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投稿日:2025年12月31日






 どこからか、高い笛の音が響いてきて、ヨークはハッと顔を上げた。
魔導師団の持つ緊急用の呼び笛ではない、独特の抑揚がある、不思議な音だ。

「今の音は……? 何かわかりますか?」

「音……?」
 
 依然として、ルーフェンに銃口を向けたままのギールは、怪訝そうにヨークを見る。
微かな音だったので、聞き逃していたのだろう。
ギールは、警戒した様子で耳を澄ませた。

 二人の視線が、自然と洞窟へ集まると、向かいの岩場に座っていたルーフェンが、ふと口を開いた。

「……獅子鷹の鳴き声じゃない?」

「シシダカ?」

「この辺にいる、でっかい鷹だよ」

 聞き返してきたヨークに、ルーフェンは続けた。

「ま、俺もリオット族から聞いたことがあるだけで、本物を見たことはないんだけどね。数が少ないのか、最近は滅多に見かけないみたいだよ。翼を広げると、人間よりもずっと大きくて、馬くらいは平気で掴んで連れて行っちゃうんだって。昔は、昼間は獅子鷹、夜は土蛇に注意ーってのが、ノーラデュースを渡る上での心得だったらしいよ」

「…………」

 まるで子供に言い聞かせるような口調で語ったルーフェンを、ヨークは訝しげに見つめた。
今、そんな話はどうでもいいと一蹴するところだったが、ふとよぎった予感が、言葉を押し留めたのだ。

 洞窟の奥から、心をざわつかせるような、不穏な風が流れてくる。
眼鏡を掛け直して、ヨークはルーフェンに向き直った。

「……その獅子鷹とやらは、地下で暮らしているものなのですか?」

 ルーフェンは、わずかに首を傾けた。

「いいや、鳥だし、生活圏は地上と空じゃないかな。……なんで?」

「先程の鳴き声、こもったような音に聞こえたので、空ではなく、洞窟の奥から響いてきたのではないか、と思いまして……」

 ヨークの言いたいことを察して、ギールの顔から血の気が引く。
ルーフェンは、唇に笑みを浮かべた。

「……知ってる? ノーラデュースで一番大きくておっかないのは土蛇だけど、土蛇の天敵は、獅子鷹なんだってさ」

 ヨークとギールの顔に、緊張が走る。
ルーフェンは、岩間から覗く空を見上げた。

「これも、リオット族からの受け売り。……土蛇は、地下に巣穴を作って、夜になると外に出てくる。でも、食い出がありそうな人間が出歩いているのは、朝や夕方が多いでしょ? それで、たまーに明るい内から、巣穴を出ようとする奴もいるらしいんだ。獅子鷹は、そういう土蛇を集団で襲う。普段から暗い場所に潜んでる土蛇は、明るい地上に出ると、目が眩んで一定時間動きが鈍くなるから、獅子鷹は、その隙を狙って、土蛇を殺して引きずり出すんだってさ。だから、獅子鷹の鳴き声が聞こえると、土蛇はすぐに巣穴の奥に引っ込むらしいよ。その習性を知ってるから、リオット族は、土蛇と遭遇しちゃった時、指笛を吹いて土蛇を怯ませるんだとか。すごいよねぇ、現地人の生き抜く知恵ってやつ?」

 あはは、と笑ったルーフェンの耳元をかすって、何かが背後の岩壁を撃ち砕いた。
ギールの構えた銃口から、ふわりと硝煙が上がっている。
魔力は感じない、王宮で被弾した時と同じ撃ち方であった。

 ルーフェンは、後ろに視線を動かして、岩に食い込んだ銃弾を見遣った。
ひしゃげたそれは、不気味な存在感を放って、黒く光っている。
推測が確信に変わると、ルーフェンは、表情を変えずに二人に向き直った。

「やはりたばかったか、この罪人めが……! 洞窟が土蛇の住処だと知っていて、団長たちを誘導したんだろう!」

 見開かれた目でルーフェンを睥睨へいげいし、ギールが叫ぶ。
ルーフェンは、苦笑混じりに言った。

「今更何言ってんの。俺の発言なんて、君達も最初から信じてなかっただろ? それでも、俺が拘束されている内は取り返しがつくと、あえて誘いに乗ったのはそちらの都合だ。大丈夫、ジークくんたちも、本当に切羽詰まったら何かしらの合図を出してくるはずだよ。それこそ、呼び笛を鳴らすとかね。合図がないってことは、君たちに知らせるまでもない状況、つまり俺の監視の方が優先度的に高いと判断したってこと。……まあ、あっさり土蛇に食べられちゃったんだとしたら、判断も何も、笛なんて吹けないけどね?」

