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投稿日:2025年12月31日







 ふと、どこからか、雨音が聞こえてきた。
激しい雨が、地に染み込んだ死臭を洗い流し、冷たい風が、揺らめく黒煙を吹き散らしていく。

 だが、乾いたノーラデュースの地に、雨が降ることは少ない。
これは、過去の記憶だ。
約七年前、アーベリトが陥落した際。
進軍してきた修道会の騎士たちを、召喚術で一瞬にして消し飛ばしてしまった──そのルーフェンの後ろ姿を、ただ見ていた時の記憶。

 ぐっと歯を食いしばると、ジークハルトは、掠れた声で尋ねた。

「……こうするしか、なかったのか」

「…………」

 歪んだ視界の先で、ルーフェンの表情が、わずかに動いた気がした。
けれども、実際にどんな面持ちでいるのか、何を思っているのかは分からない。
今、ジークハルトの目に映っているものが、現実のルーフェンの姿なのか、かつてアーベリトで見た過去の残影なのかすら、もう判断がつかなかった。

 冷笑なのか、動揺なのか。
微かに震えた息を吐くと、ルーフェンは呟いた。

「……だったら俺は、どうすれば良かった……?」

 顔を上げていることもままならず、ジークハルトの頭が、ぐらりと揺らいだ。
杖先を持ち上げ、その首筋を打つと、かろうじて意識を保っていた身体が、地面に倒れ込む。
すると、主人からの魔力を失って、ルマニールが溶けるようにして彼の手中から消えた。

「…………」

 一点の曇りもない真昼の空から、燃えるような日差しが、燦々さんさんと降り注いでいる。
日光が皮膚を焦がしても、ルーフェンは、不思議と暑さは感じていなかった。
むしろ、身体の芯は冷え切っていて、乾いた風が吹く度、薄寒さに身が凍える。

 無茶な戦い方をして、気を失っただけで、ジークハルトはまだ生きている。
彼だけではない。
ギールもヨークも、深手は負わせたが、とどめまでは刺していない。
ジークハルトの首筋に杖先を当てたまま、ルーフェンは長い間、生死の間にいる彼の身体を見下ろしていた。

 どのくらいの時間、そうしていたのか。
不意に振り返ると、ルーフェンは、大地の亀裂のそばに聳える、大きな岩塊に声をかけた。

「……君もやる気?」

 ほどなくして、岩影からアレクシアが姿を現す。
距離をとったまま、青い瞳でルーフェンを見据えると、アレクシアは、ため息混じりに答えた。

「冗談じゃない、私一人でどうしろって言うのよ。こんな果ての地で、無駄死にするなんて御免だわ。……ご覧の通り、私たちはしばらく動けない。どこでも好きなように行ってちょうだい」

 シッシッと手を振ったアレクシアに、ルーフェンは苦笑を浮かべた。

「そう、君は話が早くて助かるよ。……でも、しばらくってだけじゃ困るんだよね。今後二度と、俺に干渉しないって約束してくれる?」

 その笑みを冷えたものに変えて、ルーフェンが歩み寄る。
警戒した様子で一歩下がったアレクシアに、ルーフェンは、ぐいと顔を近づけた。

「正直、アレクシアちゃんの目が一番面倒なんだ。力の正体もよく分からないし、魔術でもないから防ぎようがない。今回だって、俺は君達と遭遇するつもりなんてなかったのに、その目のせいで居場所が割れた。厄介なことこの上ない」

「…………」

 にじんだ汗が、こめかみを伝う。
しかし、鼻で笑って見せて、アレクシアはルーフェンを見つめ返した。

「だから? この場で私の目を抉り取っておこう、とでも言いたいわけ? そりゃあ、二度と干渉しないだなんて口約束を交わすより、ここで私達全員を始末しておいた方が、貴方は安心できるでしょうね」

