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投稿日:2025年12月31日
二人の足取りを追い、点々と垂れているアレクシアの血痕を見て、通りすがりの侍女たちが、事態に気付いたのだろう。
会議室の前で人を組み敷いているハインツを見るや、悲鳴をあげて、もつれるように来た道を走っていく。
ハインツは、眼下のヨークを睨みつけると、彼を押さえつける手に一層力を込めた。
「お前、どうしてここに……」
ハインツを見上げていたヨークの瞳孔が、ふっと細まり、その唇が嗤う。
否、正確には、ヨークではない。
印象的な橙黄色の瞳と、底冷えするようなこの笑みに、ハインツは見覚えがあった。
二年ほど前、ミストリアから帰還したトワリスを、友人であるリリアナの家に迎えに行った時──。
目覚めたトワリスの中に、何者かが入り込み、彼女の身体を操っていた。
トワリスにはその時の記憶がないようで、後から話を聞くこともできず、結局その何者かの正体は分からないままであったが、改めてヨークから滲み出る禍々しさに触れて、確信した。
かつてトワリスを操っていたものと、今ヨークの中にいるものは、間違いなく同一の存在だ。
その時、背後で何かが光ったかと思うと、組み敷いているヨークの身体に、赤い飛沫が降りかかった。
ハインツの腹部から、血濡れた白刃が生えている。
先程遠ざけたギールの魔剣が、邪悪な魔力を纏って宙に浮かび上がり、ハインツの背から腹を刺し貫いたのだ。
「──退け」
ヨークの唇が動き、中性的な声を紡いだ。
その命令に呼応して、引き抜かれた魔剣が、まるで意思を持っているかのように血潮と舞う。
切先が、続いて胸部を狙っていることに気づくと、ハインツはやむを得ず、その場から飛び退いた。
床の上で転がり、立ちあがろうとして、長廊下の石柱にもたれかかる。
込み上がってきた血塊に咳き込むと、腹の傷がずくりと痛んだ。
空を突き、石床で跳ね返った魔剣をそのままに、ヨークの姿をしたものは、ゆっくりと起き上がった。
ハインツに押し倒された拍子に、肩が外れたのだろう。
ただですら焼けて崩れかかっている右腕が、不自然に垂れ下がっている。
それでも、痛みなど感じていない様子でくつくつと笑い声をあげると、その目がハインツを見下ろした。
「……そうか。貴様、あの時のリオット族か。久しいな、地の祝福を受けし、我が同胞よ」
肩で息をしながら、はっと顔を上げる。
"あの時"というのは、トワリスの中に入って、ハインツと対峙した時のことを言っているのだろう。
だが、"同胞"という言葉が何を意味するのか、ハインツには分からなかった。
返ってきた沈黙から、ハインツの困惑を察したのか。
その燃えるような瞳が、ふっとおかしそうに細まった。
「我が名はエイリーン、アルファノルの召喚師にして、闇精霊の王。忘却の砦、かつての葬樹の森の主だ」
「……ア、アルファノルの、召喚師……?」
ハインツは、思わずエイリーンを凝視した。
以前、ミストリアの次期召喚師である獣人ファフリと出会っていなければ、他国の召喚師一族が目の前にいるだなんて、信じられなかっただろう。
だが、得体の知れない闇精霊を相手取っているのだ、とでも思わなければ、この状況を説明できなかったし、実際に人間離れした力を見せつけられては、納得せざるを得ない。
全身が冷たく強張っていくのを感じながら、それでも目をそらさないでいると、エイリーンは、不敵な笑みを浮かべて近づいてきた。
「安心するがいい、まだ殺しはしない。お前たちは死ぬと、すぐに腐る。腐った肉では使い物にならん」
言いながら、赤紫に腫れた不気味な顔が、ハインツの目を間近で覗き込んでくる。
発言の真意は理解できないが、エイリーンが自分達を害する存在であることは確かだ。
石柱に背をつくまで後ずさると、ハインツは、警戒したように尋ねた。
