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投稿日:2025年12月31日






 不意に、共にアーベリトを守ろう、と誓い合って、ハインツの手をとった時の記憶が、トワリスの脳裏に蘇った。
あれから七年経って、互いに変わらないところもあるし、変わったところもある。
不器用同士、あまり心の内を深く語り合うようなことはしてこなかったが、少なくともトワリスは、ハインツの境遇には他人事とは思えない部分が多いと感じていたし、今では彼のことを、数々の苦難を乗り超え、支え合った良き戦友、良き理解者であると思っている。

 故に、ハインツの心が、魔導師団側にあるのかもしれない、と気づいた時は、本当は、たまらなく悲しかった。
アーベリトで同じ経験を経て、ルーフェンの決意の一端も見てきたのに。
何故、どうしてと、問い詰めたくなる気持ちも、実のところはあった。
だが、それと同時に、あのハインツが声を荒げてまで反論してきたのだから、その意志は本物なのだと、理解を示した自分もいた。
それぞれの過去や価値観を考えれば、ルーフェンの決断はルーフェンらしいし、ハインツの決断はハインツらしいと思える。
だからこそ、どちらに賛同することも、咎めることもできなくて、こんなにも苦しいのだ。

 トワリスの沈黙をどうとったのか、ノイが、静かに口を開いた。

「……歪でしょう、私たちの在り方は。自分達は消えていく運命だからと、生まれた子どもを罪人扱いして餓死させていくなんて、正気の沙汰じゃない。だけど、当時はとにかく、今いる自分達が生き永らえるのに必死で、何が正しいかなんて考えられなかったんだ。掟を破った親子を、穀潰ごくつぶしだと責め立てて、こうする他にないのだと、無理矢理に納得しようしていた。罪悪感や違和感からは目を背け、誰も疑問を口にしようとはしなかった。……こんなのはおかしい、と最初に声をあげたのは、突然外からやってきた、ルーフェンだった」

「…………」

 トワリスが目線を上げると、ノイは、表情を和らげた。

「……私たちは、政治のこととか、軍事のこととか、そういう難しいことはよく分からないけど……。ルーフェンは、召喚師じゃなくなって良かったのかもしれないね」

「……どうしてですか?」

 問い返すと、ノイは、ふっと鼻を鳴らした。

「だって普通、私たちみたいなのを、助けようなんて思っちゃいけないでしょう。リオット族は、王都で沢山の人間を殺して、ノーラデュースに落とされたんだ。その分、私たちも殺されたけど、それと同じ数だけ、私たちも殺し返してる。自分達を卑下するつもりはないけど、ルーフェンが召喚師に就任するまで、リオット族は醜く野蛮で、呪われた罪人一族という認識をされていた。そんな危険な一族を、もう一度王都に放そうなんて、本当に民の安全を思うなら考えない。国を第一に守るべき召喚師なら、尚更ね」

 トワリスが、思わず微苦笑をこぼすと、ノイも笑みを返してきた。

「実際、リオット族が王都に出入りするようになって、少なからず反発を受けた。ルーフェンは何も言わないが、王都で反召喚師派の勢いが強まった原因に、リオット族も無関係ではないのでしょう。そう感じるような出来事を見聞きする度に、私たちがノーラデュースから出たことは、本当に良いことだったのかと考えて、怖くなる。……でも、リオット族が奈落を出て、新たに生まれた子どもたちが、飢えにも病にも怯えることなく、母親の腕に抱かれているところを見ると、ああ、これで良かったんだな、と思うんだ。この選択が、再び不幸を招くものだったとしても、一度幸せを取り戻したことは、私たちの心の糧になる。仮に今、ルーフェンを追ってきた連中に殺されたって、十四年前に、何も知らないまま、世を恨み続けて野垂れ死ぬよりは、ずっと良い生き方だ。……まあ、そういう気持ちでいる、というだけで、そんなことはルーフェンも望まないだろうから、私たちは貴女たちを見送った後、潔く身を隠すつもりだけど」

