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投稿日:2025年12月31日
トワリスの思考を読み取ったかのように、ルーフェンは、薄く目を開いた。
「君は本当のところ、セントランスの彼──サイ・ロザリエス、だったかな。彼のことだけでも、ひどく心を痛めてただろう。……でも、セントランスだけじゃないんだ。君が見てきたよりも、ずっと多くの人間を、俺は殺してる。非戦論を掲げて、平和な治世を志していたサミルさんの影で、汚いことに手を染めてきた。昔、同じ召喚師だった母を、人殺し呼ばわりしておきながら、結局彼女と同じ轍を踏んでいる。……俺は、そういう人間だ。きっとサミルさんも、どこかで気づいてはいた。でも、君と同じように、仕方ないことだって言い聞かせて、俺に失望してしまわないよう、見ないフリをしてくれていたんだ。……もちろん、俺もやりたくてやってたわけじゃない。だけど、歳をとって見える世界が広がるほど、他に方法がないって思い知るんだ。自分の力量が分かってくると、ああ、これ以上は無理だから、ここらが引き際だな、とか、力づくで黙らせるしかないな、とか、そういう風に諦め始める。だから、俺を見限ったハインツくんの判断は、正しかったよ。この旅は、逃げ切って終わりじゃない。この先、一緒にいても、君は俺に失望するだけだ。君たちを道連れにすべきじゃないっていう俺の判断も、きっと正しかった」
「…………」
違う、と否定しようとして、トワリスは口を閉じた。
違うけど、違わない。
これは、犠牲が必要な方法をルーフェンが請け負っていた、という話であって、失望するようなことではない。
しかし、そういうやり方を、肯定することが出来ないのも事実であった。
トワリスは、なんとか声を絞り出した。
「……サミルさんは、アーベリトを守る重責を、ルーフェンさんにばかり背負わせてしまったことを気にしていたんです。失望してたわけじゃありません。ハインツだって、見限ったとか、そういうわけじゃ……」
言い淀むと、ルーフェンの目に、初めて哀しみの色が浮かんだ。
「サミルさんに重責を負わせたのは、俺の方だ。優しい人だったから、重責だったなんて思ってなかったのかもしれないけど、それでも、俺と縁がなければ、アーベリトが王都になるようなことはなかった。……ハインツくんに関しては、はっきりと見限ったんだよ。それで良かったと思う。俺は、かつてリオット族に対してした約束を、破ったようなものなんだから」
「…………」
ルーフェンは、トワリスに向き直った。
「正直、君はなんで俺から離れないんだろうって、ずっと不思議だったよ。セントランスの件があって、アーベリトが没して、あまつさえ、今回の騒動。俺に幻滅する機会は、いくらでもあっただろう。君は真っ直ぐな人だから、以前、いつでも俺の味方をして戦う、と言った言葉を、今でも守ろうとしてくれているのかもしれない。でもこれは、責任逃れした俺が、その後始末をして回るような旅だから、そんなものに、君が律儀に付き合う必要なんてない。……遠慮ではないよ。これ以上一緒にいて、俺が、君に失望されたくないんだ」
トワリスは、首を振った。
「……ルーフェンさんは、どうして私が失望するなんて思うんですか? 今回の件も含めて、決めたのは貴方かもしれないけど、その全ての責任が貴方にあるとは思いません。まず、召喚師一族に課せられているものは、人一人で背負い切れるものじゃないんですよ。だから私やハインツは、召喚師を支えられる魔導師になりたいって志して──」
「──俺は、もう召喚師じゃない」
穏やかながら、有無を言わせぬ強い口調で、トワリスの言葉を遮る。
硬直した彼女の目を、ルーフェンは見つめた。
「……俺は、一度決めて就任した召喚師の地位を、今更になって棄てた。後悔はない。でも、そうする以外、他に方法が思いつかなかった自分に、俺自身が一番うんざりしている。そういう後ろめたさで成り立っているこの決断を、これ以上、掻き乱されたくない。恩義を貫いて、召喚師を支えようとしてくれる君の真っ直ぐな気持ちが、嬉しい以上に、苦しいんだよ。もう、一人で決着をつけたい。君がどう思おうと、これが俺の本心なんだ」
「…………」
「……ここまで来て、君を傷つけるようなことを言って、喧嘩別れしたくない。だから、ここで理解して、引いてくれ」
「…………」
ルーフェンが話を終えても、トワリスは、しばらく何も言えなかった。
気持ちははっきりしていたが、それをどう言葉にすれば、正確にルーフェンに伝わるのか分からない。