「……まあ、無抵抗の君に、手荒なことをするのは気が引けるけどね」

 本気なのか、冗談なのか分からぬ口調で、ルーフェンが答える。
誘導に失敗して、アレクシアは嘆息した。

「肯定も否定もしない、つくづく何を考えているのか分かんない人ね。ジークハルトを殺したら、貴方の代わりをやろうなんて物好き、他に現れないわよ。貴方の狙いが本当に魔導師団と騎士団による二大統治なら、ここで宮廷魔導師を減らすのは得策とは言えないんじゃない?」

 ルーフェンは、困ったように眉を下げた。

「言っておくけど、先に襲ってきたのはそっちだよ? 俺は何度も、話し合いで解決する方向に持っていこうとしたつもりだけど。寄って集って攻撃してきたくせに、今後のために宮廷魔導師は見逃して、なんて言うのは、いくらなんでも都合が良すぎるんじゃない?」

 アレクシアは、肩をすくめた。

「それはそれ、これはこれよ。ていうか、売国行為に失踪、王子の誘拐までしておいて罪を逃れようって方が、よっぽど都合が良いんじゃない? カッとなってシュベルテを離れたジークハルト(頭でっかち)も大概だけど、全ての原因が貴方であることには変わりないのよ。個人的には、貴方の真意なんてどうでもいいけど、貴方を逃すことで魔導師団の信用問題に発展するのは、私も困るのよね」

「……つまり?」

「──大人しく死ねってこと!」

 隠し持っていた小刀を手中で翻すと、アレクシアは、それをルーフェンに向かって振り上げた。
咄嗟にその細腕を掴むと、刃はルーフェンの眼前で静止する。
露骨に舌打ちをしてきたアレクシアを、ルーフェンは、なだめるように言った。

「まあまあ、落ち着いて。俺からしたら、アレクシアちゃんの方が何を考えているのか分かんないんだよね。何かしらの交渉に持ち込むつもりなのかと思いきや、こうやって突然切り付けてくるし、君の口から魔導師団の信用問題、なんて言葉が出てきたのもちょっとびっくりしたよ。もしかして、意外と忠誠とか誓ってるタイプなの?」

「意外とは失礼ね。どう見たって、忠義に厚い女魔導師じゃない。そういうの、好きでしょ?」

 好戦的な目を向けてきたアレクシアに、ルーフェンは片眉を上げた。

「でも、俺の記憶が正しければ、いつだったか、君は教会側の騎士団にいたよね? かと思えば、獣人の襲撃時には、召喚師制の廃止は現実的じゃないって反教的なことを言っていたし、転じて、さっきは二大統治を肯定するような口ぶりだった」

 掴まれた片腕にもう一方の手を添え、アレクシアは、手を振り払おうとした。

「私はただ、軍部に所属している以上、見えないことがあるのは気に食わないだけ。七年前に新興騎士団に身を置いていたのは、諜報員としてよ。別にイシュカル教を支持して入団してたわけじゃないわ」

「……本当に?」

 逃げようとする腕を軽くひねって、小刀を叩き落とす。
その行方を目で追ったアレクシアに、ルーフェンは、更に顔を近づけた。

「俺の深読みかな。セントランス襲撃後の復興支援をきっかけに、教会勢力が勢いづいたのは頷けるけど、だからって魔導師団の人間を城から締め出すなんて芸当が、当時台頭したばかりの教会に易々と出来たとは思えない。複数いた魔導師団からの離反者の中に、よほど情報の横流しが上手い奴がいたんだろうね。どっちつかずで、慎重に状況を見ながら、魔導師団にも騎士団にも取り入った曲者がさ。……で、結局のところ、君はどっちの味方?」

