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投稿日:2025年12月31日






 シャルシスの呆気に取られた顔が、おかしかったのだろう。
ぷっと吹き出してから、ルーフェンは、何かを懐かしむように目を細めた。

「……十四は、クソガキだよ。……ま、俺も自分が十四の時は、そんなこと思ってなかったけどね」

 それからくすくす笑って、ルーフェンは、シャルシスの頬を弄ぶ。
シャルシスは、すぐさまその手を叩き落としたが、口では何も言い返すことができなかった。
実際に年上のルーフェンに、そういう言い方をされると、反論のしようがない。
ずるい、年を食った大人の言い分である。

 膨れっ面になったシャルシスの髪を、ルーフェンは、もう一度かき混ぜた。

「分かったよ。そんなに俺のことが大好きで、どうしても離れたくないって言うなら、一緒に宿を探そう。俺も疲れたっちゃ疲れたし」

「いや、そなたのことが大好きとは一言も言っておらぬが……」

 シャルシスの言葉を無視して、ルーフェンは、裏通りの様子を伺った。

「とりあえず、二人で泊まるなら、人が寄り付かなさそうな安宿に変えよう。安全の保証はないけど、魔導師に追われるよりは──」

 そう言って、ルーフェンが路地から出ようとした、その時だった。
突然後方から、派手にガラスが割れるような音がして、二人は、同時に振り返った。

 路地の奥の方から、誰かの話し声が聞こえる。
何を言っているのかは分からなかったが、一人は、甲高い女の声であった。

 弾かれたように走り出したシャルシスを追い、曲がり角まで進むと、小汚い酒場の裏口で、二人の男女が言い争っていた。
見るからに酔っ払った男が、女の手を掴み、呂律の回らない口で、何やら捲し立てている。
女は、しつこい男の言動に、迷惑している様子であった。
「……大変だ、女が襲われておるぞ」

 言うや、曲がり角から飛び出していこうとしたシャルシスの襟首を掴んで引き戻すと、ルーフェンは、小声で諭した。

「襲われてるっていうか、絡まれてるだけだよ。こういう場所ではよくあることだから、大丈夫だって」

「そ、そうなのか……?」

 困惑している様子のシャルシスに、ルーフェンは、よく見なよ、と男女を目で示す。

 確かに、女は嫌がっている風だが、その派手な見た目から推察するに、彼女は芸者か何かだろう。
厄介な男客の扱いなど慣れているだろうし、ここで助けに出て行って騒ぎになる方が、女にとっても、ルーフェンたちにとっても、面倒な事態に繋がりかねない。
暴力を振るわれているならともかく、単に言い寄られているだけならば、放っておいた方が賢明なように思えた。

(……いや、芸者か……)

 しかし、ふと何かを思い立つと、ルーフェンは、女をまじまじと見た。
長い金髪を垂らし、装飾の多い衣装を身に纏った彼女は、店に専属している芸妓げいぎというより、流れの旅芸人のように見えた。
一言で芸者と言っても、生活の仕方には色々あり、名が売れていない貧しい者たちは、各地を巡って、その日に呼ばれた店で稼ぎを得る。
そして、そういった旅芸人たちの多くは、出稼ぎの間、大きな四輪荷馬車ワゴンで移動し、そこで寝起きするのだ。

 シャルシスの襟首を放すと、ルーフェンは呟いた。

「……やっぱり、助けようか」

「本当か⁉︎ それでこそ召喚師だ……!」

 視線を上げたシャルシスが、ぱっと目を輝かせる。
興奮のせいなのか、発熱のせいなのか、その顔色は、先ほどにも増して赤らんでいた。

 ルーフェンとシャルシスが出ていくと、まずは女が、あ、と声を上げて二人を見た。
すると、振り返った男も、怪訝そうに二人を認める。
定まらない視線を揺らし、フラフラとした足取りでシャルシス達の方に向いた男は、改めて見ると、体格の良い職人階級であった。

