トップページへ
目次選択へ
投稿日:2025年12月31日
ノーラに案内された四輪荷馬車の中は、二人が手足を伸ばしても十分に寝られるくらいには広く、思っていたよりも快適に過ごせそうであった。
板張りの車内では、至る所から隙間風が入って来たが、足元には、フワフワの敷藁が敷き詰めてあるので、それほど寒くない。
酒場近くにつけてあったので、少々騒がしかったが、窓さえ閉めてしまえば、その賑わいも耳馴染みのある喧騒のようで、大して気にならなかった。
ノーラが、シャルシスの風邪を気遣って用意してくれた麦粥も、とても美味しかった。
見た時は、白湯みたいな食べ物だな、なんて思ったが、いざ口にしてみると、温かくて、甘くて、胃に沁み渡るような味がする。
空腹だったから、余計にそう感じたのかもしれないが、それを抜きにしても、今まで食べたものの中で、上位に入るくらいに美味しい。
出来立ての食事から、こんなに優しい味がするとは知らなかった。
シャルシスは、夢中になって麦粥をかき込み、食べ終わる頃には、「ここまで良くしてもらえるなら、ルーフェンの詐欺紛いの言動にも、感謝すべきなのかもしれない」などと、開き直った気分になっていた。
枕元に角灯を起き、布団に寝っ転がると、シャルシスは、思う存分伸びをした。
藁の上に、敷布を被せただけの寝台は、柔らかすぎて落ち着かなかったが、馬小屋やエサ箱の中に比べれば、その寝心地は雲泥の差だ。
シャルシスは、壁に寄りかかって座っているルーフェンを見ると、満足そうに言った。
「最初はどうなることかと思ったが、親切な女に出会えて、良かったな。見ず知らずの人間に、寝床と食事まで用意してくれるとは……。騙したようで、申し訳ない気持ちもあるが、ノーラも楽しそうであったし、良いだろう。民の優しさに触れて、余は感動したぞ……」
満腹になって、多少は体調が回復してきたのか、シャルシスは、血色の良くなった頬を緩ませる。
しかしルーフェンは、そんなシャルシスを見て、にやりと笑った。
「本当に良い人がどうかは、まだ分かんないよ? 朝起きたら、身ぐるみ剥がされてるかもしれないし」
「えっ……」
ガバッと頭を起こしたシャルシスが、顔を歪める。
その動揺ぶりに、ルーフェンは、ふっと鼻を鳴らした。
「なーんてね。……まあ、助かったのは事実だし、明日、無事に五体満足で起きられたら、食事代くらいは渡して行こうか。出所不明の金を置いていくと、逆に迷惑になるだろうから、夜が明けたら黙って出て行くつもりだったけど、育ち盛りがバクバク食べてたしなぁ……」
「…………」
またからかわれたのだ、と分かって、シャルシスは、あえて返事をしなかった。
こういう時のルーフェンに、何かしら返すと、余計に掻き乱されて、後々痛い目を見る。
だんだん、ルーフェンとの接し方も分かってきた。
同時に、ルーフェンの言うことも確かだ、と思い直して、シャルシスは、じーっと彼のことを見上げた。
その視線に気づいたのか、ルーフェンが眉をあげる。
シャルシスは、向かい合って座ると、しみじみとした口調で言った。
「いや……ノーラのことを疑うわけではないが、確かに、安易に信じるのは良くないな、と思ったのだ。実際、身ぐるみを剥がされる可能性だってあるし、我々が召喚師と王子だと見抜かれて、通報される危険もある。これだけ世話になっておいて、不義理かもしれぬが、それくらいの危機感と、常に疑ってかかるくらいの姿勢でなければ、旅というのは乗り越えられないのだろうなと……」
ルーフェンが、意外そうに目を瞬かせる。
それから、くつくつと含み笑いすると、軽い口調で言った。
「やだなぁ、冗談だって。そんな大真面目に語らないでよ。気楽な旅なんだしさ、疑心暗鬼になっても楽しくないじゃない」
「き、気楽な旅をしているつもりはないのだが……。それこそ、そなたにとっては、命懸けの逃避行だろう。余はちょっと反省したのだぞ。浮かれていてはまずい、気を引き締めねば、と……」
シャルシスの頭についた寝藁を取ってやりながら、ルーフェンは言った。
