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投稿日:2025年12月31日
* * *
御者の目を盗んで荷馬車を降り、ルーフェンたちが街道沿いの宿場に潜り込んだのは、王都を出た翌日の夜更けのことであった。
安全を取るなら、人の多い宿場には行かず、野宿する方が良いだろう。
だが、いきなり王都で足止めを食らうとは思っていなかったし、何より、シャルシスを連れて行くことになったのが予定外だったので、改めて旅装を整える必要がある。
ルーフェンは、情報収集も兼ねて、一度宿場に入ることにしたのであった。
正門をくぐり、外郭内に入ると、防壁沿いには、ずらりと宿屋が並んでいた。
通りには、沢山の商人たちが往来しており、宿で旅の疲れを癒そうと、荷解きをしている。
気になったのは、その中に、ちらほらと魔導師が混じっていることであった。
正規のローブは着ていないが、やけに周囲を気にして動き回っているあたり、商人が個人的に雇っている用心棒ではない。
おそらく、ルーフェンたちが王都から脱出したことを見越して配置された、シュベルテの魔導師たちだ。
(予防線を張ったか、鬱陶しいな……)
ルーフェンは、頭巾を深く被り直すと、シャルシスを連れて、裏通りに入った。
街道には検問が設置されていなかったので、王宮は、まだルーフェンたちが王都内に潜んでいると踏んでいるはずだ。
それでも、既に近隣の宿場にまで監視が及んでいるということは、やはり魔導師団は、ルーフェンたちが防護結界を超えたことも視野に入れて捜索している。
そして、シュベルテ内でルーフェンたちが見つからないとなれば、その警戒網は、徐々に外へ、外へと広げられていくだろう。
今夜は宿を取ってもいいかと思っていたが、買い物が済み次第、すぐに宿場を出たほうが良いかもしれない。
歩調を速めたルーフェンに、時折小走りして追いつきながらも、シャルシスは、周囲に並ぶ店々に目を奪われていた。
正門通りに並ぶ宿屋は、静かな雰囲気であったが、裏通りには、いわゆる歓楽街らしい賑わいがある。
もう夜も遅い時間だというのに、至るところから軽快な音楽や、楽しげに笑う男女の声が響いて来るのであった。
煌々と明かりが漏れる酒場の窓から、香ばしい肉の匂いが漂って来ると、シャルシスの腹が、ぎゅるる、と音を立てた。
考えてみれば、ここ二日ほど、何も食べていない。
シュベルテにいた時は、緊張で空腹など感じる余裕もなかったが、やっと追手の目が少ないところに出られたと安堵すると、急にお腹が空いてきた。
腹をさすりながら、シャルシスは、ルーフェンを見上げた。
ルーフェンは、周辺の店々には見向きもせずに、さっさと歩いていってしまう。
そろそろ休みたいとか、そんな我儘を言って良い状況でないことは分かっていたが、一度意識してしまうと、目眩がするほどの疲労感が押し寄せてきた。
シャルシスの足が、遅くなってきたことに気づいたのだろう。
ルーフェンは振り返ると、フラフラしながら後方を歩いているシャルシスを見た。
目が合うと、シャルシスは慌てて早足になって、近くまでやってきたが、その額には、びっしりと汗が浮かんでいた。
ルーフェンは、微かに眉を寄せた。
「……疲れた?」
シャルシスは、首を横に振ったが、よく見ると、その唇には血の気がなく、乾燥しきっている。
春先で、少し肌寒いくらいの気温なのに、シャルシスの額に触れてみると、やけに熱がこもっていた。
「……熱がある。具合悪いでしょう」
ルーフェンが言うと、シャルシスは、もう一度首を振った。
ここで頷いたら、足手纏いだと判断されて、置いていかれるとでも思っているのだろう。
ルーフェンは、仕方ないか、と嘆息した。
思えばシャルシスは、叙任式の時にも、一度倒れかけているのだ。
不調続きだったところで、慣れぬ旅に出て、ついに限界がきたのだろう。
この状態のシャルシスを連れ回して、野宿を強いるのは、流石に酷であった。
ルーフェンは、目立たぬ路地裏に移動すると、周辺の宿屋を見回した。
この逃避行自体は、以前から計画していたことで、多少の金は持ち合わせているので、宿をとることはできる。
