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投稿日:2025年12月31日
かつて感じたことのない、恐怖にも興奮にも似た緊張感が、全身の肌を締め付けている。
ジークハルトは、ゆっくりとした動作で、穂先をルーフェンに向けた。
「召喚師でないなら、今のお前はただの罪人だ。シャルシス殿下の居所を吐いて、大人しく王都まで着いて来い。従わないなら……この場で処罰する」
ふう、と息を吐くと、ルーフェンは、小さく肩をすくめた。
「残念。お互い、説得は難しいみたいだ──ね……!」
言うや、ルーフェンが鉄杖を打ち鳴らしたのと、ヨークが両手の指を組んだのは、ほとんど同時であった。
魔力を孕んだ大気が一斉にわななき、雷撃を纏って発光する。
宙を割って、幾本も立ち上がった光の帯が、檻のようにルーフェンを取り囲み、その身体を縛り上げんと狭まってくる。
対して、ルーフェンを中心に展開した障壁がその侵攻を阻むと、拮抗した両者の魔力が擦れ合い、空気中でバチバチと火花を散らした。
ヨークの拘束術に抵抗しながらも、ルーフェンの指先が、別の魔術を発動させようと動く。
すると、ジークハルトは、すぐさまルマニールを逆手に持ち替えて、檻の隙間めがけて投擲した。
一閃、疾風の如く打ち込まれた一撃が、障壁を粉砕してルーフェンに迫る。
ルーフェンは、その攻撃を身を屈ませて逃れたが、ジークハルトの操作で自在に空を斬ったルマニールは、二撃目、三撃目を繰り出して旋回した。
ルーフェンは、一度障壁の再形成を放棄すると、向かってきたルマニールを、鉄杖で力任せに薙ぎ払った。
檻の外に弾け飛んだルマニールが、地に叩きつけられて跳ね返り、ジークハルトの元へと戻る。
その僅かな隙に、ヨークが指を組み替えると、今度は光の帯が交差し、更に強固な檻となってルーフェンを包み込んだ。
ルーフェンは、自身を押し潰さんとする檻に、鉄杖を突っ張ると、光る格子に目を走らせた。
急場で発動させたとは思えない、精巧で無欠な拘束術。
しかし、その組成自体は想像に容易い、強固ゆえに使い古された呪術の一種だ。
瞬時に解術の術式を構築すると、ルーフェンは、鉄杖を地に刺し、魔法陣を敷いた。
「──還れ、上世の盟約の下」
耳をつんざくような破砕音と共に、光の帯が飛散する。
同時に、地鳴りが響いて、足元に亀裂が走った。
すぐさま次の手を打とうとしたジークハルトたちであったが、息つく間も無く、無数の風の刃が飛んできて、護身に集中せざるを得ない。
ヨークやギールが負った裂傷は、この術によるものだろう。
四方に飛んだ風の斬撃は、大気を裂き、岩壁をも削って、岩群と化していた窪地を更に細かく刻んでいく。
アレクシアは、意識のないギールを引きずり、近くの岩棚の下へと避難していたが、頭上の岩膚がひび割れたのを見て、慌てて自身も結界を張った。
衝撃で崩れてきた瓦礫が、ぶつかり合い、砕け散って、雨のように降り注いでくる。
戦況を把握しようにも、崩壊音と舞い上がった煙に耳目を塞がれ、ジークハルトたちがどうなったのか、確認することは出来なかった。
同じく結界を張り、動けずにいたジークハルトは、風の刃が止むと、素早くルーフェンの立っていた場所へと走り出した。
だが、そこには、雪崩れた瓦礫が積み重なっているだけで、人影はない。
咳き込みながら周囲を見回すと、白く埃立った視界の先で、崩れた岩棚を駆け上がっていくルーフェンの後ろ姿が見えた。
「待て……!」
ジークハルトとヨークの叫びが、重なって響く。
ルーフェンから目を離さないまま、ジークハルトは、後方にいるであろうアレクシアたちに声をかけた。
「アレクシア、お前はギールを見ていろ!」
「ちょっ、この状況で置いていく気⁉︎」