 揃えた赤褐色の毛先を整えて、ノイは、トワリスの肩に片手を置いた。

「死ぬのは恐ろしいことだが、望まない環境で苦しみながら生き続けるのは、もっと恐ろしいことだ。だから、ルーフェンやハインツに、命をかけても貫きたいやり方があるなら、私は止めない。多分、全員が納得できる選択はないし、命をかけたからといって、思いを遂げられるとも限らないけど……こういうのは、止まろうとして止められるものではないから、悩んでも無駄なんでしょう。悔いのない道を行って、その結果、生きても死んでも、それは一つの決着の付け方よ。……なんていうか、うまく言えないけど、これは、貴女にも言えることだと思う」

「…………」

 ノイには、まだ出会ったばかりのトワリスの立場や心境など、理解できるはずもない。
それでも、トワリスの抱えている迷いは、なんとなく感じ取っていたのだろう。
ノイは、言い終えると、返事はいらない、という風に手を振ってから、小刀を洗いに水甕へ立った。

 トワリスは、しばらく黙ったまま、岩壁の一点を見つめていた。
しかし、ふとシャルシスの方に視線を移すと、落ち着いた声で尋ねた。

「殿下は、この旅に出て、後悔していませんか?」

 突然話を振られて、背筋を伸ばす。
シャルシスはつかの間、答えを考えあぐねていたが、やがて、こくりと首肯した。

「……余一人の問題ではないから、していない、と断言して良いのかは分からない。でも……あの時王宮を出ていなければ、絶対に後悔していたと思う」

 シャルシスは、少し躊躇った後、苦い笑みを浮かべた。

「状況を思えば不謹慎だと思うが、今、余は楽しいぞ。旅に出て、大変なこともあったが……それも含めて、新鮮で楽しい」

「……そうですか」

 シャルシスの答えに、短く返すと、トワリスは、再び視線を暗闇へと移した。
シャルシスは、怒らせただろうかとトワリスの横顔を伺ったが、その顔つきには、どこか優しげな色が浮かんでいた。



 トワリスが傷の手当と着替えを終えて、水甕みずがめが並ぶ洞を出ると、別の通路の方から、騒がしく話すリオット族たちの声が響いてきた。
内容までは聞き取れないが、その中には、ルーフェンの声も混じっている。
ノイ、シャルシスと共に賑やかな広間へ進むと、そこには、リオット族の女子供たちに囲まれた、ラッセルとルーフェンが立っていた。

「なんだ、何かあったのか? 随分と騒がしいが……」

 遠巻きに背伸びをして、シャルシスが呟く。
女子供たちの人数を数えてから、ノイが答えた。

「彼女たちは、ルーフェンを追ってきた魔導師たちを撹乱するために、囮役を引き受けていたのよ。……よかった、全員帰ってこられたみたいね」

 仲間の無事を確認できて、安堵したのだろう。
ノイは、ほっと表情を緩めると、リオット族の輪の中に入っていく。
シャルシスは、その後をついていったが、トワリスは一歩も動かず、ぼうっと目の前を眺めていた。

 女に抱えられたリオット族の赤ん坊が、小さな手を伸ばして、ルーフェンの指を掴んでいる。
遠目から、その光景を見た瞬間。
トワリスは、ルーフェンの選択はこれで良かったのだろう、と思った。

 彼が守ってきたのは、国だなんて抽象的なものではなくて、その末端で消えかけていた些細な幸せだったのだろう。
それと引き換えに、得るもの以上の犠牲が出ると分かっていても、ルーフェンは、暗闇にうずくまって死を待つことしかできなかったリオット族を、見捨てることができなかったのだ。

 シュベルテを出て、ここに来るまでの道のりで、トワリスは、数々のルーフェンとのやりとりに思いを巡らせてきた。
その中で、彼は一度も、何かを悔いていると口にしたことはない。
アーベリトが没落した時も、何が間違っていたのだろう、と塞ぎ込んでしまったことはあったが、政変時に遷都したことや、前王サミルについていったことは、後悔したくないと言っていた。
数ある岐路きろを前にして、彼は彼なりに、間違えではないと思える道を選択してきたのだ。