「…………」

 あと少し近づけば、鼻先が触れ合うような距離で、アレクシアは、不敵に口角を上げた。

「さあ? 時と場合によるわね。その時、優勢だった方の味方よ」

 ルーフェンは、ふっと笑った。

「なるほど。じゃあ、今は俺の味方?」

「あら、優勢のつもりなの? この場では勝ったというだけで、立場的には、罪人に落ちぶれた食わせ者でしょう」

「はは、手厳しいな」

 言いながら、ようやく一歩引くと、ルーフェンは鉄杖をアレクシアに突きつけた。

「まあ、味方だって言われても、そのまんま信じたら痛い目を見そうだしね。曲者同士、お互いを信用する気にはなれないだろうから、ここは堂々と脅すことにするよ」

「……なにそれ。ヨーク(あの眼鏡)みたく、呪言縛りでも使うつもり?」

 口元を引き攣らせたアレクシアに、ルーフェンは、考えるような素振りを見せた。

「そうだなぁ。とりあえず、まず一つ。さっきも言ったけど、俺にはもう干渉しないで。君達が俺を追わないなら、俺も二度と公には姿を出さない。魔導師団の体裁が気になるなら、俺を殺すことはできたけど死体は回収できなかった、ってことにすればいい。これが証拠の一つにはなるだろう」

 そう言って、ルーフェンは、自身の左耳から耳飾りを取り、アレクシアに投げて寄越した。
緋色に光るそれは、ランシャムと呼ばれる魔石を加工したものだ。
サーフェリアの召喚師が代々受け継いできた、一族の証とも言えるべき代物であった。

 次いで、表情を改めると、ルーフェンは声を低くした。

「それから、もう一つ。南方入りした俺が地下にいるところを視た、と言っていたよね。……具体的に、何を視たって?」

「…………」

 打って変わった、威圧的な尋ね方をされて、アレクシアは返答に迷った。

 ルーフェンが言っているのは、南都ライベルクで視た、地下で魔法陣を敷いていた光景のことだろう。
魔語で構成された魔法陣だったので、アレクシアには、あれが何を意味するものなのかは分からなかった。
しかし、ここであえて問いかけてきたということは、ルーフェンにとって、あの行動は何か重要なものだったに違いない。
だとすれば、馬鹿正直に何も分からなかった、と答えるのは惜しい気がする。
下手に嘘をついて反感を買いたくはないが、返し方次第では、一方的に脅迫されている現状から、抜け出せるかもしれないのだ。

 逡巡の末、アレクシアが、強張った唇を開こうとした時。
ルーフェンが手にしていた鉄杖に、ぼんやりと古語が浮かび上がった。
ルーフェンの視線がそれた隙に、アレクシアが身を翻す。
同時に、先程まで彼女が潜んでいた岩陰から、別の人影が飛び出してきた。

「──返せ‼︎ それは僕の銃剣ものだ……!」

 その怒号に応えるかのように、鈍く光った古語が、急激に熱を帯びる。
手の皮が焼けるような感覚に、ルーフェンは、思わず鉄杖を取り落とした。
凄まじい怒号と共に、突進してきたのは、気絶していたはずのギールであった。

 ギールは、すっかり形を変えてしまった銃剣をひったくるようにして奪い返すと、勢いそのままに、ルーフェンに体当たりをした。
だが、押し倒すことは叶わず、組み合った瞬間に、腰布から滲んだ血がポタポタと垂れる。
裂かれた腹部の傷が、この短時間で癒えるわけがないのだ。

 ルーフェンが手首を掴み、前のめりになったギールを引き倒すと、彼は、踏ん張ることも出来ずに地面に叩きつけられた。

「──くっ……!」

 ルーフェンは、ギールの手首をねじりあげると、手放された鉄杖を遠くへ蹴り飛ばした。
続けて、うつ伏せになった彼の背中を、足で押さえて固定する。
力づくで抵抗すれば、肩に負担がかかって、片腕が折れる体勢だ。

 身体が動かせないならばと、ギールは魔力を練り上げたが、それも、ルーフェンが指先を動かせば、弾かれて霧散してしまう。
懸命に荒い呼吸をしながら、ギールは首をひねって、ルーフェンを睨みつけた。
成す術のない窮地だというのに、怒りで真っ赤になった彼の顔つきからは、一切の恐怖も躊躇いも感じ取れなかった。