「……まだ殺さない、って、なに企んでる」
顔を離すと、エイリーンは、意外そうに眉を上げた。
「なんだ、何も聞いておらぬのか。お前たちリオット族は、あやつに協力しているものと思っていたが」
「……あやつ?」
「サーフェリアの召喚師だ」
思いがけずルーフェンの話題が出て、ハインツはドキリとした。
以前、トワリスがエイリーンに入り込まれた時のことを報告した際、何か心当たりはあるかと問うたハインツに対し、ルーフェンは言葉を濁しただけであった。
あの時はファフリたちを保護することに手一杯だったし、以降トワリスにも異変はなかったので、ハインツ自身もさほど気に留めていなかったが、まさか、エイリーンとルーフェンには、繋がりがあったのだろうか。
エイリーンについて確かなのは、闇精霊という未知の存在であり、トワリスとヨークを操った上、アレクシアとギールに怪我を負わせた敵、ということだ。
そんな敵とルーフェンが裏で内通していたなんて、思いたくはない。
そもそも、出会したばかりのエイリーンの言葉なんて、安易には信じられない。
というより、信じたくない──が、これが出任せなのだとしたら、一体何のための嘘だというのか。
ぐっと拳を握ると、ハインツは、意を決して口を開いた。
「ル、ルーフェンは……死んだ」
「……死んだ?」
聞き返してきたエイリーンの表情から、ふっと笑みが消える。
腹の傷を押さえ、石柱を支えに立ち上がると、ハインツは頷いた。
「ミストリアの次期召喚師、匿ってた罪に問われて、俺たち魔導師に、殺された」
こちらを見据える橙黄色の瞳が、わずかに動いた。
「殺した? 貴様らが? 仮にも当代の召喚師を、何の力も持たぬ貴様らがどうやって」
「そ、それは……」
動揺というよりは、明らかな疑念の眼差しを向けられて、ハインツは怯んだ。
ノーラデュースの底に落ちたルーフェンとトワリスが、本当に死んでしまったのかどうかは、ハインツには分からない。
それを死んだと断言したのは、そう言えば、エイリーンがルーフェンとの繋がりを絶たざるを得なくなるだろうと思ったからだ。
仮にそうならなくても、二人の関係性を探る会話の糸口にはなるかもしれない。
ハインツは、エイリーンに向き直った。
「ル、ルーフェン、自分から召喚師の座 下りて、王宮から出た。だから、戦う時も、召喚師の力、使わなかった。……ので、俺たちに、殺された」
「…………」
エイリーンは何も答えず、しばらくの間、感情のない瞳でハインツを見据えていた。
だが、ふと冷笑を浮かべると、小さく鼻を鳴らした。
「……そうか。まあ、良い。今の言葉が真実で、お前が召喚師一族を凌ぐ力を持っているというならば、奴に代わり、このエイリーンに従え。そして、"あの男"を討つための、我が手足となるのだ。さすればお前は、同胞のよしみで、最後まで生かしてやっても良い」
「し、従う……? あの男、って?」
いきなり核心に迫った答えが返ってきたので、ハインツは、無意識に前のめりになった。
しかし、次の瞬間、落ちていた魔剣が再び宙に浮かび上がり、その剣先が喉元に向けられた。
たちまち総毛立つような緊張感が場に満ちて、背筋に悪寒が走る。
本能的に後退すると、エイリーンは魔剣を手に取って、刃をハインツの胸部に突きつけ直した。
「……あの男というのは、我が仇敵のことだ。口にするのも忌々しい、ツインテルグの召喚師、古代樹の森の主……」
一転、地を這うような低い声で、エイリーンが呟く。
ヨークの肉体は、触れれば崩れてしまいそうなほどに赤らみ、その顔や腕には、ぼこぼこと血管が浮き立っている。
ごくりと息を呑むと、ハインツは、躊躇いがちに唇を動かした。
「ツインテルグ、ってことは……精霊族? な、なにかされたの……?」
「…………」
引き金はなんだったのか、不意に、エイリーンの目の光が弱まった。