「……なんだぁ? お前達は……」

 男は、足元に落ちていた割れた酒瓶を手にすると、ゆっくりとこちらに近づいて来る。
ルーフェンは、戸口の前に立つ困り顔の女を一瞥してから、男に向き直った。

「ただの通りすがりだよ。君、ちょっと通りに出て酔いを覚まして来たら? そっちの女の子も、困っているようだし」

「ぁあ?」

 男の顔が、不愉快そうに歪む。
酒瓶を握る男の手に、ぐっと力がこもると、ルーフェンは、すぐ脇にいるシャルシスに、少し離れるよう合図した。

「あんだと、てめぇ……俺はなぁ、俺は……」

 もはや、言葉を理解することも出来ないのか、男は、うわ言のように何かを呟きながら、距離を詰めてくる。
不意に、酒瓶が振り上がったので、ルーフェンは、すっと横に動いて、ふらつく男に足を引っ掛けた。
途端、呆気なく転んだ男が、頭から地面に激突する。
すぐに起き上がってくると思ったが、もはや、そんな力も出ないほど泥酔していたらしい。
つかの間、男はうんうんと呻いていたが、しばらくすると、そのままうつ伏せになって、いびきをかき始めたのであった。

 シャルシスが背中をつついて、男が起きないことを確認していると、女が、唐突に甘ったるい声を出した。

「すごーい! 旅人さん、強いのね。助けてくれてありがとう!」

 転ばせただけなので、強いも何もないのだが、女は、演技がかった仕草で手を叩き、跳ねるようにして駆け寄ってくる。
変わった動きをするので、シャルシスは目を丸くしたが、女は、そんな視線は気にしていないようであった。

「あのね、私『クロイツ一座』の踊り子で、ノーラっていうの。そのお客さん、酔ったから風に当たりたいって言って、私のことを無理矢理、別のお店に連れて行こうとしたのよ。酔った男の人って、力が強くて怖いし……本当に助かったわ」

 わざとらしい涙声で呟き、ノーラは、潤んだ瞳でルーフェンを見上げる。
対してルーフェンも、取り繕ったような同情の顔になると、淀みなく答えた。

「それは災難だったね。きっと、君の踊りが一番素敵だったんだよ」

 そう言って、ルーフェンが指で彼女の涙を拭うと、ノーラは打って変わって、上機嫌な表情になった。
そして、ルーフェンの腕にしがみつくと、媚びた口調で、店の方へと誘導する。

「ねえ、私、ちょうどそこの酒場で踊ってるの。よかったら見て行ってよ。助けてくれたお礼に、店主さんに口利きして……」

 言いながら、ノーラがルーフェンの顔を覗きこんだ、その時。
ノーラは、さっと笑みを消すと、驚いたように瞠目した。
彼らのやりとりを見ていたシャルシスも、そのノーラの反応を見て、思わず身を凍らせる。
ルーフェンもシャルシスも、深く頭巾をかぶっているが、流石に間近で覗きこめば、その目鼻立ちは分かってしまう。
ノーラは、ルーフェンの顔を見て、何かに気づいたようであった。

 腕を離し、後ろに下がると、ノーラは、震える声を押し出した。

「き、気のせいかしら……。私……前に王都に行った時、貴方のこと、見たことがある気がするわ……」

 核心をついたも同然の言葉に、シャルシスの額から、どっと冷たい汗が噴き出る。
ルーフェンは、どう誤魔化すつもりなのだろう。
すぐ逃げられるように、足に力を込めて、ルーフェンを見つめていると、彼は、あろうことか頭巾をとって、にこやかに返事をした。

「ほんと? 運命かな。俺も君のこと、なんか見たことある気がするんだよね」

 その場でけそうになって、急いで体勢を立て直す。
肝を抜かれたのは、ノーラも同じだったのだろう。
一切の動揺も見せず、堂々と顔を見せて来たルーフェンに、ノーラの中で、確信より疑念が勝ったようであった。

