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投稿日:2025年12月31日






 駐屯地の魔導師たちが用意してくれた別室に移動すると、アレクシアは、仮眠用の小さな寝台に横たわって、薄い毛布にくるまった。
日中は酷暑に見舞われるライベルクだが、日が暮れると、昼間の暖気が嘘だったかのように冷え込んでくる。
一眠りして起きた頃には、肌寒いくらいの気温になっているだろう。

 目を閉じ、うつらうつらと微睡みながら、アレクシアは、先程のヨークとのやりとりを思い出していた。
ジークハルトたちのことを、まるで取るに足らぬ存在だとでも言いたげな眼差しと、その心の内を隠そうともしない、横柄で傲慢な物言い。
ハブロ・ノームの弟子だと聞いていたから、野心のない保身家だと思っていたが、とんだ見当外れだ。
ヨークは間違いなく、ジークハルトの団長就任を良く思わない、古株の一人である。

 ジークハルトは、今はルーフェンたちの追跡に集中するべきだ、と言っていたが、アレクシアは、そうは考えていなかった。
勿論、召喚師一族の力を手放すわけにはいかないとか、王族を拐った大罪人を野放しにするわけにはいかないとか、そういった大義名分は理解できる。
だが、それを最優先として、軍部の中枢を担うべきジークハルトが、この状況で王宮を離れたのは、愚策だったように思えてならないのだ。

 ジークハルトを支持する者は多いが、裏では、若すぎる内から頭角を表した彼を妬み、その失脚を願っている者も少なくない。
地方勤務していたヨークも含め、そういった輩が、ルーフェンもジークハルトも不在になった王宮で、どんな企みを始めるのか──言うまでもないだろう。

 警戒すべきは、それだけではない。
召喚師の退位を機に、主座に着くつもりであろうイシュカル教会も、様々な思索を巡らせているはずだ。
今まで軍部に関わって来なかった教会は、魔導師団に対しての影響力が弱いため、現状は、ジークハルトの存在を重要視している。
だが、それは決して、彼を支持しての判断ではない。
あくまで、魔導師団の動きを意のままに制御するために、ジークハルトを利用しようと考えての行動だ。

 トワリスとハインツも姿を消した今、権力を握っている面々の中で、本当にジークハルトを支えようとしている者は、もう数えるほどしかいない。
その世情を思えば、ジークハルトは、やはり王都に残るべきであった。
そして、ルーフェンの追跡に向かうのではなく、召喚師制が廃止になった場合を見越して、自らが率いる魔導師団の展望とその権力維持を、何より優先させるべきだったのだ。

 ルーフェンが、一体どんなつもりで教会の告発を受け入れ、王宮を去ったのか。
アレクシアにとっては、そんな理由に興味はなかったし、正直なところ、あまり深く関わりたくない、というのが本音だった。

 武力保持を考えれば、召喚師制の廃止は避けるべきなのだろう。
ミストリアの脅威を感じた数年前までは、アレクシアもそう思っていた。
とはいえ、自らその地位を放棄したルーフェンを、力づくでも守護者として据えることに、それほど意味があるようにも思えない。
王族誘拐の大罪人を吊し上げるにしたって、それは、絶対にジークハルトが担わなければならない任務、というわけではないはずだ。
ルーフェンが国に対し、明確な敵意を抱いているならば話は別だが、そうではないなら、わざわざ召喚師を相手取る必要はないだろう。
国のため、などという自分には何の利益にもならない動機でルーフェンを追い、結果、敵対することになって、彼の尾を踏むことになるなんて御免である。
アレクシアにとっての優先事項は、自らの地位と居場所を確保し続けること。
そしてそれは、サーフェリアの平穏は元より、他ならぬジークハルトが統率する魔導師団の中でなければ、叶わぬ願いなのだ。

──それを、ちゃんと理解していないのだろう。
国と召喚師のことしか頭にない、あの仏頂面の唐変木は。

(……ま、頭でっかちに過度の期待をしても、仕方がないわね。今に始まったことじゃないし)

 仕方がないから、あのヨークとかいう中年オヤジの弱みは、自分が握れたら良いけれど。
そんなことを思いながら、這い上がってくる眠気に身を任せていると、不意に、閉じた瞼の奥に、人影が浮かび上がった。

 徐々にはっきりと見え始めたその後ろ姿は、ヨークのものではない。
暗闇の中で、異質な銀髪だけが、月光の如く仄かに光って見える。
──この異質な髪色は、間違いない。ルーフェン・シェイルハートだ。

