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投稿日:2025年12月31日
ハインツは、まじまじとエイリーンを見つめた。
「じゃ、じゃあ……ルーフェン、知ってたの? 今の話、全部知ってて、グレアフォールに逆らい、俺たちを……?」
エイリーンは、乾いた吐息をこぼした。
「そんなわけがなかろう。我がサーフェリアの召喚師に接触したのは、つい最近のことだ。たったの十年か二十年か、その程度しか生きておらん人間の小童が、自力で世の在り方を見破れるほど、グレアフォールの魔力は弱まってはいない。……が、時折現れるのだ。何も知らぬくせに、得体の知れない力で理を壊そうとする、妙な人間が」
爛々とした目を伏せて、エイリーンは続けた。
「人間は、短命で脆い。だが、追い詰められると、我々の予想を超えた力を発揮することがある。かつて、グレアフォールすら成し得なかった死者の蘇生魔術を完成させ、お前たちが"悪魔"と呼ぶ歪な霊魂の寄せ集めを作り出し、召喚師一族の始祖となった男もまた、人間であった。グレアフォールの予言を覆し、唯一警戒される存在──それが人間という種だ。故に、我ら闇精霊族が二度目の復讐を遂げ、グレアフォールを討つには、低俗な獣人族でもなく、従属的な精霊族でもなく、人間たちを利用するべきだと考えた。サーフェリアの召喚師は、そんな我の考えに賛同し、力を貸すことを約束した。……まあ、それも呆気なく死んだというなら、とんだ見込み違いだったということになるが」
「…………」
協力者を失ったかもしれないというのに、エイリーンは、薄ら笑いを浮かべてそう締め括った。
その語り口に耳を傾けながら、ハインツは、心臓の音が速まっていくのを感じていた。
鼓動を急かすのは、エイリーンと対峙していることに対する恐怖心でもあり、一方で、どのようにグレアフォールを討つつもりなのか、今この場で探るべきではないか、という使命感、探究心でもあった。
エイリーンは先程、ハインツに対し、協力すれば同胞のよしみで生かしてやっても良い、というようなことを言った。
つまり、エイリーンの言う人間を利用した復讐とは、闇精霊族とは関わりのない多くの人間の死によって成り立つものなのではないか。
想像するだけで身震いするような予感と共に、ハインツの脳裏に、無惨に沈んでいった、かつてのアーベリトでの光景がよぎる。
本当にルーフェンは、こんな復讐に手を貸すと約束してしまったのだろうか。
「俺たち利用して、グレアフォール、討つって……サーフェリアで、一体何をするの」
思い切って尋ねると、エイリーンは、再び顔を近づけて、ハインツの目を覗き込んできた。
その双眸に間近で射抜かれた瞬間、ハインツは、話に気を取られて、接近を許したことを後悔した。
燃えるように光っていたエイリーンの瞳は、いつの間にか、獣の如き凶悪で獰猛な鋭さを宿していた。
「なに、簡単なことだ。利用する、という言葉通り、何の力も持たぬ人間どもは、死して苦痛に怯まず、恐怖を知らない、忠実な我が従僕とする……」
冷たい石柱が、背中にドンとぶつかる。
足下から伸びた強固な木根に、全身を絡め取られているような錯覚が、ハインツを襲っていた。
エイリーンは、身の芯が凍るような笑みを深めた。
そして、肩の外れていない左腕で、魔力を込めた魔剣を再度持ち上げた。
「……だが、お前のようなかつての同胞が、自らの意思で従うというなら、話は別だ。なぜこの場でわざわざ足を止め、闇精霊の受けた過去の屈辱を話し、我が計略を明かしてやったのか……分かるだろう? さあ、亡き巨人族の血を継ぐ者よ。人間としての生を捨て、このエイリーンの元に下り、憎きグレアフォールに報いを受けさせるのだ」
「…………っ」
戯れのように彷徨った魔剣が、ハインツの首筋を浅く斬る。
まるで幼子を諭すような、ゾッとするほど緩やかな命令口調に頷きかけて、ハインツは、慌てて歯を食いしばった。
ここで拒絶すれば、自分はエイリーンに殺されるのだろう。
挙句、その後の肉体は、トワリスやヨークのように、依代として使われる可能性がある。
無駄死にした上に死体まで利用されるくらいなら、嘘でも従うふりをして、エイリーンの隙を窺ったほうが良いだろうか。
うまく懐に潜り込めれば、王宮を去ったルーフェンが、召喚師制の廃止を望みながら、どのようなつもりでエイリーンへの協力を決めたのか、その真意も知ることができるかもしれない。