こういう時、アレクシアのように機転が利けば、リリアナのように豪胆な物言いが出来れば、うまく伝えられるのだろうか。
考えてみても、トワリスの頭に浮かぶのは、直球すぎる言葉ばかりだ。
トワリスは、ルーフェンの顔を凝視したまま、長い間黙り込んでいた。
しかし、ふと俯くと、弱々しい声で呟いた。
「な、何度も……言ってるじゃないですか。私、別に、恩義で動いてるわけじゃありません……」
「…………」
それだけ言って、トワリスは、再び沈黙してしまう。
緊張しているのか、言葉尻が掠れて、上擦っている。
ルーフェンは、長らく続きを待っていたが、やがて、彼女の肩が細かく震えていることに気づくと、見かねた様子で話を促した。
「……恩義でも、忠義でも、何にしろ同じだよ。俺はもう、召喚師じゃなくなったんだ。さっきの君の言葉を借りるなら、上官と部下ですらない。俺たちは、ただの他人同士だ。他人の後始末に、君が命をかけてまで同行する理由なんてないだろう」
「…………」
トワリスは唇を開いたが、結局何も答えず、すぐに閉口した。
その後も、しきりに何かを答えようとはするのだが、躊躇ったように黙り込んで、下を向いてしまう。
彼女は昔から、頭の回転は速いのだが、それ故に、言いたいことが脳内で混線するらしい。
頭に血が昇っている時は特に、思ったことを順序立てて、言葉にするのに時間を要することがある。
これ以上待っても、トワリスが焦るだけだろう。
一緒に行くことはできないが、ノーラデュースから地上に出るまでの道のりは同じなので、そこまでは共に動くことになる。
また少し時間を置くか、と判断して、ルーフェンが立ち上がった時──。
トワリスが、引き止めるようにルーフェンの腕を掴んだ。
「違います、忠義でもないです。私……そもそも、ルーフェンさんのために同行したいなんて、多分、思ってないんです。いや、ここまで追って来たのは、ルーフェンさんの力になりたいって思ったからですけど、でも……それだけが理由なら、助けなんていらないって言われた時点で、引き下がれるはずだから……」
「…………」
腕を引かれるまま、再び腰を下ろすと、ルーフェンは眉をひそめた。
言い分を汲み取りたい気持ちはあるのだが、いまいち彼女が何を言いたいのか分からない。
自分でも、主張が支離滅裂であることを自覚していたのだろう。
トワリスは、深呼吸して言い直した。
「……私は、貴方のためじゃなくて、自分のために着いていきたいんです。だから、失望されたくないとか、もう召喚師じゃないからとか、そんなルーフェンさんの事情、知りません。後始末だろうがなんだろうが、ただ、私が勝手に同行したいだけなんです」
「どうしてそこまで……?」
言っていることは分かったが、やはり真意が見えず、ルーフェンは疑問を返した。
何をどう考えても、失脚した召喚師、もとい罪人に随従することが、トワリスの益になるとは思えない。
今更魔導師団には戻れない、と言うならまだ分かるが、それなら剣を置いて、気の許せる身内と平穏な生活を送れば良い話だ。
恩義や忠義、正義感、そして半獣人であることへの劣等感──そういったものが強いと言うだけで、元来トワリスは、争いを好む質ではない。
再びジークハルトたちと戦うことになる危険性もあるのに、それでも渦中に身を置きたいという彼女の行動原理が何なのか。
ルーフェンには、本気で理解できなかった。
いくら考えを巡らせても分からない。
その理由を、トワリスは、驚くほど簡潔に、一言で片付けた。
「──好きだからです」
「…………は?」
「ルーフェンさんのことが、好きだから」
無意識にこぼれた聞き返しを、拒絶だと思ったのだろう。
一瞬、トワリスの瞳が、怯んだように揺れる。
しかし、意を決した様子で視線を定めると、トワリスは、凍りついているルーフェンの顔を見上げた。
「……国を左右するような大事に、私情を入れるべきじゃない、っていうのは分かってます。でも、告発されたって聞いた時、真っ先に、ルーフェンさんと二度と会えなかったらどうしよう、って思ったんです。ここに来るまでの道中も、召喚師制のこととか、魔導師団の未来のこととか、考えなきゃいけないことは沢山あるのに、結局ずっと、貴方のことを一番に考えてました。……どんな道でもいいです。王宮を出て、何かやらなきゃいけないことがあるなら、私も道連れにして下さい……」
「…………」
魔術の灯りを映して、トワリスの赤褐色の瞳が、ゆらゆらと蘇芳に光っている。
いつの頃からか、この真っ直ぐすぎる眼差しが、ルーフェンは苦手だ。
うっかり視線を合わせようものなら、強固に打ち立てていたはずの心の軸が揺らいで、まともに思考が働かなくなる。
