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投稿日:2025年12月31日





 レズリーの兄──ギールの父は、腕の良い魔法武具専門の鍛治師であったが、反面、父親としては甲斐性のない男であった。
名を、デイル・レドクイーンと言う。
旧王都アーベリトの没落時に消滅した、レドクイーン商会の当主であった。

 デイルは、いわゆる職人肌な朴訥ぼくとつとした性格で、子供の頃から、父親(親方)と一緒に工房に入り浸っていた。
レズリーには理解できなかったが、鍛えた武器や防具を並べて見るのが、本当に好きだったのだろう。
兄を思い出す時、いつも脳裏に蘇るのは、まるで自分は鍛冶師になるために生まれてきたのだと言わんばかりに工房に引きこもっている姿と、その手が鉄をつ甲高い音であった。

 デイルの腕前は、同業の仲間内では認められていたが、その一方で、商才はからっきしだった。
常連といえば、太客にもならない田舎の猟師連くらいで、個人から引き受ける依頼も、ろくな利益にならないものばかり。
レドクイーン商会は、もとより南区の郊外に居を置く小規模な組合であったが、デイルが当主になってからは、その困窮ぶりに拍車がかかった。
しかし、彼に言わせれば、信条を捻じ曲げてまで得る評価には、何の価値もなかったのだろう。
世間的に成功を収められずとも、自分のこだわりが通じる者に伝わればそれでいいと、デイルは現状に満足しているようだった。

 とはいえ、結婚してからも兄がその調子だと聞いた時は、レズリーも流石に呆れてしまった。
理解のある幼馴染を嫁にもらい、商会の者たちもデイルの理想に共感しているようだったが、それでも、子供が生まれれば、その食い扶持を稼ぐことを考えねばならない。
当時、レズリーは他家に嫁いで実家を離れていたため、兄のやり方に直接口を出すことはしなかったが、武具のことしか頭にない朴念仁(デイル)では、いずれ妻子を路頭に迷わせるのではないかと、内心ハラハラしていたのであった。

 その不安が、別の形で当たることになったのは、レズリーがエバンス家に嫁入りして、十年以上が経った頃だった。
ある日、十歳になるデイルの一人息子ギールが、シュベルテの北区にあるレズリーの家を訪ねてきたのだ。
曰く、魔導師団に入団したいから、一時的に居候をさせてくれないか、とのことだった。

 涙の跡が残る、頑なな顔つきを見れば、父親と口論にでもなって家を飛び出してきたのだろう、ということが容易に伺えた。
驚くことに、手紙の住所を見ながら、自力で半日歩いてレズリーの家までやってきたらしい。
その小さな背中に掛かった、不釣り合いなほど膨らんだ背嚢はいのうには、彼の思いつく限りの家出道具が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

「僕、魔導師団に入って、魔法具の勉強がしたいんです。父さんは魔法武具を作る職人だけど、魔導師ではありません。僕が魔導師になって、父さんの工房を手伝うことができれば、今よりもっと強くて、すごい魔法武具がいっぱい作れるようになると思うんです。そうすれば、レドクイーン商会の作ったものが、いろんな人に注目されて、たくさん売れるはずです。……でも父さんは、職人階級の子が魔導師になってどうするんだって、反対しています。説得しようと頑張ったけど、無理そうだったので、家を出てきました。それに、もし時間をかけて説得できても、よく考えたら、うちからじゃ王宮には通えないし、そもそも魔導師団に入団するためのお金がありません。だから、叔母さん。僕が魔導師団の入団試験に受かるまでの間、父さんには内緒で、ここに住まわせてください。そして、ご迷惑だとは思いますが、必要な分のお金を貸してくれませんか? もちろん、あとで必ず返します。魔導師は、お給金がとても高いらしいので、きっと倍にして返せると思います。どうか、お願いします」

 部屋に通して、改めて事情を聞くと、ギールは、まだ十歳とは思えぬ達者な口ぶりでそう説明した。
まさかこんなにもしっかりとした子に育っているとは、と感心したのと同時に、レズリーは、兄の不甲斐なさに頭を抱えたくなった。
おそらくデイルは、ギールに正式な跡継ぎになってほしくて、反対しているのだろう。
その気持ちも分かるのだが、まだ幼い息子に商会の未来を心配された上に、家出されるなんて、父親としては恥ずべきである。