──そう考える傍らで、ハインツの本能は、ここで頷けば後戻りはできない、と警鐘を鳴らしていた。
血の伝った刃が、一層強く魔力を帯びて、剣呑と光る。
「……時間切れだ」という呟きと共に、剣先が引かれた。
貫かれる覚悟で、両腕を交差させた──その次の瞬間。
目の前で起こったことに、ハインツは驚愕した。
エイリーンが斬りつけたのは、ハインツではなく、自身の脇腹だったからだ。
「クソ……っ、この、化け物が……!」
エイリーンが、身を振り絞ったような声を発した。
いや、エイリーンではない。
よく見ると、橙黄色だった瞳の色が、濃い褐色に戻っている。
その声は、エイリーンではなく、身体の持ち主であるヨークの声であった。
「ヴィ、ヴィルマン卿……⁉︎」
ハインツの呼びかけには答えず、脇腹に剣を突き立てたまま、ヨークはその場に崩れ落ちた。
柄を握る手はガクガクと震え、血の込み上がった喉が、ゴボゴボと嫌な音を鳴らしている。
遠のきそうになる意識を、必死に痛みで繋ぎ止めながら、ヨークは、愕然としているハインツを睨んだ。
「おい、リオット族の! この剣で私を斬れ! 自力では思い通りに腕が動かん!」
「えっ、で、でも──」
「──早くしろ! 入り込んでいる奴が何者かは知らんが、死霊の類なら、器を失くせば消滅する……!」
言われるがままに膝をつき、魔剣に腕を伸ばしたハインツであったが、しかし、その柄を取ることはできなかった。
腹を斬れば、当然ヨークは致命傷を負うことになる。
彼は、それを覚悟で自分を斬れと言っているのだろうが、エイリーンは、死霊ではなく闇精霊だ。
トワリスと同様に、乗っ取られている間の記憶がないのなら、ヨークに先程までの会話は聞こえていなかったのだろうが、入り込んでいる器を殺したからといって、エイリーンまで死ぬとは限らないのだ。
手を震わせるばかりのハインツに、苛立たしげに舌打ちをすると、ヨークは、口早に詠唱を始めた。
宙に浮かび上がった古語が、鎖のように連なって、呪言縛りの術式を形成していく。
老師ハブロは、魔力が暴走すれば自死する呪言縛りを己に課したが、それが発動しきる前にエイリーンに抜け出され、結局自分だけが死んだ。
であれば今度は、エイリーンが抜け出せないような縛りを課して、その上で器を傷つけるまでだ。
ヨークが行使しようとしているのは、発動後に一切の魔力使用を禁じるもの──すなわち、死霊と術者を結んでいるであろう魔術そのものを断ち切り、死霊を行動不能にするための呪言縛りであった。
ヨークが何かしようとしていることに気づいて、ハインツは慌てた。
「ま、待って! そいつ、中にいる奴、し、死霊とかじゃない! 闇精霊で──」
「──何もしないなら黙れ、気が散る! 中にいるのが何にせよ、別の肉体を使わなければ動けない存在だということは確かだ。このまま操られて殺されるくらいなら、道連れにする!」
言葉を遮ってきたヨークの言い分に、ハインツは、ハッと目を見開いた。
別の肉体を使わなければ動けない存在──言われてみれば、確かにそうだ。
いかに強大な力を持ったアルファノルの召喚師で、長い時を生きてきた闇精霊であっても、こうして他の肉体を借り、思惑を打ち明けてまでルーフェンやハインツに協力関係を持ちかけてきたということは、エイリーンは、そうせざるを得ない状態にあるのだ。
グレアフォールは、己に抗った闇精霊たちを、決して見逃さなかったという。
──では、エイリーンは? どうやってグレアフォールから逃れ、この場にいるのだろうか。
五体満足で二度目の報復を画策し、サーフェリアに降り立ったというなら、先程の話とは矛盾している。
もしや、死霊と呼ばれるものではないにしても、限りなくそれに近い存在ではないのか。
完成した呪言縛りが、ヨークの腕の皮膚に焼き付いていく。
しかし、その効力が現れる寸前、術式がかき消えた。
ヨークの身体がガクッとのけぞり、白目を剥く。
唇の右半分だけを引き攣らせ、エイリーンが、くすくすと嗤った。
「器を失くせば、我が消滅するだと? 面白い、ならば試してみるが良い……!」
ヨークの腹を刺す刃が動き、血と肉を押し出しながら、傷口を真横に広げる。
時折四肢がのたうっているのは、エイリーンの意思ではなく、激痛に悶える肉体の反射だ。
このままでは、ヨークは本当に死んでしまう。
仮にエイリーンを道連れにできるのだとしても、ハインツには、殺される仲間の姿を黙って見ていることはできなかった。
