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投稿日:2025年12月31日
* * *
本殿三階の医療区画に運び込まれたアレクシアが、面会できる状態になったという連絡がギールに入ったのは、彼女がヨークの姿をした何者かに襲われて、十日経った頃であった。
宮廷医師の案内を受け、早速ギールが病室に向かうと、アレクシアは、寝台に座って、ぼうっと窓の方を眺めていた。
硝子を透かして差し込んだ秋の朝日が、下ろした青髪を照らしている。
ギールが扉を閉めると、アレクシアはこちらに振り返ったが、視線はやや下に向けられていた。
まだ怪我の治療を終えたばかりで、気分が落ち込んでいるのだろうか。
幸い命に別状はなさそうであったが、目の周りに残った傷の縫合跡が痛々しかった。
「アレクシアさん、無事に回復されたようで何よりです。ご気分はいかがですか?」
問いながら、ギールが寝台脇の椅子に腰掛けると、アレクシアは、目を伏せたまま答えた。
「貴方の目には、私がご機嫌に見えるわけ? ここ数年で一番最悪の気分よ。悪いことって続くものね」
「あ、はは……本当に、そうですね……」
刺々しいアレクシアに曖昧な笑みを返してから、大きく嘆息する。
実際のところ、現在の魔導師団を取り巻く状況を考えると、全く笑えない。
アレクシアの口調が、いつも通りの憎まれ口であったことに安堵するくらいには、ギールも疲弊し切っていた。
「……で、ヴィルマン卿は? 魔導師団の医療棟に入院したって聞いたけど、結局なにがあったのよ。医師連中は事情を知らないみたいだったし、出入りの侍従も口を割らないの」
腹立たしげに腕組みをして、アレクシアが尋ねる。
ギールは、周囲に誰もいないことを確認すると、罰が悪そうに答えた。
「それが……その、すみません。僕も詳しいことは分からないんです。あの日、アレクシアさんを医術師たちに預けてから、すぐに現場に戻ったのですが、ヴィルマン卿は重傷で意識不明。ハインツさんは、彼を刺した罪人として、教会に身柄を拘束されてしまっていたんです」
「はあ? 拘束?」
「はい。バーンズ団長と同じように、今は主塔の地下牢に入れられているようです」
眉を寄せたアレクシアに、ギールは、慌てて付け加えた。
「もちろん、その場でハインツさんの無実を訴えましたよ! ですが、ヴィルマン卿に起こったことを証明できるものは何もありませんでしたし、僕らがいなくなった後、現場を目撃した侍女たちによると、ハインツさんがヴィルマン卿を襲っているように見えたらしいんです。おそらく、揉み合った様子がそう見えただけだと思うのですが……」
「…………」
深々とため息をついて、アレクシアは黙り込んでいる。
俯いた彼女の横顔を窺いながら、ギールは声を小さくした。
「……それから、陛下についていたはずのノーム老が、控えの間で亡くなっていたんです。死因は、呪言縛りによる呪殺」
「…………」
「詳しい経緯は分かりませんが、王室の護衛についていた騎士たちが、ノーム老とヴィルマン卿が連れ立って、二人で控えの間の方に向かうところを見たと証言しています。……教会は、ヴィルマン卿がノーム老を殺害し、その件で口論になって、ハインツさんが魔剣でヴィルマン卿を刺した、と疑っているようです」
アレクシアは、痛むこめかみをさすりながら、ゆっくりと首を振った。
「ありえないわね。……まず、私たちはあの時、ノーム老が死んでいたなんて知らなかった。ハインツがそれでヴィルマン卿を問い詰めるなんてことにはなり得ないし、そもそもあれは、ヴィルマン卿ではなかったわ」
ギールは、神妙な面持ちで頷いた。
「その辺りのことも、教会に伝えました。普段、魔法具を使わないハインツさんが、僕の魔剣を凶器に選ぶのもおかしな話ですし、わざわざ人目につきやすい長廊下で襲おうなんて、状況として不自然です。ただ、こちらもそれ以上の情報を持っていないので、強く抗議しようにもできません。なんとかハインツさんにお会いして、何があったのか聞ければ良いのですが……」
