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投稿日:2025年12月31日
土蛇の猛攻を掻い潜り、洞窟の入口へと戻ってきたジークハルトとアレクシアは、外に出ようとしたところで、ふと足を止めた。
入口が、崩れた岩で塞がっている。
洞窟の天井が崩壊して、埋まったわけではない。
外からの衝撃で、瓦礫が内部に流れ込んだようであった。
ジークハルトは、冷たい汗が額ににじむのを感じながら、ルマニールの石突を、積み上がった瓦礫の隙間に差し込んだ。
幸い、瓦礫の層は薄く、退けて脱出することは容易そうだ。
瓦礫が雪崩れてくる可能性を考えると、慎重に突き崩していくべきなのかもしれないが、今、外で何かが起こっているのだと思うと、焦る気持ちが抑えられなかった。
アレクシアに下がるように告げてから、半ば強引に瓦礫を打ち壊すと、ジークハルトは、洞窟の外へと飛び出した。
真昼の陽光が、闇に慣れていた目を灼き、思わず目をしかめる。
日が差し込んでいなかったはずの窪地は、ふと見回すと、ほとんど更地のような状態になっていた。
ジークハルトたちが不在の間に、大規模な魔術が行使されたのだろう。
階段状に重なっていた岩棚も、周囲を取り囲んでいた岩壁も、削られたように崩壊して平されていた。
ルーフェンとヨークは、日差しを側光に、向かい合って立っていた。
二人の間には、腹部から血を流し、日除の外套をどす黒く染めたギールが、力なく倒れ込んでいる。
外套から覗く腕の先には、手放された彼の銃剣が転がっていた。
不意に、ルーフェンが振り返って、ジークハルトとアレクシアの方を見た。
その両腕に、拘束術の術式は刻まれていない。
代わりに、左の二の腕から血が滲んでいたが、大した痛みは感じていないように見える。
散々洞窟内を走り回ったのであろう、薄汚れた姿のジークハルトたちを見て、ルーフェンは、目を瞬かせた。
「もう出てきちゃったんだ、随分早かったね?」
それから、その銀色の瞳を動かして、洞窟の方を一瞥する。
やはり、ジークハルトたちが土蛇に襲われて、その隙にノイが逃げ出すところまで、全てが計算尽くだったのだろう。
今でこそ地上と行き来できているとはいえ、十数年前までは、ノーラデュースの地下はリオット族たちの世界だった。
土蛇の巣穴の位置も、危険な順路、安全な順路の行き方も、ノイたちは全て把握していたのだ。
ルマニールを握り直すと、ジークハルトは、ヨークの隣に立って、ルーフェンと対峙した。
近くで見ると、ヨークも、浅く裂かれたらしい脇腹を押さえている。
ジークハルトは、ルーフェンから目を逸らさずに尋ねた。
「……呪詛返しを?」
「いや……」
顎を伝う脂汗を拭って、ヨークは、倒れているギールを忌々しげに見た。
「全部、そこの新人のせいですよ。そいつが挑発に乗って召喚師を撃ったら、強制的に拘束術が解けたんです。彼の飛び道具は、一体なんなのです?」
その言葉で、何が起こったのかを悟ると、ジークハルトは舌打ちをした。
ギールの扱う銃剣には、ハイドットの銃弾が込められている。
ハイドットは、一年前にトワリスがミストリアから持ち帰ってきた、魔力を吸収する鉱石だ。
ギールは、召喚術への対抗策として用いていたようだが、今回は、それが意図せぬ作用を起こした。
ルーフェンの魔力を封じるために撃った弾丸が、思いがけず、拘束術を解術してしまったのだ。
いかなる術であっても、元となる魔力が枯渇すれば、当然その効力は消失する。
考えてみれば当たり前のことなのだが、ギールの攻撃を利用されるところまでは予想できていなかったし、ヨークに至っては、ハイドットの存在自体さほどよく知らないはずだ。
一年前、トワリスが見聞きしてきたミストリアでの革命の流れは、魔導師団内にも共有されている。