 もし、ギールが志すのが魔導師でなければ、レズリーはデイルに代わって、甥に協力していただろう。
レズリーの夫は、温和な優しい男だ。
多少の金額なら、妻の実家を援助するくらいのつもりで、快く出してくれていたに違いない。

 しかし、実際のところ、何の後ろ盾もない、職人階級の子が魔導師団に入団するには、軽い気持ちでは援助できないほどの莫大な金がかかった。
入団試験そのものではなく、受かるための実力を備えるために、場合によっては、平民では一生かけても稼げないくらいの金が必要なのだ。

 幸い、職人・商人階級の者は、取引先とのやりとりで文字を要するので、ギールは読み書きはできた。
だが、魔術で使うのは古語と呼ばれる表記文字であり、これを教えてくれる魔導師が身近にいない者は、個人で私塾に通って、一から学ばなければならない。
それ以外にも、実技試験や筆記試験に受かるくらいの戦闘技術、教養を身に付けなければならないが、それも、一年や二年、訓練や勉強をしたからといって、簡単に通るものではない。
仮に受かる能力があったとしても、生まれ持っての魔力量が少なければ、話にならない。
必須ではないが、入団後に恥をかかないために、最低限の魔法具や装備をそろえておく必要もあるだろう。
気が遠くなるような金と時間がかけても、結局受かることができず、泣く泣く魔導師への道を断念した者も大勢いると聞く。
生まれが魔導師の家系で、幼い頃から魔導師になるための教育を叩き込まれていたような子であれば別だが、そうではない、平民の子が魔導師を目指すというのは、それくらい大掛かりで、覚悟のいることなのだ。

 まだ年端も行かないギールには、ここまで現実的なことは想像できていなかったのだろう。
確かに、奇跡的に魔導師になれれば、入団までに使った金を返すことは容易だろうし、レドクイーン商会の発展だって望めるかもしれない。
しかし、入団できる可能性の方がずっと低いように思えたし、もし入団できたとしても、名誉と地位を得る代わりに、国のために命を投じることを義務付けられることとなる。
甥の夢を応援したい気持ちはあったが、レズリーには、簡単に頷くことができなかった。

 やんわりと申し出を断ると、ギールは、泣き出しそうな顔で唇を噛み締め、今度は「何でもするので、とりあえずしばらく家に置いて欲しい」と頼み込んできた。
レズリーが無理なら、夫の方を説得してみようという算段なのかもしれない。
子供一人、強引に叩き出すわけにもいかず、レズリーは、仕方なく甥の家出に付き合うことにしたのだった。

 ギールには、父には秘密にしておいてほしい、と頼まれていたが、レズリーは、こっそりと事の経緯を手紙にして、兄デイルに送った。
ギールを何日か預かるのは構わないが、兄たちも、流石に家出息子を心配しているだろうと思ったからだ。
デイルは、武具のことで頭がいっぱいのダメ親父かもしれないが、決して子供を放り出すような人でなしではない。
所在さえ分かれば、すぐに息子を迎えに来るだろうと思っていた。

 だが、その予想に反して、一月近く経っても、デイルはギールを迎えに来なかった。
迎えどころか、手紙すら返して来ないので、だんだん、何かあったのではないかと逆に心配になってきた。
兄が商会を継いで十数年、むしろよくそれだけ続けてこられたな、と思うような経営状態だったはずだ。
レズリーの知らぬ間に、組合の他の職人たちにも見放され、破産して家なしの状態になっているのかもしれない。
慌てて身支度を整えると、レズリーは、ギールには買い物に出ると嘘をついて、一度実家に帰ったのだった。

 シュベルテの南のはずれ、閑静な下町の一角につくと、生まれ育った工房は、変わらずそこに建っていた。
ひとまず安堵して、戸を叩くと、大きな体格の割にげっそりと頬のこけた男が出てきた。
組合に所属する、貧乏職人の一人だろう。
何日も身体を洗っていないのか、顔はテカテカと油ぎっていて、肩にはフケが積もっている。