その時、扉が叩かれて、ギールは咄嗟に話を中断させた。
どうぞ、とアレクシアが声をかけると、扉が開いて、甲冑に身を包んだ騎士が入ってくる。
その手には、先日の評議会でジョナルドが持っていたものと同じ、イシュカル神の金刺繍が施された暗緑色のローブがあった。
思わぬ訪問者に、ギールが警戒したように席を立つ。
騎士の男は、険しい顔つきのギールを一瞥してから、アレクシアの方を見た。
「フィオール卿、無事にご回復されたようで何よりです。レドクイーン卿も、こちらにおいでとは知らず、突然の謁見を失礼いたします」
兜を取り、恭しく膝をつくと、騎士は丁寧な敬礼を見せた。
予想外にも下手に出た挨拶をしてきたが、その立ち振る舞いや甲冑の装飾から察するに、彼は一般の騎兵ではなく、教会の中でも地位を得た特権階級の騎士なのだろう。
ギールは、アレクシアの寝台の前に移動すると、厳しい口調で尋ねた。
「……修道騎士会の方が、一体何用ですか?」
「イシュカル教会、最高司祭モルティス・リラード様より、言伝を預かって参りました」
「言伝?」
騎士は立ち上がると、淡々とした声で答えた。
「猊下は、此度の魔導師団を巡る一連の出来事を、緊急性を要する事態であると問題視しております。亡き召喚師ルーフェン・シェイルハートの大逆に始まり、評議におけるジークハルト・バーンズの振る舞い、そのほか有権者たちの背教罪の数々、そしてあなた方、宮廷魔導師らの殺傷事件。本来であれば、魔導師団の即解体、および関係者たちの追放を行うべき事案です。しかしながら、我らがイシュカル様は、寛容で慈悲深い神。先ほど名を挙げた背教者たちの傘下にあった魔導師でも、彼らの罪を認め、また考えを悔い改めれば、クライン伯率いる新興魔導師団への入団を認めても良い、と猊下は申しております」
「なっ……」
絶句してから、ギールは反論した。
「今あげられた事案の中に、我々が悔い改めるべき点などありません! バーンズ団長は、イシュカル教徒ではないのですよ。確かに、評議の場にふさわしくない発言はあったかもしれませんが、それは貴殿らも同じこと。背教罪が適用されるのは不当です! 先日の殺傷事件に関しても、ハインツさんは冤罪だと何度も訴えているはずです。ろくに事実を確かめもせず、国に仕えてきた魔導師たちを罪人に仕立て上げようなどと、それこそ神の名を汚す行為ではありませんか!」
「…………」
騎士の冷静な眼差しに射抜かれて、ギールは、これ以上は言うまいと堪えた。
他にも言い返してやりたいことは山程あったが、ここで感情的になっては、ジークハルトの二の舞になってしまう。
まだ地方常駐の宮廷魔導師がいるとはいえ、中央所属の若手で残っているのは、今やアレクシアとギールだけだ。
宮廷魔導師団と世俗魔導師団の危機に、拍車をかけるような真似をするわけにはいかなかった。
騎士は、ギールの言葉など聞こえなかったかのように、平然と続けた。
「レドクイーン卿は、ハイドットの弾を使った銃剣を用いて、先の召喚師討伐の任に大きく貢献なさったそうですね。また、最近は、聖堂にて行われる朝の礼拝に、足繁く通っていらっしゃるのだとか。フィオール卿も、七年前の修道騎士会発足時に、一時的に魔導騎士として我が隊に所属していらっしゃったのだと聞き及んでおります。そして、魔導師団の内部告発を行って、その是正に尽力なさっていたと。貴殿らの正しき行いは、イシュカル神も見ておられます。お二人であれば、是非新興魔導師団に迎え入れたいと、猊下も仰っています」
ギールはギョッとして、アレクシアの方に振り返った。
七年前、ジークハルトが魔導師団の再蜂起に奮闘していた頃、アレクシアが教会内部の情報を探るため、騎士団に潜り込んでいたことは知っている。
だがまさか、教会からも魔導師団を探る諜報員だと認識され、二重で情報を売っていたとは。
いよいよ信用ならない女だと、ギールは顔をしかめたが、当の本人はこちらを見もせず、依然として前を向いている。
アレクシアは、否定も肯定もせず、しばらく沈黙していた。
