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投稿日:2025年12月31日
* * *
小さな火が、ゆらゆらと揺れている。
ほのかな暖かさを感じて、トワリスは目を覚ました。
真っ暗な視界の中で、宙に浮かぶ炎だけが鮮明に見える。
ぼんやりとした思考で、燭台を消し忘れて眠ってしまったんだろうか、などと考えていると、不意に、穏やかな声が耳に届いた。
「……気がついた?」
視線を動かすと、少し離れた先の暗がりに、ルーフェンが片膝を立てて座っていた。
上体を起こそうとすると、右腕に絡まっていた鉤縄が、カランと音を立てる。
──そうだ、自分達は、ジークハルトたちとの戦いの末に、奈落の底に落ちたのだ。
ルーフェンの腕を掴んだ後、咄嗟に鉤縄を放ったが、鉤の引っかかった岩壁が重みで崩れ、結局そのまま最深部まで落下してしまったのだった。
全てを思い出すと、トワリスは、まじまじと上を見上げた。
塗り潰したような闇の先に、外界の光は一切見られない。
この高さから落ちて、よく無事でいられたものだ。
本当は死んでいて、ここは死後の世界なのだと言われた方が、よほど現実味がある。
小さな魔術の灯り一つでは広さも分からない、岩場だらけの周囲を見回しながら、トワリスは、ゆっくりと起き上がった。
ふと見ると、頭の下に、畳まれた自分の外套が敷いてある。
おそらく、ルーフェンが置いてくれたのだろう。
ズキズキと痛む両腕を見下ろせば、包帯代わりに巻かれた布で止血されており、考えるに、ルーフェンはかなり前から意識を取り戻していたようだった。
「わ、私達、どうやって助かったんですか……?」
恐々と尋ねると、ルーフェンが答えた。
「運が良かったんだよ。最初に着地したのが、ここよりもずっと上にある岩棚だったんだ。咄嗟の魔術で落下の衝撃を和らげられるくらいの、地上に近い場所だった。ただ、魔導師連中が魔力を辿ってくると厄介だから、そこから洞窟を通って、この最深部に移動してきたんだ。……まあ、今のジークくんたちに、俺たちの魔力を探知して、追跡する余裕があれば話だけどね」
「…………」
一応、筋の通った話ではある。
だが、あまりにも都合が良すぎて、自分達の幸運を喜ぶ気持ちより、信じられないという思いの方が強かった。
そもそもルーフェンは、何故魔術が使えたのだろうか。
記憶違いでなければ、彼は直前に、魔力を吸収するギールの弾丸に胸を撃たれている。
まさか、自分で傷口を抉って弾丸を取り出した訳ではないだろうし、うまく弾が貫通していたのだとしても、意識不明の状態で落下中に魔力を回復させたとは考えづらい。
とすれば、弾切れか何かが理由で、ギールはハイドットの弾丸を使わなかったのだろうか。
ルーフェンへの復讐を誓っていた彼が、あの局面で切り札を切り損ねるとは思えないが。
そこまで考えて、トワリスは、改めてルーフェンを見つめた。
普通に話しかけてくるので安心していたが、ルーフェンは、起きていられるような状態ではなかったはずだ。
慌てて近づこうとすると、ルーフェンが、嗜めるように言った。
「まだ動かない方がいい。ジークくんにやられた傷、血が止まったばっかりなんだ」
四肢に力を入れると、確かに、無数に走った切り傷のいくつかが、プツリと開く感覚があった。
頭を動かして気づいたが、風の刃に刻まれて、髪もざんばらになっている。
トワリス自身、ボロボロでみっともない姿なのだろう、という自覚はあった。
だが、どれも致命的ではない。
ルーフェンが負ったものに比べれば、浅い傷ばかりだ。
絡まった鉤縄を適当に集め、腰の巾着に突っ込むと、トワリスは、構わず立ち上がった。
暗がりに座り込んでいるルーフェンの姿は、闇と同化した影のようで、はっきりとは見えない。