 デイルの妹だと名乗ると、男は笑顔になって、中に入れてくれた。
案内されるまま、工房に入ると、懐かしい金臭さと油臭さ、そしてすっぱい汗臭さが鼻をついた。
ふと見ると、石床の至る所で、職人の男たちが気を失ったかのように寝ている。
昔から鍛冶場独特の熱気が嫌いで、職人たちの仕事場には入ろうとしなかったレズリーだが、それにしたって、父の時代にここまで工房が荒れていたことはなかった気がする。
あの兄にしては珍しく、大きな仕事でも引き受けて、依頼が立て込んでいるのだろうか。
だから手紙を読む暇もなく、家出した息子を探す時間もとれないでいるのだろうか。
男は、いびきを立てている職人たちを蹴り飛ばしながら、レズリーの通り道を開けると、親方(デイル)は奥の部屋にいるよ、と教えてくれた。

 一階の居住空間に入ると、レズリーは、ノックもせずに兄の私室に突撃した。
仕事が忙しかったにせよ、一月も家出した息子を放置しておくなんて、と一発平手打ちしてやろうかと思っていたが、そのやつれ具合を見て、殴る気が失せてしまった。
デイルは、ただですらボサボサの髪やヒゲを伸びっぱなしにして、半分白目になりながら、床一面に広げた書類と対峙していた。

「なにこれ、誓約書……? ……リオット族との雇用契約を結ぶにあたり、以下の条件に──……」

 足元に落ちていた一枚を拾い、レズリーが内容を読み上げる。
すると、デイルが何日も寝ていないような顔をハッとあげて、書類を取り上げた。
突如訪問してきた妹を横目に、デイルは、黙々と散らばっていた書類をかき集め、文机の引き出しにしまう。
レズリーは、呆然と突っ立っていたが、ややあって眉を吊り上げると、デイルに向かって叫んだ。

「ちょっと兄さん! 手紙送ったでしょう、ちゃんと読んだ? 今、ギールがうちにいるのよ。どうして迎えに来ないの!」

 やや下に目線を落として、デイルは、ぼそぼそと答えた。

「……ああ、すまんな。レズリーの家にいるなら、まあ、とりあえず安心かと思って……」
 
 レズリーは、眉間の皺を深くすると、一層声を荒げた。

「こっちが安心じゃないわよ! 手紙の返事すら来ないから、何かあったんじゃないかと思って心配したのよ。全く……兄さんってほんと昔からボケーっとしてて、全っ然人の話聞かないんだから。そんなんだから、息子に家出されるんだわ」

「……だから、悪かったって。ちょっと立て込んでたんだ……」

 そう言って、うつむいたデイルの目の下には、色濃い隈が浮かんでいる。
なにやら忙しかったのは、本当なのだろう。
レズリーは、盛大にため息をついた。

「……で、どうするのよ。あの子、魔導師団に入りたいの一点張りよ。叔母の私からじゃ、強く反対できないから、無理なら無理で、兄さんが説得して連れ帰ってちょうだい」

「……その話なんだが……」

 デイルは、ふと真剣な表情になると、文机から離れて、板張りの床の上に正座をした。

「……レズリー、お前たちが良ければ……。ギールをそっちに置いてやって、あいつの望む通りにさせてやってくれないか。もちろん、生活に必要な金や、魔導師団の入団に必要な金は、全てこっちが用意する」

「えっ⁉︎」

 大声を上げると、レズリーは、驚愕の表情で兄を見下ろした。
奔放に伸びた髪と無精髭のせいで、いまいち緊張感がないが、その深緑の瞳は本気だった。

「兄さん、反対してたんじゃないの? だからギールは家出したんでしょう……?」

 デイルは、うんざりした様子で頷いた。

「そうだ。正直、今だって反対だ。あいつは魔導師になって、俺の工房を手伝うとか言っていたが、魔導師にまでなったような奴が、後で職人階級に身を落とすなんて聞いたことがない。そんなことをやっている内に、家業のことなんて忘れちまうに決まってる。それに、俺たちの仕事だって、そう甘いものじゃないんだ。魔導師業の片手間に手伝おうなんて浅い考えは認めないし、まして、いくら武具が好きでも、レドクイーン家の長男でも、それだけで俺の跡を継がせるわけにはいかない。俺は、子供の頃から三十年近く、親父の元でひたすら鍛治師としての修行をして、ようやく商会の代表として認められたんだ。魔術の勉強とやらに年月を費やして、ろくに鍛治の経験を積まなかったような半端な奴は、少なくとも当主にはなれん。俺たちは魔法具を鍛える職人だから、魔術の知識もあるに越したことはないが、武具に彫れる術式なんて限られているんだ。複雑な古語を理解したり、新しく術式を組み立てたりする力なんざ、はっきり言って必要ない。俺たちに求められるのは、いかに術式の発動に耐えられる強度の武具を作れるか、扱いづらい魔石や鉱石をどう武具として精錬していくか、そういう技術だ。商会を発展させるっていうなら、魔導師なんてやるより、鍛治師としての経験を詰んだ方が良いに決まってる。何度もそう説明したのに、あいつ、そんな考え方は古いとか言ってきやがった。まだガキのくせに、口ばっか達者になりやがって……」

