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投稿日:2025年12月31日








 シャルシスたちと別れた洞から、岩壁に沿って通路に移動すると、磨石の光が届かなくなった。
手元すら見えない暗さなのに、ラッセルは、石杖を鳴らしながら先導していく。
暗視できるのか、それとも、白濁した目は元から見えず、杖音を頼りに歩いているのか。
枯れ枝のように細く、折れ曲がった肢体をゆっくりと動かすラッセルに着いて、ルーフェンも、不安定な岩場を進んでいった。

 やがて、別の空間に出ると、ルーフェンは宙に光を灯した。
ノーラデュースには何度か出入りしているが、蟻の巣のような複雑な内部構造を、完璧に把握しているわけではない。
目の見えない闇の中を、ラッセルの気配だけをしるべに進むのは、地上の人間にとっては至難の業であった。

 地下において、石以外の光源は土蛇の警戒心を煽るものだと分かっていたが、先刻トワリスといた時も襲われることはなかったので、この辺りは彼らの縄張りではないのだろう。
そも、そんな場所に、リオット族が根城を築こうとするはずもない。
ようやく明るくなった周囲を見回すと、そこは、複数の横穴が並ぶ広い空間であった。

 広間の中心まで出ると、不意に、ラッセルが立ち止まった。
周辺を探るように見回し、振り返ると、ラッセルは、ため息混じりの声で尋ねた。

「……おぬし、何に手を出したのだ」

「……何って?」

 同じく立ち止まったルーフェンが、微かに目を細める。
食糧の運搬を手伝えというのは、二人きりになる口実だったのだろう。
ラッセルは、じっくり話そうと言わんばかりに、その場に座り込んだ。

「長い時を地下で暮らしていると、視覚以外の感覚が鋭くなるようでな。目も全く見えぬわけではないが、わしは、ほとんど声や気配で相手を識別しておる。……今のおぬしは、わしの知るルーフェンとは別物じゃ。もはや人とも、獣とも少し違うように感じる。強いて例えるならば、石や土に似ているだろうか。確かに生きてはおるのだが、無理矢理に魔力を内側に押し留めているような、限りなく気配が薄い状態じゃ」

「…………」

 目深にかぶった頭巾を持ち上げて、ラッセルが、まじまじとルーフェンを見つめる。
高齢故に、出会った時点でリオット病の進行が進みきっていた彼の顔面の皮膚は、治療を施しても、歪に引き攣ったままだ。
しかし、表情を作れない、岩膚の如き動かぬかんばせでも、その白濁した瞳には、悲壮な色が滲んでいるような気がした。

 ルーフェンは、肩をすくめた。

「石や土に似ている、か……なるほど、そういう表現も言い得て妙だね。それも、リオット族の野生の勘ってやつ? 貴方たちは時々妙に鋭いから、ドキッとさせられるよ」

 苦笑したルーフェンに対し、ラッセルは、呆れたように首を振った。

「……さてな、ノイたちが違和感を感じ取ったかどうか分からぬ。だが、わしが思うに、数日前にノーラデュースに来た時と、先程地下に下ってきた時とで、おぬしの気配が明らかに違う。一体、地上で何があったのじゃ?」

 ルーフェンは、小さく鼻を鳴らした。

「何がって、さっき話したことが全てだよ。……あとは貴方たちには関係のないから、気にしなくていい」

「…………」

 短く答えると、ルーフェンは、ラッセルから視線を外し、遠くの暗闇をぼんやりと眺める。
その反応を見て、ラッセルは、やれやれとため息をついた。
ルーフェンは、何も答える気がないのだろう。
静かな眼差しが見据える先に、もう自分達リオット族は映っていないのだと悟ると、ラッセルは閉口するしかなかった。

 不意に、周囲が騒がしくなってきて、ルーフェンとラッセルは、同時に顔を上げた。
広間へと続く複数の横穴から、十数名の人影が入ってくる。
彼女らは、数日前に砦に押し入ってきたジークハルトたちと対峙した、リオット族の若い女子供たちであった。

「おお、おぬしら、よくぞ戻ってきたな……!」

 驚きと喜びの声を上げて、ラッセルが立ち上がる。
女子供たちは、ラッセルとルーフェンを囲むように集まってくると、全員揃っているかどうかを確認して、互いに頷き合った。

 彼女たちもまた、ノイと同じく、ルーフェンを追手から逃すために奔走してくれた協力者たちである。
ルーフェンとしては、ノーラデュースに残っていたのが彼女たちだけだったというだけで、女子供を巻き込んでしまうのは不本意だったのだが、結果的に、それは良い方向に作用した。
リオット族とはいえ、幼子を連れた女たちを目くらましに使ったことは、魔導師たちの油断を誘ったからだ。