けれど、触れられる距離まで近づくと、つん、と血臭が鼻をついた。
彼の身に纏う衣服は、もはや地の色がわからないほどに、どす黒く染まっている。
「ルーフェンさんこそ……座ってて平気なんですか? ひどい怪我してるでしょう」
震える声で問いかけると、ルーフェンは、静かに首を振った。
「大した怪我じゃないよ、大丈夫」
「大丈夫って……胸のところ、撃たれてますよね。私、見てましたよ」
屈み込んで、胸元に触れようとすると、それを拒むように、ルーフェンに手を掴まれた。
はっと顔を上げると、銀色と目が合う。
ルーフェンは、もう一度首を振った。
「直前で結界を張ったから、本当に大丈夫。他の傷も、休めば治る程度だよ」
「う、嘘です! だって、あんなに出血してたじゃないですか!」
「返り血だよ」
「そんなわけないでしょう⁉︎ ちょっと見せてください!」
言いながら、ルーフェンの手を払い除けると、トワリスは彼の胸ぐらを掴んだ。
強硬手段に出るとは思わなかったのだろう。
ルーフェンの顔に、焦りの色が浮かぶ。
「ちょっ、ちょっと待った! や、やだな、トワったら大胆──」
「──ふざけたこと言ってないで、早く脱いでください!」
茶化して誤魔化そうとするルーフェンを無視して、強引に外套の留め具を外す。
無理矢理に襟を引っ張って、胸元をくつろげてから、トワリスは目を疑った。
撃たれたはずの左胸には、出血どころか、傷一つついていなかったのだ。
「え……?」
思わず呟いて、その場にへたり込む。
気の抜けた顔で、瞠目しているトワリスの手を外すと、ルーフェンは、罰が悪そうに言った。
「だから大丈夫だって言ったのに。……俺のことより、自分の心配しなよ」
「…………」
トワリスの手を離して、ルーフェンは、さっさと胸元を閉じた。
目の当たりにしても尚、事もなげに動いている姿が信じられず、呆然としてしまう。
トワリスは、その存在を確かめるように、彼の腕を掴んだ。
「ほ、本当に……? 本当に、怪我してなかったんですか?」
「……してないよ、本当に」
躊躇いがちに伸びてきたルーフェンの手が、腕を掴むトワリスの手を、ゆるく握り直す。
その指先から、低い体温を感じた瞬間。
堪らなくなって、トワリスは、ルーフェンの胸に飛び込んだ。
「よかった……っ! もう、だめかと思った。死んじゃったかと思った……!」
みるみる目が潤んで、涙声になる。
背に回した腕に力を込めると、ルーフェンが息を呑んだのが分かったが、トワリスは、離れようとしなかった。
ようやく自分達が生きていると実感して、安堵したせいだろう。
宮廷魔導師団を退団してから二月──ずっと堪えていたものが、一気に込み上がってくる。
トワリスは、しばらくの間、ルーフェンの胸に顔を押しつけて、すすり泣いていた。
やがて、トワリスの身体の震えが治まってくると、ルーフェンが口を開いた。
「……なんで来ちゃったの? 俺は、一人で良かったのに」
その言葉に、カッと頭に血が昇る。
トワリスは、思わずルーフェンの肩を叩いた。
「なに言ってるんですか、死にかけたくせに……! いきなり、告発されたって聞いて、わ、私とハインツが、どれだけ心配したと……っ」
他にも言ってやりたいことは沢山あったが、喉がしゃくりあげて、声が紡げない。
再び泣き出したトワリスの肩を、ルーフェンは軽く押し返した。
「……心配かけたんなら、ごめん。でも、やっぱり来るべきじゃなかったよ。君達は、魔導師団に残るべきだった。……そう思ったから、余計なことは何も言わなかったのに……」
トワリスは、ルーフェンの身体にぎゅっとしがみついた。
「勝手に決めないでください! 私、貴方より優先させることなんて他にありません……!」
はっきり言い切ると、トワリスの肩に置かれていた手が、ぴくりと震えた。