しかし、この宿場の店には、既に魔導師団の息がかかっている可能性が高い。
こうなったら、盗人が寄り付かぬ安全そうな宿屋に、シャルシス一人を泊めるしかないだろう。
魔導師には気づかれるかもしれないが、シャルシスであれば、見つかっても乱暴な扱いを受けることはないはずだ。
ルーフェンは、シャルシスに何枚か硬貨を渡すと、正門の方を示した。
「表通りの宿は、まともな場所が多い。食事もついてるだろうし、今晩はそこで休むといいよ。……ああ、でも女装はやめた方がいいな。変なのに目つけられても困るし」
それを聞くと、シャルシスは、少しほっとしたように硬貨を握り込んだ。
しかし、すぐに不安げな顔になると、ルーフェンを見上げた。
「宿になど泊まったら、すぐに足が付くだろう。余はともかく、そなたは髪や目を見られたらすぐに怪しまれるだろうし、まずいのではないか?」
ルーフェンは、淡々と頷いた。
「うん。だから俺は、必要なものが揃い次第ここを出て、外で過ごすよ。まあ、子供だけで宿をうろつくのも不審がられるかもしれないけど、家出少年なんて珍しくないだろうから、素性や年齢を誤魔化すなり、多めに宿賃渡すなりして、なんとか上手く切り抜けて」
じゃ、と手を上げて、ルーフェンは踵を返す。
随分とあっさりした別れ様に、シャルシスは、慌ててその背を呼び止めた。
「ま、待て! 何を勝手に決めておるのだ! そなたが外で過ごすなら、余も野宿するぞ! このくらいの熱、なんともない!」
振り返って、ルーフェンは答えた。
「施療院には行けないんだから、悪化してからじゃ遅いんだよ。大人しく休んだ方がいい」
シャルシスは、ぶんぶんと首を振った。
「悪化はしない、少し疲れただけだ! 本人が大丈夫だと言っておるのだから、それで良いだろう。余も野宿するぞ!」
「…………」
ルーフェンは、やれやれとため息をついた。
それを聞いて、びくっと顔を強張らせると、シャルシスは、恐る恐るルーフェンの反応を伺った。
人質代わりとはいえ、やっぱり子供なんて連れて来るんじゃなかったと、後悔されているんだろうか。
自分の身は自分で守る、と啖呵を切って着いてきたくせに、早速ルーフェンの足を引っ張っているのだ。
もしかしたら、もう面倒だから置いていってしまおう、なんて思われているのかもしれない。
表情を硬くしたシャルシスに、ルーフェンは、呆れたように言った。
「あのね、野宿野宿って言ってるけど、君、野宿したことないだろう? 馬小屋より更に冷えるし、虫や獣もウヨウヨ出る。なんなら、盗賊とかガラの悪い連中が現れて、襲って来るかもしれない。今はただ疲れが出ているだけでも、そんな環境で一晩過ごしたら、手がつけられないくらい悪化するかもしれないでしょう。やっぱり帰るって言ったって、翌日には王宮のふかふかな寝台に戻れるわけじゃないんだよ」
シャルシスは、腹立たしげに声を荒らげた。
「ばっ、馬鹿にするな! 仮に悪化したとしても、そんな泣き言は言わぬ! 大体そなただって、偉そうなことを言うが、野宿なんぞしたことなかろう!」
「俺はあるよ。だから言ってんじゃん」
「な……っ」
ぐっと押し黙って、歯を食いしばる。
ルーフェンは、諭すような口調で続けた。
「悪いことは言わないから、言う通りにしな。ちょっとした拍子に死んじゃいました、なんてことも、こういう状況では十分あり得るんだから。君に何かあったら、いろんな人が悲しむだろう。ね?」
言いながら、ルーフェンは、亜麻色の頭をわしゃわしゃと撫でる。
だがシャルシスは、余計に顔をしかめると、悔しげに俯いた。
ルーフェンの淡白な物言いが、やけに神経に障った。
王宮を出てからの、短くも濃い二日間。
思い起こせば、女装をさせられたり、馬糞と共に荷台に積まれたりと、散々な目に遭ったが、なんだかんだで、シャルシスはワクワクしていたのだ。
ルーフェンのことも、相変わらず考えが読めない男だ、とは思うが、頼りになる相手だと信頼はし始めていた。
けれど、当のルーフェンにとっては、結局シャルシスは、仕方なく連れ歩いているだけの迷惑な子供なのである。
そのことを、暗に突きつけられているような気がした。