「そりゃあ、あんまり浮かれてると、足元すくわれることだってあるだろうけどさ。そんなに神経質にならなくても平気だよ。盗難目的なら、いかにも金がなさそうな俺たちの身の上話を聞いた時点で、追っ払われてた気がするし。それに、旅芸人一座ってのは、お呼びがかかれば、違法合法拘らず、どんなお店にでも行くし、芸だけで稼げない時は……まあ、いろんなことに手を染める集団なわけ。そういうことをしてる一座は沢山あるから、いちいち取り締まってはいないけど、本人たちも、違反スレスレのことをしてる自覚はある。だから、自分から騎士団や魔導師団に近づいていくようなことはしないだろうし、少なくとも、秘密の共有っていう響きに彼女がときめいてる内は、大丈夫じゃないかなぁ。……後々、俺たちに懸賞金でもかかったら、情報を売られるかもしれないけどね?」
「…………」
そこまで計算してノーラを助けたのか、と思うと、シャルシスは、なんだか奇妙な気持ちになった。
この気持ちは、王都の南区で、厩舎に隠れていたときにも感じたものだ。
普段の飄々としたルーフェンと、その裏で冷静に状況を見極めているルーフェン。
その二つが、彼の中で重なり合っているのかと思うと、なんだか不思議だったし、そうして見透かされた世界は、どんなものなのだろうと考えると、少し怖いような気もした。
シャルシスは、しばらく難しい顔をして黙っていたが、やがて、ルーフェンが「もう寝たら?」と促すと、再び布団の中に潜り込んだ。
座ったまま、ルーフェンも目を閉じたが、布団から顔を出したシャルシスが、尚も視線を向けてくるので、居心地が悪そうに目を開いた。
「……何?」
「いや……」
シャルシスは、まじまじとルーフェンを見つめた。
「王都を出た時から思っていたのだが、そなた、何故こんなに外のことに詳しいのだ。頻繁に城下に下りていたとしても、普通、堆肥場行きの馬車に隠れようとか、旅芸人の四輪荷馬車に匿ってもらおうとか、そんなこと思いつかないだろう」
ルーフェンは、微かに目を細めた。
「……昔、ほとんど同じ手口で、王都を抜け出したことがあったんだよ」
「昔?」
「そう、十年以上前。俺がリオット族を王都に連れてきた話、聞いたことくらいはあるだろう?」
その瞬間、シャルシスの目が、興味ありげに輝いた。
ルーフェンは、しまった、と思ったが、誤魔化すには既に遅かった。
爛々とした瞳を向け、シャルシスは頷いた。
「知っている! ノーラデュースに行ったのだろう。王都を抜け出した、ということは、皆には黙って行ったのか?」
少し間を置いてから、ルーフェンは、観念したように答えた。
「まあね。当時は、リオット族に対する偏見が今よりもひどかったから、ノーラデュースに行きたい、なんて言ったところで、反対されるに決まってたし。色々と手を回して、王宮を出て、それから何台もの荷馬車を乗り継ぎながら、南下していったんだ」
「一人でか?」
「いや、途中から護衛の宮廷魔導師と一緒だったよ。その人にも、ノーラデュース行きは反対されてたんだけどね」
シャルシスは、ほう、と興味深げに息をつく。
ようやく寝るだろうと思ったのに、ルーフェンが話を切り出したせいで、シャルシスの目は、すっかり冴えてしまったようだ。
当時の様子を想像したのか、シャルシスは、口元を緩ませた。
「なんというか、子供の頃のそなたは、さぞ狡猾で破天荒だったのだろうな。反対する者たちを次々と言いくるめる姿が、容易に目に浮かぶぞ」
ルーフェンは、片眉を上げた。
「失礼な。せめて、賢くて行動力のある、って言ってくれる? 実際の俺は、繊細で傷つきやすい子供だったんだから」
「嘘を言うな。立場に構わず王都を出て行くような子供が、繊細なわけがなかろう。普通、王宮から出ようなどと思いついても、本当に飛び出していく者などおらぬぞ。……余だって、そなたがいなければ、実行しようとは思わなかった……」
次いで、シャルシスの声色が、微かに暗くなった。
「……ノーラデュースから帰った後は、やはり大変だっただろう。余の父上や臣下たちは、怒っていたか?」
「…………」
ルーフェンは、シャルシスから視線をそらすと、仄かに光る角灯を見た。
──十四年前、ノーラデュースから戻った後。
ルーフェンがリオット族を連れ帰ったことに対し、当然、多方面から反発はあった。
しかし、最も激怒していたであろうシャルシスの父、国王エルディオとは、一言も交わしていない。