しかし、実際に本物のハイドットを見たのは、ファフリたちの審議会に出席した一部の重役のみだ。
ギールがそのハイドットに目をつけ、教会から譲り受けていたことなどは、ジークハルトも、ルーフェンの失踪時に偶然聞いたのだ。
そうでなければ、攻撃が転じて、強固な呪言縛りを解くことになろうとは、誰も予想できるわけがない。
ジークハルトが返事をする前に、ルーフェンが口を開いた。
「だから言ったでしょ。お互いのことをよく知っておいた方が、協力しやすいんじゃないかって。……まあ俺も、まさかあの石ころを利用されるとは思ってなかったけどね。サーフェリアに持ち込まれた量は少しだったし、あくまで、ミストリアで起きていたことの証明として、教会に預けていただけなんだけどな」
言いながら、倒れているギールに近づいていくと、ルーフェンは、その側に落ちている銃剣を拾い上げた。
そして、慣れない手つきながらも、ギールと同じように引き金を引き、周辺に積み上がっている瓦礫の壁めがけて、二発、三発と発砲する。
やがて、銃剣が弾切れを起こすと、落ちた薬莢を蹴り転がしながら、ルーフェンは続けた。
「この元になっている鉱石は、ハイドットと言って、毒性が強いものなんだ。サーフェリアでは見つからないだろうけど、そこのギールくんがまだ生きていたら、伝えておいてよ。こんなもの、もう二度と活用しようなんて考えない方がいいよって。……一年前のミストリアと、同じ轍を踏まないためにもね」
「…………」
詳しく説明するつもりはないのだろう。
ルーフェンの核心を避けた言い方に、ヨークが眉を寄せる。
次いで、跳弾して歪んだ弾丸を見つけると、ルーフェンは、それを足先でつついてから、掌にとって転がした。
ジークハルトは、しばらく黙って、ルーフェンの行動を見つめていたが、不意に、鋭い声で尋ねた。
「……もう一度だけ聞く。シャルシス殿下は、今どこにいる? この洞窟で匿っていると言ったのは、リオット族を逃すために俺たちを誘導したかったからだろう。でなければ、殿下は今頃、土蛇の腹の中ということになる」
ルーフェンは、小さく吹き出すと、くすくす笑いながら地面を見渡した。
そうして、他に落ちた弾丸がないか探しているようだったが、手近に転がっていたのが、拾った一つだけだと分かると、ようやくジークハルトたちの方に視線を戻した。
「この期に及んで、まだ俺から聞き出そうとするんだ? 信用できない俺の証言より、アレクシアちゃんの目に頼った方が早いんじゃない? ね?」
そう言って、洞窟の入り口近くに立っているアレクシアを見ると、その蒼い目が、不愉快そうに細まる。
彼女が言い返す前に、ジークハルトが答えた。
「言葉の真偽以前に、お前が殿下を頑なに隠し立てする理由が分からない。地方に連れ出せば、人質としての価値がないと言ったのはお前だ。情報公開を遅らせるための偽装工作にしても、俺たちに見つかった以上、そこまでして殿下を同行させる必要などないだろう。無事だというなら、今すぐその御身を渡せ!」
表情にも声色にも、動揺が表れぬよう努めていたが、内心、祈るような思いから出た言葉であった。
ジークハルトは、ちらりとギールの状態を確認してから、再びルーフェンを見た。
詳しい負傷状況は分からないが、その出血具合から考えるに、悠長に喋っている時間はない。
だが、ここでルーフェンを逃しては、シャルシスへの手がかりも失うことになる。
こうしてルーフェンを見つけ出すまでにも、既に二月以上かかっている。
ようやく掴み取った好機だが、リオット族を逃し、拘束術からも抜け出された今、ルーフェンを従える手段が他にない。
あとはこの場で、説得を試みるか、力づくでねじ伏せるか、その二択だった。
この機を逃せば、もう二度と彼を捕らえることは出来ないかもしれないのだ。
ジークハルトたちの焦りを見抜いているのか、いないのか。