強い力で引かれているわけでもないのに、腕を握っているトワリスの手が、やけに熱く、重々しく感じた。
「……ルーフェンさんは、私のこと、どう思ってますか」
何も答えられずにいると、トワリスが、畳み掛けるように尋ねてきた。
「私も、元ですけど、宮廷魔導師です。遠出は慣れてるし、召喚師を逃す旅なんて、これで二回目です。……私がいたら、頼りになるな、とか、心強いな、とか、少しくらい、思いませんか」
「…………」
彼女の手が、わずかに震えている。
その指先からは、覚悟の決まった瞳とは対照的な、戸惑いや緊張が伝わってきた。
思わず、そんなに不安がらないで、とトワリスの手を取ろうとした時。
未だに血で汚れたままの自身の袖口が目に入って、ルーフェンは、我に返った。
「……ごめん」
視線を下へと逸らして、一言、そう告げる。
やんわりと手を振り解こうとすると、それを拒むように、トワリスの指先に力がこもった。
力んで白くなった指先を包み、彼女の望む言葉を返せていたら、どんなに良かっただろう。
だが、実際には、その手を温めて緊張を解いてやることも、安心させて震えを治めてやることもできない。
ルーフェンの手は、トワリスのそれよりずっと冷たく、濃い血臭がこびりついていた。
強引に振り払うこともできず、沈黙していると、不意に、トワリスが口を開いた。
「……どうして謝るんですか? 迷惑なら、迷惑って言ってください」
トワリスの声は、静かだった。
暗に、誤魔化すな、と言われているのだろう。
覚悟に対し、覚悟で応えるなら、はっきり突き放さなければならない。
迷惑だ、と返そうとして、顔を上げると、トワリスが、硬い表情でこちらを見据えていた。
拒絶されると分かって、その悲しさを無理矢理に押し留めているような、頑なな表情だった。
「────……」
喉元まで出かかっていた言葉は、声にならなかった。
そんな顔を、させたかったわけじゃない。
彼女を傷つけ、追い詰めるために、布石を打ってきたわけではないのに──。
胸の奥で、何かがぐらぐらと揺れている。
必死に保とうとしていたものが、大きく傾いて、崩れようとしている。
再度トワリスと目を合わせてしまって、ルーフェンは、言葉を詰まらせた。
「……迷惑だなんて、思ってないよ。ただ──」
ようやく動いた口を、伸びてきたトワリスの手が塞ぐ。
何事かと目で訴えると、トワリスは、慌てたように言った。
「や、やっぱり、私をどう思っているかの答えはいらないです。否定されて変わるものではないし、だからどうなりたいとか、そういうのも考えてませんし……。同行……同行、するのが、迷惑がどうか、それだけ教えて下さい……」
一方的に言い募ると、手を引いて、トワリスは、待ちの姿勢に戻った。
しかし、その瞳には、先ほどまでの気丈さは浮かんでいない。
彼女の中でも、何かがぐらついたのだろうと思うと、息苦しいほどの感情が、一瞬にして全身を支配した。
──無理だ、と思った。
突き放すべきだと、頭では冷静に考えているのだが、いざ言葉にしようとすると、声が出てこない。
トワリスは、動揺を押し殺したような顔つきで、ルーフェンの応えをじっと待っている。
彼女の表情が、これ以上翳ると分かっていて、それでも一線を突きつけることは、出来ないと思ってしまった。
ルーフェンの躊躇いを察したのか、それとも、沈黙に耐えきれなくなったのか。
さして時間をあけることもなく、トワリスが、唐突に立ち上がった。
「……出発、今日の日没後、って言ってましたよね」
「……あ、ああ。そうだけど」
思考が追いつかず、間の抜けたような返事をしてしまう。
その返事を聞くや、くるりと背を向けると、トワリスは捲し立てた。
「じゃあ、それまでに支度をしておくので、出る時間になったら声かけてください。一人で勝手に行ったりしないで下さいよ」
「は? いや、ちょっと待っ──」
「──待ちました! 返事に迷うくらいなら、着いていきます。さっき、すぐに迷惑だって断らなかった方が悪いんですからね……!」
そう吐き捨てるように叫んでから、トワリスは、大股歩きで広間を出て行った。
反響する靴音が遠ざかっていき、やがて、静寂が訪れる。
その背を唖然と見送ったルーフェンは、彼女の気配が完全に消えると、脱力したように岩壁にもたれて、目元を腕で覆った。
胸の奥が痛んで、ジクジクと熱を持つ。
追いかけて、もう一度話すべきかと思ったが、身体が動かなかった。
トワリスが、自分を憎からず想ってくれているのだろう、ということには、以前から気づいていた。
それが、恩義の延長線上に芽生えた敬愛なのか、恋情に近いものなのかは分からなかったが、どちらにせよ、深い情を向けてくれていると感じていた。