 仮に、相手取ったのが屈強なリオット族の男たちだったなら、ジークハルトは、その追手をたった数人の一般魔導師に任せるような真似はしなかっただろう。
宮廷魔導師四人でルーフェンを追跡し、下級兵にリオット族を追わせたのは、ルーフェンとシャルシスの捕縛、保護を最優先とした上で、それが叶わなかった場合に捕らえた人質を使おう、と考えての人員配置だったに違いない。
だが、ルーフェンもリオット族の女子供たちも、誰一人欠けずに逃げ延びたので、実際には、魔導師側はただただ戦力を分散させられ、任を失敗したことになる。
もし、全員が捕縛したルーフェンの監視ついたり、宮廷魔導師を一人でもリオット族を追う方に回されたりしていたら、結末は変わっていたかもしれない。
そうならなかったのは、ジークハルトたちに、"女子供であれば少人数でも捕らえられるだろう"という油断があったからだ。

 とはいえ、これも所詮は結果論で、予期せぬ魔導師たちの急襲に、犠牲が出る可能性も当然あった。
協力してくれたリオット族の中には、年端も行かぬ少女や、一歳にも満たない赤子を抱いている者もいるのだ。
地の利があったとはいえ、危険も顧みず、二つ返事で協力してくれた彼女たちの勇敢さ、そして、魔導師たちを見事に撒いて、事前の打ち合わせ通りに地下へと戻ってきた逞しさには、頭が下がる思いだ。

 全員の顔を見回すと、ルーフェンも口を開いた。

「皆、無事みたいで良かった。今回は、本当に救われたよ。ありがとう」

 表情を切り替えて微笑みかけると、リオット族たちも、安堵したように口元を緩ませる。
その内の一人が、曲がった指先で天井を差して、言った。

「……魔導師、まだいる。砦、囲んで、私たち探している」

 ラッセルは、ふむ、と唸って、ルーフェンを見上げた。

「……どうする? 追い払うか?」

「いや……主力は潰したし、彼らに地下まで下りて俺たちを捜索する余力はない。ノーラデュースに長く留まる備えもないだろうから、数日もすれば一度撤退するはずだ。この際、彼らには、俺は奈落の底で死んだと王宮に報告してもらった方が有難い。ただ、後々別働隊を率いて戻ってくる可能性はあるから、俺は明日にでもここを出て、どこかへ身を隠す。悪いけど、君たちもしばらくは地下に潜んでいてくれ」

 ルーフェンがそう言うと、リオット族たちは、不満げな顔つきになった。
地下に身を潜めろ、と言ったことに対してではない。
なぜ襲ってきた魔導師たちをみすみす逃すのか、どうして徹底的に反撃しないのか──ルーフェンの消極的な判断に対する不満である。

 自分達だって戦える、と目を光らせる女子供たちを見て、ルーフェンは、困ったように眉を下げた。
今回、彼女たちに助けられたのは事実だが、その勇猛さは、リオット族が元来もつ好戦的なたちに由来している。
良くも悪くも単純で煽られやすく、一度敵だとみなした相手には、勝機の有無など深く考えずに立ち向かっていく。
リオット族には、そういう気性の荒い者が多いのだ。

 勿論、全員が全員、無謀な性格というわけではないし、ラッセルやノイのような理性的な者が一族を取り仕切っていれば、過度な暴走をすることはないだろう。
だが、十四年前、一族存亡の危機に立ち会った時から、リオット族は、ルーフェンに対して従順すぎるきらいがある。
仲間と認めて心を許してくれている、と言えば聞こえは良いが、リオット族が、七年前に召喚師の傘下から外れ、今や労働組合として独立している集団であることを思えば、その盲目的とも言える信頼感は危うい傾向だ。
召喚師一族が後ろに存在しているということが、彼らの安心に繋がるのならと思い、ずっと看過してきたが、ルーフェンは今、その称号を自ら放棄しようとしている。
もう召喚師の名に寄りかかるべきではない、という身勝手な突き放し方が、別れの挨拶にふさわしいのかは分からなかったが、自分は、最後にそれを伝えるために、リオット族を訪ねたのだった。

 何か言いたげな面々を見て、ルーフェンは、再び口を開いた。

「元凶である俺が言えたことではないけど、どうか、魔導師団を敵視しないでほしい。前にも話した通り、彼らが俺を追ってるのは、俺がシャルシス殿下を連れて失踪したためだ。非はこちらにあるから、君達まで逆賊になって、王宮勢力と衝突する必要はない。俺はもう召喚師ではないし、そもそもリオット族は、七年も前に召喚師の庇護下から外れている。だから、俺のことは一切忘れて、今後は一族の立場を最優先に考えるんだ。……かつての惨劇を、二度と繰り返さないためにも」