ルーフェンは、綽々とした態度を崩さなかった。
「砦でも言ったけど、殿下は怪我一つなく無事だし、この先、どうにかするつもりもない。だから今は、放っておいてくれないかな? ちょっとその辺を漫遊したら、必ず王宮に戻すからさ」
ジークハルトは、険しく顔を歪めた。
「陛下は床に臥し、未だお目覚めにならない。一刻も早く、シャルシス殿下を王宮に連れ戻さねば、十四年前の継承争いが再び起こることになるんだぞ! お前だって、無駄に罪を重くする理由はないはずだ」
「それは、そっちの都合だろう?」
「……なに?」
思わぬ答えに、意味を問うように聞き返す。
ルーフェンは、手にしていた銃剣の刃を、ザクリと地面に突き刺した。
「正当な継承者がいないと困る、戻ってほしい、ってのは、そっちの都合だろう? 人が一人いないだけで、やれ継承争いだの、内戦だのが勃発して止められないっていうなら、もういっそ止めなければいい。そういうことを企む連中は、何かにつけて、争う口実が欲しがる。要するに、殺し合いたい馬鹿は、勝手にやり合ってろって話。……生まれた時から一本道で、他の選択肢を知ることすら許されなかった人間が、どうしてそんな奴らのために、自分を犠牲にしなくちゃならない?」
ジークハルトは、穂先を振って、怒鳴り声をあげた。
「ふざけるな! 一度争いが起これば、個人の犠牲では済まない。大勢の人間が巻き込まれることになるんだぞ! そんなガキの駄々みたいな屁理屈が、まかり通るとでも──」
「──ガキだろう。シャルシスくんは」
はっと言葉を止めて、ルーフェンの顔を見つめる。
虚を突かれたように押し黙ったジークハルトに、ルーフェンは、ふいと笑みを消した。
「彼は、まだ十四の子供だ。駄々が許されない立場であっても、子供は子供。身内のいない今の王宮に戻しても、周囲の人間に食い潰されて終わる。それじゃあ本末転倒だろう」
「…………」
ジークハルトは、目を大きく見開いて、しばらく何も返せずにいた。
ルーフェンが、何故シャルシスを連れているのか。
その理由を考えるたびに、打算的な意味を見出そうとしていた。
しかし、そこにあったのは、気が削がれるほど短絡的で、浅はかな感情論だったのだろう。
ルーフェンは昔から、ジークハルトの知る限りでも、そういうところがあった。
非情で理知的な一面を見せたかと思えば、傾国の危機においても、人一人の生死に心を砕いているような──。
誰もが羨む強さと、絶対的な召喚師一族としての地位、それらを生まれ持っていながら、この男は、そんなものにはまるで興味がないといった様子で、いつも後ろを振り返っている。
特別な立場を特別とも認識していない、そんなルーフェンの甘さを捨てきれない無神経さが、ジークハルトは、昔から憎らしかった。
筋骨が軋むほど強く、ルマニールを握る手に力を込めると、ジークハルトは問うた。
「お前が逃亡を続けているのは、まさか、それが理由か……? 王子の身の上を哀れんで、そのくだらんワガママに付き合っていると?」
ルーフェンは、小さく首を振った。
「違うよ。あの子が着いてきたのは、俺も想定外のことだったんだ」
「では、お前の目的はなんだ。こんな形で王宮を出て、一体何をするつもりだ」
乾いた吐息をこぼして、ルーフェンは呟いた。
「……またその話? だから、何度も言ってるだろう。君の言う通り、俺は、サーフェリアの召喚師制を今代で終わらせるつもりだ。その手段として、罪人となって追われることを選んだ。それだけの話だよ」
「…………」
ジークハルトは、きつく目を閉じて、何かを抑え込むように息を吸った。
ルマニールを握る手が、微かに震えている。
その息遣いを聞くだけで、ジークハルトが、激怒していることが感じ取れた。