「……っ、アレクシアさん、逃げて下さい! この場で取り逃したとしても、貴女の目があれば、再びこいつを見つけ出すことができます……! 僕に構わず、早く……!」

 ギールの声に、宝珠オーブを構えていたアレクシアが、はっと動きを止める。
ルーフェンは、ギールに体重をかけると、鬱陶しそうに息を吐いた。

「……君もしつこいな。その口ぶりだと、俺たちの会話、聞いてたんだろう? いい加減諦めて、引いてくれないか。邪魔をするなら、本当に殺すよ」

「……っ」

 ギールの肩から、ぎしぎしと骨の軋むような音が響く。
相当な激痛に晒されているはずなのに、それでも彼は、屈しなかった。

「諦めてなるものか……! 僕は、命欲しさにこうべを垂れるつもりはないし、なんと脅されたって、貴様のやったことを許しはしない! たとえ、この場で殺されることになったとしても、絶対にだ!」

 凄絶な憎しみの炎を瞳に宿して、ギールは、身を絞るように叫んだ。

「アーベリトで虐げられ、死んでいった人々だってそうだ! 永遠に晴れない無念を抱いて、貴様が報いを受ける瞬間を待ち望んでいるに違いない……!」

「…………」

「僕たちを殺せば、それで逃げられるなどと思うなよ! 貴様の犯した罪は、その身が滅びるまで消えない! この場をやり過ごしたとしても、僕たちの意志を継ぐ国士こくしたちが、必ず貴様を討ち倒してやる……!」

「…………」

 ルーフェンは、何も言わずに、じっとギールのことを見下ろしていた。
無意識に、ギールの腕に力を込めていたと気づいたのは、堪えきれない苦悶の声が、彼の喉から漏れ出た時だった。

 気を鎮めるように息を吐いて、ルーフェンは、ギールから手を引いた。
アーベリト陥落の真相を知らないギールは、ルーフェンを元凶だと信じて疑わず、やり場のない激情に取り憑かれている。
しかしそれは、無知ゆえのやむを得ない暴挙だ。
そう言い聞かせながらも、浅慮なギールに対し、苛立ちを感じている自分がいた。

 耳の奥で、誰かが「殺してしまえ」と囁いたような気がした。
もう何年聞いていなかっただろう、忌まわしい悪魔の囁き。
痛む腹の傷を庇いながら、なんとかルーフェンと対峙し直したギールは、立つのもやっとの状態に見える。
彼は、今相手にしている宮廷魔導師たちの中では、誰よりも未熟で弱い。
それなのに、いっそ殺してしまおうか、なんて凶暴な思いが過ぎったのは、ギールの言葉の強さが、何よりルーフェンの心を揺さぶったからだった。

 ギールは、思いがけず解放されたことに戸惑いながらも、予備の片手剣を抜刀した。
何を考えているのか、ルーフェンは、無感情な瞳でこちらを見据えている。

 動向を警戒しながら、ギールが剣を構えた──その時だった。
突然、足下が振動したかと思うと、地面が大きく盛り上がり、ルーフェンとギールの間に巨大な岩壁がそそり立った。

 ジークハルトかヨークが目を覚ましたのかと、二人が倒れている方へ振り返る。
しかし、みるみる天に屹立きつりつした岩壁は、ルーフェンを包囲し、視界を塞いでしまう。
うまく地形を利用した防術だが、今のジークハルトたちに、ここまでの魔術を発動させる余力はないだろう。
そこまで考えてから、ルーフェンは、術者の正体に気づいた。

「────……」

 思わぬ第三者からの妨害に、ギールは、慌ててルーフェンから距離をとった。
だが、岩壁はルーフェンを閉じ込めるように──否、守るようにくるわを形成するだけで、こちらには向かってこない。
誰が、何のために発動させたのかは測りかねるが、ルーフェンの動きが制限されたことは、ギールにとっては都合が良かった。

 好機を逃すまいと、ギールが、剣先に魔力を集中させる。
一方のアレクシアは、周囲を見回して、接近してくる気配を探り出そうとしていた。
岩壁を出現させた相手に、心当たりがあったのだ。


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