 アレクシアは、はっと息を飲むと、蜃気楼のように脳内に現れた、彼方の光景を目に焼きつけた。
周辺に、シャルシスの姿は見当たらない。
ただ、延々と続く暗がりの中を、魔術の炎を携えたルーフェンが、ゆっくりと歩いていく。
今はまだ夕刻にもならない時間帯だから、ここは密室か洞窟か──とにかく、地上の光が届かぬ場所なのだろう。
光が届かぬ、と考えたところで、すぐにノーラデュースが浮かんだが、場所を特定するのは後だ。
今はただ、その一挙一動を見逃すまいと、アレクシアは目を凝らしてルーフェンを見つめていた。

 やがて、歩みを止めると、ルーフェンは、突き当たった岩壁を炎で照らした。
それから、ぼんやりと赤く浮かんだ岩肌に、そっと掌を添える。
すると、瞬く間に岩肌に光る線が走り、ルーフェンの身長ほどもある魔法陣が展開した。

 魔法陣を目前に、すぐさまその術式を解読しようとしたアレクシアだったが、それは出来なかった。
そこに刻まれていく文字は、一般的に魔術に用いられる古語ではなく、召喚師一族にしか扱えない魔語だったからだ。

 こんな洞窟の中で召喚術を行使して、一体何をするつもりなのだろう。
冷静に事態を分析しながら、アレクシアは、ルーフェンの行動を見守っていたが、次の瞬間、その思考は吹き飛んだ。
完成した魔法陣が、鈍い光を放った途端、辺り一帯に、凍てつくような冷気がほとばしったからだ。

 アレクシアの遠見は、あくまで視覚的な情報しか得られないものなので、会話風景を視たところで、その内容は聞こえないし、まして、その場の温度など感じることはできない。
こんな風に感覚まで共有されたのは、初めてのことであった。

 魔法陣から放たれる不気味な魔力は、一目しただけで震えが走るほどの狂気を孕んでおり、一瞬にして、辺りを邪悪な気配で満たしてしまった。
ぞくぞくと込み上がって来た寒気に、全身の血の気が引いていく。
アレクシアの身体と、ルーフェンがいる空間は、互いに干渉できないと分かっているはずなのに、気づけば、悪寒で歯がカチカチと鳴っていた。
 
 それでも目を逸らさず、アレクシアは、ルーフェンの動向を注視していたが、予想に反して、それ以上のことは何も起こらなかった。
ルーフェンが手をどければ、岩肌に浮かんでいた魔法陣は、ふっと光を失って消える。
再び闇に沈んだ視界の中で、ぼうっと浮かんで見えるのは、ほのかに光る魔術の炎と、その明かりに照らされた、ルーフェンの輪郭だけであった。

 ルーフェンは、目先の暗闇を見つめて、長らく立ち尽くしていた。
だが、ふと振り返ると、何かを探るように、目をすっと細める。
向こうからは、アレクシアの姿を見ることはできない。
単なる偶然だ、別の気配を察知したに違いない。
そう思ったが、ルーフェンは、確信を得たような動きで、アレクシアのほうに視線を定めた。

「──……!」

 その温度のない銀色の瞳と、確かに目が合った──刹那。
アレクシアは、びくりと寝台から跳ね起きた。

 バクバクと心臓が脈打ち、冷や汗がこめかみを伝う。
顔を上げ、壁掛けの鏡を見やると、そこに映った自分の顔は、死人のように青ざめていた。

 ああ、これだから得体の知れない異端者とは、不用意に関わりたくないのだ。
召喚師一族と肩を並べる気などないが、これは言うなれば、同族嫌悪というやつなのだろう。
同じ異端でも、自分たちはトワリスのように愚直ではないし、ハインツのように単純でもない。
言葉にならない不快感と恐怖が、胸の奥に沈殿していた。

 小刻みに震える指先をさすりながら、深呼吸を繰り返していると、不意に、扉を叩く音がした。
一拍置いて、聞こえて来たのは、ジークハルトの声であった。

「……おい、起きてるか? そろそろ出発するぞ」

「…………」

 返事をせずにいると、ややあって、躊躇いがちに扉が開かれる。
仏頂面を覗かせたジークハルトは、寝台の上で蒼白になっているアレクシアを認めると、眉間に皺を寄せた。

「……どうした?」

 尚も答えず、アレクシアは、額の汗を拭う。
膝にかけていた毛布を手で払い、寝台から立ち上がると、アレクシアは、長い蒼髪を組紐で括り直した。

 怪訝そうに様子を伺ってくるジークハルトを、横目に見ると、アレクシアは、唇に笑みを浮かべた。

「喜びなさい、これで堂々と威張れるわよ。──ルーフェン・シェイルハートは、今もノーラデュースにいる」


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