不満の声が上がるが、脇目も振らずルーフェンを追いかけていったジークハルトに、その声は届かない。
灼熱の陽光の下、ヨークと共に窪地から出たジークハルトは、大地の裂け目沿いに走っていくルーフェンの姿を捕捉すると、急ぎ追跡を始めた。
ルーフェンは、背後にジークハルトたちの接近を認めると、彼らの動きを見定めるように、すっと目を細めた。
致命傷は与えられないにしても、一連の魔術で足止めくらいはできると予想していたのだが、わずかな時間稼ぎにもならなかったようだ。
数的にはこちらが不利で、特にジークハルトは、距離を詰められれば、片手間にあしらえるような相手ではない。
決定打を打とうと思うならば、やはり召喚術に頼る他ないが、二人同時に相手取るとなると、大規模な魔術は詠唱中に発動を打ち切られるだろう。
殊にヨークは、複雑で多様な拘束術を扱っていただけあって、術式を組み立てるのが恐ろしく速い。
性質上、緻密な術式の扱いに長け、工程の多い解術や防術の行使をむしろ得意とするのは、呪術使いの特徴だ。
かといって、このまま炎天下で単純な逃走劇を続けても、振り切ることができないのは目に見えていた。
ルーフェンは、唐突にその場で立ち止まると、鉄杖を地に立て、唱えた。
「──汝、頂点と終点を司る地獄の公爵よ。従順として求めに応じ……」
魔語の連なった陣の展開に、ジークハルトとヨークが身を強ばらせる。
召喚術の発動だけは、なんとしても阻止せねばならない。
即座に魔力を練り上げたヨークが、その場で指先を動かすと、ルーフェンの足元を割って、幾本もの光の鉾がそそり立った。
それらを飛び退って避ければ、詠唱が中断され、召喚術の陣がかき消える。
ジークハルトは、その瞬間を見計らって、一気に間合いを詰めると、着地したルーフェンめがけて、ルマニールを突き込んだ。
「────っ!」
確実に胴を狙った、目にも止まらぬ一撃──。
しかしルーフェンは、その攻撃を予測していたかのように身をそらすと、穂先を避け、前に踏み出してくる。
これは誘導だ、とジークハルトが気づいたのは、その時であった。
宙を突いたルマニールの勢いそのままに、ジークハルトの身体が、前のめりに傾く。
その横をすり抜け様、鉄杖を持ち替えると、ルーフェンは、ジークハルトの背めがけて、その杖先を突き下ろした。
「くっ……!」
反射的に身を翻したジークハルトが、ルマニールを振って、杖先を弾く。
軌道の逸れた鉄杖は、狙いを外して地面を貫くや、光を放って、ジークハルトの背後に魔法陣を描いた。
「──猛れ……!」
途端、広がった陣が眩く光り、紅蓮の炎が立ち昇る。
瞬く間にジークハルトを包んだ灼熱は、幻術ではない。
身を焦がす本物の焔だ。
咄嗟に結界を張り、身を守ったジークハルトであったが、それでも皮膚を浸食してくる熱気に、自身の術が揺らいでいることを悟った。
即席で展開させた結界では、圧倒的に力不足だ。
燃え盛る炎の柱が、あと少しでも火力を増せば、その熱波は結界を溶かし、ジークハルトを骨の髄まで焼き尽くすだろう。
術の発動と同時に、鉄杖を引き抜いて後退したルーフェンは、炎の勢いを増そうとしたところで、その場から飛び退った。
今まで立っていた場所に、再び鋭利な光の鉾が突き出す。
ヨークによる魔術だ。
行手を塞ぐように次々と現れた鉾は、ルーフェンの退路を追い、やがて、周囲を囲むと、一斉に標的ごと地を叩き割った。
地響きが轟き、弾け飛んだ瓦礫から土煙が上がる。
視界が白む中、とどめの一撃を打ち込もうと魔力を練り上げたヨークは、しかし、不意に影が差すと、はっと上を向いた。
頭上に、巨大な光の鉾が鎮座している。
ヨークが召喚したものではない。
それは、自身の魔術を転写された、ルーフェンによる呪詛返しであった。
(小癪な……!)