「────っ」

 ルーフェンの挑発的な言葉を受けて、ギールのこめかみに筋が立つ。
ヨークは、再び持ち上がった銃剣を掴んで押さえると、座ったままのルーフェンを見下ろした。

「……一体なにが狙いですか? ここで我々を騙していたのだと自白しても、貴殿には何の得もないでしょう」

 ルーフェンは、ヨークの後ろで憤然と身を震わせているギールを一瞥して、答えた。

「騙したこと、悪いとは思ってるんだよ。誤解しないでほしいんだけど、別に俺は、君たちと争いたいわけじゃないんだ。……だから、ここは平和的に、話し合いで解決しない? ヴィルマン卿」

「…………」

 眉をしかめたヨークに、ルーフェンは、にこやかに続けた。

「要は、この場で貴方が俺を殺したことにして、見逃してほしいんだ。筋書きは任せるよ。俺がジークくんとアレクシアちゃんを罠に嵌めたから、問答無用で殺したってことにしてもいいし、抵抗が激しかったから、やむを得ず殺したってことにしてもいい。とにかく、俺を解放して、王宮に召喚師は死んだと報告してほしい。そうしたら、近いうちに必ずシャルシス殿下を王都に帰すし、俺自身は二度と公に姿を出さない。団長命令には逆らったことになるけど、状況が状況だし、逃がすよりは殺してしまった方が面目が立つ。そもそも貴方は、団長命令なんて気にしてないんだろう? 教会側は、初めから俺が死んだ方が都合が良いと思ってるだろうし、むしろ、ここで"大罪人を仕留めた"名誉を得た方が、魔導師団にとってもヴィルマン卿自身にとっても得なはずだ。ね、そうでしょう?」

「…………」

 ヨークは、少しの間黙り込んでいたが、ふと眼鏡をかけ直すと、鼻を鳴らした。

「取引を持ち掛けているつもりですか? ……馬鹿馬鹿しい。この状況で、我々が貴殿の言葉を信じるとお思いで? 今の私にとっては、殺したと偽って名誉を得るより、本当に貴方の首を持ち帰った方が、よほど確実で利口な選択です」

 言いながら、ヨークが指先を動かせば、ルーフェンの腕に刻まれた呪言が反応を示し、鈍く光る。
ルーフェンは、困ったように肩をすくめた。

「確かに、一度騙した後に俺を信じろってのは難しいか。……でも、本当に殺すっていうなら、俺だって抵抗するよ。まだ死ぬわけにいかないんだ」

 ヨークは、おかしそうに目元を歪めた。

「抵抗? 一体どう抵抗しようというんです? 拘束術を施された貴殿を呪殺することは、赤子の手をひねるより容易い。呪詛返しでも企んでいるのか、召喚術に解術する当てでもあるのか知りませんが、詠唱する間も無く縊り殺せますよ」

「そう? まあ、どうしても物騒な方向に持って行きたいなら、やってみてもいいけど。……つまり、交渉決裂ってことでいい?」

「…………」

 再び口を閉じると、ヨークは、訝しげにルーフェンを眺めた。

 ただの虚勢にしては、いくらなんでも余裕がありすぎる。
追い詰められた人間が、ハッタリで場を切り抜けようとするのはよくあることだが、それでも、こうして長々と会話を続けていれば、普通は演技にボロが出てきたり、精神的に弱ってきたりして隙が出てくるものだ。
どんなに凶悪な人間でも、死の恐怖に晒され続ければ、いずれは頭を垂れるようになる。
ヨークは、そのことを経験的に知っていた。

 拘束術を行使する際に、あえて呪言縛りに関する説明はしたし、召喚師に限って、その効力が理解できていない、ということもないだろう。
それに、呪術の真の恐ろしさは、術そのものというよりも、いつ殺されるか分からない悪夢のような時間を、術者の采配一つでいくらでも過ごさねばならない、という点にある。
首元に食い込んだ刃が、いつ真横に引き抜かれるのか分からない。
全身に回った術式が、いつ心臓を食い破るのか分からない。
その計り知れない恐怖と絶望に、何刻、何日と支配されると、処刑台に上がる頃には、取り繕えなくなるほどに弱っているものなのだ。