涙で衣が濡れるのも構わず、ルーフェンの胸に顔をすり寄せると、脈打つ心音が、やけに大きく伝わってくる。
ジークハルトたちに襲撃された上、奈落に落ちるなんて経験をすれば、ルーフェンといえど、心臓が逸りもするのだろう。
改めて、生きていて良かったと感じながら、トワリスは、激しくなっていくルーフェンの鼓動を聞いていた。
どれくらいの時間、そうしていたのか。
ふと、トワリスの背を叩くと、ルーフェンが耳元で呟いた。
「……あの、そろそろ離れてくんない?」
我に返ったトワリスが、腕の中で身動ぐ。
躊躇いがちに彼女の肩を掴むと、ルーフェンは、今度こそ身体を離した。
「……あんまりくっついてると、汚れるよ」
「……あ。す、すみません……」
言われて初めて、自分がルーフェンにしがみついていたのだと自覚すると、トワリスは、慌てて身を引いた。
汚れているのはお互い様だが、双方傷だらけ、血汗まみれの状態で抱きつかれるのは、流石に嫌だったのかもしれない。
気を悪くしただろうか、とルーフェンの顔を見上げようとしたところで、突然、視界が暗転した。
「────え」
目の前が真っ暗になって、何も見えなくなる。
ルーフェンが、宙に浮かべていた魔術の炎を、突然消してしまったのだ。
何故そんなことをしたのか、理解できずにいたトワリスだったが、ルーフェンの気配が離れた途端、彼の目論みを察した。
──これは罠だ。
ルーフェンは、この隙に、どこかへ逃げようとしているに違いない。
トワリスは、眉を吊り上げると、ルーフェンの袖らしき場所をむんずと掴んだ。
「待ちなさい! 逃げようったってそうは行きませんよ‼︎」
「は? いや、そういうわけじゃ────いでっ」
ルーフェンの言葉を遮って、その袖をぐいっと手繰り寄せる。
体勢を崩したところで、足を払うと、ゴンッと鈍い音がして、ルーフェンが転倒した。
うめき声をあげた彼の背を、動けないように踏みつける。
暗闇の中、目が見えないとは思えぬ手捌きで鉤縄を取り出すと、トワリスは、ルーフェンの胴を縛り上げた。
「いっ……締まってる、締まってるって! なんでこうなった⁉︎」
「なんでじゃありません! 全く、油断も隙もないんだから……!」
抵抗するルーフェンに構わず、縄が緩まないよう、ぎゅっと絞り直す。
暗くて見えなくとも、足の下で、ルーフェンが抜け出そうともがいているのが分かる。
更にきつく縛り上げようとすると、ルーフェンが、慌てたような声を出した。
「待った待った! 俺、怪我人だよ? ていうか、こんなところで逃げないし、そういう雰囲気じゃなかったじゃん!」
「誰が怪我人ですか! 自分で大丈夫だって言ったくせに!」
「いや、細かい傷はあるから! ほら、こことかすっごい痛い! 俺、縛られて踏みつけられる趣味はないっていうか──」
「は⁉︎ 私だって、縛って喜ぶ趣味なんかありませんよ‼︎ 変なこと言わないで下さい!」
あらぬ疑いをかけられそうな発言に、トワリスが逆上する。
二人はつかの間、大声で騒ぎながら問答を繰り返していたが、ふと、どこからか足音が響いてくると、ぴたりと動きを止めた。
闇の奥から、複数の淡い光が近づいてくる。
ほのかに光るシシムの磨石を携え、洞窟の角から姿を表したのは、三人の人影だ。
一人は亜麻色の髪の少年、他の二人は、リオット族の老人と女であった。
少年──シャルシスは、ルーフェンたちの前で足を止めると、訝しげに眉をひそめ、傍らに立つラッセルとノイを見た。
三人で頷き合った後に、もう一度、掲げた磨石でルーフェンたちを照らす。
赤褐色の髪の女が、ルーフェンを縄で縛って、踏みつけている。
シャルシスは、軽蔑したような顔になると、ルーフェンとトワリスを交互に見た。
「そなたたち……暗がりで何をやっておるのだ?」
「…………」
