を誇示するならば、武の象徴である召喚師一族を、身近に置くのも悪くないかもしれない。
だが、つかず離れずで均衡を保ってきた歴史を、他ならぬ自分が変えるのだと思うと、怖気付いてしまう気持ちがあった。
それに何より、着々と勢力を伸ばしているイシュカル教会が、ルーフェンの台頭を認めないだろう。
王としても、確たる支持を得られていない状態で、教会を敵に回すような状況を作るのは、なんとしても避けねばならなかった。

 シャルシスの中に、王となる覚悟がなかったわけではない。
むしろ、早く父のように立派に成長し、王座につきたいと考えていた。
そうしていずれ、どんなに頑張っても認めてくれない祖母を、見返してやりたいとさえ思っていたのだ。
しかし、その時が、まさかこんなにも突然訪れるなんて、思いもしなかった。

 バジレットは、シャルシスを「まだ未熟だ」と言って、まるで自らの殻で、囲い込むようにして育ててきた。
そのお陰でシャルシスは、十四になるまで、大きな障害なく暮らすことができたが、反面、その抑圧的な生活のせいで、未だ殻の外を知らないままでいる。
それなのに、いきなり一人で、この国の命運を握ることになる摂政役を選び出せなんて言われても、荷が重すぎるだろう。
こんなにも急に、敵意の波が打ち寄せる大海に放り投げられても、どうしたら良いのかなんて考えられなかった。

 その華奢な体躯で荒波の中を立ち続け、しかし、その徹底した虚勢ゆえに、不調を悟られず、何の予兆もなく倒れた祖母。
彼女の強固な意思を、尊敬するべきなのか、憎むべきなのか、もう自分には分からない。

 シャルシスは、バジレットの手を握ると、心の中で、必死に祖母のことを呼んだのだった。



To be continued....


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