 ルーフェンに拘束術を施して、既に一日以上経っている。
しかし彼には、そういった恐怖心から来る綻びが、未だに見えていなかった。
まさか、本当に打開策があるというのだろうか。
だとすれば、下手に手を出さず、様子を見るべきなのか。

 ルーフェンは、ヨークの返事を待って、じっとこちらを見据えている。
腹の底を探り合うように、ヨークもその銀の瞳を見つめ返していたが、その時、ギールが手を振り払ってきたので、ハッと視線を移した。

 ギールは、真っ赤になった顔をルーフェンに向けると、掠れた声で怒鳴った。

「その口を閉じろ! 僕たちは、脅しなんかには屈しないし、偽りの名誉のために大罪人を逃したりなどしない! 馬鹿にするな! そんな交渉は無意味だということを、今ここで思い知らせてやる……!」

 再び銃口を向け、ルーフェンの足に狙いを定める。
その勢いに、ルーフェンは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに苦笑を浮かべた。

「真っ直ぐだなぁ。でも、残念ながら、君みたいな正義感の強い奴ばっかりじゃないんだよ。……心当たり、少しくらいはあるだろう?」

「……っ」

 ぐっと歯を食いしばると、ギールは、ぶるぶると震え始めた。
その額には、びっしりと汗が浮かんでいる。
時間をかけて息を吸うと、ギールは、唸るようにして呟いた。

「……楽しいか? そうやって、人の心につけ込んで、嘲笑って……」

 ギールは目に、涙の膜が盛り上がった。

「お前を慕って、信じている人もいるんだぞ。トワリスさんとハインツさんは、召喚師が失踪したと聞いて、宮廷魔導師団を離反した。そこまでして情を寄せてくれる人達すらも、貴様にとっては、利用できる駒の一つに過ぎないのか? 騙されているとも知らず、全てを投げ打ってくれたリオット族や、彼らの姿を見ても、お前は何も思わないのか……!」

 その頬を、あふれた涙が伝う。
思わぬ言葉に、ルーフェンは、微かに目を見開いた。
トワリスとハインツが、宮廷魔導師団を離反したことは、全く知らなかった。

「…………」

 答えずに目を伏せると、ルーフェンは、ため息をついた。
そして、再び顔を上げると、困ったような、薄い笑みを浮かべた。

「……馬鹿だな、と思うよ。心の底から」

 それを聞いた途端、ギールの中にあった迷いが、跡形もなく消え去った。
銃剣を持ち上げ、照準をルーフェンの心臓の位置に合わせる。
くっきりと姿を現した殺意に、ギールは、思わず歯軋りをした。

「貴様が思った通りの人間で、良かった。トワリスさんが、見えていないことが沢山あるだなんていうから、ギリギリのところで確信が持てなくなっていたんだ。でも、安心した。これで俺は、貴様への復讐心を、正しいものだと胸を張って言える」

 ルーフェンは、表情を変えずに尋ねた。

「君の復讐云々ってのは、アーベリトが没落した時のことを言ってるんだよね?」

「ああそうだ! 貴様が旧王都アーベリトを滅ぼし、当時暮らしていたレドクイーン家の人間を皆殺しにしたんだ!」

 ギールは、血走った眼でルーフェンを睨んだ。

「僕の父は、優しい人だった。武器商家として、成功の機会をくれた貴様に心から感謝し、その恩に報いようとしていた。それなのに、お前はその気持ちを踏み躙ったんだ。何故あのような、残虐な真似をした? 一代限りの治世では満足できず、シュベルテでの地位も手に入れたかったのか? 遷都を強行して失っていた召喚師一族への信頼を、レーシアスの治世を終わらせることで、無理矢理にでも取り戻そうとしたんだろう、なあ? 潔く認めろ! 欲に目がくらんで、貴様がアーベリトの人々を惨殺したんだ……!」

「…………」

 人が変わったように、ギールが捲し立てる。
ルーフェンは、ふと立ち上がると、静かな声で答えた。

「……確かに、アーベリトに火を放ったのは、俺だよ」

「──火を放ったのは? では、主犯は誰だ? 発表通り、シルヴィア・シェイルハートがやったとでも言うつもりか? アーベリトの生き残りの中には、魔語が刻まれた魔法陣を見たという者だっているんだぞ。既に召喚師の座を退任した人間が、どうやって召喚術を使ったと言うんだ」