しかし、ややあって小さく吐息をつくと、億劫そうに返した。
「……言伝とやらは分かったわ。で、新興魔導師団の一員になるには、具体的にどうすれば良いのかしら?」
「ア、アレクシアさん⁉︎」
まさか入団する気かと、ギールが目を剥く。
騎士は、口元に微笑みを浮かべると、手にしていたローブを示した。
「ではまず、従来の魔導師団が行ってきた軍政が、非道かつ野蛮なものであったと懺悔し、今後はイシュカル神の導きを信じて武器をとると誓ってください。そうすれば神は、貴女が過ちを悔い改め、正しく清浄な魂を持った信徒に生まれ変わったとして、これまでの罪をお許しになるでしょう。最後に、この新興魔導師団の証であるローブを身につければ、我々も新たな治世を築く同志として、心から貴女を歓迎いたします」
「…………」
アレクシアは、不意に寝台から立ち上がると、緩慢な動作で、そばに並べていた革靴に足を入れた。
それから、自身の入院着を確かめるように触れてから、視線を前に定めたまま、言った。
「ギール、私のローブと腕章をとって、手に渡してちょうだい」
「はい? 腕章?」
「宮廷魔導師団の制服と徽章よ。その辺に置いてあるでしょう」
思わずギールが聞き返してしまったのは、アレクシアの言うローブと腕章が、見落としようもないほどすぐ近く、寝台の宮棚に畳まれてあったからだ。
その辺も何も、少し手を伸ばせば、すぐ取れる位置にある。
わざわざ人に手渡ししてもらう方が面倒だろうに、なぜそんなことを頼んできたのか、ギールには分からなかった。
不自然に思いながらも、手にとったローブと腕章をアレクシアに渡すと、アレクシアは、それらを床に落とした。
そして思い切り、ガンッと踏みつけた。
革靴の底で、執拗なまでに床にグリグリと押し付けると、腕章はひび割れるような音を上げ、畳まれていたローブは見る間に乱れていく。
この腕章とローブは、宮廷魔導師の証であり、誇りだ。
それを踏みつけるというのは、懺悔の言葉を口にするよりも、余程確かな魔導師団に対する背信的、侮辱的行為である。
その容赦のなさには、離反を言い出した騎士も、驚いている様子であった。
ギールと騎士が、唖然と見守る中。
最後に、腕章とローブを蹴り飛ばして見せると、アレクシアは騎士の方に身体を向けた。
「……それで? 極めつけに、新しいローブに頬擦りして、熱い口付けでもすれば、ご満足かしら?」
ポカンと口を開けていた騎士が、はっと身じろいで、新興騎士団用のローブを見る。
首を振ると、騎士はアレクシアの手にローブを渡した。
「……い、いえ、もう結構です。フィオール卿、貴女の修道魔導師会への入団を認めます」
続いて騎士は、ギールへと視線を移した。
その目が、聖堂で創世記を読み上げる司祭と同じように、イシュカル神への信仰を説いている。
開きかけた唇を結び、ギールはつかの間、押し黙った。
ギールは、反教主義者ではない。
かつて、自分の叔母がそうだったように、教会の思想によって救われる人がいることも、また事実だと知っている。
この場でジークハルトたちのように投獄されたくなければ、騎士の勧誘に頷くべきなのだろう。
嘘でも神への忠誠を誓い、発言権のある立場を守れれば、いずれ反対勢力を弾圧するような、教会のやり方を糾せる機会がくるかもしれない。
逆に、ここで兇徒として地位を剥奪されれば、そのような機会は二度とやってこないのだ。
納得がいかなくとも、頷くべきだと分かっている。
分かっているが、だからといって、アレクシアのように誇りを踏みつけ、イシュカル教に入信しようという気にはなれなかった。
魔導師を目指したきっかけである生家を失い、その復讐を遂げて召喚師を討ち取った今、もう自分が宮廷魔導師の立場に執着する理由はないはずだ。
それでも、亡き両親に背を押され、懸命に魔導師を目指していた幼い頃の記憶が、まだその血と汗にまみれた正義を信じていたいと、心の底で叫んでいるのだった。
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