なぜなら彼は、その時、シルヴィアとその息子たちと共に、ちょうどハーフェルンへと行っていたからだ。
そして、その帰りに、馬車の転落事故で大怪我を負い、エルディオは亡くなる。
全て、当時の召喚師、シルヴィアが仕組んだことであった。
揺れる角灯の炎を見ながら、ルーフェンは口を開いた。
「……そりゃあね、いろんな人に怒られたさ。エルディオ陛下も、怖ーい人だったし。俺、一回『召喚師にはなりたくない』って言ったら、陛下に『斬首刑だぞ』って脅されたことあるからね? 今思えば、本気ではなかったんだろうけど、当時の俺は震え上がったよ」
シャルシスは、おかしそうに鼻を鳴らした。
それから目を閉じると、穏やかな口調で言った。
「そうか……。では父上は、今も天国で怒っていらっしゃるだろうな。父上は、お祖母様によく似て、厳格な方だったと聞いている。……お祖母様も、もし目を覚まして、余がこんなところで寝ていると知ったら、もう口も利いてくれないだろう」
ルーフェンは、ふ、と微笑んだ。
「なに、もう帰りたくなっちゃった?」
「……いや……」
シャルシスは、語尾を濁すと、そのまま黙り込んだ。
薄く目を開いて、暗い四輪荷馬車の天井を、ぼんやりと見つめている。
しばらくして、腕を伸ばすと、ルーフェンは、シャルシスの額に手を乗せた。
「……もう寝な。君が具合悪いっていう理由で、ここに泊まったんだから」
額に触れていた手が、そっと前髪を撫でて、頭を覆う。
その手の温もりを感じた途端、不意に、喉まで熱が込み上がってきて、目の前がにじんだ。
いつだったか、同じようにシャルシスが寝込んでいた時に、誰かが付きっきりで、頭を撫でていてくれた気がする。
でもそれは、幼かった頃のことで、遠い昔の話だ。
こんな風に話しながら、人の側で眠るのは、久々のことであった。
ズッと鼻をすすって、シャルシスは言った。
「……ルーフェン」
「……ん?」
「……本当はな。……本当は……次期国王として、外のことを知りたいから連れて行ってほしい、と言ったのは……嘘なのだ」
「…………」
遠くから、虫の声が響いてくる。
いつの間にか、宴会は終わったのだろう。
酒場の方からは、密やかな話し声さえ聞こえず、辺りは静まりかえっていた。
ルーフェンの返事を待たずに、シャルシスは問うた。
「……余のことを、ろくでなしだと思うか? 嘘をついて、病床に臥せっているお祖母様まで放って……王宮から出てきてしまった」
「…………」
ルーフェンは、淡々と答えた。
「……だから言ったでしょ。絶対、後悔することになるからね、って。そうまでして君が求めているものは、この旅の先にはないよ。今からでも、王宮に戻った方がいい」
「……分かっておる。……分かっておる。だが……まだ、帰りたくないのだ」
「…………」
溢れた涙が、つっとこめかみを伝っていく。
情けない顔を見られたくなくて、シャルシスは、ルーフェンに背を向けた。
「お祖母様が倒れた時……不安で、どうすれば良いのか分からなくて、早く目覚めてほしいと祈った。……だが、同時に安堵してもいたのだ。これでようやく、お祖母様が王座から解放されるかもしれないと、そう思ったから……」
「…………」
シャルシスは、訥々と語った。
「……お祖母様は、政界に居続けることを望んでおらぬ。それなのに、父上が亡くなってから、ずっとカーライル家の地位を守ってきた。……余のせいだ。余が未熟で、成人もしておらぬ幼子であったのに、一人生き残ってしまったから。だからきっと、お祖母様は、余のことを嫌っている。そんなお祖母様と、毎日顔を合わせるのが、本当は……少し、つらかった」
「…………」
ルーフェンは、静かな声で尋ねた。
「それは、バジレット陛下がそう言ったの? 君のことが、嫌いだって?」
シャルシスは、ふるふると首を振った。
「そうではない。……そうではないが、きっとそうだ。だってお祖母様は、余に笑いかけてくれたり、褒めてくれたりしたことがない。二人の時も、いつも怒っていて、『お前は次期国王なのだから、もっと精進するように』としか言わない。対して臣下たちは、いつも笑って、褒めてくれるのだ。『殿下は優秀だ、流石はカーライルの次期国王だ』と。……裏では、お祖母様のことを『老耄した愚王』だと、隠れて罵っているくせにな」