拳を握って、シャルシスは、ぽつりと呟いた。
「……そんなことを言って、余を厄介払いするつもりだろう」
ルーフェンの手が、ふっと止まる。
その手を振り払うと、シャルシスは怒鳴った。
「余が宿で寝ている間に、一人でどこかへ行くつもりなのだろう! そんな言葉には、騙されぬからな! 心配するフリをして、そなたは、余と離れる口実を作りたいだけなのだ……!」
興奮した様子で、シャルシスは、ふうふうと呼吸を荒らげる。
それに対し、少し驚いたように目を見開くと、ルーフェンは瞬いた。
確かに、宿に泊らせることで、シャルシスが魔導師たちに見つかってしまったら、それはそれで仕方ない、とは思っていた。
しかし、わざわざ置き去りにしよう、とまでは考えていなかったし、そもそも、王宮から連れ出して、たった二日で別れようと思うくらいなら、最初からシャルシスを同行なんてさせていない。
単純に、王都を出るまでに無理をさせたから、そろそろ休ませたほうが良いだろうと思っただけだ。
実際、この宿場に来てから、シャルシスは羨ましそうに店々を眺めていた。
本人も、疲労を自覚しているはずなのである。
ルーフェンは、困ったように肩をすくめた。
「随分と曲解するね。厄介払いしようなんて、そんな風には考えてないよ。ただ、具合が悪いなら、無理はするべきじゃないって話で──」
「嘘をつけ……! もし本心で言っているのだとしたら、いちいち大袈裟すぎる! ちょっと熱が出たくらいで、死ぬかもしれないとか……余はもう十四だぞ! 自分の体調の良し悪しくらい、自分で分かる!」
「分かるっつったって……。まあ、死ぬは言い過ぎだったかもしれないけど、そりゃあ、多少は大袈裟にもなるよ。だって君は──」
──次期国王なんだから。
そう言おうとして、ルーフェンはふと口を閉じた。
次期国王なんだから、王宮を出て、ろくに食事も睡眠もとれないような状態で二日も過ごすなんて、初めてだったはずだ。
慣れないことをすれば、誰だって体調くらい崩す。
大袈裟だとは言うが、その不調を甘く見ていたことが、後に命取りになることもあり得る。
しかも、その人物がシャルシスともなれば、サーフェリアにとっても大事だ。
なぜなら彼は、この国にたった一人しかいない、次期国王なのだから──。
そこまで考えて、不意に、苦々しい記憶が蘇った。
亡命しようとしているわけでもあるまいし、シャルシスがこの国の王子である事実は、きっと何があっても変わらない。
しかし、そんなことを言われても、今のシャルシスには響かないだろう。
立場を自覚しろ、なんて叩きつけは、他人に言われても、理解したくない時には分からない。
逆に、誰にも何も言われずとも、それを自覚する瞬間というのは、いずれやって来るものだ。
ルーフェンは、内心苦笑を浮かべた。
心配なのだ、という台詞は、言葉としても、枷としても、やけに重たい。
その枷で束縛されている理由が、自分だから、ではないのだと気づいた時の息苦しさは、ルーフェンもよく知っている。
自分たちは、個人である前に、国にとっての大事な駒だ。
シャルシスは、己の立場を煩わしいとは思っていないのかもしれないが、それでも、その事実を他人から突きつけられた時の、寄る辺のない虚しさを思うと、改めて口に出す気にはなれなかった。
何も言わなくなったルーフェンに対し、シャルシスは、訝しげに尋ねた。
「だって余は……なんだ。世間知らずの子供だろう、とでも言うつもりか」
どう反論してやろうか、と身構えて、シャルシスは、ルーフェンのことを睨んでいる。
ルーフェンは、しばらく黙っていたが、いきなりシャルシスの頬をつねると、ぼそっと呟いた。
「……可愛くねぇクソガキ」
「クソ……⁉︎」
突然のクソガキ呼ばわりに、シャルシスが目を見張る。
何を言われるのかと覚悟はしていたが、まさか、クソガキなどと罵倒されるとは予想外であった。
ルーフェンは、普段の行いはともかく、言葉遣いは基本的に丁寧だ。
クソガキ、なんていうのは、なんだか別人の言葉を借りてきたみたいであった。
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