 ノーラは、訝しむような顔で、ルーフェンを凝視した。

「う、運命っていうか……あの、貴方、お名前を聞いても?」

 ルーフェンは、即答した。

「ウィル・チェスコット、商人崩れだよ。チェスコット家って、聞いたことない?」

「……ご、ごめんなさい。聞いたことないわ」

「そっかぁ、残念だな。ちょっと前までは、それなりに有名だったんだけどね」

 いや誰だ、と突っ込みそうになって、シャルシスは、慌てて口をつぐむ。
おそらく偽名だろうが、よくも咄嗟に、ああもスラスラと嘘が言えるものだ。
あまりの躊躇のなさに、ノーラも、自分の勘違いである可能性を見出したようであった。

「そ、そう……チェスコットさんと言うのね。びっくりした……。その……誰かに似てるって、よく言われない?」

「え?」

 ルーフェンが、問われている意味が分からない、とった風に、首を傾げる。
しかし、すぐに何かを思いついたような顔になると、ああ、と頷いて見せた。

「あれね、召喚師様でしょ? 確かに、よく似てるって言われるよ。といっても、俺は本物を見たことがないから、いまいちピンと来ないんだけどね。……そんなに似てるんだ?」

 不意に、一歩踏み出して、ルーフェンがノーラに顔を近づける。
急に距離を詰められたので、驚いたのだろう。
表情を作るのも忘れて、ノーラは、頬を紅潮させた。

「え、ええっと……そうね。私も、召喚師様を近くで見たことはないから、正直、お顔が似てるのかどうかは分からないのだけど……。髪とか、瞳の色が噂通りだったから、てっきり、本物かと思っちゃったわ」

 ルーフェンは、おかしそうに笑った。

「まさか。本物がこんなところを歩いてたら、今頃王都は大騒ぎだよ。……あ、でもそういえば、さっき表通りで、魔導師が何人か歩いてるのを見たよ。俺、見つかったら、本物と勘違いされて、追いかけられちゃうのかな?」

 冗談っぽく言うと、ノーラは、つられたように照れ笑いした。

「嫌だわ、あれは隊商に雇われた魔導師でしょう? というか、王都の魔導師様なら、それこそ本物の召喚師様のお顔を知っているはずだもの。そんな間違い、絶対に起こらないわよ」

「ああ、それもそっか。ははは」

(ま、丸め込んだ……)

 感嘆すれば良いのか、ルーフェンの騙し慣れている感に引けば良いのか。
なんとも言えない複雑な気持ちで、シャルシスは、二人のやりとりを眺めていた。
だが、いずれにしても、完全に空似だと信じ込んだらしいノーラの肌には、すっかり血の気が戻っている。
ひとまず、この場で正体を知られるような事態には、陥らずに済んだようだ。

 シャルシスは、さっさとここから離れよう、と目で訴えたが、ルーフェンは、更に話を続けた。

「……でもね、実は、追われているのは本当なんだ」

「え……?」

 苦しそうに目を伏せたルーフェンに、ノーラが問い返す。
ルーフェンは、小さく吐息をつくと、滔々とうとうと語り出した。

「ほら、俺が商人崩れだって、さっき言ったでしょう? チェスコット家は、元々ハーフェルンで、魔法具の生産を中心に事業展開していたんだけど、去年、父が騙されてね……。組合を追い出された挙句、多額の借金を背負わされたんだ。再興のために、色々と手を尽くしたんだけど、なかなか上手くいかなくてさ。そんな折、父が、妹を売るって言い出したんだ。まだ屋敷を抵当に入れる選択肢もあったのに、だよ?」

「まあ……!」

 悲痛な面持ちになったノーラが、シャルシスの方を見る。
咄嗟に、泣き真似でもした方が良いのかと掌を構えたが、妹設定が続いているのかと思うと、なんだか気が乗らない。
結局、シャルシスはしらけた顔で棒立ちしていたが、ノーラは、あっさり信じたようであった。