一瞬、奇妙な沈黙が流れる。
トワリスは、ルーフェンを縛り上げた体勢のまま、目を瞬かせて三人を見遣った。
背の曲がった小柄な老人、ラッセルと、左目を布で覆った女、ノイ。
特有の引き攣った皮膚をしている彼らは、見るからにリオット族らしいので、こんな地下にいたとしても頷ける。
だが、問いかけてきた少年の方は、リオット族ではない。
口調からして、一般人ですらなさそうだ。
すりきれた旅装を纏い、数月前に比べると日に焼けた彼は、トワリスの記憶にある姿とは、随分と様変わりしていた。
だが、肩口で真っ直ぐに切り揃えられた髪と、顔立ちには見覚えがある。
トワリスの額に、どっと汗が噴き出した。
「シャ、シャルシス殿下……? どうして、こんなところに……」
しげしげとシャルシスを見つめてから、ルーフェンに視線を移す。
ルーフェンは、不思議そうに瞬いてから、あ、と声を上げた。
「宮廷魔導師団を退団する前に、ジークくんから聞かなかったんだ? まだ一般には公表されてないみたいだけど、シャルシスくん、俺と一緒に王宮を出てきたんだよ」
「……はい? な、なんて?」
聞き返しながらも、叙任式の際、ルーフェンがシャルシスを斬りつけた、と言っていたジークハルトの言葉が、トワリスの脳裏に蘇る。
嫌な予感に青ざめたトワリスに対し、ルーフェンは、あっけらかんと答えた。
「彼は、俺と一緒に王宮を出たの。色々あったんだけど、流れでね。まあ、シャルシスくんがいてくれたら、いざという時に人質になるから、ちょうど良いかなと思って。つっても、本人は気が済んだら王宮に帰るって言ってるし、俺もそのつもりだから、心配はいらないよ。ね、シャルシスくん?」
「う、うむ……」
こくりと頷いてから、シャルシスは、気遣わしげにトワリスの様子を伺った。
ルーフェンは呑気に言ったが、今、トワリスの纏う空気が変わった。
暗がりでも分かる、怒気というよりは、もはや禍々しいとも言えるような邪気を放って、わなわなと拳を震わせている。
磨石に照らされた、赤褐色の髪から覗く獣の耳を見て、シャルシスは、大方の状況を把握した。
トワリスのことは、ミストリアに渡った半獣人の宮廷魔導師ということで、名前だけは知っている。
彼女がここにいるということは、やはり、ルーフェンのことを捕らえにきたのだろう。
立場を考えれば、シャルシスまで失踪していたと知って取り乱すのは、当然の反応であった。
シャルシスは、踏みつけられているルーフェンに手を貸すと、思い切って、トワリスの前に立った。
「そなた、宮廷魔導師のトワリスだな。その……余のことが団内でどう広まっているのかは分からないのだが、誤解しないでくれ。確かに余は、拐われるような形で王宮を出たが、ここまで同行したのは自分の意志なのだ。それに、ルーフェンは余を人質だと言ったが、道中でそういう扱いを受けたことはないし、実際に危害を加えられたこともない。楽な道のりではなかったが、これは、余も納得した上での旅なのだ」
「…………」
トワリスの耳が、ぴくりと反応する。
幸いなことに、話を聞く気はあるようだ。
しかし、折角シャルシスが怒りを解こうと説明をしたにも拘らず、ルーフェンが、空気の読めない補足をした。
「そうそう、この子、自分から人質になるって言ってきたんだよ。変だよねぇ」
鉤縄を身体に引っ掛けたまま、ルーフェンがからからと笑う。
ブチッと、何かが切れる音がした。
シャルシスが、まずい、と思った瞬間、トワリスの手が、勢いよく振り上がった。
「だからって王子を人質にしていいわけないでしょう⁉︎ この馬鹿ーっ‼︎ 」
トワリスの手が、ルーフェンの頬を引っ叩く音が、奈落中に響き渡った。
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