途端、全身を縛りつけるような威圧感が緩まり、ハインツの肺が、思い出したかのように空気を取り込む。
咳き込んでいるハインツの巨躯を見上げて、エイリーンは、ふと哀れむような表情になった。
「……代を重ねる内に、憎しみも忘れたか。貴様らリオット族も、あの男──召喚師グレアフォールに絶やされた巨人族の血族であろう」
「ぐれ……きょ、きょじん?」
聞き慣れない言葉が並んで、ハインツは戸惑った。
そういえば二年前にも、エイリーンは、ハインツのことを"巨人族の血族"だと言っていた。
だが、ハインツの知る限り、リオット族は限られた地下世界で閉鎖的な暮らしを送ってきた一族であり、年長のラッセルからも、巨人族などという言葉は聞いたことがない。
確かにリオット族は、普通の人間にはない頑強さを備え、生まれつき地の魔術の才があるという特異性を持っている。
それを思えば、半獣人のトワリスと同じように、リオット族にも人間以外の血が混ざっている可能性は考えられるが、ノーラデュースに落とされる以前の記録を辿っても、エイリーンの言う巨人族とやらが、サーフェリアに渡ってきたなどという話は見た覚えがなかった。
少し考え込んでから、ハインツは、恐々と言った。
「で、でも……俺、その、きょ、きょじんぞくとかって、聞いたことない。リオット族が、ツインテルグ、精霊族と関わりあった、とか、そういう記録も、見たことない」
エイリーンは、不気味に光る目を細めた。
「人間の記録など、残ってはおらぬだろう。これは、サーフェリアやツインテルグといった隔たりが出来る前……まだ大陸が陸続きにあった、数千年以上も前に起こったことだ。精霊族や獣人族、そして人間が、一つの大陸に混在していた時代。当時から精霊族を統率していた風詠みの始祖、グレアフォールは、度重なる種族間の争いを忌避し、自らの治める南の地には、いかなる理不尽な死も起こらぬようにと、守る種の"選別"を始めた。その選別で篩い落とされた種族の一つが、力と破壊の一族、地の祝福を受ける民──お前たちリオット族の祖、巨人族だ」
「…………」
途中から思考が追いつかず、ハインツは、唖然とエイリーンの話を聞いていた。
まるで、壮大な作り話を読み聞かせされているような気分であった。
古の時代、大陸が一つだったということは、イシュカル教の起源にもなっている有名な叙事詩だ。
しかし、それは史実というより、お伽話のような感覚で聞いて育ってきた者が大半だろう。
ハインツは、ミストリアからの渡来者を母に持つトワリスが身近にいたために、他種族の存在を意識する機会に恵まれていたが、そうでない世間一般の認識では、他国の情報など古い書物にしか登場しない創作世界も同然である。
だからこそ、現実に獣人族が渡ってきたことが広く知れ渡った二年前の出来事は、開戦も囁かれるほどの大騒ぎになったのだ。
また、これまでサーフェリアから他国を目指して航海に出た人間も皆無ではないだろうが、生きて帰ってきたという話は聞かない。
それこそ成功例は、召喚師による移動陣を使ってミストリアに行って帰ってきた、トワリスが初めてだ。
昨今は特に、四国を隔絶させたイシュカル神の意思を崇める教会の教えが浸透しているため、他国と意思疎通を図ろう、などという考え自体が否定されつつある。
この程度の状況把握しかできていないのに、未知の精霊族、それも記録すらないような遠い過去の話を突然切り出されても、現実にあったこととして簡単に受け入れることはできなかった。
硬直しているハインツに、エイリーンは続けた。
「……巨人族だけではない。グレアフォールは、"死"そのものを禁忌とした自国には必要ない、と判断した精霊たちを全て淘汰し、この世界の根源たる古代樹の糧にした。次いで、大陸を四つに分断し、西に人間を、東に獣人族を棲まわせ、自分たち精霊族は南の地に籠った。人間や獣人族による蹂躙や略奪が、精霊族には二度と及ばぬよう、異種族間の不干渉を世の"理"としたのだ」