「…………」

 ルーフェンの動きを警戒し、ギールが、一歩後ずさる。
治らぬ震えで、狙いが定まらないのだろう。
銃剣を強く握り直すと、ギールは、改めて照準を合わせた。
少しの間、そうして返事を待っていたが、やがて、ルーフェンが何も言う気はないのだと悟ると、ギールは、その沈黙を自供ととったようだった。

 ギールが、ついに引き金を引こうとした時。
傍観していたヨークが、横から口を挟んだ。

「待て、挑発に乗るなと言っているでしょう。今は様子を──」

「──止めないで下さい!」

 涙を飛び散らせながら、ギールは、再度ヨークの手を振り払った。

「……すみません、でも、止めないで下さい。覚悟は出来ています。命令を反故にして召喚師を殺したことは、全て僕の責任だと報告して頂いて構いません。罰なら、後でいくらでも受けます。ですから、止めないで下さい」

 ルーフェンから目を離そうとしないギールに、ヨークは、迷った様子で手を引いた。
どうするべきか、ヨークも考えあぐねていたのだ。

 正直なところ、さっさと殺してしまった方が、確実に召喚師の身柄を王都へ届けられる、という気持ちはある。
そうすれば、シャルシスの行方を知る者はいなくなるが、このまま生かしておいたところで、ルーフェンが素直に居所を吐くことはないだろう。
それに、ルーフェンの言う名誉とやらに執着するわけではないが、煮え切らないジークハルトの命令に従っていては、今ある魔導師団内の階級が覆ることはない、という焦りや苛立ちも、確かに心の奥底にはあった。

 だが、一方で、果たして教会の思惑通りに事を運んで良いのか、という躊躇いがあることも事実だ。
何よりルーフェンが、本当にこのまま大人しく殺されるとも思えない。
彼の巡らせる策が読めない以上は、慎重になるべきだという思いと、拘束術に囚われている内に、その首を落としてしまった方が良いという思いが、ヨークの中で拮抗していた。

 ギールは、ルーフェンに一歩近づいて、言った。

「……俺は、イシュカル教徒ではないが、彼らの言う『悪魔』や『死神』が、人を蝕む邪悪な存在であるならば、それはきっと、召喚師が使役する形無き魔物たちのことではない。ルーフェン・シェイルハート、お前自身だ! ……お前は、人間じゃない。僕は、血で汚れきった殺人狂を、魔導師として処刑するだけだ……!」

 揺るがない眼差しが、ルーフェンを捕らえる。
それでも立ったまま、逃げようともしないルーフェンに、ヨークは、違和感を覚えた。

 思い返せば、ルーフェンは、やたらとギールを焚きつけては、銃口を自分に向けさせていた。
ギールのほうが煽りやすいから、と言われればそれまでだが、それにしたって、ただの時間稼ぎにしては執拗すぎる。
ルーフェンが深手を負ったところで、ヨーク自身とその魔力が残る限りは、拘束術が解けることはない。
ここで負傷する意味などないはずなのに、ルーフェンは、自分を撃つように仕向けている。

 そこまで考えて、はっと息を呑むと、ヨークは、慌ててギールの肩を掴んだ。

「やはり待て! レドクイーン卿、君の武器、一体どんな──」

「──ああ、思い出した」

 止めに入ったヨークの言葉を、ルーフェンが、語気を強めて遮る。
驚いて、顔を上げた二人に、ルーフェンは、冷たい微笑を向けた。

「思い出したよ、君のお父さんの名前。デイル・レドクイーンだ。……じゃあ、魔法具の勉強のために魔導師団に入って、ゆくゆくは家を継ごうっていう、自慢の一人息子は君のことか」

 ギールの目の奥に、わずかに残っていた理性が消え去る。
ルーフェンは、尚も笑みを崩さなかった。

「……撃ちなよ。それで、君の気が済むなら。……まあ、俺を殺したって、レドクイーン家の人間は、二度と生き返らないけどね」

「────っ!」

 瞬間、何かが破裂したような音が、大気を揺らして響き渡った。
抑えきれない怒りと憎悪に突き動かされるまま、ギールは、引き金を引いたのであった。


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