「…………」

 かつての惨劇、という言葉に、リオット族たちは、苦々しく表情を歪めた。
奴隷身分からの解放を求め、王都で騒擾そうじょうを起こした結果、南方に迫害され、その監視を担っていた魔導師たちと殺し合い、憎しみ合ってきた過去──。
当時の恐怖や苦痛を、二度と味わいたくないという思いは、まだ心に強く根付いている。

 何人かの女たちが、躊躇いがちに言った。

「でも、召喚師様、どこ隠れる?」

「魔導師、また攻めてきたら、どうする」

「地下、攻めてきたら、戦うしかない」

 それらの発言を皮切りに、伝播した不安をかき消そうと、女たちがどう戦うべきか、どこで迎え討つべきかと騒ぎ始める。
何かを決意したように、我が子をぎゅっと抱き寄せた女の肩を叩くと、ルーフェンは首を振って、通る声で言った。

「俺のことはどうとでもなるから、考えなくていい。考えるべきは、君達のことだけど、まず、魔導師を相手に戦おうとしないで。襲ってきた連中は、俺の存在を隠蔽したらリオット族全員を罪に問う、と言っていたけど、あれはただの脅しだ。君達がこの十数年間、必死に積み上げてきた業績は、そんなに簡単に覆るようなものじゃないだろう」

 女達が一斉に黙り込み、ルーフェンを見る。
しかし、いまいち何を言われているのか分からない、といった様子で、一様に眉を寄せている。
ルーフェンは、ゆっくりとした、分かりやすい口調で言い募った。

「……よく考えてみて。今、リオット族の雇用主であるカーノ商会は、シュベルテで一番大きな商会だ。元々手広く成功していたところではあるけど、君達が介入するようになってから、アーノック商会を抜いて一番になった。王都一ともなれば、魔導師団や騎士団の権力を以ってしても、そう簡単には潰せない。つまり、カーノ商会がリオット族を抱えている限り、魔導師団は、君たちに容易に手出しできないってこと。だから、仮にこの後、別の魔導師たちがノーラデュースにやってきたとしても、いきなり君たちを殺そうとはしないはずだし、戦わなかったからといって、有無を言わせず捕まえて虐げたり、王都から迫害したりもしないはずだよ。むしろ、敵意を見せてしまったら、争う理由を与えてしまうことになる。必ず話し合う余地があるから、何か言われたら、自分達は召喚師が追われる立場だと知らずに協力させられたんだって、そう答えるんだ。いいね? それでも罪を問われそうなら、シュベルテにいる男達と一緒に、北東のハーフェルンに逃げ込むといい。ハーフェルンは大きな港町で、前々から君達の地の魔術に興味を持ってる。商いに関して言えば、シュベルテよりも更に広く繋がりを持っている都市だし、君たちを蔑ろにするようなことはしない。そしてシュベルテも、ハーフェルンの反感を買うような真似をしてまで、リオット族を追おうとはしないだろう」

 女達は、ルーフェンの話を聞いている内に、少しずつ平静さを取り戻したようであった。
しかし、尚も顔つきが沈んだままなのは、事実に反して、ルーフェンを売るような嘘をつけと指示されたからだ。
リオット族の単純さ、頑愚がんぐさは、世間から蛮人だと罵られる所以であり、決して褒められるものではないのかもしれない。
それでもルーフェンは、彼ら以上に素直で、信用できる者達はいないと思っている。

 黙って俯いているリオット族達に、ルーフェンは、穏やかな笑みを向けた。

「……十四年前、リオット族の運命を託してほしいと言ったのは俺なのに、それを反故ほごするような形になってしまって、本当にごめん。だけど、召喚師制があり続けたところで、いずれリオット族には、俺の称号なんて必要なくなっていただろうと思う。サーフェリアには、もうリオット族の敵はいない。強いて言うなら、未だに君たちを差別している連中が敵だけど、そういう奴らは、暴力より実績で黙らせる方が確実だ。俺は俺で、自分にしか出来ないことをする。……君たちも、作り上げてきた居場所を、一族の未来を、自分達で守るんだ」

「…………」

 ルーフェンの瞳の奥に、揺るがぬ意志を見たのだろう。
言葉の全てに納得したわけではなかったが、リオット族達も、気づけば頷いていた。

 不意に、抱かれていた幼子が、しゃぶっていた指先を伸ばして、母の肩に置かれているルーフェンの手に触れた。

「あぅ、あ……」

 母親が慌てて、その指先を引っ込めようとすると、幼子は、驚いたように目を見開いた。
見えているのか、いないのか分からぬ黒目がちな瞳が、ルーフェンを映している。

 返事の代わりに、ルーフェンがまだ柔い頬をつつくと、幼子は、小さな手でぎゅっと指先を握ってきたのであった。


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