「…………」
「無論、精霊族全てがグレアフォールに従順だったわけではない。理不尽な死を厭いながら、事もあろうに同族に選別淘汰を強いた奴に抗い、立ち向かった精霊も大勢いる。我ら、死肉を喰らう葬樹の一族は、その筆頭であった。だがグレアフォールは、此方の声には耳を貸さず、その圧倒的な魔力を以て我らを一掃した。そして、敗走した精霊たちを、自らに対する"闇精霊"と呼称し、凍てつく北の大地──アルファノルへと幽閉した。巨人族のように、隙を見てミストリアやサーフェリアに脱出し、人間と交わって生き延びた精霊もわずかにいたが、グレアフォールはそれも見逃さず、異種族間の不干渉という理を破った咎者として、彼らがいずれ死滅することを世の"運命"とした。他国へ逃れた精霊には死を定め、アルファノルに幽閉した精霊からは記憶を奪い、報復の機を与えなかった。貴様らリオット族の祖を滅ぼしたグレアフォールは、こうして独断一つで世界の巡り方すら変える、恐ろしい力を持った精霊だ」
「…………」
エイリーンの口調は、抑揚のない淡々としたものであったが、その瞳には、目を背けたくなるような怨恨の炎が、勢いを取り戻して燃え滾っていた。
語られたのは、ハインツにとっては現実味のない、遥か昔の先祖伝承だ。
しかしエイリーンにとっては、今でも目の奥に焼きついている、凄絶な憎悪の記憶なのだろう。
突如現れたエイリーンを、危険な敵だと警戒している気持ちは変わらないのに、そんな風に信じている自身の心の有り様が、ハインツは、なんだか不思議だった。
「だ、だけど……俺たち、生きてる。種族同士の関わり、いけないなら、どうして……?」
自分の身体に目線を落として、ハインツは、ふと浮かんだ疑問を口にした。
エイリーンの話では、精霊族の統治者グレアフォールは、四種族の交流を一切禁じ、それが起こってしまった場合には、その結果生まれたものに死の運命を強いたのだという。
だが、それが真実だとして、なぜ巨人族の血族であるというリオット族は、未だに生きているのだろう。
獣人と人間の混血であるトワリスだって、今はどうなっているか分からないが、サーフェリアで生まれて二十数年間は生きていた。
グレアフォールの"運命付ける"力というのは、具体的にどう働いていくものなのか。
もしかすると、サーフェリアに襲来して殺されてしまった獣人たちのように、いつかは自分たちも、姿を消すことになるのだろうか──。
エイリーンは、ハインツの胸元に突きつけていた魔剣を、静かに下ろした。
「自らの敷いた理が破られた、その証明ともいえるリオット族は、グレフォールにとってあってはならぬ存在だ。遅かれ早かれ、そういう存在は排除されていく。お前たち巨人族の血族が消滅する未来は、確かにあったはずなのだ。──しかし、その運命を覆した者がいる」
「運命を、覆した……?」
聞き返してから、ハインツは、はっと目を見開いた。
頭に浮かんだのは、十四年前に聞いた、ルーフェンの言葉だ。
ノーラデュースにて、自分たちは地の底で死にゆく"運命"なのだと嘆いていたかつてのリオット族たちに、ルーフェンが放った言葉。
──君達はきっと、心の底では、まだ生きたいって思ってる。だから、生き残れる可能性に繋がる一つの手段として、俺を利用すればいい。
当時の彼の小さな後ろ姿が蘇り、目の前で明滅していた光と光が、一本の線で繋がったような気がした。
風当たりが強い中、それでもリオット族を地底から引き上げたのも、トワリスを救って保護したのも、全てルーフェンのやったことだ。
彼は、トワリスが連れてきたファフリたちを、生きてミストリアに帰すまでの過程にも関わっている。
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