 きっと、ルーフェン自身も仄暗い運命を抱えて生きてきた人だから、本来は救い出すべきではない存在でも、手を差し伸べてしまう。
結果、一人では抱えきれないほどの重荷を背負うことになっても、いざ人前に出れば、その不安や苦悩を見せることはできない。
召喚師という立場は絶対的な守護者でも、ルーフェンという個人は、そういう人だ。
──そういう、孤独で、不器用な人なのだ。
そう感じた途端、切なくなるほどの温かさが、胸の中に溢れた。

 同時に、ルーフェンが守ってきたものを、これからも守り続けなければならない、とも思った。
自由を得て、ようやく我が子を抱けるようになったリオット族たちを、これ以上巻き込むことはできない。
シャルシスのことだって、時が来たら、彼の心情に拘わらず帰すべきだ。
きっとルーフェンは、トワリスに対しても、同じことを考えている。
後悔のない選択──けれど、それが進むべき道ではないと分かっているから、他者との線引きだけは、絶対に怠ってはならない。

 下を向くと、トワリスは、ぐっと拳を握った。
彼の覚悟に理解を示すなら、自分は同行するべきじゃない。
そんなことは、シュベルテを出た時から分かっている。
だけど、それでも、この場から引き返す気にはなれなかった。
もし、相手が他の誰かなら、その決意を尊重して、別々の道を歩むこともできただろう。
だが、ルーフェンとの繋がりを断つのは、どうしても嫌なのだ。
突きつけられた一線、それがルーフェンの線引きであることは理解しているが、これだけは、譲ることはできない。
ずっと心の底に積もっていた、この気持ちがなんなのか──この旅で、はっきりと自覚させられたような気がした。

 一通り話が終わったのか、ラッセルが指示を出すと、了承した皆が散っていった。
女子供たちは、見知らぬトワリスの姿を見つけて、警戒した様子であったが、何かを言う間も無くノイに促されて、各々が生活している洞に戻っていく。
ノイは、次いでルーフェンとトワリスを一瞥し、シャルシスの腕を掴むと、「荷造りを進めておいた方が良い」と言って、その腕を引っ張って行った。

 リオット族たちが広間からいなくなると、振り返ったルーフェンと、ふと目が合った。
しかし、先刻言い争いをしたばかりなので、どんな顔をして向かい合えば良いか分からない。
トワリスが黙っていると、ルーフェンのそばにいたラッセルが、見計らったかのように口を開いた。

「若君よ、地上へはいつ頃発つつもりじゃ?」

「……今日の日没後には発つよ。その頃には、魔導師連中も一旦引いてるだろうし」

 天井を見透かすように上を見上げて、ルーフェンが答える。
地下からでは、明確な時間帯は分からないが、戻ってきたリオット族たちの話では、現在が夜明け前。
昼になれば、魔導師たちも避暑のために砦まで後退せざるを得ないだろうから、その夜を狙って、ノーラデュースを出るのが良いだろう。

 ラッセルは、分かったと頷くと、他の面々と同じように、ルーフェンから離れた。

「では、その頃には出立できるよう、我ら準備をせねばな」

「……俺もやるよ」

「いや、いい。女たちが帰ってきたから、人手は足りとる。おぬしは、早く自分の身支度を整えるが良い」

 未だに汚れたままのルーフェンを杖先で指してから、ラッセルも広間を出ていく。
トワリスは、ルーフェンと二人きりになるのが気まずくて、一瞬、ラッセルに着いていこうか、などと頓狂なことを考えたが、おそらくリオット族たちは、意図的にこの場から去ってくれたのだろう。
彼女たちの気遣いを無視して、のこのこノイたちの元に戻るわけにもいかず、トワリスは、下を向いたまま、尚もその場に突っ立っていた。


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