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投稿日:2025年12月31日
第一章──岐路に立つ旅
第四話『告白』
「大丈夫、君のお父さんだろう。一緒に行こう……!」
そう言って、伸ばされたルーフェンの手を掴んだあの時から──。
ずっと、身にまとわりつく泥の中を、必死に掻いているような気分だった。
ギールに胸部を撃たれ、瞑目するルーフェンを見下ろすと、ジークハルトの中で、見まいとしていた熱がくっきりと形を成した。
それは、憎しみとも怒りとも、少し違う。
魔導師として罪人を裁こうという、正義感や使命感でもない。
ただ、思考全てを一色に染め上げてしまうほどの、醜悪で、苛烈な感情であった。
初めて出会った十四の頃から、その感情は、ずっと胸の底に沈殿していた。
ルーフェンは、この国に在るべき召喚師で、個人的な恩もある相手だ。
そう言い聞かせているのに、彼のことを考えては、みっともなく唇を噛み締めている自分がいる。
初めは、父の窮地に何もできなかった、幼かった自分に対するやるせなさ、それだけだった。
その悔しさが、時を経ても灰にならず、いつの間にか、自覚せざるを得ないほどに燃え上がって、今では形を変えてしまった。
ルーフェンは、生来の"強さ"に恵まれている。
生まれた瞬間から守護者の称号を与えられ、その座に居座っていられるだけの絶対的な才能と、今まで歴史を築いてきた、召喚師一族としての信頼がある。
誰もが羨んで、けれど、どうしたって手に入れることは出来ない、唯一無二の地位。
そんな立場にありながら、かつて、呪詛で死にかけたジークハルトの父オーラントを前に、ルーフェンはこう言ったのだ。
──……なんで、そんな冷静になれるんだよ。一歩間違えたら、オーラントさん、死んでたかもしれないのに……。
まるで、父親の危機に取り乱さなかったジークハルトを、責めるような言い方だった。
その言葉を聞いた瞬間、ジークハルトは、驚くのと同時に、ひどく腹が立った。
泣くことしかできない幼子じゃあるまいに、平静であろうとして、なぜ非難されなければならないのか。
仮にも召喚師一族でありながら、他人の生死ごときで一喜一憂し、その場で踏み留まっているルーフェンのほうが、よほど情けなくて、国を背負う立場として責められるべきなのだ。
ルーフェンは、時として非情な選択もとる男だが、その視線の先にあるのは、いつだって瑣末な個々だ。
十四年前、ルーフェンは、現王バジレットと遷都を決め、母シルヴィアに対する恐怖心から逃れ、アーベリトへと移った。
いっそ、勢いづくイシュカル教会からも目を背け、そのまま彼が身を潜めていたなら、シュベルテを捨てた召喚師のことなど忘れ、己は己の正義を胸に、前に進むことができていたかもしれない。
しかし、七年前にシュベルテがセントランスの急襲を受け、魔導師団は一時解体状態となった。
その時、内戦に発展させることもなく、セントランスを討って見せたのは、他ならぬルーフェンであった。
ああ、やはり、召喚師一族の代わりになることはできない。
自分には、人心を動かすほどの強さと、影響力がない。
この国には、拠り所となる"偶像"が──召喚師一族が必要なのだ。
そう叩きつけておいて、いざ、サミルの崩御とアーベリトの没落を機にルーフェンが望んだのは、『召喚師制の廃止』だった。
国に命を捧げんとする者たちは、あらゆるものを犠牲にして、強くあろうと踏ん張っている。
時に、自身や身内すら顧みず、国事を優先することもある。
それでも力及ばず、己の無力さを呪いながら、地に骨を埋めた者たちを大勢みてきた。
ルーフェンには、そういった凡人の覚悟や大義など、理解できないだろう。
彼は、誰もが成し得なかったことを、生まれ持った才能と地位だけで、易々と遂げてしまう。
そのくせ、自身の特別さには興味がないといった風に、いつも遠くを見つめている。
誰より国を優先するべき立場でありながら、そこに価値を見出さず、むしろ、辟易した様子で立ち止まっている。
そんなルーフェンのことを、ずっと、心のどこかで嫌悪していた。
同時に、嫉妬する余裕のなさ、狭量さを自覚するたび、ジークハルトは、自身の心の醜悪さを、突きつけられているような気分になるのであった。
少しの間、気を失っていたのだろう。
ハインツのすすり泣く声に、ジークハルトは、ぼんやりと意識を浮上させた。
ギラギラと照る無情な陽光に、眼球を焼かれ、張り付いた瞼がうまく持ち上がらない。
呼吸しようとすると、熱された土埃が喉に入り込んできて、息苦しさに噎せ返る。
麻痺していた痛覚が、一気に呼び戻されて、咳をする度に胸部を激痛が突き抜けた。
ルーフェンに負わされた全身の火傷に、魔力の枯渇、脳挫傷。
そういえば、ハインツに殴られた拍子に、肋骨も何本か折れたな、と思い出すと、ジークハルトは、強張った身体から力を抜いた。
自力では起き上がれないし、少し休んで回復したとしても、下手に動かない方が良い。
再び目を閉じると、ジークハルトは、赤く光る瞼の裏を見つめていた。
ジークハルトが身じろいだことに気づくと、ハインツは、裂け目の底から視線を上げた。
激しく嗚咽を漏らしながら、緩慢な動作で立ち上がる。
ジークハルトは、薄く目を開けると、近づいてきたハインツを見上げた。
かすんだ視界では、鉄仮面の奥の表情など伺えなかったが、その拳が、ぶるぶると震えていることだけは分かった。
ルーフェンたちを奈落に落とされて、怒りが抑えられないのだろう。
