トップページへ
目次選択へ
投稿日:2025年12月31日
ノイを先頭に、ジークハルト、アレクシアの順で並び、三人は、岩壁伝いに暗闇を下っていった。
洞窟内は、外界から切り取られたかのように静まり返っており、聞こえる音といえば、自分達の足音と息遣い、そして、宙を漂う炎の小さな揺れ音だけだ。
ルーフェンの描いたメモを頼りに進み続け、一つ目の分岐を曲がる頃には、背後に見えていた入口からの光が、小さくなって消えていた。
「多分、ここからは更に道が細く、暗くなっていくと思うけど、炎を増やしたり、先を照らしたりはしないで。少し歩きづらいかもしれないけれど、灯りは、貴方たちの足元を照らすだけ。とにかく、大きな音を立てたり、強い光を放ったり、無闇に刺激するような真似をしなければ、獣たちは炎を恐れて近寄ってはこない」
「……分かった」
ノイの忠告に従いながら、二つ目、三つ目の枝道を過ぎていく。
本当に、この先にシャルシスがいるのか。
これがルーフェンによる罠だったとして、ノイはどうやって逃げ出すつもりなのか。
あらゆる可能性に思いを巡らせながら、ジークハルトは、前を行くノイの背を見つめていた。
まず、真っ先に思い浮かぶ厄介な策は、ノイが自己犠牲を承知で、自分ごとジークハルトとアレクシアをこの洞窟内で生き埋めにすることだ。
リオット族の女一人、自力で宮廷魔導師二人をどうにかすることは出来ないだろうが、地の魔術を以て、落盤を引き起こすことは不可能ではないかもしれない。
洞窟の深部で下敷きになれば、ジークハルトたちも流石に成す術がないだろう。
だが、その方法では、外にいるヨークとギールを巻き込むことはできないし、ジークハルトたちの死亡が確認されれば、やはり罠だったと判断した二人が、手段を選ばずルーフェンを殺すはずだ。
ルーフェン側に拘束術を解く策があるのか、あるいは、単純に戦力の分散を図る目的でジークハルトたちを洞窟に誘導した、という可能性も考えられるが、それも結論は同じで、リオット族の犠牲があって成り立つものだ。
ジークハルトには、ルーフェンがそのような方法を取るとは、なんとなく思えなかった。
四つ目の分岐にたどり着いたところで、不意に、ノイが立ち止まった。
目の前には、右へ続く道と、斜め上へ続く穴がぽっかりと口を開けている。
ルーフェンは、杖を突っかければ登れる程度だ、などと言っていたが、そうは見えない。
斜穴というよりは、縦穴と言えるくらいの急斜面だし、先も分からないほどに長さがあるようだ。
ジークハルトのほうに振り返ると、ノイが、掌を出した。
「私が登って、上から縄を垂らすわ。縄を渡して」
「…………」
ジークハルトは、目だけを動かして、ノイを見つめた。
「……話が違うな。ここまで急だとは聞いていない。用意がなければ、普通の人間では登れないだろう」
ノイは、怪訝そうに眉を寄せた。
「だから、私が先に登ろうって言ってるのよ。リオット族であれば、この程度、普通によじ登れるわ」
「……そうか。だが、ルーフェンとシャルシス殿下の道程に、リオット族は同行していなかったのだろう。殿下が、本当にこの縦穴を登ったのか? 何かしら魔術を使ったのだとしたら、何故ルーフェンはそのことを俺たちに言わなかった? 君を先に穴の上へと行かせるためか」
「それは……」
ノイが、たじろいだ様子で言葉を詰まらせる。
わずかに視線をそらすと、ノイは首を振った。
「そんなの、分かるわけないでしょう。私は、ルーフェンたちがどうやって道を進んだかなんて聞いてないし、彼の思惑も知らない。それなのに、貴方が先導として着いてこいというから、仕方なくこの洞窟に入ったんじゃない」
──その時だった。
視線を戻そうとして、顔を上げたノイの表情が、びくりと強張った。
場の空気が変わったのを感じて、ジークハルトはルマニールを、アレクシアは宝珠を取り出して身構える。
三人の視線は、一様に、右の道へと注がれていた。
ふう、と生ぬるい風が吹いてきて、穴の奥で、何かがむくりと起き上がった。
暗闇に浮かんだ二つの光が、巨体を地面に擦りながら、ゆっくりと近づいてくる。
その光が、薄く膜を張った両の目であると気づくのに、そう時間はかからなかった。
やがて、穴から顔を出したのは、容易く人を丸呑みできるほどの巨口を持った大蛇──土蛇だったのだ。
土蛇は、主に地下で生活する、ノーラデュース最大の捕食者だ。
かつて、リオット族を監視していた魔導師たちが襲われた例も多々あったため、ジークハルトとアレクシアも、存在は知っていた。
だが、実際に目の当たりにするのは、初めてであった。
ジークハルトとアレクシアは、視線だけを交わすと、互いに動かぬ方が良いと合図をし合った。
土蛇は、硬直している面々には見向きもせずに、シューシューと噴気音を出しながら、宙で燃える炎を凝視している。
明らかに、火を警戒している様子であった。
警戒が敵意に変わらぬ内に、ジークハルトが魔術の炎を消そうとした──その瞬間。