 ルーフェンは、神妙な顔つきで、尚も言い募った。

「確かに、屋敷を失ったら、俺たちは路頭に迷うことになる。だけどそれは、妹を売っていい理由にはならないはずだ。……俺は、父を見限った。それで、妹を連れて、家を飛び出してきたんだ。子供を売った金を当てにしていた父は、きっと怒り狂って、俺たちを探していると思う。そんな身の上だから、多少の持ち合わせはあっても、人目につくところは歩けないし、安易に宿にも泊まれない。だから、こうやって宿場を渡り歩いて、なんとか生活してたんだけど……無理が祟って、妹が風邪を引いてしまってね。どうにかして、温かい寝床と食事にありつけないかと彷徨っていたところ、酔っ払いに絡まれている、君と出会ったんだ」

「そ、そうだったの……なんというか、言葉にならないわ。辛い旅をしてきたのね……」

 演技ではない、本物の涙を目に溜めながら、ノーラは、再びシャルシスを見つめてくる。
ルーフェンが、「シャロンって言うんだ」などと紹介してきたので、ぺこりと頭を下げると、瞬間、ノーラの目から、ブワッと涙が溢れた。

「こ、こんな良い子を売ろうだなんて、あんまりよ……! 実はね、私も子供の頃に両親に売られて、芸人なんてやる羽目になってるの。だからこそ、断言できるわ。チェスコットさん、貴方の判断は正しい。事情は分かったわ。一晩だけだけど、協力させて。私たちが寝泊まりしている四輪荷馬車ワゴンを、良かったら使ってちょうだい」

四輪荷馬車ワゴン……?」

 ルーフェンが、白々しく聞き返すと、ノーラは、こくりと頷いた。

「私達みたいな旅芸人は、基本は商人宿に泊まってるんだけど、呼ばれることが多い時期は、四輪荷馬車ワゴンで生活してるの。といっても、ちゃんと布団はあるし、食事も用意できるから、そこは安心して。私たちは、朝まで仕事だから戻らないし、明日の昼くらいまでは、そこでゆっくり休むといいわ」

 ルーフェンは、躊躇いがちに、ノーラの手を握った。

「そんな……いいの? 俺たちにとっては、この上なく有難い話だけど……。でも万が一、俺たちを匿っていたことが、父の耳に入ってしまったら……」

 ノーラは、ルーフェンの手を握り返した。

「大丈夫よ。私たち、明日の夜には、また別の宿場に発つから。貴方たちが四輪荷馬車ワゴンに泊まった形跡なんて、全く残らないし、もちろん、私も口外しない。そもそも、最初に助けてもらったのは、私の方だもの。お礼だと思って、遠慮なく使ってほしいわ」

「ノーラちゃん……」

 ルーフェンは、少しの間、憂いに眉をしかめて、ノーラの瞳を見つめていた。
だが、ややあって、優しげに微笑むと、彼女の手の甲に、軽い口づけを落とした。

「……ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね。辛い思いも沢山してきたけど、君に出会うためだったと思えば、そんなに悪くない旅路だった気がするよ」

「もう、そんなこと言って……」

 恥ずかしげに下を向いたノーラの頬が、じんわりと赤く染まっていく。
ノーラは、名残惜しそうに手を引くと、酒場の裏口の方へと歩いて行った。

「それじゃあ、私、準備してくるから……。少しだけ、ここで待っててね」

「うん、本当にありがとう」

 笑顔で礼を言って、ひらひらと手を振る。
するとノーラは、どこか浮かれたような足取りで、戸口へと入っていった。

 彼女の姿が見えなくなると、ルーフェンは、シャルシスの方に振り返って、悪びれもなく言った。

「上手くいくもんだね」

「…………」

 シャルシスは、何も答えず、遠い目になった。

 ルーフェンの狙いは、最初からこれだったのだろうか。
そう思うと、なんとも言えない罪悪感が、胸の内から込み上がってくる。
結果的に、ノーラを酔っ払いから救えたし、ルーフェンの嘘によって、損をした人間がいるわけではない。
むしろ、安心して休める場所が確保できたのだから、ここは喜ぶべきなのだろう。
それなのに、何故なのか。
どうしてこんなに、心が痛むのだろうか──。

(……詐欺だ……)

 シャルシスは、真顔になって、ルーフェンを見つめたのであった。


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