ヨークの手の上から魔剣の柄を掴むと、ハインツは、大声で叫んだ。
「でっ、出ていけ! この身体から出ていけ!」
やむを得ず、力任せに魔剣を引き抜くと、ヨークの腕から、みしみしと骨の軋む音がした。
痛みはエイリーンの支配に無関係でも、筋骨そのものが負傷して動けなくなれば、思うように操ることはできないらしい。
抵抗できなくなったヨークの両腕が、渾々と広がる血溜まりの上に、パシャリと落ちた。
ついに魔剣を奪い取ると、ハインツは、かすれた声を絞り出した。
「は、話が本当なら……グレアフォールを恨む気持ち、わっ、少しは分かる。でも、今生きてる人間、そんな昔のこと関係ない。人間を巻き込んで殺すなら、お前は、リオット族の仲間じゃなく敵だ! 俺、巨人族じゃない。人間で、サーフェリアの魔導師だ! これ以上、傷つけるなら、今度は俺が、お前を憎まなきゃ、いけなくなる……!」
橙黄色に戻った瞳が、ギョロリと動いて、ハインツを捉える。
ハインツが身を固くした──その時だった。
「──おい、どけ! どけ! 一体なんの騒ぎだ!」
突然、長廊下の角の向こうから、騒々しい足音が近づいてきた。
ハインツの大声を聞きつけたのか、あるいは、先刻逃げていった侍女たちが呼んだのだろう。
現れたのは、薄緑の法衣を纏ったイシュカル教の司祭らしき男と、仰々しい鉄鎧に身を包む数人の騎士たちだった。
一瞬、そちらに気を取られた隙に、ヨークの脇腹の傷から、黒煙が噴き出した。
目の前に集まった黒煙は、やがて、長い黒髪の少年とも少女ともつかぬ姿を模ると、身構えたハインツの首筋に手を添え、うっそりと微笑んだ。
「愚かな同胞よ……この情けに、二度目はないぞ。次会う時は、我が身を視認する間もなく葬ってやる」
言うや、掴みかかったハインツの手をすり抜けて、巻き上がった黒煙が霧散していく。
騎士たちが駆けつけてきた時、その場に残されていたのは、魔剣を片手に佇むハインツと、その足元で血にまみれて倒れるヨークの二人であった。
「なっ、これは何事か! 貴様、宮廷魔導師の……っ、こ、ここで何をしていた!」
血臭に動転した初老の司祭が、口元を袖で覆いながら、ハインツに問いかける。
我に返ると、ハインツは、慌ててヨークの口元に耳を寄せた。
微かだが、まだ息をしている。
「──は、早く! 医術師呼んで! ひどい怪我で……!」
言いながら、よろよろと近づくと、司祭が怯えたように後ずさった。
抜刀した騎士たちがハインツを取り囲み、臨戦体制に入る。
その時になって、ハインツは、自身の置かれている状況に気づいた。
石床や魔剣、自分たちの身体を汚す血は、ハインツのものなのか、ヨークのものなのか、傍目には分からない。
司祭や騎士たちは、ハインツが手にしている魔剣で、ヨークを刺したと勘違いしているようであった。
すぐさま魔剣を手放すと、ハインツは首を横に振った。
「ち、違う! 俺じゃない! 後で、ちゃんと説明する。だから、今はとにかく、医術師を──」
「──今すぐに説明しろ! 貴様でないなら、誰がヴィルマン卿を襲ったというのだ! 何が起こったのか、嘘偽りなく白状しろ……!」
騎士たちの後ろで、司祭が大声をあげる。
どう返すべきか迷って、ハインツは歯噛みした。
悠長に説明している時間などない。
だが、端的に説明したところで、信じてもらえるかどうか──。
必死に頭の中で言葉を選びながら、ハインツは答えた。
「闇精霊! 闇精霊の、アルファノルの召喚師が、ヴィルマン卿の中、入りこんで、身体を操ってた。俺は、それを止めようとしただけ!」
司祭は、困惑した様子で顔をしかめた。
「や、闇精霊? 北方に棲まうと聞く、あの闇精霊か? それが卿の身体を操って、貴様と剣を交えたというのか」
「お、俺と、っていうか……卿が、闇精霊に、抵抗しようとして、自分を刺したから……。ア、アレクシアと、ギールにも話を聞いて! そしたら、俺も襲われた側って、分かるはず」
曖昧な答え方をしたハインツに、司祭は、苛立たしげに怒鳴った。
「抵抗しようとして、自分を刺した? なんのために? でたらめを申しても、罪を逃れることはできぬぞ! 第一、闇精霊は他の国の種族。異なる種族が、イシュカル神のよる隔たりを侵し、この神聖な王宮に足を踏み入れるなど、全くありえぬことだ!」
ハインツは、すぐさま反論した。
「あ、ありえなくは、ない! 二年前だって、獣人、サーフェリアに来てる!」