もしかしたら、このまま殴り殺されるかもしれないと、ジークハルトは他人事のように思った。
本来なら、すぐにでもルーフェンの死体を確認しに行くべきなのだが、生憎、この場で動けるのはハインツだけだ。
生きて戻れれば、砦に戻っているであろう魔導師たちに捜索を命じても良いが、深さの知れない裂け目の底に、どうやって下れと言えば良いのか分からない。
土蛇の通り道とやらは、どう巡っているのか検討もつかないし、仮に底にたどり着けたとしても、無事に地上に戻れるか怪しいところだ。
とはいえ、とどめは刺し損ねたが、死体など確認せずとも、あの出血量と被弾位置を考えれば、ルーフェンはまず助からないだろう。
ギールの撃ち込んだハイドットの弾丸が、体内に残っているならば、落下中に運良く意識を取り戻したとしても、魔術は使えない。
トワリスの魔力量では、二人の人間を宙で支えるような芸当はできないだろうし、順当に考えれば、ルーフェンたちは成す術なく、奈落の底に叩きつけられた可能性が高い。
きっとそうだ。そうであってくれと、ジークハルトは、朧な意識の中で願っていた。
ハインツは、しばらくの間、込み上がるものを必死に飲み下しながら、その場に立ち尽くしていた。
どうして、こんなことになってしまったのか。
抑えきれなかった感情が、涙として溢れる。
うわ言のように「なんで」と呟くと、ジークハルトの瞼が、微かに震えた。
「────……」
魔導師として、召喚師の罪を見逃すわけにはいかなかったからだ。
そう答えようとしたが、言えなかった。
罪人は例外なく、裁かなければならない。
その思いも嘘ではないが、現実にルーフェンに刃を向けた時、ジークハルトの頭には、そんな大義は浮かんでいなかった。
本当は、ずっとルーフェンのことが目障りだった。それが一番の理由だ。
国を憂うなら、召喚師が必要だと考える一方で、それが彼のような個を優先してしまう人間なら、いなくなってしまえばいいと思っていた。
持って生まれた力が、そんなに気に食わないなら、もっと早くに国を捨てて、消えてしまえばよかったのに。
そうすれば、ルーフェン・シェイルハートという存在が根付く前に、他ならぬ自分が、サーフェリアを背負って立てていたかもしれない。
今回の召喚師の失踪が、人心に与える影響もさほど大きくはなかっただろうし、教会の活動が激化して、魔導師団と衝突することもなかった。
ルーフェンさえいなければ、自分が、ここまで惨めな人間だと思い知ることもなかった。
冷静ぶって正義を掲げておきながら、その実、こんな一方的な私情に突き動かされていたのだと知ったら、ジークハルトを信じて着いてきた者たちは、きっと失望するだろう。
自覚しないよう、目を逸らしてきただけで、ルーフェンを妬む気持ちは昔からあった。
そんな醜い感情を隠しながら、ジークハルトは、トワリスとハインツを宮廷魔導師団に引き入れたのだ。
アーベリトに属していた彼らを、利用しようという意図があったわけではない。
ただ、七年前のあの時から、ルーフェンが自身の失脚を画策していたことは、ジークハルトもなんとなく気づいていた。
召喚師制がなくなり、あまつさえ召喚師が魔導師団と衝突するような事態になれば、国内は混乱に陥るだろう。
それでも、ルーフェンなどいなくなってしまえば良いという思いがあったから、止めようとはしなかった。
ルーフェンを慕い、彼を支えるつもりでジークハルトの勧誘に頷いたであろう、トワリスとハインツからすれば、これは裏切りとも言える行為だ。
宮廷魔導師団が、召喚師を罪人として討つと決めただけでなく、その長たるジークハルトが、何の大義もない嫉妬心からルーフェンを追っていたのだと分かっていたら、先ほどのトワリスとハインツの攻撃に、躊躇はなかったかもしれない。
途切れ途切れの思考の中で、そんなことをつらつらと考えていると、不意に伸びてきた大きな手が、そっとジークハルトの身体を支え起こした。
ハインツが、脱いだ外套を裂いて、ジークハルトの胸部をきつく巻いていく。
患部が固定されると、全身を苛んでいた痛みが軽くなって、呼吸がしやすくなった。
わずかに瞼を押し上げると、ジークハルトは、ハインツを見つめた。
「……俺はいい……。ギールと、ヴィルマン卿、出血が多いだろう。……止血してくれ」
か細い声だったが、聞こえたらしい。
ハインツは、一度顔を上げてから、弱々しく首を振った。
「……団長、が、一番重症だよ」
しゃくりあげながら答えて、ハインツは、ジークハルトから離れようとしない。
無骨な手が、未だに震えている。
抵抗する余力もなく、されるがままに手当てを受けながら、ジークハルトは尋ねた。
「……お前、俺が憎くないのか」
「…………」
長い間、返事はなかった。
鉄仮面の隙間から滲んだ涙の粒が、ぱたぱたとジークハルトの衣服を濡らす。
ややあって、すがる子供のようにジークハルトの胸元を掴むと、ハインツは、嗚咽混じりに呟いた。
「……憎みたく、ない……」
しがみついてくる手に、ぎゅっと力がこもる。
その手の震えを感じた途端、疼痛とは別の痛みが、ジークハルトの喉元に突き上がってきた。
潮が満ちるように、何かが、胸の底へと広がっていく。
何か答えようと思うのに、浮かんだ感情が、うまく言葉にならない。
沈み行く意識を保とうと、懸命に目を開いて、ジークハルトは、ハインツのことを見つめていたのだった。
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