唸りをあげ、己を切り裂かんとする鉾に手をかざすと、ヨークは、避けずに解術の魔法陣を展開させた。
垂直に落下してきた鉾が、水面に飲み込まれたかのように、陣に吸い込まれて消滅する。
手を振り下ろし、魔力ごと吸収した陣をルーフェンに向けて据え直すと、ヨークは口早に唱えた。
「集い来たれ、彼の者に粛清を!」
空気が逆巻き、視界が開けて、再集結した光が刃を形成する。
だが、完全に発現する前に、霧散して消えた。
壁の如く両者を隔てる魔法陣が、中心から別の術式に書き換えられていく。
ヨークは、陣越しにルーフェンを睨むと、苛立ちに顔を歪めた。
「純然たる光よ、決して交わらず、我が名の下へ集え……!」
ルーフェンによって書き換えられた術式を閉じると、ヨークは、新たな魔法陣を二重、三重と展開させる。
しかし、それらを更に上書きすると、ルーフェンも詠唱を繰り返した。
「却けろ。還ることはなし、處することなし」
「否! 我が命に従え、ここに闇は在らず!」
術の発動を妨げられては組み直し、古語を唱えられては怒号で掻き消す。
そうして、間断なく衝突を続けている内に、不自然に息が上がってきて、ヨークは歯噛みした。
魔術を繰り出す速さは引けをとっていないが、この調子では、己の魔力が尽きる。
規模の小さくない魔術の連発に、直前まで拘束術を施していた影響もあり、ヨークの魔力は残りわずか。
ルーフェンとて、ジークハルトを足止めしながら応戦しているわけだから、相当な魔力を消費しているはずなのだが、術の行使に乱れが生じていないあたり、まだ余裕が残っているのだろう。
このままでは、自分が先に倒れるのは目に見えていた。
一か八か、温存は考えずに別の一手を打とうとした、次の瞬間──。
突然、息が詰まるような衝撃が走って、ヨークは視線を落とした。
自身の胸から、尖った岩が突き出している。
背後から伸びた岩槍が、ヨークの胸部を刺し貫いたのだ。
「──っは、っ……」
ルーフェンがくいと指先を動かすと、岩槍は引き抜かれ、礫となって地に還る。
膝をついて倒れてから、全身に激痛が広がり、ヨークは、血の混じった咳を吐き出した。
荒涼とした岩肌の亀裂を満たすように、渾々と血が流れ出していく。
ぼんやりとその様を見つめながら、ヨークは、動くこともできず、ただルーフェンの近づいてくる足音を聞いていた。
ルーフェンが、倒れ伏したヨークに杖先を向けた──その時。
ふと、風の流れが変わった。
振り返ると、ジークハルトを囲い込んでいた炎の柱が、不安定に揺れている。
ややあって、とぐろを巻いていた熱波が左右にうねり始めたかと思うと、突如、凄まじい爆裂が生じて、飛散した火の粉がルーフェンに降りかかった。
それらを手で払った一瞬の隙に、荒れ狂う炎と風が、渦を成してルーフェンに襲いかかった。
すかさず鉄杖を振って、灼熱の飄風を打ち消すも、一拍遅れて迫ってきた強烈な一撃が、ルーフェンの構えを突き崩す。
一歩引いたルーフェンは、思わず瞠目した。
煤けたローブが目の前で翻り、無造作な黒髪が揺れる。
ジークハルトは、ルーフェンによる炎を自身の魔術に巻き込み、力技で突破してきたのだ。
青光りする魔槍が、今度は低い位置から振り上がり、ルーフェンの鉄杖と交差する。
重々しい一振りを真っ向から受けて、その衝撃に、ルーフェンは危うく鉄杖を手放しそうになった。
ジークハルトの戦法は、最初から変わらない。
彼は、ルーフェンに魔術を使わせまいと、あえて近距離での戦闘を選んでいる。