トワリスもまた、ルーフェンの心の内を、なんとなく察していたのではないかと思う。
はっきりと伝えたことはなかったし、今後も伝える気はなかったので、軽薄にはぐらかしてきたが、自分がルーフェンにとって特別な立ち位置にいる、とは感じ取っていただろう。
互いの領域に踏み込むことはなかったが、ふと一人になった時、一番最初に想う相手だ。
自惚れだと言われればそれまでだが、いつからか、自分たちの間には、そういう付かず離れずの熱情があるような気がしていた。
しかし、ここでトワリスが、その関係性をぶち壊してくるとは思わなかった。
トワリスは、衝動的な言動を取ることも多いが、超えてはならぬ境界線には聡く勘づくし、他者との距離感は心得ている。
今までも、ルーフェンが示した一線を荒らすようなことはなかったし、触れてはならないものに触れたと気づいた時は、慎重に一歩引いていた。
彼女の実直さを知れば知るほど、自分が縛り付けて良い相手ではないと思ったから、ルーフェンも、トワリスの深層に手を伸ばそうとはしなかった。
いつでも引き返せる、その程度の間柄に留まっておくべきだと、互いに分かっていたのだ。
誠実さを重視しそうな彼女からすれば、不実なように思えたかもしれないが、召喚師一族の業に深く関わっては、いずれ身を滅ぼすことになる。
女の身であれば、尚更そうだろう。
ルーフェンの母、シルヴィア・シェイルハートが、まさにその一人だった。
シルヴィアの場合は、自身が召喚師であったので、逃れようがなかったのだろう。
一族の運命に転がされ、忌むべき系譜を紡いでいくことを強いられ、結果、望まずに生んだ息子に全てを奪われて、狂ってしまった。
かつては嫌悪していた母だが、その内に抱えていた闇を想像できる今となっては、同情できる部分も多い。
先祖たちの生涯を、詳細に知り尽くしているわけではないが、悲惨な末路を辿った召喚師、ないしその伴侶は、おそらく一人や二人ではなかった。
血と欲に塗れ、盲目的に続いてきた歪な血統が、まともでいられるはずがないのだ。
ルーフェンが、そんな一族の累代を断ち切ると決断したのは、召喚術の真相を知った七年前だった。
しかし思えば、貼りついた笑みの奥に、身を捩って苦しむ母の姿を見るようになった頃から、後継は作るまいと決意していた。
周囲がそれを許さずとも、今度こそは、命をかけて抗うつもりでいた。
自分が召喚師の座についたのは、最終的には己の意思だったが、同じく逆らえない宿命を、我が子に課すようなことがあってはならない。
もし、銀の髪と瞳を継いだ子が、苦痛に顔を歪めながら、こちらを指差して『人殺し』などと謗ってきたら──。
そんな場面は、想像するだけで、人の心を失いたくなるほどに耐え難い。
そういう心持ちでいたから、特定の誰かと、名のある関係を築くつもりはなかった。
割り切った協力ならともかく、長く連れ添うともなれば、こちらが望むと望まざるに関わらず、世間は当代の召喚師に近しい間柄の人間がいると認識し始める。
まして、それが半獣人の宮廷魔導師ともなれば、真偽に関係なく余計な勘繰りをする者も出てくるだろう。
トワリスが、どこまで意識してルーフェンのそばにいたのかは分からない。
だが、実際に彼女は、敬虔な召喚師派だと教会に目をつけられて、単身ミストリアに送られている。
これ以上、深入りするべきでないと、トワリス自身も感じていたはずなのだ。
今のルーフェンは、もう召喚師と呼べる立場ではなくなったが、正確にはまだ、召喚師制の廃止が決定したわけではない。
仮に、目論見通り廃止になったとしても、逆賊として追われていることに変わりはないし、この先に待つのは破滅あるのみ。
あとは、どれだけ悪あがきができるか──。
これは、そんな一か八かの、薄氷の上を行くような旅路だ。
伴えば、その身まで暗い湖底に沈みかねないなんて、言うに及ばないことである。
全ての事情を知らなくたって、トワリスも、それくらいは察していただろう。
それなのに、何故ここで、踏み込む選択をしてしまったのか。
もはや自分は、召喚師でも、何者でもないのに。
どうして彼女は、そこまでしようと思うほどに、好意を寄せてくれたのか──。
不意に、トワリスと過ごしてきた十数年間の思い出が、渾々と脳裏に蘇ってきた。
(……こんなこと、考えてる場合じゃないんだけどな……)
耳元で鳴っているのかと思うほど、心臓の音が大きく聞こえる。
目元から腕を退け、身を起こすと、ルーフェンは、深く吐息をついたのであった。
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