「……もし、それが全てなのだとしたら、何故そんな方法を選んだ? セントランスやアーベリトの一件で、お前が召喚術の存在を忌避するようになったことは、俺も理解できる。だが、それだけの理由で、お前は国を捨てたのか? こんな形で召喚師制を失くせば、取り戻しつつあった魔導師団の権威が、再び地の底に落ちていくことは予想できたはずだ!」
ジークハルトの荒い口調とは対照的に、ルーフェンは、冷めた口調で返した。
「それだけ、ね……。確かに、突然放棄するような形になったことは、謝るよ。だけど、分かってくれ。召喚師一族に依存してきた歴史自体が、そもそもの間違いだったんだ。魔導師団は魔導師団として、新しい治世で、道を違わず国を護っていけばいい」
「分かってくれだと……? 分かっていないのは、お前の方だろう! お前のやり方は、教会の思惑に則したものだ。召喚師が姿を消して、既に、王宮での実権は司祭共に渡ったも同然になっている。これでは、七年前と同じ──いや、状況的には更に悪い」
「教会のやり方に賛同できないのは、俺も同じだ。でも、今更になって教会の勢力を排除するのは、現実的じゃない。似たようなことを、以前も話し合っただろう。教会が強引に台頭しようとするなら、君たち魔導師団が、その思想一辺倒にならないよう、互いに抑制し合える対抗勢力として立てばいい。不可能ではないはずだ。盤石な治世を望んでいるのは、君たちも、教会側も同じなんだから」
「一緒にするな! 奴らは、セントランスの襲撃に一枚噛んでいた連中だぞ。第一、対抗勢力に成り得るとしたら、それは召喚師の座が守られていればの話だ! お前の身勝手で引き起こった事態から、都合よく目を逸らすな! 召喚師の失踪が人心にどんな影響を与えたか、考えてみれば分かるだろう。召喚師であるはずのお前が、敵対している教会の動きを増長させたんだぞ! こんな皮肉があるか!」
「…………」
間断なく続いていた応酬が、ふと止まった。
閉口したまま、ルーフェンは、俯いて目を伏せる。
しばらくそうして、何かを考えている様子だったが、不意に、視線を上げると、地に突き立てていたギールの銃剣を握り込んだ。
途端、その手から流れ込んだ魔力が、銃身を溶かし始める。
身構えたジークハルトたちに、ルーフェンは、静かな声で言った。
「反召喚師派の流れを、広める必要があったんだ。だから、教会の動きを利用した。──今、君たちが警戒するべきなのは俺じゃない。召喚師一族そのものなんだよ」
「……どういう意味だ?」
眉元を曇らせて、ジークハルトが聞き返す。
不定形に変形した銃剣が、やがて、歪な鉄杖を象る。
ルーフェンは、それを引き抜くと、くるりと掌上で半転させた。
「いずれ分かる。とにかく、今は無理矢理にでも理解して、退いてくれ。……頼むよ」
穏やかな声で言いながらも、ルーフェンは、臨戦体制をとった。
ジークハルトが、この要求に頷くとは思っていないのだろう。
その佇まいからは、静謐な殺気が滲み出ている。
ジークハルトは、ふと傍のヨークを見遣ると、次いで、足元に視線を落とした。
ヨークの魔力が、窪地全体に満ちている。
彼は、ルーフェンがジークハルトとの会話に気を取られている間に、いつでもその身体を捕捉できるよう、着々と包囲網を広げていたのだ。
覚悟を決めると、ジークハルトは、ルマニールを一転させた。
「──断る。俺は、お前の意見を理解できたことがない。責任から逃れるために罪を被ったなら、その罪を償え」
「…………」
目の前に立つ、ルーフェンだけに気を集中させれば、自然と周囲の物音が消えていく。
こうなることを、望んでいたわけではない。
だが、いざルーフェンと闘うのだと思うと、うずくような熱が腹の底から込み上がってきた。
今、ここでルーフェンをねじ伏せることが出来れば、彼の望む召喚師一族のいない歴史を、自分たちが紡いでいけるような気がしたのだ。
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