実際、単純な打ち合いに持ち込まれると、魔力差が関係なくなるので、ルーフェンとしては決定打を放ちづらかった。
二撃目を受け流してから、後方に転回し、ジークハルトと距離を取る。
ルーフェンは、追撃してきた穂先を、渾身の力で弾いたが、その軌道はほとんどぶれなかった。
鉄杖による防御を抜けて、風を纏った素早い突きが、ルーフェンの頬をかする。
飛び散る血潮と、青い槍閃。
金属のかち合う甲高い音が、途切れることなく響き渡る。
両者は、互いに致命的な隙を見出せないまま、しばらく激しい打ち合いを繰り広げていた。
不意に、振り抜いた直後のジークハルトの動きに、わずかな間が生じた。
その一瞬を見逃さず、ルーフェンは、杖先に魔力を集中させる。
しかし、そこに瞬き分の隙が生まれたのは、ルーフェンも同じであった。
狙い通りだと言わんばかりに、漆黒の目が細まる。
ジークハルトは、振り抜いた姿勢のまま、ルマニールを反転させる間さえ作らず、その石突を一気に突き込んできた。
「────っ……!」
容赦のない強烈な一発が、ルーフェンの腹に入った。
金臭いものが喉元までせりあがり、揺れた視界が、フッと暗くなる。
つかの間、意識を飛ばしたルーフェンは、後ろに吹っ飛ばされた衝撃で目を覚ますと、鉄杖を支えに、なんとか着地した。
「……っは、……っ、君、騎士団に転向したら? 魔導師とは、思えない戦い方なんだけど……」
口に溜まった血の塊を吐き捨ててから、ルーフェンが呟く。
早く体勢を整えねば、と思いながらも、片膝をついた状態から立ち上がれない。
だが、幸いなことに、動けないのはジークハルトも同じようだった。
ジークハルトは、うずくまった姿勢でも、決してルーフェンから目を離そうとしなかったが、その実、視界がかすんで、ほとんど何も見えていなかった。
炎に焼かれた肺が痛み、うまく息が吸えない。
酸欠で焦点が合わず、激しい目眩から脚に力も入らない。
気力だけで無理矢理動いていたが、本当は、自力で炎渦を脱した時から、体力的にはかなり追いつめられていたのだ。
時間を置いて、先に動いたのは、ルーフェンの方であった。
腹を押さえながらも、歩けるまでには回復したらしい。
ゆっくりとジークハルトの方に近づいてくる。
目前に立ったルーフェンを見上げると、ジークハルトは、うめくように言葉を絞り出した。
「……なぜだ。どうして、受け入れられない……? 何が、そこまで不満だったんだ。召喚師として、力を持って生まれて……」
目を凝らしても、ぼやけた視界では、ルーフェンの表情は伺えない。
そこで歩みを止めると、ルーフェンは、静かに答えた。
「……受け入れただろ。受け入れて、アーベリトに移って、あの時代が何事もなく幕引きしていれば、俺はきっと今でも王宮にいた。……それを引きずり下ろしたがったのは、君たちの方だ」
ジークハルトは、力なく首を振った。
「……お前が、そう仕組んだからだろう」
ルーフェンは、杖先をジークハルトの首筋に当てた。
「……そうだね。そうする以外に、召喚術を葬る方法が思いつかなかった。古の時代から、当たり前のように人心が依存してきた召喚師一族の力っていうのは、命を食い散らかして、際限なく奪う力だ。そんな悍しいもの、残し続けていいわけがない」
確かに声は聞こえているのに、思考が回らず、次の言葉が出てこない。
徐々に意識が沈んでいくのを感じながら、ジークハルトはただ、焦点の合わぬ目で、ルーフェンを見つめていることしかできなかった。
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