突然、すっと息を吸ったノイが、甲高い指笛を鳴らした。
特徴的な抑揚を奏でながら、笛音が洞窟中にこだまする。
刹那、土蛇の巨体が大きく反り返り、その縦長の瞳孔がカッと開いた。
跳ねた尾が砕けた石片を散らして、ずらりと並ぶ鋭利な歯が、襲い掛かってくる。
咄嗟に左右に跳び、ジークハルトとアレクシアが攻撃を避けた──その隙に、ノイは、猿のような身のこなしで縦穴によじのぼると、その穴の先へと消えていった。
「おい待て……!」
大声でノイを呼び止めるが、再び身を起こした土蛇に牙を剥かれて、追うどころではない。
地面に食らいつき、岩ごと呑み込むように向かってくる土蛇の標的は、ジークハルトに定められていた。
鞭のようにしなった土蛇の身体が、天井を砕き、石片となってガラガラと落ちてくる。
それらをルマニールで弾きながら、ジークハルトは、内心舌打ちをした。
ノイは「洞窟に棲む生き物たちは、炎を恐れて近寄ってこない」と言っていたが、ルーフェンの差金か、それとも本人の判断か、その言葉は嘘だったのだろう。
連れ込まれたこの洞窟は、もしかしたら、土蛇の巣穴だったのかもしれない。
そう考えれば、人では行き来しづらい縦穴や斜穴が、やたらと枝分かれして巡っているのも頷ける。
巣穴に見慣れぬ炎を携えた侵入者が現れれば、獰猛な土蛇は、当然排除しようと近寄ってくる。
ノイは、ジークハルトたちを土蛇に襲わせるために、あえて炎の持ち込みを提案したのだ。
アレクシアは、複数の宝珠で土蛇を取り囲むと、ジークハルトに叫んだ。
「早く火を消して、目を閉じて!」
土蛇からの攻撃を避けたジークハルトが、魔術の炎を消したのと同時に、宝珠が強い光を放って明滅する。
視界が白く塗りつぶされて、前後不覚に陥ったのだろう。
土蛇はジークハルトから飛び退くと、身体を激しくくねらせた。
ただですら狭い洞窟内、下手に魔術を使って攻撃すれば、その衝撃で、自分達も生き埋めになりかねない。
しかし、土蛇の縄張りに入ってしまった以上、足だけで逃げ切れる可能性は低いだろう。
ノイを追うにしても、一旦外に戻るにしても、今は土蛇の動きを止めなければならなかった。
次いで、土蛇を縛り上げようと、アレクシアが魔力を練り直した時。
不意に、足下が大きく振動して、アレクシアは転倒した。
土蛇がのたうった影響で、地盤の一部が崩れたのだ。
暴れ回る土蛇の身体に弾かれ、潰されて、円状に浮いていた宝珠が砕けていく。
粉々になった宝珠は、鈍い光を発しながら、地面に降り注いだ。
ジークハルトは、落石や土蛇の身体を避けながら、アレクシアの元に走り寄ると、その腕を掴んで起こした。
「走れるか? 洞窟を出るぞ」
「あのリオット族の女はいいの?」
「いい、ここに殿下がいないことは分かった。外に出て、改めてルーフェンを問い詰める」
口早に会話しながら、ジークハルトは、ルマニールに魔力を込めた。
興奮して噴気音を立てた土蛇が、真っ赤な口を開いて、再び襲いかかってくる。
その牙が届く前に、ルマニールを投擲すると、ジークハルトは唱えた。
「猛き炎、奮う風よ、我が手に集い、貫け!」
ジークハルトの手の動きに呼応し、風を纏って飛来したルマニールが、一閃──土蛇の下顎から上顎に突き刺さった。
噴き出した血が、ルマニールの発する熱で蒸発し、霧のように立ち昇る。
しかし、土蛇の勢いは止まらず、顔面を串刺しにされたまま、その巨口が頭上に迫ってきた。
ジークハルトは、アレクシアと共に後ずさると、更に指先を動かして、ルマニールを操作した。
一度抜けた刃が、灼熱の蒸気を纏ったまま、ジークハルトの周囲を旋回し、今度は土蛇の喉元を突く。
そして、血肉を巻き込みながら回転すると、ルマニールは、土蛇の強靭な頭蓋をバリバリと割った。
苦痛に喘いで、大きく伸び上がった土蛇は、やがて、力尽きて地面に倒れる。
飛び散って痙攣している頭部の肉片から、ルマニールを引き抜くと、ジークハルトは、すぐさま元きた道を走り出した。
「行くぞ! 大した魔術は使ってないが、天井くらい崩れてきてもおかしくない」
「ったく、だから外で待っていたかったのよ……」
ぼやきながら、宝珠の一つで足下を照らし、アレクシアも跡を追う。
お互い、口には出していなかったが、嫌な予感はしていた。
遠くの方で、岩の崩れる音がこだまして、響いてきていたからだ。
二つ目の分岐点まで戻ったところで、不意に、ジークハルトが立ち止まった。
同じく足を止めたアレクシアも、その理由に気づいて、身を凍らせる。
道の先を、巨大な壁──否、ズリズリと動く土蛇の鱗が、隙間なく塞いでいたのだ。
土蛇は、一匹だけでなかったのである。
地面が揺れ、後ろからは、微かだった崩落音が近づいてきている。
ジークハルトとアレクシアは、互いに目を見合わせると、それぞれの得物を構えたのだった。
- 31 -
🔖しおりを挟む
👏拍手を送る
前ページへ 次ページへ
目次選択へ
(総ページ数102)