「…………」

 普段は、ああ、とか、おう、くらいしか答えないのに、仕事のこととなると、突然饒舌になる兄である。
半分聞き流しているレズリーを相手に、デイルは、重々しく息を吐いた。

「だがな、あいつがここまで俺たちに反発してくるなんて、初めてのことなんだ。……だから、五年。家出をするほどの心意気と覚悟を買って、五年はくれてやることにした。南区常駐の魔導師に聞いたんだが、魔導師を目指す奴は、大体入団までに五年くらいかかるらしい。平民あがりじゃ、十年以上かかる奴もいるらしいが、そんなには待てん。あいつは背も低いし、痩せっぽちで、この前も、近所のガキ同士のケンカを仲裁しようとして、ボコボコに殴られて帰ってきた。きっと、魔導師の試験なんて受からないだろう。受からないだろうが、それでも、万が一、五年以内に受かったら、家業のことは気にせず、好きに生きれば良い。五年経って、成人(十五歳)する頃になっても受からなければ、諦めて、俺の下で商会所属の職人として修行してもらう。……ギールには、そう伝えておいてくれ」

「…………」

 わざわざ魔導師に聞いてきたんだな、と思いながら、レズリーは嘆息した。
無駄なこだわりが強く、面倒な兄だが、なんだかんだで嫌いになれないのは、彼がこういう性格だからだ。
レズリーは、やれやれと首を振った。

「……わかった、わかったわよ。まあ、うちは子供もいないし、ギール一人預かるくらい、主人も構わないって言うと思う。……でも、お金はどうするの? 用意するって言ったって、とんでもない額よ。誰か親切心で、ギールに魔術を教えてくれるような知り合いでもいるわけ?」

「……そんな奴はいない。が、金を工面するあてならできた」

 言いながら立ち上がると、デイルは文机の引き出しから鍵をとって、厳重な床下の収納を開けた。
そして、慎重な手つきで、重そうな布の包みを取り出すと、それをレズリーの前にどしりと置いた。
どこか緊張した面持ちで、デイルは、幾重にも巻かれている布を解いていく。
最後に出てきた、両手に収まるほどの皮袋を開くと、中には、鈍く光る金貨が詰まっていた。

「はっ⁉︎ ちょっ……これ、どうしたの⁉︎」

 すぐさま皮袋の口を締めて、レズリーは、思わず辺りを見回した。
ぱっと見ただけだったので、金貨の正確な枚数は分からないが、少なくとも、レドクイーン商会が用意できるような金額でないことは確かだ。
デイルは、皮袋を布で巻き直すと、それをレズリーの手に持たせた。

「五年分となると、これじゃあ足りないかもしれないが……。ひとまず、足しにしてくれ。不足分も、来年には払えるはずだ」

「い、いやいやいや……だからこれ、どうしたの? まさか、盗んできた金とかじゃないでしょうね?」

「人聞きの悪いことを言うな! そんなわけねぇだろ!」

 怒鳴ってから、ハッと口をつぐむ。
デイルは、もごもごと口籠った。

「その……詳しいことは、まだ言えないんだ。だが、とある方からの依頼を受けて得た、正当な報酬だ。誓って怪しい金じゃない。お前には迷惑をかけるだろうから、遠慮なく受け取ってくれ」

「…………」

 言葉すら失って、レズリーは、両腕に収まる包みに視線を落とした。
怪しい金じゃない、と言われても、素直に受け取るには大きすぎる金額だ。
確かに、工房の職人たちの様子からして、いつになく忙しそうだな、とは思ったが、こんな大金をポンと出してくるような客が、レドクイーン家のような弱小商会に依頼など持ってくるわけがない。
奇跡的に、デイルの腕に目をつけた大貴族がいたのだとしても、レドクイーン商会が売り出している武具の相場を考えれば、一体いくつの魔法具を買い叩いたのかと正気を疑う。
何をどう都合良く解釈しても、怪しさ満点の金であった。


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