涙声で、シャルシスは言い募った。
「一度だけ……何もかも嫌になって、全部、放り出してみたことがあった。座学も、剣術も、魔術も、腹が痛いと嘘をついてサボった。何日か休んでから、ようやく顔を出した時も、わざと稽古で手を抜いたりした。……でも、相変わらず臣下たちは褒めてくれるし、お祖母様は冷たい顔つきのままだ。その時に……なんというか……」
「……うん」
「なんと、いうか……余は、何のために頑張っているのか、よく分からなくなった……」
シャルシスは、呆れたような笑みをこぼした。
「……いや、分かっているのだ。余に第一に求められていることは、次期国王たる資質なのだと。……だが、実際の余がどうであろうと、関係ない。お祖母様は、孫としての余には興味がないし、臣下たちにとっては、余はご機嫌取りをするべき相手というだけだ。余が努力しても、しなくても、周囲の対応は変わらない。そう思ったら……なんか、全てが馬鹿馬鹿しく感じるようになった。喉の奥が苦しくなって、ムシャクシャして……もう、無茶苦茶に叫びながら、何もかも蹴散らして、意味もなく、王宮から飛び出したくなってしまった」
「…………」
「……言葉に出すと、余の言っていることは、子供っぽいだろう。……そういう自分に、一番嫌気が差していたのかもしれぬな」
「…………」
言い終えると、シャルシスは、もう一度寝返りをして、ルーフェンの方に向き直った。
ルーフェンは、銀色の睫毛を伏せて、角灯の光を見続けている。
長い間、二人は沈黙していたが、耐えきれなくなったシャルシスが、「何か言え」と促すと、ルーフェンは苦笑を浮かべた。
「何か言ったって、どうせ意味ないでしょ。シャルシスくんが王宮から出たいと思っちゃったんなら、俺がやめておけって言っても、何も響かないんだから。……出てみて良かったと思うも自由、後で後悔するのも自由。君の人生なんだから、気が済むまで好きなようにすれば?」
「…………」
シャルシスは、拍子抜けしたように瞬いてから、物足りなさそうに眉を寄せた。
「そこは普通……いや、そなたに普通を説いても、無駄なのだろうが。……もっと、他に言うことがあるだろう」
ルーフェンは、からかうような口調で返した。
「君が言ってほしいことも、分かってるよ。……言ってあげようか?」
「……別にいい」
シャルシスは、唇を尖らせると、再びルーフェンに背を向けた。
いじけたらしいシャルシスに、ルーフェンはくすくすと笑う。
シャルシスの背中を眺めながら、ルーフェンは呟いた。
「……まあ、君にとって俺は、父親でも兄でもない、赤の他人だからさ」
「…………」
微かに瞠目したシャルシスが、ぎゅっと布団を握る。
ルーフェンは、そのまま続けた。
「言えることとしたら……やっぱり、君の代わりなんていくらでもいる、ってことかな。だから、少しくらい王座を空席にしたところで、国がどうにかなることはないよ。君だって、望んで王族に生まれたわけじゃないんだ。多少息抜きしたって、バチは当たらない」
シャルシスは、不機嫌そうな声で言った。
「……叙任式の時も似たようなことを言っていたが、その発言は無礼だぞ。余は、そなたのように無責任ではない。確かに今は王座を空けているが、だからといって、その責務を完全に放棄しようとは思っていない。……ただちょっと……旅行がしたくなっただけだ。余の代わりは、他にはいない」
「いるよ。いくらでもいる。……勿論、俺の代わりもいる。そうやって人が入れ替わって、時代が移り変わっていくんだから。そう思った方がいい」
「…………」
シャルシスは、唇を引き結ぶと、頭まで布団をかぶった。
ルーフェンの言うことは、時々訳が分からなかったし、言い方も相まって、いちいち癪に触る。
しかし、一番不愉快だったのは、赤の他人だから、と線引きされたことであった。
そんなことは、わざわざ言われなくても分かっている。
もっと長く旅をしていたならともかく、たった二日一緒にいただけで、ルーフェンのことを父親や兄のようだ、なんて思うわけがないだろう。
そんなの、当たり前のことなのに、ルーフェンに釘を刺されて、胸の奥がチクリと痛んだ。
心の底に出ていた芽を見透かされて、早々に踏み潰されたようで、無性に悲しくなったのだ。