「それは、国家転覆を謀る召喚師によって、侵入を手引きされたからだ! それとも、なんだ。此度は、貴様が他種族と通ずる売国奴だ、とでも言うつもりか?」
「ち、違う! そうじゃなくて──……」
血の昇った司祭の顔を見て、ハインツの胸を、深い絶望感が覆った。
司祭も騎士たちも、最初からこちらの言い分など聞く気はないのかもしれない。
野蛮なリオット族で、反逆者ルーフェンの傘下にいた魔導師──ハインツは、ただですらそういう認識をされている。
加えて、先日のジークハルトの反教的な発言と、捕縛。
どんな弁解をしても、司祭たちはこの状況を、目障りな宮廷魔導師を捕える好機だとしか考えないだろう。
「…………」
ハインツが押し黙ると、重苦しい静けさが、長廊下を支配した。
ややあって、鼻を鳴らした司祭が、騎士たちに命じた。
「このリオット族を捕らえよ! 主塔の地下牢に入れ、尋問を行うのだ……!」
広大な本殿全体を見渡せる、王宮の上空に漂いながら、エイリーンは、甲冑を纏った男たちに連行されていく、ハインツの姿を眺めていた。
人間を傷つけるな、などと豪語していたくせに、その人間に敵視され、剣を向けられるとは、なんと哀れで滑稽なことか。
巨人族は元来、頭の回転が鈍い連中ではあったが、それでも、巨石の如く屈強な身体を持ち、山一つを拳で易々と切り崩してしまうようなその姿には、堂々とした威厳が満ちていたものだ。
かつての同胞が、今の小さく縮こまったリオット族の姿を見たならば、きっと嘆き悲しんだことだろう。
中庭に聳える、目についた巨木に降り立つと、エイリーンは、その枝に腰を下ろした。
目前の長廊下では、甲冑を纏った男たちが忙しなく行き交い、呼ばれてきた数人の女たちが、青い顔で石床に散った血痕を拭っている。
眠りを妨げてきた老いぼれ(ハブロ)一人を排除するつもりが、思いの外、大事になってしまった。
かといって、現時点で集まってきた人間全員を殺し、騒ぎを起こして王宮を落とすようなことになれば、来たる日に使える死骸が減ることになる。
それに、依代から抜け出した状態で、実体のある人間に干渉することは、今のエイリーンにとって、擦り減った命綱に刃を押し当てるにも等しい行為であった。
ハインツに語った通り、グレアフォールによる闇精霊の迫害は徹底的で、エイリーンの肉体は、今この時も、凍てつく北の大地──アルファノルに縛りつけられたままである。
現下、こうしてサーフェリアに存在するエイリーンは、実体ではない。
魔力を動力に肉体から切り離した、"葬樹の意思"そのものであった。
一時的に魔力で具現化すれば、本来の姿のまま人間たちに干渉することもできるが、肉体がなく、魔力だけを動力源としている現状、その消費はすなわち、サーフェリアに移動している"意思"と、アルファノルにある"肉体"とを繋ぐ命綱の消耗である。
復讐の一矢を放つ、その瞬間までは、その命綱を途切れさせるわけにはいかない。
今は、別の肉体を依代として使うか、協力的な人間を見繕って利用する方が、魔力の温存になるのであった。
木の幹に手を添え、目を閉じると、エイリーンは、周囲の魔力を探った。
人間の多く集まる王都シュベルテでは、至る所から魔力を感知できるが、特に強く感じ取れるのは、王宮に張られている強固な結界から発せられているものと、各所に敷かれている移動陣が元来備えているものだ。
召喚師一族の誕生を目の当たりにしていない人間たちは知りようもないだろうが、移動陣もまた、人間が初めて完成させた、召喚術由来の特異的な魔術だ。
精霊王グレアフォールの作った、絶対的な隔たりを唯一侵すことができる、人間だけが持ち得た力──。
ハインツは、ルーフェンは死んだなどと言っていたが、移動陣そのものがまだ効力を失っていないということは、サーフェリアの召喚師一族の血が、まだ絶えてはいないことを意味していた。
瞑目したまま、エイリーンは巨木の中に入り込み、その幹から枝葉へ、根へ、ゆっくりと溶け込んでいった。
エイリーンと一体になった巨木は、更に根を伸ばし、同化した感覚を全土に広げていく。
土の中は静かだが、地上でのことは、枝葉が教えてくれる。
異郷で拾える情報に限りはあるが、移動陣を使って一層広く根を巡らせれば、いずれ遠くのことも見聞きできるようになるだろう。
エイリーンは、地中に深く張り巡らされた木の根に、そっと意識を寄り添わせたのだった。
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