ルーフェンは、窓を開けると、微かな月明かりを取り込んだ。
それから、角灯の火を消すと、小さく囁いた。
「……もうおやすみ。ちゃんと寝なよ」
「…………」
返事などしてやるものか、と思ったが、このまま眠ったら、その隙に、ルーフェンが自分を置いて、どこかへ行ってしまうかもしれない。
そう思うと、急に不安になって、シャルシスはぶっきらぼうに言った。
「……明日は、どこへ行くのだ?」
ややあって、暗闇で、ルーフェンが身動ぐ音が聞こえた。
「……まずは、ノーラデュースまで南下する。その後は決めてないよ。……どこに行きたい?」
シャルシスは、布団から顔を出すと、驚いたようにルーフェンの方を見た。
ここからノーラデュースまでは、少なくとも一月以上はかかる。
その後といったら、二月、三月先の話ということだ。
我ながら、単純だと思う。
再び逸り出した鼓動を悟られぬよう、シャルシスは、落ち着いた声で答えた。
「そう、だな……行きたいところなど、特に考えていなかったが。……西方カルガンの、収穫祭は見てみたいな……」
小さく笑った、ルーフェンの息遣いが聞こえた。
「いいよ。じゃあノーラデュースに行った後、カルガンに寄って、そこから北上してウェーリンまで行こうか。収穫祭は秋頃だから、順調に進めば、冬のネール山脈が拝めるかもね」
シャルシスは、表情を明るくしたが、声だけは、上擦らないように注意した。
「……そうだな。ウェーリンの冬祭りで見る氷像は、実に見事なものだと聞いたことがある。……だが、大丈夫か? 北西の境には、魔導師団の支部がある」
ルーフェンは、わざとらしい口調になった。
「誰に言ってんの? 俺たち、魔導師団と騎士団本部の包囲網を掻い潜ってきたばっかりでしょ。シャルシスくんは、王宮に持って帰るお土産のことでも考えてなよ」
その気取った言い方が面白くて、シャルシスは、思わず吹き出した。
慌てて声を抑えたが、うっかり笑ったことは、もうルーフェンにバレてしまっただろう。
ルーフェンは、声を殺して笑っているシャルシスの鼻をつまんで、言った。
「……ほら、早く寝なってば。朝になっちゃうよ」
シャルシスは、ルーフェンの手を振り払った。
「そなたは、寝ないのか?」
「もう寝るよ」
「座ったまま? 横になると、肩の傷が痛むのか?」
「……俺が寝るには、ちょっと狭いなぁって思っただけだよ」
「……そうか」
シャルシスは、広く空いている自分の隣を見やってから、暗がりに腰を下ろしているルーフェンを見た。
そして、何か言いたげに口を開いたが、言葉には出さず、再び布団に潜りこんだ。
布団の中で深呼吸すると、陽の光をたっぷりと吸い込んだ敷藁の匂いが、シャルシスを包み込む。
その匂いを嗅ぎながら、重たくなってきた瞼を閉じると、シャルシスは、深い眠りへと落ちていったのであった。
少しして、シャルシスが寝息を立て始めると、ルーフェンは、そっと自身の右肩に触れた。
ジークハルトに負わされた傷は、もうそこにはない。
放置して、たった数日で治癒するようなものではなかったが、傷跡どころか、その存在自体が消え失せたかのように、痛みすらない。
思わず慄いてしまうほどの、絶大な効力だ。
──かつて、母がこの禁忌魔術に取り憑かれた理由が、分かったような気がした。
ふと、目線を上げると、ルーフェンは、無防備に眠るシャルシスを眺めた。
この少年は、何も知らない。
バジレットが崩御し、シャルシスが即位すれば、サーフェリアは新たに生まれ変わる。
少なくとも、この時代が変わるまでは、召喚師の歴史を終わらせようなどという考えは許さない──そう言ったバジレットの治世が、じきに、幕を閉じるのだ。
(貴女の目が黒い内は、従来の体制を貫く……。この言葉は、守りましたからね。……陛下)
ルーフェンは、震える喉で、ゆっくりと吐息をついた。
目の前の暗闇で、長い黒髪が、蠢いているような気がした。
この闇を抜けた先で、自分は一体、何を思うのだろう。
そんなことが、他人事のように心に浮かんで、ルーフェンは、きつく瞼を閉じた。
To be continued....
- 24 -
🔖しおりを挟む
👏拍手を送る
前ページへ 次ページへ
目次選択へ
(総ページ数102)